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「――そういえば、新しい歯車が出来たみたいね。新しい奥さんのお腹の中に」

 屋敷の玄関を開けた途端に聞こえてきたのは、リッセの甘い声色だった。

 いわゆる猫撫で声というやつだ。普通は媚びる時なんかに用いるもの。

 ただし、彼女の場合は相手を追いつめる時に使うのが常で、

「あれってさ、ネクゥアが死んでからどれくらいで拵えたわけ? どう考えても一月も経ってないわよね? もう出来損ないの事は忘れられたのかしら? 父親ぶって殺した娘の事は。いいわよね、都合のいい頭って。羨ましいわ、――ほんと、反吐が出る」

 吐き出された言葉は、このまま開けた扉を閉めて帰りたくなるくらいに痛烈なものだった。リッセがどれほど貴族という存在を嫌悪しているのかが、よく伝わってくる。

 ただ、背景を多少なりとも知っている身としては、それがどれだけ過ぎた言葉であっても、口を挟む気にはなれないが……。

「噂に違わぬヒトデナシだな、リッセ・ベルノーウ。貴様には心というものがないようだ。相手の立場を考える知性もな」

 二階に続く階段の前に立っていたドルノさんを庇うように、一歩前に出てリッセに立ちはだかった鎧を身に纏った男姓は、そんな彼女の感情を真っ向から糾弾する恐い声を響かせた。

 少し白髪が混じった栗色の髪に、知的な印象を覚える口髭、そして顔の右半分を覆う眼帯とその隙間から覗く火傷のような痕が特徴の、四十歳前半くらいに見える人物。

 格好からして、高位の騎士だとは思うが……

「あの人はガーヴァン・ノーフェ。騎士団の最高責任者ですね。実力不足な人達が多い騎士団において、数少ない肩書きに見合った人物です」

 隣のミーアが、小さな声で教えてくれる。

「でも、どうしてこんなところに――」

「ドルノ・スクイリズとは二年前から親交があるんだよ、騎士団長殿はね。そして間の悪い事に、リッセがいる時にやって来てしまった」

 突然、背後から声が届いた。

 遅れて、かちゃ、という金属の音。

 振り返った先にいたのは、ヴァネッサさんだった。

「……そういう貴女も、何故ここにいるのですか? 今日貴女の出番はなかった筈ですが」

 棘のついた声で、ミーアが問う。

 気配と音の二つを消して五メートルほどの距離まで詰めてきていた相手への対応としては、まあ妥当なところだろう。

 ヴぁネッサさんも特にミーアの苛立ちに反応する事もなく、

「もちろん、見物だよ。最近、私はとても暇なんだ」

 と、にこやかな微笑と共に解答をしてくれた。

 今日は一人のようだ。杖を持ってきていないという事は、体調も良いらしい。

「でも、来てよかった。もしかすると、彼に役を取られてしまう恐れがあったからね。ほら、あれは見事な口髭だろう?」

 くすくすと涼しげに彼女は笑う。どうやら、機嫌の方も良さそうだ。

「それに、本物の騎士団長みたいですしね。たしかに適任かも。でも、ルハの琴線には触れないと思いますよ。でなければ、貴女を選びはしなかったでしょうし」

 適当な言葉を返しつつ、そのルハはどこにいるのかと視線を彷徨わせると、二階の手すりに身を隠すようにしつつ、困り顔で険悪な空間を見つめているところを発見した。

 近くにオーウェさんとリリカの姿はない。なんとなく気配を探ってみると、二人の気配は屋敷の外にあった。こちらに普段通りの歩調で向かってきている。

 ルハだけ先にこの屋敷にやってきたということなのか。或いは、リッセと一緒に来ることにでもなったのか――

「――小娘が、片割れもいない状態で、あまり粋がるものではないぞ?」

 監督の状況を推測している間に、舌戦は早くもピークを迎えたようで、ノーフェさんが腰の剣に手をかけていた。

 対するリッセも朱色のナイフを右手に現して、嘲笑と共に迎え撃つ。

「くだらない奴らしい発言ね。つまりお前は、後ろ盾がなきゃ誰かに喧嘩も売れないわけだ。でも、それなら安心していいわよ。お前如きに、あれを使う価値はない。あたしだけで十分だ」

「寝言を――」

「なんなら試してみるか? 思い出させてやるよ。無法の王相手に同じようにたかを括って、部下で死体の山を築いた能無しに、二年前と同じ戦犯の味をね」

 瞬間、肌をひりつかせるだけの魔力が、ノーフェさんから溢れだした。

 上で見ていたルハの喉から、ひっ、という恐怖が漏れる。

「薄汚い朱色が、もはや言葉遊びでは済まされないぞ……!」

「はっ、それこそ寝言だな。こっちは、てめぇが人の仲間貶した時から、遊びじゃねぇんだよ。自覚すら出来てない糞貴族共が、その四肢切り落として、大事な家族にでも食わせてやろうかしら?」

 爛々と輝く金色の瞳と共に、リッセが底冷えするほどに冷たい声を吐き捨てた。

 こちらも本気で切れている。

 しかも、その理由はどうやらルハにあるようだ。

 貴族共という事は、ノーフェさんだけではなくドルノさんも彼女の逆鱗に触れたみたいだし、無自覚となればルハの事でなにかを言った可能性が高い。リッセに弱味を握られている彼が、わざわざヘキサフレアスの悪口を言うとも考えにくいからだ。

「意外だな」

 ぽつりとヴァネッサさんが呟く。

 意外というのは、ルハの事で怒っているという点だろうか。

 確かに彼女は貴族であり、リッセは貴族嫌いで有名だから、そう思うのも無理はないのかもしれない。けれど、彼女が貴族を嫌っている理由は、地位や権力をもっているからじゃない。継承とか、それに囚われた生き方とか、そういう部分にこそある。

 だから、貴族らしさのまったくないルハは、そもそもリッセの中では貴族ではないんだと思う。そして映画制作をする仲間として、今は気に入っているという事なんだろう。

 ……まあ、それはそうと、さすがに一触即発のこの状況でいつまでも傍観者を気取っているわけにもいかない。

 とはいえ、下手に関わると悪化しそうで怖いし、どうしたものか……

「いっそ、不意打ちで二人とも黙らせてしまうというのも、ありかもしれないな」

「そうですね。それが手っ取り早いと思います。今なら簡単そうですし」

「では、そうしようか」

 こちらの悩みを掬い取るようにヴァネッサさんが呟き、それにミーアが同意して、物騒な話が纏まった。

 一切の淀みのない、流れるようなやりとりだった。口を挟む間なんてどこにもない。

 だって、聞き間違いかと俺が「――え?」と二人に視線を向けた時にはもう、それは実行されていたからだ。

 ほんと、物凄い迅速さだった。

 戦いに精通した者同士の阿吽の呼吸とでもいうのか、特に示し合わすこともなく、ヴァネッサさんは右手の先に顕した弾丸ほどのサイズの水の球体をノーフェさんに放ち、ミーアはそれより一呼吸分早く地を蹴って、発生した魔力に気付き乱れた二人の意識の間隙をつくようにリッセの背後を取ったのだ。

 上手いのは、その際にノーフェさんの視界に入り、彼に攻撃するような素振りを見せたことだろうか。

 それによってリッセはミーアを余計な加勢だと判断し、そちらへの警戒を一瞬緩め、またノーフェさんも完璧な同時攻撃を前に対応が遅れた。

 結果、奇襲は見事に成功し、ノーフェさんはヴァネッサさんが時間差で放っていた二撃目の水の鞭を側頭部にもらい昏倒。リッセは味方面したミーアの渾身の奇襲を受け、

「っ!? お前、ふざけ――!」

 初撃は何とか躱すも、本命だったらしい死角からの回し蹴りを喰らって、仲良く地面に突っ伏した。

「――良し」

「いやいや、良しじゃないから!」

 空手で一本取った時みたいな声をあげるミーアに、思わず突っ込みを入れる。

「レニ、縄」

 それに対するレスポンスよりも早く、ヴァネッサさんが軽い口調で言った。

「……いや、縄じゃないですから。……というか、そんなの何に使うんですか?」

 なんかもう咎めても仕方がない気がして、疲れた声で訪ねる。

「二人が頭を冷やすまで拘束しておかないと、物騒だろう?」

「その物騒を生んだのは、貴女ですけどね」

「それでも、先程の状況よりは良好だ。こういった事でどれだけ彼女が怒ろうと、私達を相手に殺し合いは始めないからね」

「ならいいですけど……」

 ぴくりとも動かないリッセを見遣る。

 綺麗に入ったから、すぐには目を覚まさないかもしれない。

 でも、縄かぁ……

 柔らかいものを具現化した事はないんだけど、可能である事は、この身体が時折見せるレニ・ソルクラウの夢によって判明している。

 一応、日頃から魔物を探す合間に魔法の練習もしているし、今の俺でもやれなくはない筈。

 とりあえず物は試しだと、魔力同士の結合を緩くするというか隙間を作る事を意識しながら、巨大な一本の糸をイメージする。長さは五メートルくらいでいいだろうか。

 ……出来た。

 ただし、縄というほどの柔らかさはない。これでは分厚い針金だ。……でも、まあ、曲げる事は出来たから、及第点をつけてもいいだろう。

 ヴァネッサさんはそれを受け取ると、鼻歌交じりに二人を背中合わせに座らせて、一緒くたに巻きつけ、

「ふむ、これは、二人が目を覚ました時の反応が愉快な事になりそうだね」

 と、全然楽しくない未来に心を躍らせていた。

 こちらから言わせてもらえば、更なる修羅場の予感でしかないわけだが……と、そこで背後から靴音が聞こえてくる。

 オーウェさんとリリカが到着したようだ。

「……これは、一体何事でしょうか? 説明を求めたいところですが」

 紐に縛られ気絶する二人と、複雑な表情を浮かべているドルノさん、状況にまったくついていけず不安と困惑に翻弄されているルハ、そして気紛れにやってきたヴァネッサさんを前にして、オーウェさんが至極真っ当な反応を示す。

 それになんて答えようかと考えつつ、俺は振り返って――絶句した。

 そこにはオーウェさんとリリカだけではなく、何故か、どういうわけか、信じがたい事に、やたらと派手なドレスを纏った先日の痴女の姿があって、

「日を跨いでも、貴女はとても綺麗ねぇ。感動に衰えがない。嬉しい再会だわ、レニ・ソルクラウ」

 名前を知られてしまっている事実に、目の前がはっきりと暗くなったのを感じたのだった。




次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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