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最高神の〝依代〟 〜転生後も不遇で虐げられた公爵子息の、最高神成り上がり譚〜  作者: 青波希京
第五部 第五章 囚われるもの、囚われたもの

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189.生きたいと願うこと

 思わず悪態を吐きそうになったのを、ぐっと堪える。

 誰か、ではなく、自分にいちばん憤っていた。こんなにも無力であったのは久しぶりだ。「テオドア」が殺されてからずっと、何かを達成するために駆けずり回っていたから。

 皮肉にも、〝依代〟候補選定の『第二の試練』の時のように、魔物に囲まれ、無力なまま引き裂かれようとしている。


 もっとも、あの時とは違って、この身体に覚醒する魔力も奇跡もない。


 正真正銘の行き詰まり。目は一向に暗闇に慣れず、黒く塗り潰された視界では魔物たちの全貌を捉えることすらできない。

 そういう目眩しの魔法が掛けられているのかもしれないが、テオドアには判別する術がない。

 今はまだ、魔物も未知の生物に警戒しているだけだろう。だが、確実に――少なくともあと一分もすれば、すぐに食い破られるに決まっている。


 足音が、何かを引きずる音が、うごめく何かが。

 平凡なる人間、『番人』の肉体を借りたテオドアの精神を追い詰める。無様に床に這いつくばり、石畳の冷たさを感じながら、ゆっくりと呼吸を押し殺した。

 なんとか重い足を動かし、精一杯に腕を使って進む。惨めだが、誰も見る者はいない。それだけが救いだった。


(最悪は……この身体を、諦めて……)


 かつてないほどの窮地だが、テオドアにとって、死が文字通りの「終わり」でなくなったことは幸いだ。

 魂のままでも動くことができると知った以上、この肉体が喰われても、やりようはあるのだと。

 そうして、満を持して元の身体で蘇れば良い。――でも、それは、三女神の愛する人を、もう一度殺すのと同義だ。


(『番人』は、元魔物の神獣に、引き裂かれて死んだ)


 復元できなくはない。彼女たちはやってのけた。きっと二度目もできるだろう。

 だからと言って、最初から全てを諦めてしまえば、三女神に申し訳が立たない。『知恵と魔法の女神』の独断だったとは言え、テオドアを信頼して()()()くれたのだ。

 きちんと無傷でお返ししなければ。腕がもげたり足を失ったりしてはいけない。


 テオドア・ヴィンテリオの肉体と、同じ感覚で扱ってはいけない。


「……っ」


 無策だった。状況を打開する考えなど何ひとつ思い浮かばない。

 それでも、テオドアは重苦しい身体を叱咤して立ち上がる。ろくに歩けない足を、無理やりに前へ。ふらつきながら前へ。

 間一髪で、背中をわずかに掠めて「何か」が振るわれた。鋭い爪かもしれない。牙だったかもしれない。

 確認する余裕など、テオドアには、ない。


「死んで……たまるか……っ」


 驚くことに、無力な凡人として死に瀕して初めて、生への強い渇望が湧いてきた。

 再生しない身体。魔力もない身体。それでいて、周囲はテオドアに優しくない。均衡を保ってなどくれない。

 『境界の森』のように、生まれた時から生存競争に晒され、縄張りを築き合っていた魔物とは違う。ここにいるのは、地下にずっと閉じ込められたままの、無垢な、自然の(ことわり)を知らない魔物たちだ。


 ああ。『番人』の孤独なんて、取るに足らないものだった。


 どんなに己を卑下していても、やはり自分は甘かった。本当のどん底を知らなかった。獲物として追い立てられる恐怖を知らずに生きてこられたのが、どんなに幸せなことだったか。


 荒い息を吐きながら、ほとんど気配だけを頼りに、魔物たちの合間を縫って駆ける。行った先に出口があるかも分からない。

 魔物は、幸いなことに、どれもあまり足が速くなかった。いや、数が多過ぎてぶつかり合い、そこで争っている気配もする。

 すべてがすべて、テオドアを追っているわけじゃない。大丈夫。大丈夫だ。


 汗が噴き出る。手も足もがくがくと震えている。わずかな距離が永遠にも感じられる。

 それでも走る。一瞬たりとも止まらずに、走って、走って、走って――



 ――石造りの壁に、思い切りぶつかった。



「は……」


 行き止まりだ。

 足を止めてしまった。


「はは……は……」


 間髪入れずに殴り飛ばされる。テオドアは横に吹っ飛び、起き上がる間もなく大きな前脚らしきものに踏み付けられた。

 骨が折れる音が響き、痛みに叫ぶ。もはや、誰の耳にも届かぬ断末魔だ。

 目の前に「何か」の口が開く。大きな牙、小さな牙が、びっしりと生えている大きな口。


 その喉奥を眺めながら、テオドアは、魔物もどきになって死んだ仇敵を……「第一夫人」のことを思い出した。

 現実逃避だろう。似ているな、と、首が頭ごと噛み切られる瞬間を待ち――


 目の前に火炎が広がった。


 この世のものとは思えないほど、醜い絶叫が地下を揺るがす。

 テオドアは、急に明るくなった地下で、燃え盛る奇妙な姿の魔物を、呆然と見上げていた。


 燃える魔物の近くに、女性が立っている。

 先ほどまではいなかった。

 その証拠に、女性の背後にある壁は、無理やり殴り抜いたかのように穴が開いていた。

 

()く肥え太った魔物だ。燃え易いと予測しては居たが、想定以上だ」


 女性は、全身が赤かった。火が燃えている色が映ったのかと思ったが、すぐに違うと理解する。

 彼女の顔が、腕が、脚が、身体が。至るところがズタズタになって、新しい血を滴らせていた。美しいクリーム色の髪は乱れて固まり、全身が薄汚れている。


 だが、その鮮血のように赤い瞳だけは――爛々(らんらん)と輝き、燃えてのたうち回る魔物をじっと見つめていた。

 『戦と正義の女神』。

 彼女の本分たる、戦に臨む者として、これ以上なく闘志をみなぎらせているようだ。


「餌が投じられたのも、(われ)としては好都合だったな。魔物共の注意が一気に其方へ向いた」


 そう言いながら、燃える同胞と己を遠巻きにする魔物たちを睨みつけ、ティアディケはこちらに向き直る。


「立てるか。見たところ、骨が折れているようだが」


 手を貸そうとしてくれたのだろう。差し伸べられた手が、テオドアの顔を見るなり、驚いたように引っ込められた。

 怪我がひどいので、顔も腫れ上がっているだろうに。テオドアは、彼女たちが『番人』を深く愛していたことを改めて理解した。


 こんなにボロボロでも、顔の印象を変えていても。ひと目見ただけで分かってしまうのだから。


「な……(なれ)は……」

「……ありがとうございます。頭から食い殺されなくて済みました」


 動揺している彼女に、とりあえず無難に礼を言う。

 ここで正体を明かすのは危険だ。どこに『秩序』や『最高神』が監視の目を置いているか分からない。とは言え、今の自分は、ティアディケの手助けがなければ窮地から脱することすらできないだろう。

 なんとか起き上がったが、折れたのは胸の辺りの骨だったらしく、そう激しく動き回れそうにはなかった。


「すみません。もしかして、地上に出るつもりですか?」

「……っ、ああ。一人、吾と同じく監禁されている者が居る。彼の者を助け出してから、此処を出る積りだ」

「僕は、足手纏いになるでしょうか?」


 さすがと言うべきか、ティアディケは動揺を一瞬で押し殺した。

 テオドアの怪我の状況を検分し、問題はないと思ったらしい。律儀な仕草で頷き、「足手纏いにはならない」と否定した。


「自力で歩けるのなら、同行も可能だ。此処は、用が無ければ誰も寄り付かない。(いず)れ異変に気付かれるとしても、汝を連れる余裕は有る」

「ありがとうございます!」


 テオドアは壁に手をついて立ち上がり、魔物の群れを突っ切るティアディケの後を追う。

 先ほどは血塗れの姿が衝撃的で気が付かなかったが、彼女は片方の手に松明を握っていた。閉じ込められていた場所にあったのだろうか。

 その火を恐れてか、魔物たちは部屋の両端に固まって動かない。

 まるで、ティアディケのために道を開けているようで、テオドアは密かに感動を覚えていた。


 あんなに恐ろしかった魔物も、強弱が逆転すればこんなにも弱く怯える。分かりきった法則ではあるが、やはり目の当たりにすると「すごいな」と思う。

 すると、先を歩いているティアディケがふと、歩みを止めずにこちらを振り向いた。


「……名は」

「えっ」

「名前は、何だ。〝汝〟では不便だろう」


 テオドアです。

 とは言えず、タイミングを逃したことを悔やみつつ――「名乗るほどの者ではありません」と謙遜した。

 その台詞は、助けた側の人間が言うもののような気がしたが、細かいことを気にしないよう努める。


「そうか……そうなのか」


 ティアディケの、少し落ち込んだような声音に、罪悪感から胃が痛んだ。ただでさえ、胸が痛いのに。

 しかし、自業自得であることも、痛いほど分かっていた。


(大丈夫。地上に出て、ペレミアナさまと合流して、安全を確保したら……すぐに本当のことを話せるから……!)


 もう少しの辛抱だ、と、テオドアは胃の辺りに軽く手を置いた。

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