27.第二の試練・中編(裏) ネイの憎悪と帝聖連合の企み
ネイ・デイトーヌは、幼いころから「空気」のように過ごしていた。
ジダ=パノミド国の辺境、一年のほとんどを雪に閉ざされる北方に、わずかな領地を持つ男爵・デイトーヌ家。
十男二女を抱えるこの家は、ごく平凡な〝貴族の家〟だった。
しきたりがあり、家訓がある。
しかし、暴力的に従わせたり、人格否定をしたりするわけではない。
兄弟の間には格差がある。
しかし、せいぜいが「嫡男とそれ以外」というもので、誰かが特別虐げられるということはない。
男爵夫妻の仲は可もなく不可もなく。
家族の中で野望を持っている者もおらず。
使用人に性格の悪い者がいるわけでもない。
そんな中で、七男のネイは、ひっそりと息をしていた。
ネイは、足るを知り、平凡な生活を営む家族の中で、ひときわ目立たない子どもだった。
誰もが、ネイを「大人しくて無口な子」と思っていた。
それは間違いである。
表に出さないからといって、心中も凪いでいるとは限らない。あらゆることを考え、知識を溜め込み、己を培っていった。
誰にも知られることなく。
ネイは、ひときわ愛情を欲する子どもだった。
人一倍繊細で、他者のちょっとした表情の変化や声色の違いを、敏感に感じ取る性質だった。
加えて、大人しく悶々と考える性格が重なり――
ネイは、いつしか、デイトーヌ家に不満を抱くようになっていた。
欲するだけの愛情を向けられない、と。
実際は、父も母も兄弟姉妹たちも、ネイのことを〝適度に〟構っていた。だが、少しの愛情で充分に救われる者もいれば、たらふくもらってもまだ足りない者もいる。
その後者が、ネイだっただけのこと。
誰も悪くない。
強いて言うならば、巡り合わせが悪かった。
幼少期に抱いた不満は、解消されることはなかった。
どころか、経年とともに降り積もった負の感情が、悪い方向に煮詰まり、ネイは――デイトーヌ家を深く恨むようになった。
デイトーヌ家が、他家とあまり交流をしなかった――あるいは立地的にできなかった――のも、理由のひとつかもしれない。
不満の発散先がないまま、日々の出来事をひとつひとつ拾って深く考え込み、極端な解釈をし続ける。
恨みを募らせ、恨みを肯定するための材料を無意識に集め続ける。そのための〝才能〟にも恵まれた。
それは、ネイが〝依代〟候補に選ばれても、変わらなかった。
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光の女神は、まさに、理想の女性だった。
儀式でネイを選び出したとき、彼女は慈愛の笑みを向けた。
それだけで充分だった。
ネイは、理解が早いのだ。
彼女のことを、ひと目見て好きになった。
その瞳が、唇が、髪が、身体が、すべてが。存在まるごと、愛しくてたまらなかった。彼女が視線をくれるだけで舞い上がったし、声を聞くだけでうっとりと聞き惚れた。
そして、女神もまた、自分を好いてくれている。という、「確信」もあった。
相思相愛だった。彼女は、他の有象無象に向けるものとはまったく違う微笑みを、自分に向けてくれていた。絶対にそうだ。
今まで自分が好きになった、「少し年上の女性使用人」とも、「憧れだった従姉妹」とも違う。
清廉で、潔癖で、麗しくて。
この世に生きるすべてのものより尊くて。
何より、輝かんばかりの美しさだ。
彼女は自分を深く愛してくれるし、一途に想ってくれる。こちらの気持ちなど言われずとも察してくれて、すべてを受け入れてくれる。
〝目移り〟など、するはずがない。
そう、信じていたのに。
「はあ?」
自分が隠れていることを忘れて、思わず声を上げた。
咄嗟に口元を覆ったが、目線は釘付けだった。
それだけ、目の前の光景が信じられなかったのだ。
ネイは、常人より魔力が豊富だったが、ほとんどの魔法や魔術は、普通に使う以上のことはできなかった。
ただ一つ、『隠蔽の魔法』を除いては。
ほとんどその場しのぎにしか使えない『隠蔽』を、ネイは極めきっていた。
あらゆる生物が気配をまったく悟れないどころか、魔法でも存在を看過されないようになっていた。
それは、今までの「努力」――自分に良くしてくれている人間の裏を探るため、何千回も使い続けていたおかげだ。
例に漏れず、今回も、女神の動向を探るために使っていた。
やってみて分かったが、精霊はおろか、女神ですら、ネイの『隠蔽』を見破ることはできないらしい。
調子に乗ったネイは、日に一度は、女神の屋敷を外から覗き込んだ。さすがに、建物内に入る勇気はなかった。
けれど、それで充分だ。
無防備に過ごす女神の姿は、その日の糧となっていたのだから。
思わぬ大怪我によって、十日ほど女神のもとへ伺えなかったときは、女神が代わりにこちらを見舞ってくれた。
まさか、毎日こっそり眺められていたとは、知らないようだが。彼女は毎日、律儀にネイのもとを訪れた。
こんなところでも心が通じ合っていたのかと、感動すら覚えた。
なのに。
それなのに。
結局、女神も――人間の女と変わらなかった。
ネイの庭園で歓談したあと、その足で、別の男と逢っていた。いや、連れ込んでいた。
立派な浮気である。これ以上の裏切りがあろうか。
明るい応接間で二人きり、自分以外の候補者と親密になっている。
テオドア――テオドア・ヴィンテリオ。
人畜無害そうな顔をしておきながら、人の女を奪うだけの強かさは持ち合わせていたらしい。
あいつに誑かされたんだ。そうに違いない。
煮えたぎるような怒りが、腹の底から湧き上がってくる。
自分をいじめていた家族にだって、こんな憎しみを抱いたことはなかった。
なんだったら、彼らへは復讐のアテがある。〝依代〟候補として消極的なネイを見かねて、ジダ=パノミドの王が約束してくれたのだ。
もしも、〝依代〟になれたのなら。ネイの家族をどんなふうに扱っても良い、罪には問わない、と。
――今しも、テオドアが具合の悪そうなふりで、女神の歓心を買っている。
愚かな女は、それにころりと騙されて、甲斐甲斐しく世話をしている。
ネイは、そこで耐え難くなって、目を逸らした。
「ひっどいねえ。あの落ちこぼれ、ああやって女神さまに取り入ったんだ」
「!!」
「おっと、叫ばないでよ。きみはよくても、僕はそんなに『隠蔽』の精度が高くないんだ。僕がバレたら、きみも道連れだからね」
間近に、セブラシト・フラメリネスが立っていた。
思わず悲鳴を上げそうになるのを、事前に諌められる。
どうしてこんなところに。いや、どうして、自分の『隠蔽』がバレているのだろう。
驚きのあまり、次の言葉が見つからずにいると、セブラシトはネイの手を掴んで、屋敷から少し離れた場所へ連れて行った。
そうして、振り返って言う。
「なんで『隠蔽』が効かないんだろうって思った? 普段はめんどくさくて使わないけど、僕は少し目が良いんだ。魔眼――ってやつ。だから、祭り上げられて、大司祭なんかになっちゃったんだけど」
魔眼。噂くらいは聞いたことがある。
魔力とはまったく別の、生まれつきの才能。あらゆる魔力の流れを読み、所有者に技量があれば、一度見た魔法の構造を読み解いて再現できるとか。
それで、ネイが『隠蔽』を使っているのを知り、精度が低いながらも再現した、ということらしい。
「ここじゃなんだから、歩きながら話そうよ」
「……なんで? ぼくが、信用できると思う?」
この場を去るのは同意するが、ネイは刺々しく言い放った。
普段ならば考えられない。女神の不貞現場を目撃して、気が立っていたのだ。
セブラシトは、「『第一の試練』のときは悪かったって」と、悪びれもせず笑った。
「ホラ、僕らも必死だったんだよ。絶対に勝たなくちゃって思って。我が祖国たちのため、〝使命〟のために」
「使命……? 〝依代〟になるってこと?」
「違う。それは、目的のための手段に過ぎない。……まあ、それが近道には違いないから、ああやって必死になったんだけど」
彼の笑顔は、不気味なほどいつも通りだった。
ただ、声だけが、いやに寒々しい。声から感情だけを抜き取ったら、こうなるだろう、という響きだった。
「冷静に考えてよ、ネイ・デイトーヌ。あの色ボケたちに目にもの見せてやりたいでしょ? 僕たちはきみを利用するし、きみも僕たちを利用する。それだけの話だよ」
「き……君たちは、なにがしたいの?」
心は揺らいでいたが、それを悟られぬように、強く問いかけた。
セブラシトは、動揺ひとつ見せなかった。
「言ったでしょ。〝使命〟だよ。僕たちは――聖公国と帝国は、世界を救おうとしてるんだ」
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魔女の結晶がある部屋へは、容易に辿り着けた。
セブラシトたちに協力し、テオドアを殺してルチアノを排除すれば、ネイはこの『第二の試練』を突破できることになっている。
これは「ズル」ではないのか。条件を提示されたとき、そう思って躊躇った。しかし、セブラシトは言った。
「でもさあ、アルカノスティアの候補者だって、女神に取り入ってたよね。アレ、絶対に『第一の試練』の仕掛けを教えてもらってたでしょ。じゃなきゃ、唯一の突破なんてできないよ。鈍臭くて頭悪そうだし」
「……ふ、二人は、良いの? ぼくが『魔女の結晶』を使って、試練を突破したら……」
「ああ、良いよ別に。だって、『魔女の結晶』が、一回魔法を使ったくらいで、魔力枯渇するわけないじゃん。二人ぐらい余裕だよ、ねえ?」
「貴様ごときが『試練』を通ったところで、俺たちにはなんの支障もない」
そういうわけで、ネイは二人に協力することとなった。
未だに、彼らの〝使命〟とやらの詳細は知らないが……知らなくても良いなら聞かない、と割り切った。
ネイの目的は、テオドアを殺すことだ。そうすれば、騙された哀れな女神も、目を覚ます。ネイのもとへ戻ってくるはず。
ネイは、度量の広い男だ。傷物の女でも愛してやれる。
実家からの資料で大迷宮の構造を把握し、テオドアを、失敗作の魔物がいる場所まで落とした。実力のない男だから、惨めに瞬殺されていることだろう。
ついでに、ルチアノも、大迷宮の端に飛ばした。普段の彼ならいざ知らず、魔法の使えない彼なら、『魔女の結晶』まで辿り着けないはずである。
結晶は、ごく普通の形をしていた。
地面から氷柱がいくつも生えているような、巨大な塊だ。
人間が変じたにしては、人間の名残がない。
ただ、暗い迷宮にあって、結晶は血のように赤く、不気味に松明の光を照り返していた。
三人でそれを取り囲むように立つと、セブラシトが、明るく声を上げた。
「さ、ネイ。早く結晶に触ってよ」
「う、うん」
〝本当の〟夜空を作れ、と言われても、地下に空が作れるはずもない。
だから、自分の頭にある〝本当の夜空の記憶〟を抜き出して、大迷宮の天井に映し出す。【投影】の魔術を大規模に行えば、それも可能だろう。
ぎりぎりだが、それで『第二の試練』は合格できる……はずだ。
ネイは、結晶に手を触れた。
今まで封じられてきた自分の魔力が、結晶の魔力に呼応して『魔力封じ』を破り、するすると解放されていくのを感じる。
結晶の魔力も、だんだん引き出されていく。
「わー。とんでもない魔力」
と、セブラシトは他人事のように、軽く拍手をする。
「こんなに魔力があっても、魔女は大迷宮を抜け出せなかったんだね」
「千年の時を経て、『魔力封じ』が弱まっただけだ」
デヴァティカはいつものように、素っ気なく言い放った。
「貴様も、あんなに自慢していた魔力が、『魔力封じ』ごときに封じられるとはな。弱った封印さえ破れんとは、大司祭の名も堕ちたものだ」
「はああ!? お互いさまだろーが! きみだって使えないくせに!」
「ほざけ。俺は使える」
「そーんなちょっとの炎しか出せないとか、使えるうちに入んないっての!!」
やっぱり、『試練』が始まる前からの冷え切った雰囲気は、演技ではなかったらしい。
ネイは、足元に魔力で魔法陣を刻みつつ、横目で彼らの喧嘩を見やった。
正直に言って、気が散るのである。
魔術の構築に集中しなくてはならない、というのに。
「だいたいさあっ、きみって実力があるとかほざいてるけど、ほん」
そこで、怒鳴り声は途切れた。
ようやっと集中できる、とネイが思った、その刹那。
がくん、と身体が落ちる。
――迷宮の床が、丸ごと崩落した。




