間話.女神たちは禁を犯す
男の亡骸を最初に見たのは、『知恵と魔法の女神』だった。
現場は凄惨なものだった。辺り一面に鮮血が飛び散り、男の身体はもはや原型を留めていない。辛うじて「欠片」を確認できても、それが「足」だったのか「手」だったのかすら判別できなかった。
『戦と正義の女神』であれば、そういった光景に耐性はあったから、直視したとて持ち堪えられただろう――なんとなれば、あとの二人が直視しないように、現場を整えることだってできたはずだ。
しかし、『知恵と魔法の女神』・ペレミアナは、そんな状況に慣れてはいなかった。
ゆえに、狂ってしまったのは、仕方のないことと言える。
彼女は、男を「食い荒らした」獣を、一瞬のためらいもなく塵にしたらしい。
戦を司るティアディケが駆けつけたときにはもう、ペレミアナはほとんど半狂乱に陥って、塵の山のそばに散る「欠片」を、素手で必死に掻き集めていた。
ティアディケも、――表情は変わらないが、多大なる衝撃を受けた。神獣を操った人間どもから話を聞き、彼らを厳重に捕縛したあと、急いで駆けつけてきた。
だから、覚悟はできていたというのに。
そうだ。人間はこんなにも呆気なく死ぬのだ。
例え、今まで、どんな難題の試練を乗り越えた者だったとしても。
信じたくはない。ここまで原型がないのだから、これがあの男であるという保証もない。今に、城の影からひょっこりと現れて、「危ないところでした」と笑うに決まっている。
現れてくれ、と、ティアディケは生まれて初めて、何かに祈った。
しかし、その願いを聞き届ける者は――神も運命も――誰もいなかった。
「『知恵と魔法』、もう止せ」
声を掛けると、ペレミアナは顔を上げた。鬼気迫る勢いで。
彼女とは天界にいた頃から付き合いがあったが、こんな表情を見るのは初めてだった。
「あ、あ、集めないと――わたしなら、ま、まだ、元通りにできます」
「……」
「ここここんなにちっちゃくなって、かわ、か、可愛らしいじゃないですか。あつ、あつめてなおしたら、こ、子どもの姿に、なる、なっちゃったり、して、えへへへへへ」
もう治せない。集めても無意味だ。死んだ人間は、どんな神でも生き返らせることはできない。
それは、『冥界の神』を父に持つペレミアナが、一番良く分かっているはずだった。
だからこそ、受け入れ難かったのだろう。
「……それでは血で汚れるだけだ。汝なら、手よりも効率良く集められるだろう」
「あ、そう、そうでし、たね! えへへ、わたしったら、これだと、あの人がびっくりしちゃう……」
今日の彼女は、目にも鮮やかな青色の衣服を纏っていた。控えめな彼女には珍しく。男が試練を乗り越えて、『百日の誓約』を達せることを、もはや、三女神の誰も疑っていなかったからだ。精一杯のお洒落をして、出迎えようと思ったのだろう。
ティアディケの指摘どおり、その服は血でまだらに染まってしまったのだが。
ペレミアナは、ふっと両手を振るった。その場は瞬く間に出現した光に包まれ、男の残骸が消える。どこかへ移動したのだろう。
そうして、魔法で辺りを『浄化』し、事件の痕を綺麗に消し去った。
もちろん、ティアディケが有していた、神獣の成れの果ても。
「済まなかった。あの獣については、吾の管理不足だ」
ティアディケが言うと、ペレミアナは大きな瞳をぎょろりとこちらへ向けた。
正気でない者の瞳は、これほどまでに恐ろしいのか。ティアディケは俄かに背筋が粟立つのを感じた。
「大丈夫です。治りますから」
そう言って、彼女は城へと駆け戻っていった。
『夢と眠りの女神』は、正気こそ失わなかったものの、男が殺された事実に深く傷ついたようだった。
彼女は、ティアディケに相談し、檻に入れられた愚か者どもが死ぬさまを、いちばん近くで見たがった。
「どうやって殺すの?」
人間の安らぎとも言える「眠り」。それを司るはずのレネーヴは、いつも通りに微笑みながら問う。
ティアディケとて、男たちを生ぬるい罰で赦すつもりなどなかった。神とは身勝手なものなのだ。この世に存在したことを後悔するくらいの苦痛を与えようと思った。
しかし、レネーヴが求めるものは、さらに上を行っていた。
「山が怒るときがあるでしょう?」
「怒るとき? ……ああ、噴火か」
地界では、大地の胎動により、たまに山が噴火することがある。それを、古い神の間では「山の怒り」と言う。レネーヴも、それに倣って言ったのだ。
彼女は可愛らしく首を傾げる。
「あれで噴き出す……溶岩、だったかしら。あれを、捕らえた人間たちに飲ませたらどう?」
「……喉が焼けるなどの騒ぎではない」
あれは、神でさえうっかりすると焼け消えそうな代物だ。安易に取り扱えないし、人間など近づいただけで焼けるだろう。とても、罰に使えそうにない。
だが、レネーヴも言い募る。
「あら、忘れてしまったの? ここには私と、『知恵』がいるじゃない。あの子と私で、アレらを死なないようにして、永遠に近い苦痛を味わわせるのよ」
レネーヴが彼らに『夢を見ている』と錯覚させ、ペレミアナが『一時的に夢を現実に固定する』魔法を掛ける。人間は、夢の中で死んでも、現実の肉体は死なない。それを逆手に取った案であるという。
――ティアディケには、細かい理屈は分からなかったが。「どんなにひどい拷問を加えても死なない」状況を一時的に作り出せることは分かった。
勢いづいたレネーヴは、他にもさまざまな案を出してきた。
ティアディケも引きずられるように案を出し、最終的には聞くだにおぞましい拷問計画が出来上がる。
男を殺した者たちの末路は、推して知るべし。手を下したのはティアディケだったが、最後には誰が誰だか判別できないくらいだった、と記憶している。
愚か者どもが息絶えて、数日が経った。
ペレミアナは、レネーヴと共同で魔法を掛けて以来、部屋に篭りきりだったが、ある日、ふらふらと現れ出でる。
表情も顔色も、芳しくなかった。
「どうしても、最後のひと押しが足りません」
と、彼女は言った。眼鏡の奥の瞳は、ひどく憔悴していた。
「形は完璧です。すっかり元通りになりました……でも、なにをやっても、長く呼吸し続けてくれないんです。心臓も、動かしてもすぐに止まってしまって。やっぱり、先に魂を取り戻すために、『冥界の神』を欺く方法を見つけないと」
「実の娘でも、魂はもらえないのね。融通してくれそうなものだけど」
レネーヴは、少し考えてから言った。
「でも、魂と同じくらい、肉体も大事よ。息を吹き返さないのは問題ね……」
「もしかしたら……可能性があるのは……」
ペレミアナは、ぶつぶつと呟きながら、レネーヴを見た。
「この前、アレらに掛けた、共同の魔法がありましたよね。それを応用できたら――」
「私の力が必要なのね? 良いわ、言って」
「……少しだけなら、心臓も動くし呼吸もしてくれます。その間に、あなたの権能で騙してくれませんか?」
「ああ――『死んでいるのではなく、眠っているだけ』って、空っぽの肉体を騙すのね。人間が眠っているとき、稀に魂が抜け出ることもあるから、魂がない状態で生きていても不思議じゃないわ」
二人の会話をそばで聞いていたティアディケは、ただただ黙りこくっていた。
とんでもない会話が行われている。
死んだ者を生き返らせようとしている。
それは、伝え聞く神話の時代から、絶対の禁忌とされていた領域だ。
人間も、神も、誰もが求めるもの。死者を蘇らせる方法。それを求めた人間や半神は神罰を受けて死に、試みようとした神でさえただでは済まなかったそうだ。
今なら、まだ、引き返せる。
ペレミアナは亡骸を綺麗に直しただけだし、レネーヴはあらゆる場面で計画を口にしただけ。直接「神罰」を下したティアディケも、愛する者の仇を討っただけだ。
どんなにやり口が酷かろうが、神の怒りに触れた者の末路は悲惨なものと決まっているから、天界からは目立ったお咎めもないだろう。
今なら――まだ――
「……」
しかし、ティアディケは終ぞ、二人を止めることはなかった。
二人のそれと同じくらい、あの男を愛していたからである。
生き返ってほしい。もう一度話をしたい。笑顔を見せてほしい。取り戻したい。あの声を聞きたい。微かなふれあいに、何気ない会話に、心が暖かくなったあの日々を。もう一度。もう一度。
例え、どんなにみすぼらしくたって。美しくなんてなくたって。地位がなくたって。賢くなんてなくたって。
自分たちが愛した者は、真実、あの男だけだったのだから。
綿密に打ち合わせをする二人を眺めて、ティアディケは思う。
あの二人と同じで――自分もとっくに狂っているのかもしれない、と。




