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最高神の〝依代〟 〜転生後も不遇で虐げられた公爵子息の、最高神成り上がり譚〜  作者: 青波希京
第二部 第二章 攫われた母

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52.混迷を極める現状

 刃をテオドアの首から離し、彼女はぐるりと回り込んで、目の前に立った。

 手にしているのは、平民が常用しているような小型のナイフだったが。武器はこの際、分かりやすく脅せればそれで良いのだろう。


 あの二人を――ハンナとルネリーゼを殺す、と断言しているからには。

 脅迫している側とは思えないほど自然体なのも、隙だらけであるのも、やろうと思えば一瞬でハンナたちを殺せるから、なのかもしれない。


 『知恵と魔法の女神』と、今のテオドアは、同じくらいの背丈だった。それだけに、目線が近い。


「やっと二人きりでお話しできますね。あなたが地上に降りてから、『光の女神』がいつも周りをうろついていて、とっても邪魔だったんです」


 言うに事欠いて、『光の女神』を邪魔者扱いとは。

 彼ら神々の力関係について、テオドアはまったく知らないが……『光の女神』は長生きだし〝依代〟候補選定者だし、偉い部類の女神なのではないのだろうか?

 『知恵と魔法の女神』が、嫌悪感たっぷりに喋るのにも驚いた。前世の記憶のせいで、穏やかで引っ込み思案だった印象が強いのである。


 困惑しながらも、テオドアはなんとか問い掛けた。


「……僕の母を誘拐したのは、貴女ですか」

「そうです。でも、安心してください! 傷ひとつつけていませんし、これからもひどいことをするつもりはありません。誰よりも丁重に扱っています」


 あっさり肯定された。傷ひとつつけていない、は、彼女(誘拐犯)の言葉なので信憑(しんぴょう)性に欠けるが、少なくとも母が殺されていることはなさそうだ。

 少し安堵していると、彼女はナイフの柄を持ち直し、優しく微笑んで続けた。


「大切に扱わないわけがありません。だって、()()()()()()()()()()()()ですから」

「……母、体……?」


 その言葉に。テオドアは、彼女との決定的なズレを感じ取った。

 緩みかかった思考がさっと引き、頭が急激に冷えていく。

 にわかに警戒心を強めたテオドアに、気づいていないのか、あるいは気づいていても「どうとでもなる」と思っているのか。『知恵と魔法の女神』は、ゆったりとこちらへ体を寄せた。


 『光の女神』とはまた違う、甘く控えめな匂いが、ふわりと香った。


「まさか、冥界を経ずに、転生している魂があるとは思いませんでした。お父さまの領域ですから、冥界であれば、すぐに連れて帰れたのに」


 顔が近い。吐息が触れ合いそうな距離で、彼女はテオドアの頬に触れる。冷たい指先が、ゆっくりと撫で下ろされた。


「でも、不思議です。顔も姿も、まるで()()()と違うのに。同じ魂というだけで、こんなに愛おしく思えるなんて」


 だから、と、彼女は言う。


「――〝依代〟になってはいけません。絶対に。わたしは、わたしたちは、あなたが永久に失われることが、どうしても耐えられません」

「……どういう……」

「『光の女神』は、あなたを騙しています。心地の良い言葉で真実を誤魔化しています。本当のことを言わないのが、優しさとも限らないのに」


 彼女は、テオドアの目を見つめながら、なにかを投げ捨てた。――ナイフだ。そのまま、両腕でぎゅっと抱きついてくる。


「あと三日、待っていてください。お迎えに来ますから。わたしだけじゃなくて、他にも二人いるんです。あと、あなたのお母さまも。みんな、あなたのことを待っています」


 にわかに、建物のほうから賑やかな声が聞こえてくる。

 ハンナと、ルネリーゼだろう。数分、という宣言通り、彼女たちはテオドアへの「渡すもの」を携えて、すぐに戻ってきたのだ。

 『知恵と魔法の女神』も、それに気づいたのか、少し後ろを振り向いて「頃合いですね」と呟く。


「三日後ですよ。その日はなにが起こっても、絶対に抵抗しないで、大人しくしていてくださいね」

「待っ――」

「じゃあ、またお会いしましょう。テオドアさん」


 言うなり、『知恵と魔法の女神』は、煙のように消えてしまった。

 『空間移動』ともまた違う。本当に、姿がぱっと掻き消えてしまったのだ。髪のひと筋すら、幻だったと思えるくらいに。

 咄嗟に止めようと上げかけた手は、なにも掴めず空を切った。


「……」


 向こうから、元気に駆けてくるルネリーゼと、その後ろを急いで追いかけるハンナの姿が見えた。

 テオドアは、視線を地面に移す。そのまま、そばに落ちていたナイフをそっと拾った。


「テオー! もってきたー!」

「お待たせしました、テオドアさま。お嬢さまが――テオドアさま?」

「……ああ、いや。なんでもありません」


 なんの変哲もないナイフだった。

 しかし、前世で見た彼女は、このような武器とはまったく無縁に過ごしていたはずだ。ましてや、「動いたら誰かを殺す」と脅すなんて。


 ……自分の知らない百年がある。


 テオドアは、豹変した『知恵と魔法の女神』について考えを巡らせながら――ハンナとルネリーゼに対して、にこりと微笑んだ。


 本心を隠すのも、少しは慣れてきた。

 テオドアもまた、以前とは変わっているのである。




-------




「これは〝誓いのゆりかご〟ですね」


 夕食どきのこと。

 今日もまた、光の女神はテオドアのために、忙しく立ち働いた。いい加減、テオドアとしても申し訳なさすぎるので手伝わせてほしいのだが、頑として受け入れてくれない。

 なんなら、新しくこの建物の住人となったハンナの申し出も、きっぱりと断っていた。

 

「貴女は、リゼお嬢さまにお仕えしているのでしょう? 他のことに気を取られてはいけません」


 と言って。

 しかし、「リゼお嬢さま」もまた、同じ食卓でご飯を食べるのである。ハンナが、「せめてお嬢さまに関わりのあるところだけでもお手伝いを」と引き下がって、やっと受け入れてもらえたらしい。


「テオとおんなじところでたべるの、はじめてだね!」


 ここに滞在して以来、テオドア専用だった長いテーブルは、ルネリーゼたちのおかげで賑やかになった。

 ルネリーゼは、にこにこ笑いながら、それでも上品にスープを飲んでいる。

 数ヶ月前に見たときは、テーブルマナーもなにもあったものではなかったが、誰かが行儀を教えたのだろうか。


「そうだね、初めてだよ」

「おにーさまたちも、いっしょだったらよかったねー!」

「うん」


 とは言うものの、仮にそんな機会が訪れても、絶対にお断りである。

 テオドアは頷きつつ、そばに控えるルクサリネに目をやった。


「その花のことですか?」

「ええ。空気の薄い高山……しかも、雪の降る季節にしか咲かないという、貴重な花です」


 彼女の手には、ルネリーゼの「渡すもの」が握られている。青く美しい、一輪の花だ。保存の魔法、もしくは魔術がかけられているのか、多少粗雑に扱っても散らない。

 現に、ルネリーゼが花の部分をむんずと掴んで渡してくれたが、花は美しい形を保ったままだった。


「魔力を多分に含んでいて、魔道具の材料にもなります。こう見えて、炎を扱う魔法に適しておりますから」


 ハンナたちの目があるからか、女神は「ルリネ」として、謎の花の解説をしてくれた。

 へえ、と、テオドアは感心しながら、〝誓いのゆりかご〟を受け取った。雪の季節に咲くというから、氷に関する魔法に適していそうなものだが。


「そんな花を、どうしてリュカさんが……?」


 ルネリーゼの食事を補助していたハンナが、最もな疑問を口にする。


 彼女によると、リュカがこの花を渡してきたのは、ほんの数週間前。

 危機を覚えて公爵家の小屋に住み始めたころ、ひょっこりとリュカが訪ねてきたそうだ。

 ひとしきりルネリーゼと遊んだあと、「いちばん最初に会った〝お兄さま〟に渡してほしい」と、〝誓いのゆりかご〟を預けていったとか。


 そもそもが希少で、魔道具の材料にもなる花なら、市場価値も推して知るべし、高価なものだろう。

 彼はそれを、どこから手に入れたのか。

 そして、なぜ、おかしな条件をつけて預けていったのか。


 まるで、行動の意味が分からない。

 ただでさえ最近は、怒涛(どとう)のようにいろいろなことがあり過ぎているというのに。人目がなければ、頭を掻きむしって叫びたい気分である。


 ――『光の女神』は、あなたを騙している。


 不意に、そんな言葉が脳裏に蘇った。

 女神のほうへ顔を向ける。視線に気づいたルクサリネは、「下級精霊」として丁寧に用向きを伺ってくれたが、振る舞いも雰囲気もいつも通りだ。

 不審なところなど、どこにもない。


 しかし、それすらも騙すため、と言われたら――?


「どうして、〝誓いのゆりかご〟と呼ばれているんですか?」


 ほのかに芽生えた疑念を振り払うように、別の疑問を口にする。テオドアのわずかな変化に気づいた様子もなく、女神は快く説明を引き受けてくれた。


「この花が咲く山の(ふもと)の村では、この花は『火除けの花』とされておりました。各家庭に一輪、冬の間に摘んだものを、保存してお守りとして飾るのです」


 その風習は、旅人からか商人からか、いつしか村の外にまで広まった。伝承が人から人へ伝わる間、長い時間をかけて転じ、『魔除けの花』として扱われるようになったのだ。


 例えば、戦地に赴く青年に、家族や恋人が願いを込めて贈るとか。

 例えば、旅の安全のために、旅人自身がお守りとして携えるとか。


 なにごともなく、行って帰って来れるように。贈る側も贈られる側も、無事を願って帰還を誓う。

 ゆえにこの花は、いつしか、〝誓いのゆりかご〟と呼ばれるようになった――らしい。


「物知りですねえ、ルリネさん。あたし、そんな花のことも初めて知りました」

「精霊は長生きですから。私がハンナさんくらいの年だったときは、無知そのものでしたよ」

「あははっ、精霊さんがあたしくらいの年のときって、ちょっと想像できません!」


 くすくす笑い合う二人は、互いとの会話を楽しんでいるように見える。少なくとも、相性が悪くて衝突する心配はなさそうだ。

 ハンナは、思い出したように、「あ、でも」と声を上げた。


「物語の読み聞かせとかは、あたし、得意ですよ。お嬢さまも一発でぐっすりです」

「それはそれは。ぜひ一度、傾聴したく思います」

「お嬢さま、あたしたち庶民がよく知ってるようなお話も、全然知らなかったりするんですよ。昨日は――『三人の女神と愚かな男』をお話ししました」

「えっ?」


 思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 ハンナが驚いてこちらを見る。テオドアは、「ごめんなさい」と手を振ってから、恐る恐る聞いた。


「その……昔話。有名なんですか?」

「えっと、はい。『三人の女神と愚かな男』ですよね? 有名というか、この国に来たことある人間なら、誰でも一度は、聞いたことあるはずです」


 童話として本になってますし、文字が読めない人でも劇とかを見れば。ちょっと古いですけど、吟遊詩人とかからも。それくらい、身近なお話です。――


 それを聞いて、テオドアは、リュカのことを思い返した。

 おそろしく器用で、頭の良い少年。公爵家へ通える範囲に住んでいるらしい少年。

 しかし、彼は、『三人の女神と愚かな男』の昔話を()()()()()()


 極端にそういうものに疎い、という可能性もある。現に、テオドアは、その話が本や劇になっていることも知らなかった。だが――

 リュカについても、よく考えなくてはならないのかもしれない。


 テオドアは、そっとこめかみに手をやった。


(ああ……頭がこんがらがってきた……)

 


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