70.怒り
「殺して良かったんですか。後継ぎでしょう。あと、娘が殺されたら、王弟が黙っていないと思いますが」
「問題ない。後継ぎならツィロがいる。ローゼルは急病で死んだ」
どう見ても急病どころではない女の骸を跨いで、公爵はパウロの服を掴んで持ち上げた。死体は未だぼたぼたと血を落とす。
仮にも、子まで成した仲の妻と、自らの血を分けた息子だというのに。他人よりもぞんざいだ。
「これは、テオドアくんの仮の肉体だ。『楽園』に帰ったら、女神たちが別の肉体を用意しているらしい。ずっとパウロのまま生きるわけじゃないから、安心してくれ」
「……やっぱり、そうでしたか」
光の女神が疑念を呈した、「パウロに流れる王家の血」の問題。
愛する男――前世のテオドアだ――を殺した者の血筋。百年の時を経ていても、彼女たちの憎悪は並ならぬものだった。そこへ、魂は異なるとは言え、憎い血筋の者と共同生活を営めるだろうかと。
――答えはおそらく、否。
『森の番人』の亡骸を修復し、『夢と眠りの女神』が付きっきりで世話をしてまで〝保存〟していることからも、分かる。
準備が整った時点で、再び禁術を使い、『森の番人』にテオドアの魂を移す。そして、不要になったパウロの肉体は、今度こそ捨てられる。
そして、パウロとテオドアの父たるヴィンテリオ公爵も、それを容認していた。
ある程度、予想はしていたが。本人の口から答えを得ると、推測を立てていた時とはまた違う「腑に落ちた感覚」がするから、不思議だ。
テオドアはふと、肩の力を抜き、自然体になって問うた。
「……貴方にも聞きます。どうして、こんなことをしたんですか?」
「どうして? 自分の家族を守りたい、みすみす死なせたくない、と思ったからだが」
公爵は何の気兼ねもなく、当たり前のように言い切った。
「俺はリーザを愛している。もちろん、リーザが産んだテオドアくんもだ。俺は家族を守る。幸せな家族を。やっと産んだ子どもが死ぬなど、リーザはきっと耐えられない」
「だから……女神さまたちに協力を?」
「ああ。秘密裡に協力を持ちかけられた。テオドアくんの魂は、女神たちも欲しがっていた。リーザの子としての肉体が喪われるのは惜しいが、背に腹は変えられない」
女神たちは、「表向き王弟と手を組むフリをするから、お前もその通りに動け」と言った。
「王弟とその血族を騙し、利用する。利用できた後は殺しても良い」とも。
公爵は了承し、王弟に協力をするかのように動いた。国王を眠らせ、王城の皆を眠らせ、適切に記憶を操作した。
だが、王弟が王位に就こうが就かなかろうが、もうどうでも良い。
そのようなことを、公爵は淡々と言った。
「そうだ、パウロの魂も捕まえておかなくてはな。でなければ、殺した意味がない」
パウロの死体を捨てたかと思うと、公爵は右手の剣を持ち直し、切先を天井に向けた。
すると、俄かに剣が光を帯び始める。それと呼応するように、薄く透けた人影が二つ、現れた。
誰の姿かは判然としない。男か女かも分からない。辛うじて判別できるとすれば、ひとつはほんのりと青みを帯び、もうひとつは薄紫に色づいていた。
「彼ら」は、戸惑うように、辺りをうろうろと歩き回っている。
「青い方か」
公爵は、ためらいなく青い人影を切り裂いた。
斬られた人影は、悲鳴を上げるかのように大きく仰け反り、見る間におびただしい光の粒と化した。そうして、剣の中へ吸い込まれていく。
青い人影は、その場から消え失せた。
「冥界では、魂は生前と同じ形を保つそうだ。だが、地上には『冥界の神』の加護がない。生前の姿は保てない」
「じゃあ、あっちは第一夫人ですか」
テオドアは、動きを止めたもうひとつの人影に視線を向けた。
先ほどまで落ち着きなく動いていたというのに、今は少し離れたところで棒立ちになっている。呆然と立ち尽くしている、ようにも見えた。
「自分の妻と息子なのに、容赦がないですね」
「……? 喜ばないのか? テオドアくんが復讐しないなら、俺が、と思ったんだが。リーザとテオドアくんは、コイツらに虐められてたんだろ」
「そうです。理由は知りません」
魔力無しとして生きていた頃が、ずいぶんと遠い昔のように思える。
憎しみに身をたぎらせ、しかし諦めと共に生きていたのが、嘘のようだ。この数ヶ月に起きた出来事があまりにも多く濃密すぎて、数年は経ったような気がしてしまう。
テオドアは、「第一夫人の魂」を眺め、次いで二人の死体を見た。
それから目を閉じ、自分の心の動きを確認してみる。
――うん、やっぱりそうだ。
テオドアは、ゆっくりと瞼を上げた。
「……何十年も地上を彷徨っていて、魔物になりかけていた魂を、母の胎に宿らせたもの……それが僕なんですね。リュカが白状しました」
「ああ、方法を教えてくれたのもアイツだ。死んだことに気付かない魂は、冥界への道を見失いやすいと――」
「分かりました」
公爵の言葉を遮って、テオドアは彼の顔を見る。
相変わらずの無表情だった。
だが、無表情でも、なんとなく浮かれているようなのは感じ取れた。
……全てが上手くいっているから、だろうか。
「父さん、僕はね。優柔不断だし、自分よりも他人の都合を優先してしまうお人好しです。いくらでも悪ぶれるけど、結局中身は、虐げられていた頃の精神のまま、卑屈なままです」
「テオドアくん――」
「だから、僕の代わりに、復讐を果たしてくださってありがとうございます――
――なんて言うと思ったか? クソが」
テオドアは足を踏み出した。
血溜まりを跳ね上げ、公爵のもとへ真っ直ぐ、あらん限りの怒りを込めて。
「おめでたい頭をしてるのは、パウロやツィロと同じですね。いや、あの人たちが貴方に似たのか。可哀想に」
自分より上背のある公爵の胸ぐらを掴み、力を込めて引き寄せる。
突然のことだからか、それとも虚を突かれてしまったからか――公爵は二、三歩引きずられてよろめいた。
その瞳は、わずかに見開かれているようだった。
「どうして貴方が首を突っ込んでくるんですか? どうして自分が何もかも決められると思い上がっているんですか? 僕の死も、憎しみも、過去も、未来も、貴方に決められるものじゃない――僕が! 僕自身の意思で! 乗り越えるべきものだ!!」
「テ、」
「気安く名前を呼ぶな!! 貴方は――お前なんか、父親でもなんでもないッ!!」
ひと息入れて、テオドアは公爵を、突き飛ばすように離した。
湧き上がるのは、震えるほど強い怒り。十数年、「テオドア」として生きてきて、少しずつ心の奥に降り積もっていた感情だ。
未だ困惑している様子の公爵を睨みつけ、テオドアは低く言い切った。
「――終わりにして差し上げます、ヴィンテリオ公爵。ふざけた夢物語を見続けるくらい、耄碌しきっているようですから」




