45.歯車は動きだす
次の日も、王弟とヴィンテリオ公爵は、城に滞在しているようだった。
昨日は一応、お忍びで来ていたのだろう。訪ねてきたことなど無かったかのように、王弟から初対面の挨拶をされた。
ヴィンテリオ公爵も、その隣で無表情のまま、黙って突っ立っていた。
……それだけで安堵してしまう。
昨夜の公爵は、夢だったのかと思うくらいに取り乱していた。
人は見かけによらない。それが学べて良かったと思おう。
王宮での儀式についての話し合いには、当然、彼らは同席できなかった。
しかし、軽い打ち合わせが終わったあと。アルカノスティア国王は、にこやかに、別室にいた王弟と公爵を呼び寄せた。
「ご存知かもしれませんが、ベルンドとわたしは、学院時代の友人なのですよ」
「そうなんですね」
それ自体は、候補者が集う社交場で、ウルリーケ王女に教えていただいた。
だが、王と公爵を見比べると、なんとなく違和感を覚える。
少し考えて、ああ、と気がついた。
学院時代の同窓にしては、王の方がふた回りほど、歳が上に見えるからだ。
「わたしは、不出来な人間でしてね」
テオドアの視線の意味に気付いたか、王は気を悪くするふうもなく、苦笑した。
「勉強も苦手でしたが、実技がからっきしで。何年も学院の入学試験に落ち続けたのです。それで、いったんは入学を諦め、結婚して落ち着いたあとに、また挑戦しました」
受かったのは、フィラットがとっくに卒業したあとです。
そう言って、恥ずかしそうに頬を掻く国王に、王弟たるフィラットは茶化しを入れた。
「私が卒業生として特別授業を承ったとき、兄上は高学年にもなっていなかった覚えがあるよ」
「うーむ、本当にフィラットは優秀だったからなあ。魔力の扱いも人一倍長けていた。フィラットの娘も、とても頭が良くて……」
そこで、国王はあからさまに「しまった」という顔をした。
テオドアのほうを窺って、何度かきまり悪そうに咳払いをする。
「フィ、フィラットの娘の話は置いておきましょう。まあつまり、わたしが不出来なために、年嵩ながらベルンドと同じ時期に学院に通っていた、というわけです」
王も、社交界での噂は十二分に知っているのだろう。
あまり、ヴィンテリオの第一夫人の話をしない方がいい、と思ったのかもしれない。
誤魔化しきれてはいないが、その気遣いは嬉しい。テオドアは、気付かないふりで微笑んだ。
自分は、適齢期に学院に入れなかったので、ほんの少しの親近感と微笑ましさを抱いた、というのもある。
(『大祭』が終わったら、五年くらい引き継ぎをするって話だし、たぶん学院には通えないだろうしなあ)
そもそも、引き継ぎってなにをするんだろう。
先代から〝依代〟としての振る舞いや知識を学ぶ? いや、人の身に余る力を得た〝依代〟は、百年で自壊すると聞く。
いったい、なにがあるのか。
光の女神さまからも、それは教わっていなかった。後で聞いてみよう、と決めたテオドアに、王弟がさらりと切り出した。
「そういえば、先ほど兄上もおっしゃっていた、私の娘なんですが」
(その兄上さんが必死に逸らした話題に踏み込んでる……)
言われたことは、昨夜の繰り返し。社交界における第一夫人たちの立ち位置に始まり、上の息子が公爵家の屋敷を半壊させたこと、親子を自分の屋敷に一時住まわせていることが語られた。
その上で、屋敷に来ないか、とも。
違うのは、謝罪がないことくらいだ。
「だ、だが、フィラット。テオドアさまもお忙しい。なにも無理に引き合わせなくとも」
「おや、兄上! 私も無理にとは申しませんよ。ただ、周りが腫れ物のように扱うのも違うでしょう。ここは、〝依代〟さまのご意志を尊重しなくては」
しかし、と、王が不安そうにこちらを見る。
本当に、心根の優しい人なのだろう。悪意に晒されていたかもしれないテオドアを、これ以上傷つけさせては……という視線が、痛いくらいだ。
「……せ、せめてだな。始めの儀式が終わってからではどうだ? その頃なら、お気持ちにも余裕が……」
「俺がついていく。だから、心配は無用だ」
代替案を出そうとした国王を遮ったのは、ずっと黙りこくっていたヴィンテリオ公爵である。
あ、普通に喋れるんだ、と見当違いに安堵するテオドアをよそに、大人たちはどんどんと話を進めていく。
「君がか? しかし……」
「忘れてもらっちゃ困るが、ローゼルは俺の妻で、パウロとツィロは俺の息子だ。家庭内の不和を見過ごすわけにはいかない。一回会わせて、駄目そうなら引き剥がす。これでいいだろ」
いくら王族の血縁で学院の同窓とはいえ、王に粗雑な物言いをするのはいただけない。
しかし、それが公爵の常なのだろう。誰も咎めることはなかった。
「というか、俺が、家に帰れなかったのは、お前のせいでもあるんだからな」
そう言って、公爵はじろりと王を睨めつけた。
「国境付近で起きた小競り合いなんか、そこを治める貴族に丸投げしておけば良いものを。なんで俺が派遣されるんだ。あと、外交もなんで俺に丸投げなんだよ。家臣にやらせとけ」
「ま、丸投げはしていない! ざ、雑務も実務もわたしと家臣が担っているとも! だが、その……君が最高峰の魔法の使い手だということは、外国にも知れていてな? 君を派遣するとそれはもう喜ばれて」
「俺は見せびらかすための道具じゃない」
うんざりとした口調だが、驚くべきことに、表情は一切が無のままだった。
眼光は多少鋭くなりはしたが、眉も頬も口角すらぴくりとも動かない。
鏡で飽きるほど見た、今世の自分に良く似た――この場合はテオドアが似たのだが――顔でも、表情の有無でこれほど印象が変わるのかと思う。
「今回のことは、お前にも遠因がある」
「うぐぐ……」
優しい国王は、飛躍した結論にも、「一理ある」という顔をして押し黙った。
その様子があまりにも可哀想だったので、テオドアはそっと、助け舟を出した。
「お気遣いありがとうございます、王さま。でも、僕は大丈夫です。――あの人たちとは、一度、落ち着いて話をしたいと思っていましたから」
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王弟は喜び、「さっそく今から」と、公爵を伴ってテオドアを表へ連れ出した。
城の前には、彼が用意させたのだろう、立派なお仕着せの御者と従僕が数人、大きな馬車の前に勢揃いをしていた。
ずいぶんと、用意の良いことだ。
まるで、テオドアが王弟の家に行くのを、見越していたかのようである。
行くこと自体は、もともと一晩考えた末に自分で結論を出したのだから、悔いはないが。
(予定調和というか……なんだろう? なにかが引っ掛かる)
テオドアが違和感を深掘りしようとしていると、すぐ隣に、前触れもなく気配が現れた。
ルクサリネ――否、「ルリネ」である。
彼女は、うやうやしく礼をとり、いきなり現れたことに驚いた様子の王弟へ、顔を向けた。
「お初にお目に掛かります。テオドアさまにお仕えしております、ルリネと申します」
「あ、ああ……君か、噂の下級精霊は」
「はい。お仕事は大変ですが、二人きりにしていただけて、とても快適ですの。ふふ……」
王弟は、口角を引き攣らせた。
どのような噂が流れているかは知らないが、楽しそうに煽る女神の思惑から、そう外れたものではないのは確かだろう。
女神は、下品ではない程度に、そっとテオドアに身を寄せる。
「お話は伺っております。私も、どうか、同行させていただけませんか」
「――いや。それはいけない」
引き攣りながらも、フィラットは強い口調で断る。
その事実に、他ならぬテオドアがぎょっとしてしまった。
当の本神は、微笑みを崩さずに首を傾げる。
「なぜでしょう?」
「あいにく、君を乗せられるほど、私の馬車は広くなくてね。三人乗るだけで精一杯なんだよ」
嘘だ。あんなに大きな馬車なのに。
喉元まで出かかったが、言葉にはしない。テオドアは目を見開いただけに留めた。
余計なことを言うと、ややこしくなりそうだったからだ。
フィラットは、肩をすくめ、少し呆れたような声音で続けた。
「それとも、〝依代〟さまのお膝に座らせていただくかい? そんなふしだらなこと、まさか、貴女のような美しい女性はなさらないと思うけど」
(む、虫に変えられても文句言えませんよ!?)
王弟としては、〝依代〟を独占する下級精霊を、少し遠ざけるくらいの気持ちなのだろうが。
実際は大間違い。精霊に扮した、本物の女神さまである。
まさか、急に怒りだしはしないだろうが――心臓に悪すぎる。
テオドアのハラハラした気持ちをよそに、女神は気分を害したふうもなく、「それでしたら」と笑みを深めた。
「私は先に参りましょう。――フィラット・エレウヴェルクさまの、本邸でよろしかったですね?」
「え? あ、ああ」
「それでは、お待ちしております」
そう言って、「ルリネ」は姿を消した。
おそらく、言った通りに先回りして、王弟の屋敷の前で待つつもりなのだろう。
嫌味に応じるでもなく、受け流すでもなく、目的は達する。
――強い。
テオドアは、呆気に取られた様子のフィラットを横目で見て、密かに溜飲を下げた。
このように、円滑な出発ではなかった馬車の旅は、またしても途中で遮られた。
城の門を過ぎ、城下町を過ぎ、王都の郊外らしい街を走っていたときのことである。
狭い道をどうにか大きな車体で抜けようと、ゆっくり行っていたことが功を奏した。
いきなり、御者が叫び、一瞬遅れて馬車が急に止まる。テオドアと王弟は体勢を崩したが、公爵はびくともしなかった。
「なにごとだ!」
王弟が声を荒上げ、馬車を飛び出す。
あの剣幕で怒鳴られては、御者も言い辛いだろう。テオドアも追って馬車を降りた。
既に、御者は王弟に詰め寄られている。その後ろで、落ち着きがなさそうに首を振る馬が二頭と、――あれは?
道の真ん中に、薄汚れた布が落ちている。
よく見ると、そこから、細く皺だらけの手足が伸びていた。
もしかして、人――?
テオドアの思考は、数人が駆けつけてきた気配と、王弟の怒鳴り声で中断された。
「お前たちか! 人間を道に投げ込んだのは!!」
近寄って、御者に話を聞く。
御者は、恐縮しながらも、急停止の訳を話してくれた。
曰く、道の真ん中に突然、浮浪らしい老人が突き飛ばされてきたのだと。
老人の命はどうでも良かったが、御者は咄嗟に馬を止めた。
この馬車は、〝依代〟に加え、王弟も公爵も乗っている。轢き殺して、ケチをつけるわけにはいかない。――と。
テオドアは「訳は分かりました」頷き、王弟のほうを見た。
彼に頭ごなしに怒鳴られている数人は、身なりを見るに、年若い良家の子息たちのようだった。
「だ、だって、あのババア、しつこいんですもん」
「そうそう。金はねえっつってんのに、神殿の行き方を教えろだの……」
「口答えをするな!」
怒り任せに、王弟は青年の一人を殴った。
……テオドアは、その光景に背を向け、馬車の前に倒れ伏す老婆に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「……ええ、どうもねえ。お世話さまです」
老婆はゆっくりと身を起こした。テオドアは、すぐに駆け寄らなかったことを詫び、手を取って立ち上がらせる。
ボロをまとった老婆は、ふらふらとおぼつかないながらも、怪我はしていないようだった。
「どこか、神殿をお探しだとか?」
「ええ、ええ。そうなんです。いちばん尊い神さまのねえ、お母さまの。お祈りがしたくってねえ」
一瞬、どの神殿だろう、と考えて、すぐに思い至る。
――最高神の母神を祀る、神殿だ。テオドアの母が、ちょうど籠っているという。
だが、肝心の場所が分からない。
テオドアは、意を決して、馬車に駆け戻った。
「ヴィンテリオ公爵、最高神の母神が祀られているという神殿がどこか、ご存知ですか」
「パパ」
「呼びませんよ」
「……神殿か。知ってはいる。だが、どうしてそんなことを聞きたいんだ?」
テオドアは、一部始終を喋った。
すると、公爵は、「分かった。俺が送る」と、のっそり車外へ出ていった。
「えっ、その、僕が――」
「いい。どうせ、馬車でも徒歩でも変わらない。俺にかかればな」
そうして、老婆の前に進み出る。
彼らはいくつか言葉を交わした。老婆は深々と頭を下げ、祈るように両手を合わせた。
「高貴なお方に、良くしていただけるなんて、長く生きた甲斐がありますねえ。お坊ちゃんも、ありがとうね」
「え、いえ。僕はなにも」
助けたのも遅かったし、神殿に送るのも公爵だ。
首を振ったテオドアに、老婆は、ゆっくりと歩み寄って手を取った。
「なにを言ってるの。こんなに、優しそうな顔をして。きっと、立派なお人になりますよ」
「あ、あはは……」
「お坊ちゃん。
――光の女神を信じてはなりませんよ」
囁かれた声は、本当に、老婆のものであったのか。
問い返す暇もなく、老婆は、ぱっと公爵に抱え上げられた。
「しっかり掴まっておけよ」
言うなり、公爵の周りに、光の粒がぶわりと舞い上がった。
魔法を使う、と思った瞬間――既に、二人の姿はない。
『空間移動』だ。人の身で、下準備もせずに、そんな大規模な魔法が使えるなんて。公爵が魔法に長けているのは、まったくの真実であるらしい。
いや、それよりも。
(あの人の声……最後……)
とても澄んだ声だった。
例えるなら、そう、若い女性のような。




