其の十九 湖畔の対決
本日も閲覧ありがとうございます。
今日は、動き回ります。
引き留めようとするルジェクを振り切り、わたしとギーは、分所を飛び出した。
メイレラーニ湖に映る月が、眩しいぐらいだ。湖に面した道ではなく山側の遊歩道を走る。じきに暗闇に目が慣れ、伯爵家の別邸の裏まで難なく辿り着くことができた。
ギーと二人、馬車を止めた庭がよく見える木立に佇み、別邸の様子を観察することにした。
しばらくすると、別邸の中から数名の人物が出てきた。一人は女だ。ミロシュが言っていた、エイナールと懇ろになっているというメイドだろうか。手燭を持ち、馬車へ案内しているようだ。
ギーが、わたしのフードに顔を寄せ囁いた。
「姐さん……、魔の気配がするよ。あの女の人、もしかしたら、フーゴー伯爵の屋敷の大広間で取り逃がした魔導士じゃないかな?」
「ジュリー……、だというのですか?」
「うん。たぶんね。おいらの勘だけど――。魔導士は、おいらが何とかするから、姐さんは、馬車の方に集中して!」
「ギー……、無理をしないでください」
「大丈夫だよ! おいらには、光と闇の御子神様がついているんだから」
最初に馬車に乗り込もうとした人物に見覚えがあった。ここに着いた日、「小さな翡翠亭」の前であった商人風の男、ラトゥリだ。やはり、ここに潜んでいたのか! そして、仲間と思われる男が一人、そのあとに続く。
最後に乗り込む二人は、やけに体を密着させて歩いてきた。よく見ようと目をこらしたとき、手燭の灯りに照らされて、一方の男の手元が微かに光った。どうやら小さなナイフを握り、もう一方の男を脅しているようだ。人質か?
ナイフの男に脅されているらしい男に声をかけられ、御者が御者台に上がった。ということは、脅されている男がエイナールかもしれない。4人が乗り込んだ馬車の扉を、手燭を持った女が閉める。御者が手綱をとり、ゆっくりと馬車が動き出す。
わたしが、警棒を手に取り、馬車に向かって走り出すのを見て、ギーは、左手で地面を突きながら、庭に残った女に音もなく近づいていった。
わたしは、御者席に駆け寄り飛び乗った。闖入者に驚き、声も出ない御者の鳩尾を拳で突き、前のめりになったところで手綱を奪い取った。横の草むらへ、御者をそっと突き落とした。温泉街の方へ続く道へ馬を導きながら、少しずつ歩みを緩やかにし、ゆっくりと馬車を止めた。御者台から下り素早く馬車の後方へ移動すると、同時に両側の扉が開き、人が出てきた。
「おい、御者! どうした? 何で止めるんだ! 俺たちは、明日の朝一番で、隣町の両替商に行くつもりなんだよ!」
「エイナール様に言われただろう? とにかく、誰が来ようが突っ走るんだ! ぐずぐずしないで早く馬車を出せ!」
うわっ! 御者は仲間じゃないようだ。ちょっとやり過ぎた……かしら?。
馬車の左側で、エイナールを左手で掴み、右手でナイフを振り回して騒いでいる男の背後に忍び寄る。右手を警棒で強く叩くと、男はたまらずナイフを落とした。うめきながら左手で右手を押さえ、屈みかけた男を捕まえ、顎を膝で思い切り蹴り上げた。「ぐえっ」と声を漏らし、男は仰け反りその場に倒れた。何が起きているかわからず、きょろきょろしているエイナールを強く突き飛ばし、男から離れさせる。ついでに、ナイフも藪の中へ蹴り込んでおく。
再び馬車の後ろに回り、反対側から聞こえるうめき声を確かめようと、馬車の後ろに回ってきた男の腹を警棒で軽く突く。「うぐっ」と呻いて倒れかけた首筋を警棒で打つと、男は無言でその場にくずおれた。この男もナイフを手にしていた。素早く取り上げ、これも藪の中へ投げ込んだ。
異変にようやく気づいたのだろう、右側の扉から、今度はラトゥリが現れた。
「何をしている?! こんなところに止まっていて、夜盗にでも襲われたらどうするんだ?! どっさり金目の物を積んでいるんだぞ!
まったく、とんだ目論見違いだったよ! 買収は進まないし、洞窟は壊れるし、損がこれ以上膨らまないうちに、さっさとこんな田舎町とはおさらばするんだ! こら、御者! もたもたしてないで……」
ラトゥリは馬車から下りようとして、倒れていた男につまずき、ぐらりとよろめいた。「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げながら、その場に尻餅をつく様子に、思わず声を上げて笑ってしまった。
「だ、誰だ?! ま、まさか、夜盗か?!」
ラトゥリが叫んだとき、湖の方から強い風が吹きつけ、わたしのフードを吹き上げた。月明かりに照らされたわたしの顔を見て、ラトゥリは苦々しげにつぶやいた。
「お、おまえは……、レニタの嫁とか言ってた女だな! な、何をするつもりだ……」
もう十分だ。伯爵家の馬車から降ろしてしまえば、後は自警団に任せられる。わたしは、首から下げていた呼子を掴み思い切り吹いた。それに応えるように、どこかで呼子が高く鳴る。やがて、松明がいくつか見え、こちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきた。ラトゥリは、まだ、事態が飲み込めず、倒れた男たちを見つけ、その場でおろおろとしている。わたしは、マントをひるがえし、伯爵家の別邸へ駆け戻った。
別邸の庭では、ジュリーが呼び出した魔縁のつむじ風と、ギーが放つ闇の御子神様の黒い靄が、激しく絡み合いうねりながら、互いを打ち消さんとしてぶつかり合っていた。ギーの体力の問題か、黒い靄を吸い込み、つむじ風が勢いを増しかけていた。このままでは、ギーがつむじ風に飲み込まれてしまう!
わたしは、持っていた警棒を力一杯ジュリーに投げつけた。警棒はジュリーの肩口に当たり、「ボコッ」と音を立て地面に落ちた。
ジュリーは、肩を押さえながらわたしに向き直ると、燃えるような目で、握りしめた魔縁護符に何かの呪文を唱えた。すると、あたりが突然明るくなり、空中に巨大な炎の塊が生まれた。火炎操作か! 目の前に迫った炎の塊を避けようとマントで顔を覆ったが、それでは、とても防ぎきれないほどの熱風がわたしに襲いかかってきた。
もはや、これまでかと思ったとき、わたしの体を冷たい霧が包んだ。目を開くと、炎の塊を押し返すように水の壁が築かれていた。水煙操作だ! いったい誰が? 振り向くと、あの仮面の男が立っていた。男の魔力の源は魔縁護符ではなく、左手に嵌められた指輪だった。怪しい青い光を放ちながら、指輪は月光を受けて煌めき、強力な魔力を発動していた。
今や、力を盛り返した黒い靄が、つむじ風を巻き込みジュリーに迫っていた。仮面の男は、剣を引き抜くと自ら水煙をまとい、炎をくぐり抜けてジュリーに斬りかかった。
形勢不利とみたジュリーは、落ちていた警棒を掴み、男の剣を受け止め押し返すと、怪しい微笑みを浮かべ、鏡面のように磨かれた男の剣に呪文を唱えた。ジュリーがフッと息を吹きかけると、刃から光の渦が立ち上った。あっという間に、広がる光の渦にジュリーが溶け込んでいった。執拗に纏い付こうとする黒い靄を振り払い、笑いとともにジュリーは姿を消した。あとには、怪しい声だけが残った。
「良くも邪魔をしてくれたね、この死に損ないが! わたしに斬りかかろうなんて千年早いよ! そして、レオン! 次こそ命はないよ、覚えておおき!」
光が消え、伯爵家の屋敷の庭には、静寂が戻っていた。ギーが、わたしの元へ走って来た。仮面の男に魔の気配を感じたのか、わたしのマントを掴み、黙って男を見つめていた。
男は、ジュリーの痕跡を探るかのように刃を眺めた後、力強く一振りし鞘に収めた。その動きとともに、ブルーローズの濃厚な香りがあたりに漂った。そのまま、夜のしじまに溶け込むように去ろうとする男に、わたしは、思い切って声をかけた。
「あ、ありがとうございました。空き家に閉じ込められたときも、今回も、あなたの助けがなければ、わたしは命を落とすところでした。あなたは……、いったい、どなたなのですか?」
わたしを見つめる目が、今日もどこか寂しそうだった。誰なのかと問われることが、悲しくてたまらないように見えた。王の使者にして、魔縁と契約した魔導士であるという、あってはならない立場に身を置く男に、わたしはいったいどこで――。
「リオーナァ! 大丈夫かぁ!」
ルジェクが、わたしを呼ぶ声が聞こえた。それを聞いた男は、急いで指輪に何事か唱えると、指輪を摘まみ、くるりと一周回した。そこから現れた青い光が、男の姿と溶け合い、男は闇に滲むように消えていった。
それは一瞬の出来事だった。答えをもらえぬままそこに残され、呆然と立ち尽くすわたしをギーが優しく抱きしめてくれていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あの人たちが登場して、話が長くなりました。
あと少しで最終回。もうしばらくお付き合いください。




