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「あぁ、そうだ、まだ自己紹介をしていなかったのよねぇ」
屋敷の中に入り、エントランスの中央に立った彼女は、そこでこちらに振り返り、先日よりは短いドレスの裾を両手で摘まんで優雅な一礼を見せた。
「私はラクウェリス・オーレリアンレル。この都市で最も自由で聡明な淑女よ」
過剰な色気を帯びた声。
微かに潤んだ瞳。
そして毒々しいまでの香水の匂い。
あげく、身に纏うドレスは露出狂めいていて、とにかく趣味が悪い。まあ、それは先日の通りなので、むしろお供がいない分、マシだとすら思える心構えが出来ていたが……
「無責任で無意味な知識だけ豊富な淫売の間違いだろう? 貴族の恥晒しが」
嫌悪を露わに、ドルノさんが吐き捨てた。
驚くべきことに、彼女は貴族だったらしい。
「開口一番酷いわねぇ。私、貴方になにか酷い事でもしたかしら? おかしいわねぇ、覚えがないわ。娘を殺すなんて面白い事をした貴族の事なんだから、他の有象無象よりは覚えがいいはずなのに」
口元に人差し指を押し当てて、その垂れ目を微かに細めて、彼女は眉を顰める。
なにが酷いかって、その言葉のどこにも悪意や皮肉がないところだろうか。元の悪印象からくる受け取り方でしかないのかもしれないけれど、彼女は本気で覚えがないという点だけに悩んでいるようだった。
「まあいいわ。今貴方なんかに価値は無いし。それよりも、私がこうして名乗ったのだから、貴女も私に自己紹介をするべきだと思わない? より良き関係の第一歩として」
ドルノさんに向けていた視線をこちらに戻し、オーレリアンレルさんは言った。
「その必要はないと思いますが」
「そう? それはそれで嬉しいわね。私も前置きはあまり好きじゃないから。それじゃあ、さっそくこんな辛気臭い場所で時間を浪費するのは止めて、遊びに行きましょうか。いい服屋を見つけたの。貴女に似合うものがたくさんあったのよ、可愛いお人形さん」
人の話を聞く耳はやはり持たないのか、こちらの拒絶を歯牙にもかけず、その手を俺の手首に向かって伸ばしてくる。
が、それが届く事はなかった。
ばちん、という音共に、ミーアが払いのけたからだ。
「どなたか知りませんが、不愉快です。自分の都合だけを押し付ける、その手の我儘が許されるのは、ルハさんのような可愛げのある子供だけですよ?」
冷ややかな横顔には、明確な嫌悪が滲んでいる。
それに対し、オーレリアンレルさんはきょとんとした表情を浮かべてから、
「なるほど、貴女、レニの事が好きなのね」
と、とんでもない爆弾を放り投げてきた。
思わず、ぴくっと身体が震える。呼吸を止めて、ミーアの反応を注視してしまう。
幸い、ミーアはそんな俺の動揺には気付いていなかったみたいだけど、
「それがなにか?」
と、何一つ感情の乱れなくそう言い切って、より一層に落ち着かない気持ちをこちらに提供してくれた。
嬉しいは嬉しいけれど、素直に喜ぶには自然すぎる好意とでもいうのか…………ほんと、この感情は面倒くさくて、煩わしくて、扱いに困って仕方がない。
というか、もうこれ以上余計な事を言わないで貰いたいのだけど、なにか妙案を思いついたように、にやりと笑ったオーレリアンレルさんを見るに、そうもいかないようで、
「いいわぁ、混ぜてあげる。よく見たら、貴女も実に凛々しくて可愛らしい容貌をしているし。なにより処女の匂いがするし。その花が散る時に、どんな顔をするのか、ふふ、想像するとゾクゾクしてきたわぁ。これは決まりね」
「――」
ミーアの表情が凍りついた。
おそらく、彼女の人生において、こういう手合いに遭遇したのはこれが初めてだったんだろう。
「……なるほど、たしかにこれは貴族の恥ですね。何故他の貴族たちはこのような汚物をまだ生かしているのですか?」
数秒の間を置いたのち、鋭利に目を細めたミーアは、底冷えするほどに冷たい声で、そう吐き捨てた。
怖いくらいに据わった目は、もう完全に目の前の相手を人間として見ていないのが判る。
まあ、それには俺も同感なので特に言う事もないが――
「それはもちろん、私に価値があるからよ。なによりも特別な力という価値が」
「――っ!?」
全身が総毛立つほどの魔力が、一瞬で屋敷の中に溢れかえった。
いきなり水底に沈められたような圧迫感。
性格の異常さだけに警戒していたけれど、この魔力はラウにも匹敵するほどで、魔力に乏しいミーアの顔が苦痛に歪む。
「あぁ、ごめんなさい。か弱い子には過ぎた力だったわね。抑えるだけなら得意なんだけど、加減っていうのがどうにもね。私って中途半端が嫌いだから。――あぁ、でもいい表情。やっぱり綺麗な顔は歪んだ時こそ何よりも愛おしい。それこそ、脳が痺れるくらいに」
鋭い犬歯を見せびらかすように嗤いながら、オーレリアンレルさんが舌舐めずりをする。
攻撃的な気配。
ミーアに危害を加えるつもりなのか。――だとしたら、こちらも容赦をするつもりはない。
この女に対する最低限の敬意も、今潰えた。
俺は右手に魔力を込めて、いつでも対処できるよう臨戦態勢に入る。
「あら? あらあらあら、もしかして私、敵視されているのかしら? あぁ、でも、躾は早いうちにした方がいいと言うし、それもありよね。ありだわ、あり。ふふふ」
それに気付いたオーレリアンレルが、いっそう楽しそうな笑みを浮かべて、より強い魔力を周囲に撒き散らし――
「――ふぁ? ぶっ!?」
べちっ、という打音の前後で、奇声を漏らした。
真後ろから鞭のように飛んできた黒い紐が、一回転分この女の顔に撒きついてから、痛烈に鼻っ面に直撃したのだ。
「少し、リッセに気を遣い過ぎたようだね」
ぽつりとヴァネッサさんが呟く。
その声を掻き消すように、
「……騎士を前に、一般人への脅迫行為がまかり通るとは思うなよ?」
俺が具現化した紐をもってオーレリアンレルに一撃を入れたノーフェさんが、低く重たい声を響かせた。
リッセの方はまだ気絶したままだ。拘束が解れた結果、再び地面に突っ伏する形となっていた。
それは、今の状況では幸いな事なのかもしれないが、それでも波乱はまだ続きそうで――
「あ、あの、みんな揃ったから、そろそろ撮影始めたいなって、ルハは思うんだけど……」
さすがに不味いと思ったのか、この状況を生んだ責任を感じてか、ルハがか細い声で仲裁に出た。
けれど、本気で緊迫した場面を前に、そんなものが届くとは到底思えなくて――
「そうだね。そうするとしようか。結果の判りきっている見世物に価値などないしね」
いや、そんな事もなく、ヴァネッサさんがそれを拾い、朗々とした声を響かせた。
二人の視線が彼女に流れる。
「ヴァネッサ・ガルドアンク……!?」
「……あら、あらあら、嫌な女がいるわぁ」
二人して、今彼女の存在に気付いたのか、各々マイナスの反応を見せる。
それらを涼しげに受け止めつつ、
「あいも変わらず視野の狭い事だな。まあ、こちらにとっては微笑ましい話ではあるが。――ところでラクウェリス、君はそんな事に労力を費やして、この好機を無駄にしてしまってもいいのか?」
「好機?」
「君も、撮影絡みで此処に来たのだろう?」
「ええ、そうよぉ、ルハちゃんが面白い事をしているって聞いたから」
「出来損ない同士、仲のいい事だな」
嫌悪を露わにノーフェさんが水を差して、また場の空気を険しくさせようとしていたが、ヴァネッサさんはこれを完全に無視し、俺の方に視線を向けた。
「この映画の主役は彼女だ。そして相手役は今、不慮の事故によって演技が出来ない状態にある。もっとも、撮影はまだ始まったばかりだから、撮り直すのはそう難しくないのだがね」
「――」
今、物凄く嫌な予感がした。
予感というよりは、確信というべきなのかもしれない。
「……いいわぁ。それはいい! つまり、私がお姫様になれるという事よね? 今日はドレスに気合をいれたから格好も文句なしだし。ふふ、うふふ、たしかに古い肉を痛めつける暇なんてないわ。争いはやめましょう」
「あぁ、そうだね、それが良いと思うよ」
慎ましげな微笑を浮かべながら、ヴァネッサさんが俺の肩をトントンと叩く。
汲み取りたくはないけれど、多分それは、後は任せたというサインで……つまり、殺し合いをおさめるための生贄として、見事に使われたというわけである。
というか、本当、今日の撮影どうなるんだろう?
腰の上まで浸かりだした不安を前に、俺は乾いた笑みすら浮かべる事が出来なくて――さらに、そこに拍車を掛けるように、
「そんな横暴が許されるはずがないでしょう? 大体、代わりが必要というのなら、ここにいるのですから。貴女のような存在は不要です」
と、纏まりそうだった話に、ミーアまでもが割って入ってきたのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




