41.〝依代〟の凱旋
歓声が地鳴りのようだ、と思った。
決して広くはない通りを、立派な拵えの馬車が進む。
目指すはアルカノスティア王国の王城。
この時のためだけに作られたという馬車は、外装も、馬具も、御者の服装に至るまで豪華絢爛そのものだった。
馬車の中にいると、外の声はくぐもるものの。大きな窓からは、道の両端にぎゅうぎゅうと詰めかける人々の姿が見えた。
老若男女、質素すぎる服装から、かなり洗練された身なりの者まで。
ありとあらゆる人々が、自分を――〝依代〟を一目見ようと、集まっている。
歓声を上げ、手を振り、笑顔を見せている。建ち並ぶ住居の窓からは、花びらが撒かれることもあった。
当然、王宮騎士たちも配置されているのだが、まったく抑止になっていない。
勢い余って馬の前に身を投げ出してしまう人間を、素早く回収してくれるのはありがたいが。
笑顔で手を振りかえしながら、テオドアは、引きつりそうな口の端を必死に抑えていた。
(こんなに大勢の人がいるなんて、聞いてない!)
だが、少し考えれば分かることだった。
自国出身の〝依代〟である。しかも、先の四百年ほどは、他国にその座を奪われ続けていた。前回の〝依代〟を覚えている人間など、どこにもいないだろう。
だからこその熱狂ぶりだ。
気合を入れて臨め、という、『光の女神』のお達しは、的を射ていたと言えよう。
(精霊たちも、どうしてか、すごく張り切っていたし)
おかげで、今のテオドアは、盛装した王族と言っても差し支えないきらきらしさだった。
服や剣もそうだが、指輪や耳飾りなどの装具品もすごい。
これひとつで小国の国家予算はゆうに超える、と言われた宝石だらけの指輪を嵌めていると、もし落としたらと恐ろしくてならない。
服飾にほとんど興味のないテオドアは、女性精霊たちの格好の着せ替えおもちゃだ。山の上の屋敷で、ああでもないこうでもないと軽く半日は付き合わされた。
耳飾りも、耳たぶに穴をぶち開ける種類だけは断固として拒否しただけで、それ以外はお任せである。
全身にどれだけお金が掛かっているのか、総額は聞けなかった。
――女神は、「〝依代〟に相応しく着飾ったな」と、笑っていた。
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〝依代〟決定の宣言が為されたあと。
テオドアは自分の屋敷に戻り、精霊たちから正式に祝いの言葉を述べられた。
誰よりも喜んでくれたのはロムナだった。
期間中、陰日向なく尽くしてくれたのも彼女である。テオドアはすっかり気を許していた。
「もっと盛大に宣言されると思っていたよ」
と言うと、ロムナは苦笑した。
「この山の上には、候補者さま以外に人間はおりませんから。儀式やしきたりが豪華であることを尊ぶのは人間である、と、天界の皆さまはそうお考えなのでしょう」
「うーん、確かに……」
考えてみれば、神より上位の存在はいない。
尊ぶものがなければ、崇拝する必要もなく。儀式などに特別感を出したがるのは、神を崇める人間特有の感覚なのかもしれない。
現に、公爵子息でありながら他の貴族と接したことのないテオドアでさえ、「神が関わるものは豪華なもの」という意識があった。
「これからは、テオドアさまも『最高神』の代理として、天界に召されるのです。少しずつでも、慣れていかなければなりませんね」
そう言って、ロムナはテオドアの両手を取った。
慈しむような仕草だった。
結果は、次の朝には、他の候補者にも知らされたらしい。
と言っても、きちんとした受け答えができたのはルチアノだけだったが。
ネイは暴れ回り、なんだったら少し正気を失いかけているようで、決定を伝えた後は速やかに故郷へと帰されたと聞く。
ぼんやりしているセブラシトや、昏睡したままのデヴァティカは言わずもがな。
選出されなかった「元」候補者は、〝依代〟が山を降りるまでの一ヶ月の間に、国に帰ることになっている。
なぜなら、屋敷のあるこの場所は、〝依代〟が天界に上るまでの本拠地となるから――らしい。
ルチアノは、晴れ晴れとした表情で、「余裕があったらヴェルタ王国にも顔を出してくれ。歓迎するぞ!」とテオドアの肩を叩き、国へと帰っていった。
セブラシトとデヴァティカの二人は――テオドアが治療に協力したいと申し出たこともあり、期限ギリギリまで山の上にいたが、とうとう降りざるを得なくなった。
なんでも、彼らの故郷の二ヶ国が、長期滞在の例外を良しとしなかったようだ。
二人とも、それなりに高い役職に就いていたし、国家機密が漏れないかという懸念もあったのだろう。
……聖ロムエラ公国に関しては、いまいち信用できないというのが本音だが。
まさか、無理やり置きとどめることもできない。
テオドアにできたのは、精霊の治療を見てきた上で得た所見を、できる限り紙にまとめて、彼らが戻るときに持たせることくらいだった。
テオドアは、精霊たちに担ぎ上げられていくデヴァティカと、ぼんやり言うことを聞いて歩いていくセブラシトを見送った。
じゃあね、と言うと、「うん……」と返ってきたことだけが、救いである。
そうして、もろもろの準備を済ませ、『人間向け』で盛大に着飾って山を降りたのが、つい二日前のこと。
そこから、わざわざ国境近くの貴族が一族総出で挨拶に来て、彼らの屋敷で歓待を受けた翌朝、王家が用意したという馬車に乗り込んだ。
パレードというわけでもなく、本当にただ、移動をするだけのはずだったのが――この有り様である。
まさか、ここまで歓迎される存在になるとは。
数ヶ月前、公爵家の片隅で母と身を寄せ合っていた自分からは、想像もつかなかった。
(そういえば、山の上の屋敷に戻っても、もう『光の女神』さまはいないのか……)
当たり前だ。彼女は、儀式と『試練』を監督する役割を担っていた。
〝依代〟は選出されたのだから、お役御免である。テオドアが山を降りる前に挨拶をした際も、「これからは好きなことをするか」と言っていた。
今ごろは、受肉体を捨て、天界に戻って、のんびり疲れを癒していることだろう。
――お別れか。
いや、自分が天界に至れば、いくらでも会える。
再発した胸の内のもやもやを、せめて顔には出さぬように努めつつ。
テオドアは、馬車で王城にたどり着いた。
王城の門でもたいそう歓迎され、兵士たちに笑顔を振り撒きながら、馬車に乗って通り過ぎる。
予定では、王家の皆さんと会う前に、城の入り口で世話係の精霊と合流する手筈だった。
見上げるほどに大きく、歴史を感じさせる石造りの城の前で、馬車から降りる。
履き慣れない靴だからか、石畳でつんのめりそうになったのを、なんとかごまかす。
そのため、一瞬、視線が下を向いていた。
だからこそ、反応が遅れた。
「お待ちしておりました、テオドアさま」
歌うような、涼やかな声。兵士も御者も男だろうし、この場に来られる女性はと言えば、精霊しかいないだろう。
ロムナか、と思って、顔を上げた。
――絶句してしまった。
「さあ、どうぞ。国王も待ち侘びているようです」
質素なドレスを身にまとい、ひとつに括った銀髪は腰までの長さになっているが、間違いない。
『光の女神』――ルクサリネ。
彼女は、テオドア付きの精霊に扮して、平然とそこに立っていた。




