28.第二の試練・後編 あの日の夜空を
轟音が響く。
脆く崩れる天井の、石材の欠片を避けることもなく、テオドアは立っていた。
途中でぶつかってきた大きな石に、右手の剣が折られる。
魔力で編んで創り上げたそれは、いとも容易くほどけて消えた。
天井に薄く魔力を走らせ、圧力を一気に掛けることで、落とせそうな場所は丸ごと崩落させた。
最下層のここ、失敗作の墓場が壊せれば良かったのだが――音の規模を鑑みるに、連鎖して迷宮全体の床が崩れたらしい。
ここ以外にも、下層に空間があった部屋も多いのだろう。
結果的に、大迷宮を半壊させて、ずいぶんと見晴らしが良くなってしまった。
わずかに後悔しかけたが……まあ、瓦礫に潰れて、失敗作のほとんどが消滅したので、よしとしよう。
落ちてきた瓦礫に当たって、こちらも少なくない怪我を負ったが、すぐに『治癒』した。避ける労力より、いったんすべて受けておいたほうが、効率が良いと判断した。
治癒のほうが、魔力の消費が少なくて済む。
視界を遮っていた血を拭い、しぶとく生き残っていた失敗作を、魔力を込めた拳で潰していく。醜い悲鳴にも、だいぶ慣れてきた。
瓦礫の山を歩き回るうち、壁が一部だけ残っている、部屋の跡を見つけた。
珍しいなあ、と思いながら、覗き込む。
すると、見慣れた姿が目に飛び込んできた。
「痛った! なんなんだよもう!」
悪態を吐きながら、瓦礫の山から這い出してきたのは、セブラシトである。自分の服の土埃を払い、怪我がないか確認をしている。
その奥では、同じようにデヴァティカが身を起こし、すぐさま剣の状態を見ていた。
彼らのそばに光源はないが、魔法を使って瞳を強化したテオドアには、暗闇など関係のないことだった。
足元に視線を転じれば、石や壁材の残骸から、手が一本生えている。まとっている袖を見るに、ネイだろう。
テオドアを、迷宮のさらに地下へと落としたのは彼だ。
しかし、そのおかげで、魔法を使うコツを掴むことができた。彼にはなにやら恨まれているようだが、こちらにはまったく恨みがない。
ゆえに、テオドアは親切心から、瓦礫を取り除いて手を掴み、引きずり上げた。
ネイは、何度か咳き込んで、ボロボロになった自分の服の裾をつまみ上げた。
「あ、ありがとう。いきなり、床が崩れたから、受け身が取れなくて……」
それから、彼は視線を上げる。
暗闇に慣れない目では、こちらが誰かも分かっていなかっただろう。
しかし、それも一瞬のこと。
こちらの顔をまじまじと見たネイが、みるみるうちに表情を強張らせていくのが、よく分かった。
「……い、生きてたんだ」
嘘をつく必要はなさそうなので、首肯する。
「うん。危なかったけどね。でも、ネイのおかげだよ。ありがとう」
「はあ……? ……なにが?」
「君が、最下層に落としてくれたおかげで、魔法が使えるようになったんだ。やっぱり、命の危険まで追い込まれないといけなかったみたいで」
見て、ほら。
テオドアは、語るうちにわずかな高揚を覚え、手のうちに魔法で松明を創った。赤々と火が灯るそれを、そのまま、ネイに差し出す。
こんなこともできるようになったよ、と、紹介するつもりだった。
だが、なぜか、ネイの逆鱗に触れてしまったらしい。
「ふ、ふ、ふざけるな……!」
彼の顔色が、炎に劣らず真っ赤に染まった。
跳ねるように立ち上がり、剣を引き抜いて突き掛かってくる。
「うわっ」
いきなり怒って突撃してきたネイに、テオドアは驚いて身を引き、左手を振り払った。
魔法で攻撃するなど思いも及ばず、ただ、反射で退いただけだったが。
軽く叩いただけのつもりが、ネイはものすごい衝撃を受けたかのように、吹っ飛んで宙を舞った。
そのまま、少し遠くの瓦礫の山に頭から落ちて、何回か転がって動かなくなった。
(死……んではないか。魔力の流れは途切れていないし……)
先ほどまで、魔力を込めた手で魔物を消していたのを、すっかり忘れていた。
殺していないことに安堵し、ネイの落とした剣を蹴って退かしていると、遠くから軽い声が届いた。
「あれ? しぶといねえ、きみ。生きてるじゃん」
誰あろう、セブラシトである。
彼は、松明を持つテオドアに向かい、小馬鹿にしたように笑った。
「ネイ・デイトーヌがしくじったんだ。ま、あんまり期待してなかったから、良いんだけど」
「……ああ、君たちの差し金だったんだ」
「いまさら気付いたの? 馬鹿って話してて疲れるよ」
セブラシトは、やれやれと言いたげに首を振った。
「魔法ってさ、魔力が高いだけじゃ使いこなせないの。地頭と瞬発力が試される。きみみたいに、がむしゃらに床を底抜けさせるだけのヤツは、絶対に辿り着けない領域ってわけ」
「そうなんだ」
いつものような煽りも、特に心に響くことはない。
テオドアは、ほとんど感情を込めずに相槌を打った。
「……迷宮の『魔力封じ』を壊したのは、褒めてやるけど。そのまぐれも、ここで終わりだよ」
そう言うが早いか、セブラシトは剣も構えずに踏み込んだ。
魔術と魔法の併用だろう、空間にいくつもの魔法陣を描き、詠唱とともに巨大な雷撃を撃ち落としてくる。
テオドアは、雷が落ちる直前に、すべて最小限の動きで避けた。
「うっざ! ちょこまかと!」
駆け込んできたセブラシトが、今度は己自身の剣を鞘ごと抜き取り、こちらに向かって鋭く投げた。
頭を狙ったそれを、首を軽く傾けてやり過ごす。
だが、ほんの刹那、剣の行く先に気を取られた。
――次の瞬間、目の前に、セブラシトの姿はなかった。
「!」
なんらかの魔法で、姿を隠して回り込んだのだろう。
背後からぶつけられた炎球に、毛先を焦がされながらもしゃがんで躱す。
そこに、第三者が奇襲を仕掛けてきた。
「未熟者めが!」
立ち上がりかけたところを、狙ったかのように、鋭い切っ先が首に迫る。
――デヴァティカだ。
テオドアがセブラシトに気を取られている隙に、気配を消して近寄っていたのだろう。
二重の引っ掛けに、そして息の合った連携に、テオドアは思わず感心した。
ゆえに、避けなかった。
立ち上がった途端、首筋に刃が叩き込まれ、深く斬られる。重要な血管が傷ついたのだろう、生暖かい血が一気に噴き出す感覚がする。
だが、テオドアは、倒れなかった。
痛覚を一時的に消し、致死にならないよう血管だけを雑に治す。そうして、ふらついたように見せかけて松明を手放した。
ほんのわずか、相手の闘志が緩んだ。
それが狙いだった。
空いた右手で、剣の先を掴みとる。
「お返し」
剣に伝わせて、高威力の電撃を流し込む。
弾ける電気によって、驚いたように目を見開くデヴァティカの姿が、暗闇にはっきりと浮かび上がった。
「ッがああああああああああ!!」
魔法や魔術で、防御は固めていただろう。
が、一瞬でも油断したことが、仇となった。
デヴァティカは感電により、叫び声を上げて仰け反った。気絶したのだろう。そのまま、力無く倒れ込んだ。
……怪鳥に雷撃を使ったのは、セブラシトだったっけ。
正確には、お返しにならなかったけど……まあいいか。
間髪入れずに、魔力を探知して振り向く。
鈍く青く輝く剣を手に、セブラシトが斬りかかってくる。
よく見ると、その剣は、精巧に剣の形に作り上げられた、氷の塊だった。
やはり、魔法の鍛錬を積み続けた人間には、まだまだ及ばない。発想の力が違う。
テオドアにとって、力任せでなく、知恵を使った魔法の使い方は、まったく未知の領域だった。
(ただ氷を剣にしただけじゃない。切ったところから凍らせて、確実に殺す気だ)
しかも、それすらも囮にできるのである。
テオドアが斬撃を避けると、セブラシトは駆けて距離を取り、氷の剣を地面に突き立てて叫んだ。
「《神よ! 我が偉大なる神よ! 信仰に報いる力を与えたまえ! すべてを凍てつかせ、怨敵を砕かせよ!》」
途端、膨大な魔力が、セブラシトを中心に湧き上がる。
それは辺り一帯を支配し、あっという間に気温を下げ、霜が降りるほどの寒さに変えていく。
また、突き立った剣から、地面を伝って瓦礫を乗り越え、四方八方ものすごい勢いで氷が伝播する。
ついにテオドアの足元にまで到達した氷は、間近で無数の「氷の槍」に変じ、身体中に穴を開けんと一斉に突き出された。
テオドアは、炎をつけて対抗しようとしたが、凍てつくほどの寒さと強い風で、それもままならない。
「あっはははは!! 馬鹿でしょ、そんな小さな炎なんかで対抗できるはずがな――」
ならば、と。
空間移動の要領で、セブラシトの目の前に飛び。
「――あ?」
魔法の発動を辞めさせるため、頭を潰した。
と――言っても、物理的に潰したわけではない。
額に触れ、自身の魔力を大量に流し込み、ちょっと頭の中をぐちゃぐちゃにしただけである。
脳と言うのだったか、頭の中には、記憶を司る器官があると聞く。
そこをほんの少し狂わせた。
大丈夫、セブラシトほどの魔法の使い手ならば、こんなもの、すぐに治せるだろう。
今のテオドアは、そう信じ切っていた。
「あ――え? な、? なにがおきぃて?」
効果はてきめんだった。
気温の低下はすぐに止まり、風も氷も止んだ。
セブラシトは呆けたようにテオドアを見上げ、がくんと座り込む。
なにが起きているのか、理解が追いついていないようだ。
「僕の勝ちだね、セブラシト」
「え、あえ? な、なに、なに? わかんない、え?」
分からないながらも――テオドアが〝味方ではない〟という認識は、持っているようで。
セブラシトは、テオドアから逃れようと、座ったままずるずるとずり下がった。
その顔は、恐怖に染まり切っている。
「だ、だ、だれ、わかんない! ご、ごえんなさ、ごめんなさぃ!」
「……うーん。頭って、あんまり触らないほうが良かったのかも……?」
「ごめんなさあああああ! うあああああ、うがああああああああっ!!」
テオドアに、なんの恐怖を幻視したのだろう。
セブラシトは叫び、ぐるりと白目を剥いたかと思うと、手のうちに作った鋭い氷の塊で、己の首を突いた。
「あ」
血が噴き出す。
仰向けに倒れ込んだセブラシトに、慌てて駆け寄った。
まだ命があったので応急処置は施したが、気絶してしまった。だいぶ時間を置かなければ、目覚めないだろう。
まさか、自殺を図るとは思わなかった。
「まあいいか」
いつもならば罪悪感を抱くものを、今のテオドアは無敵である。
あっさりと、興味を次に移した。
最下層の魔物を殺し、自身もそこから抜け出すことができた。
さて、次は。
「『〝本当の〟夜空』か……」
試練の突破である。
事ここに至っても、テオドアに、〝依代〟の座への執着はないが。
試練を合格せずに帰るのも、誠実ではないなあと思い始めていた。
幸いにも、先の戦いのおかげで、周囲に魔力は充満している。
自分に残る魔力の量も併せて、ぎりぎりでいけるな、と判断した。
「あの日の夜空を」
想像する。
もう掠れかけている記憶。前世の、生きた証。
毎日毎日、飽きるほど眺めた、変わり映えのしない風景。
ふと虚しさを覚えた夜に、みすぼらしい小屋から出て、静かに見上げたあの星空を。
自身の想像を、魔力に溶かす。
周囲の魔力を引き寄せて、自分のものにして還す。
やはり、足元から、変化は広がった。
瓦礫は鬱蒼とした草花に。
乱立する氷の柱は、人の手が及んでいない木々に。
遠く、迷宮の全体にまで、魔法を行き渡らせる。
壁は消え、天井も消え、どこまでも広がる森へと変わる。
すべては幻だ。
しかし、草の匂いがする風が頬を撫でた気がして、テオドアは思わず空を仰いだ。
空には、満天の星が輝いていた。
ああ、と、溜め息をつくように、テオドアは笑った。
「ずいぶん、遠くまで来たんだな」
もう、あの頃には戻れない。
分かっていたはずだった。しかし、今まではどこかで、あの日の続きを生きているような気がしていた。
断ち切るときが来たのかもしれない。
過去を過去にして、「テオドア」を生きるときが、来たのかもしれない。
魔法が使えるようになったのが、その第一歩であるように、思えてならなかった。
「でも、これで、試練はごうか、く――」
目の前がぐらりと揺れ、力が抜ける。
星空を見上げたまま、テオドアは倒れた。
ここまでの無理が、どっと押し寄せてきたのだろう。魔力もほとんど底をつきかけ、意識が朦朧としてくる。
力がどんどん抜けていく。
せめて、自分の足で、地上まで上がりたかったな。
そう思いながら、テオドアは、重い瞼を閉じた。




