53.本心を隠す二人
「うーん……」
深夜、広い寝室にて。
机に置いたランプの明かりのもと、テオドアは白紙を広げて唸っていた。
公爵子息でありながら家庭教師など付かず、学校にすら通っていないが、前世の記憶と今世の母のおかげで、読み書きくらいはできる。
考えをまとめるために書き出そう、と思ったのだが、まず書き出すことを考えるのが難しい。
基本、テオドアは、勉強というものに興味がないからだ。
「だから、魔法の鍛錬にも身が入らないんだろうな……」
そも、魔法が使えることを、心の奥底では「便利だ」以上に思っていないのだ。
もともと使えなかったものだし、降って湧いたような力だから、どうもしっくりきていない。
使えそうなのに使えないから、もどかしい。
魔法を使う感覚が身体に馴染めば、あるいは――大規模な魔法さえ、安全に扱えるようになるかもしれないけれど。
そこまで努力を重ねたいとは――正直言って、思えないのである。
自分の怠惰さに嫌気が差すが、嘆いてばかりもいられない。
テオドアは、はあ、と溜め息をつきつつ、持っていたペンの先をインク壺に浸した。
王弟と第一夫人たちの不審な挙動。
公爵の振る舞いについて。
母が誘拐されたこと。
それを実行したと主張する女神。
ここへ来て急に怪しくなってきた少年。
『試練』が終わり、山を降りてからたったの一週間足らずで、これだけのことが起こった。
テオドアは、書き出した文字を再三読み、日数を数え、「やっぱりおかしい」と思う。
「こんなに短期間に、偶然起きるものなのかな」
王弟と第一夫人たちが繋がっているかも、なにかを企んでいるかも証拠がないが、仮にそうだったとして。
考えられうるのは、テオドアに意趣返しをすること。または、〝依代〟の座からなんとしてでも引きずり下ろすこと。くらいだ。
翻って、『知恵と魔法の女神』。
彼女はテオドアに、「〝依代〟にならないでほしい」と思っている。永遠に失われてしまうから? だそうだが、いまいちよく分からない。
だが、なぜか、テオドアに愛情を持っているらしいことだけは分かる。「魂」と言っていたから、あるいは、前世がバレているのかもしれない。
「だとしたら、僕に愛情なんて持つのか……?」
前世で神獣の餌にした程度の男に、今さらなぜ?
まあ、それは置いておこう。
肝心なのは、二つの勢力の利害が一致しそうだということである。
もしも、彼らが手を結んでいたとしたら?
だとするなら、これだけ一気にいろいろなことが起こっているのにも頷ける……が……。
(でも、これまで以上に憶測だし、関係のありそうなことを無理やり結びつけているだけだ。……飛躍し過ぎたかな)
想像力が豊かなのも考えものだ。前世も今世も、それで切り抜けられた場面があるから、一概には言えないけれど。
なんだかもう、誰もなにも信じられない。
いろいろな思惑が混ざっているというか、絡まっているというか。各々が好き勝手に動いている気もするし、すべてが裏で繋がっている気もする。
公爵が誘拐された母に冷淡だったのも、あの時は頭に血が上って気付けなかったが、ちょっと違和感がある。
どうでも良い第二夫人に手紙など出さないだろうし、息子をわざわざ呼び出して様子を聞かずとも良い。
それらすべてが対外的なアピールだと言うなら、やり過ぎだ。
リュカは……うーん、リュカは、本当になんなのか。
分からなすぎて、もらった花になにか細工でもあるのかと疑ってしまう。女神がなにも言ってこなかったので、たぶん、大丈夫だとは思うが。
「うう……考えることが多過ぎる!」
テオドアは頭を抱え、背凭れにだらりと体を預けた。
ただ粛々と、〝依代〟としての務めを果たせば良かったはずなのに、周囲がそうさせてくれない。
本人たちにその意図があるにせよ、ないにせよ。嫌でも、テオドアの意思を試し続けてくる。
お前は本当は、どうなりたいのか、と。
「はあ、今はなにも考えたくない。ぼんやりしていたい。一日中天井を眺めて過ごしたい」
「結構な夢だな」
「うわあああああっ!?」
すぐ近くから声が聞こえたので、テオドアは考えるよりも先に紙をぐしゃりと掴み、結構な火力で燃やした。
こういうとき、魔法は便利である。
灰を握ったまま振り返ると、薄暗闇の中、ルクサリネが立っていた。
彼女は、突然に紙を燃やしたテオドアに驚いているようだったが、すぐになにかを「察した」ようで、にやりと笑う。
「お前が眠れないのなら寝物語でも、と思ったんだがな。不要だったようだ。悪かった、男には知られたくない秘密のひとつや二つあるものだよな」
「な、なにを想像なさってるんですか!? 違いますよ!」
「違ったのか? てっきりハンナに恋文でもと……」
「意外に健全ですね!? いやそれでもないです! あの――状況の整理を!」
とりあえずそう言って誤魔化す。まあ、あながち嘘でもない。
だからだろうか。女神は疑う素振りもなく、「そうか。驚かせて悪かった」と言い、大きな寝台の方に歩いて行った。
そうして、端にぽんと座る。
「だが、夜も遅い。早く寝なければ身体にも障るぞ」
「はい……」
テオドアは素直に頷き、ランプに手を伸ばした。手をかざし、中の火を「吸い取る」感じで、消す。
魔法とは感覚であると、実感する。
寝台に行って寝転がると、女神も当然のように隣に寝そべった。
「あの」
「なにもしない。私の方からはな。無理強いなど楽しくはないだろう?」
「……僕が寝たら、ご自分の部屋にお戻りくださいね」
はいはい、と笑う女神は、どこまでも美しく、無邪気だ。
暗がりに目が慣れずとも、彼女は光をまとっているため、当たり前のようにはっきり見える。その姿を眺めて、テオドアはふと、思い至った。
――今ここで、『知恵と魔法の女神』のことを、打ち明けてしまえば。
きっと、女神は内緒話を察して、防音の魔法か何かを施してくれるだろう。その上で、二人だけの話に留めてくれるし、一緒にいろいろと考えてくれる。
『知恵と魔法の女神』の思惑に、ルクサリネだって巻き込まれるかもしれないのだから。彼女を危険に晒したくはない。
今だ。今しかない。今を逃せば、言い出せなくなる。
だが――
テオドアの口は、意思に反して、別のことを言った。
「……ルクサリネさま。ひとつ、お願いが」
「どうした?」
「今から、僕が眠るまで、絶対に嘘をつかないでください」
女神は微笑ましそうに目を細めた。テオドアが、戯れを言っていると思ったらしい。
「良いぞ、なにが聞きたい? 言ってみろ」
「……先日から、そのように明け透けになさっていますが……えっと、以前の〝依代〟にも、そのようなことを……なさっていたんですか?」
言いながら、だんだんと顔が熱くなっていく。
なんということを聞いているのかと思ったが、一度口から出た言葉は、もう取り戻せない。尻すぼみになりながらも、なんとか言い切る。
個人的な交際のことを聞かれたというのに、女神は気分を害すことはなく、あっさりと答える。
「ないな。このような誘いを掛けるのは、お前だけだ」
「……ええと」
「ふふ、こう見えて、純粋なる処女だ、と言ったらどうする?」
女神は、テオドアと向かい合うのを止め、ごろんと仰向けになった。天井を見上げながら、「昔から――」と言う。
「昔から、恋愛を自分ごとと思えなくてな。他者と契るのにも興味がなかった。だが、周囲からは、ずいぶんと奔放に見られたものだ。神も人間も、男はみな、一度は私の恋人か夫に名乗り出た」
「誰とも付き合っていないのに、奔放……?」
「滑稽だろう。神も噂や偏見に踊らされる。知性を持つ生き物が集まった社会は、得てしてそのようになる」
テオドアは、ごくりと唾を飲み込んだ。無意識だった。
では、なぜ、自分には誘いを掛けるのかと――
聞くことはできない。
踏み込んだら、この危うい均衡を保つ関係が、今度こそ崩れてしまうような気がした。
「女神さまは、僕のこと……どう思っていらっしゃるんですか」
すると、女神は一瞬だけ眉を下げた。
すぐに元に戻ったが、言い表すならば、とても〝申し訳なさそうな〟表情だった。
「……好いている。本当だ。でなければ、わざわざ追って地界に降りたり、世話をしたり、純潔を捧げたりしようとは思わない」
「そう、ですか」
その言葉に嘘はない。
声音からも、表情からも、隠し事は窺えない。
――でも、好きというだけではなくて。
どこかに「罪悪感」があるから。言っていないことがあるから。だから、ご自分の身体を使って、僕を慰めようとしているのではないですか。
そんなことを、少し――ほんの少しだけ、思ってしまった。
ルクサリネを疑ってしまった。
だから、『知恵と魔法の女神』のことは、終ぞ言い出すことはできなかった。




