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「……で、あたしが酷い目にあって寝かされてた間に、一体なにがあったわけ?」
蹴られた後頭部を押さえながら、目を覚ましたリッセが不機嫌そうな表情で訪ねてきた。
「まあ、見ての通り、かな」
と、俺はため息交じりに答える。
今目の前には、困り果てた表情で、舌戦を繰り広げているミーアとオーレリアンレルを交互に見遣るルハと、その彼女を固唾を呑んで見守るオーウェさんとリリカの姿があった。
部外者の騎士団長と巻き添えを喰らったドルノさんも、犬も食わない夫婦喧嘩を前にした時みたいな複雑な表情で、そのやりとりを注視している。
「それで、どうなのかしら? 果たしてどちらが主役に相応しいのか、監督である貴女ならぁ、よく判っているわよねぇ? ルハ」
甘い声で、オーレリアンレルが言う。
「そうですね。外見と年齢を考えれば、消去法としてこれほど簡単な問題はないと思います。私は小娘で、この人は年増ですから」
淡々とした口調で、ミーアが水を差した。
うわぁ、と思うくらいの辛辣さである。だが、オーレリアンレルは一切動じない。
「姫が子供でなければならない理由はないわよねぇ。いえ、そもそも女王を主役にした方が、物語は面白いと思うわぁ。受動的で何もできない、ただ騎士に助けられるだけの存在なんて、何の魅力もないもの。これは物語を書き直すいい機会よぉ。私は映画にも精通しているし、どちらの意見を聞くのが有益か、賢い貴女には判るわよねぇ? 衣装とかぁ、舞台とか、もっとちゃんと拘りたいでそう?」
「くだらない圧力。それらの問題は貴女でなくても解決出来ますし、監督に迷惑をかける役者などそれこそ不要でしょう」
「あら? 迷惑というのなら、貴女もそうじゃないのかしらぁ? 既に別の役を貰っているのに、駄々をこねているわけだしぃ?」
「曲解が過ぎますね。私はその役をやりたいなど一言も言っていません。貴女でなければならない道理がないと言っただけです」
「それは嘘。だって、熱が入っていたもの。気に入らないならただ拒絶すればいいだけなのに、自分がやる方がいいだなんて、それってつまりそういう事でしょう? ねぇルハ、貴女もそう思うわよねぇ?」
「妄言に耳を貸す必要などありません。貴女はただ、この人に邪魔だという事実を告げればいい」
「え、ええと、その、あのぉ、ルハはその、みんな仲良くやれればいいというか――」
「無理ですね」
「だそうよぉ? 私はそう思わないけれど、ふふ」
「……なるほど。要はあたしに無断で、あたしの役の取り合いをしているわけだ、こいつらは。人気者は大変ね、レニ。羨ましい限りだわ、ほんと」
物凄く投げやりな調子で、リッセがそんな事を言ってくる。
皮肉満載、こちらとしては是非とも代わって欲しい限りだが。
「それにしてもルハの奴、押しは強いくせに押しにはすこぶる弱いんだな。おろおろおろして、なにも意見できてないし…………まあ、でもそれも当然か。元々自分の道理が通る世界で生きてきた奴じゃないしね。あの露出狂の異常性癖者と違って」
彼女の評価は、どうやらこの屋敷内にいる大半の共通認識のようだ。
つまり、俺が知らなかっただけで、相当な有名人だったという事なんだろう。
「あの人って、どういう人なの? 貴族って事らしいけど」
「元貴族だよ」
俺の質問に、リッセはつまらなそうに答えた。
「二年前に破門されて、今はただの金持ちだ。あたしの商売相手にもならないような、ね」
また二年前という言葉が出てくる。
大まかな情報はある程度把握しているけど、具体的にその時期になにがあったのか、無関係な身ではあるけれど、ちょっと真剣に調べてみるのも悪くないのかもしれない。……というか、もしかして、彼女が無法の王なんだろうか?
……いや、だとしたら騎士団長の反応がおかしいか。初対面の印象でしかないけれど、彼はかなり感情的な部類に見えるし、それが部下を殺した相手を前に冷静でいられるとも考えにくい。
「どういう理由で破門されたの? 貴族社会でそんな事、そうそう起きるものじゃないよね?」
「そうそうどころか前代未聞だよ。セストリア家ってのは、トルフィネでも屈指の名家の一つだったからな」
「セストリア家?」
「オーレリアンレルってのは、あの女が勝手に持ち出した姓。たしか、ヴァゼ辺りで採掘できる鉱石の名前だったかな。石言葉は奔放と破滅。……で、その二つを体現するみたいに、二年前にラクウェリスは自ら子宮の機能を破壊した。後継者を生む前にね。貴族にとってそれがどういう事かは、あんたにも判るでしょう?」
「……そうだね。多少は」
レニが持っている苦々しい記憶が、脳裏に過ぎる。
貴族にとって、子供を生める身体であるというのは絶対だ。都市にとって必要な魔法を継承させる事が出来なければ、その個人がどれだけ優秀だとしても、貴族としては失敗作として扱われる。
「まあ、それ以前から色事にかまけてて、四回ほど誰が父親かもわからないのを堕胎してるみたいだけどね。というか、その面倒が煩わしいから子供を生めないようにしたって話だし。……気分が悪くなったか?」
「大丈夫だよ。そういう話には一応耐性あるから。……でも、どうしてそんな無茶苦茶な事に? 彼女に継承が機能しなかった理由は判ってるの?」
「それについては、あいつ自身が所有していた魔法が強すぎたからって見解が多いわね。要は潰し合いでそっちの色が負けたわけだ。だから、あいつは生まれた時から貴族の法から外れていた。まったく残念な話よね。これが二年前に突然とかだったら、少しは役にも立っただろうにさ」
「それは、どういう意味?」
「あんたは知らなかったのかもしれないけど、ネクゥアの件は上の貴族共にとってはかなりの大事だったのよ。共犯者を生んだエレジーのような歴史の浅い家と違って、ここはそこそこ長いからね。そして、ネクゥアはラクウェリスのような規格外でもなかった」
「つまり、外部からの干渉で、あんな事件を起こした可能性が高いという事?」
「あぁ、つまんない話だけどね」
その物言いからすると、リッセは当初そう考えてはいなかったみたいだ。
「いや、というか、ネクゥアの件ってリッセがもみ消したんじゃなかったの?」
貴族を含め、何人もの人間が殺されたあの事件の真相を他の貴族が知っているというのは、色々と不味い気がするのだが。
「あたしたちがしたのは、表沙汰にならない程度の隠蔽だよ。上の貴族にまで隠す労力に見合う価値は、残念ながらこの家にはなかったしな」
隣にいる騎士団長と世話話を始めていたドルノさんに冷ややかな視線を向けながら、リッセはそう吐き捨てて、
「そんな事より、少し目を離しているうちに、なんか妙な展開になってるわよ? ってか、あたしも巻き込まれそうだな、これ」
「――え?」
面倒そうに朱色の髪をバサバサと掻き乱したリッセに非常に嫌な予感を覚え、視線を渦中に戻すと、いつのまにかルハの隣にはリリカの姿があった。
この中では一番荒事と無縁な、普通の少女だ。多分、ミーアとオーレリアンレルとの板挟みに苦しんでいる友達の援護に回ったという事なんだろうけど――
「たしかに、そうですね。これは騎士とお姫様の恋愛が主軸の話でもありますから。誰が一番レニさんと、そういう事をした時に絵になるのかは重要だと思います」
「…………ほんとだ。おかしな事になってる」
これはあれだ、即興で告白とかデートとか、最悪ラブシーンなんかをやらされる流れだ。
彼女自身が能動的に、そういう話に持っていったとは考えにくいから、十中八九オーレリアンレルが自分の土俵にもちこむために誘導したんだろう。
実際、リリカが言うならといった空気で周りも納得しようとしている感じだし、それは見事な一手だった。
そこまで狙ってやったんだとしたら、意外に周りも見えているという事になりそうだが……きっと、自分に都合のいい部分だけには目敏いという事なんだと思う。ますます悪印象である。
「どうする? あいつ、自分がその方面で一番強いって見せつけたいみたいだけど、本気で潰す? それとも適当にする? あたしはどっちでもいいわよ。別にこの役に思い入れあるわけでもないし」
「それなら本気で頼むよ。正直、リッセ相手が一番やりやすいだろうしね」
そうお願いすると、リッセは、ふぅん、と意味深な頷きを見せた。
「なに?」
「いや、なんでもないさ。それじゃあ、ちょっと本気で恋するお姫様でもやってみるかな」
そこで、リッセは不敵に微笑んで、
「惚れるなよ?」
「あぁ、それは大丈夫。仮に私が男だったとしても、リッセは全然好みじゃないからね」
俺も笑顔で軽口を返しておくことにする。
すると彼女は、
「あはは、わかった。絶対落とすわ、お前。覚悟しとけよ」
と、俺の首の下を人差し指でトントンと叩いて、愉しげに微笑み――かくして、監督の発言力のなさを物語るヒロイン決定戦が、今更ながらに開始されたのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




