エピローグ 空の向こうからの返事
照合石が鳴った夜から、季節がひとつ動いた。
春は、思っていたより忙しかった。
共同手順書は第二版になった。
学院の講義は村外からも人を呼ぶようになった。
保存箱の新型は、ネリスが半月で売り先を三つ見つけた。
ノアは工房の現場を半分以上回すようになった。
ドルフは文句を言いながら見習いを育て、ミナは相変わらず外と内をつなぎ、ギデオンは紙の山を三種類どころか五種類に増やした。
父は畑と荷台の両方を見て、母は記録と交渉をきっちり通した。
世界が広がったのに、毎日やることはむしろ増えた。
けれど、それでよかった。
空の向こうが本当にあったからといって、朝の補助灯が勝手に直るわけじゃない。
宇宙人がいたからといって、保存箱の留め具が自分で締まるわけでもない。
結局、人が見て、書いて、渡して、直す。
その順番だけは変わらなかった。
その合間に、リリエルとカイルは、ほんとうにさりげなく結婚した。
広場の真ん中。
最初に直した結界灯の下。
白布を掛けたいつもの机。
村の記録簿。
神殿の受理紙。
王都技術部からの登録札。
それだけだ。
式というほどのものではない。
けれど、ミナは泣いた。
泣きながら笑って、
「やっとここまで来たね」
と言った。
ドルフは「紙が増える」と言いながら一番早く祝った。
ノアは机の脚のがたつきを直した。
ギデオンは婚姻書類を三部作った。
ネリスは「外宇宙向け販路が開いたら祝い酒倍返しね」と言った。
父は「札の整理だけは増やすな」と言い、母は「無理よ」と即答した。
短語も届いた。
ユノからは、
《晴れてる。そっちもたぶんいい天気》
と来た。
シオンからは、
《広場方面、安定。祝いは受領した。以上》
の二行だけ。
イリスからは、
《記録受理。祝福》
と三語。
フェリクスは休暇届を机に置いて、
「悪くない夜だな」
と言って帰った。
ラウレンティスからは何も来なかった。
来ないのが、あの人らしかった。
そう思っていた翌朝、神殿便で白い保存袋がひとつ届いた。
中には古い祝詞ではなく、空白の高級記録紙が綴じてあった。
それだけだった。
でも、その人なりの祝い方だと分かった。
結界灯の下で書類に名前を書いた時、リリエルは不思議なくらい静かだった。
白い文字を読んで扉を開けた時とも、条件を書き換えた時とも違う。
もっと地上の、暮らしの側の重さだった。
隣では、カイルがやけに正確に紙を押さえていた。
「そんなに真っ直ぐ押さえなくていいでしょ」
とリリエルが言うと、
「紙がずれると困るので」
と返ってくる。
その言い方が、あまりにもいつも通りで、少し笑ってしまった。
「今日くらい、もっとこう……」
「何ですか」
「特別っぽくしてもいいのに」
カイルは少し考えてから言った。
「十分、特別です」
それだけで、もう十分だった。
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結婚から七日後。
照合石が、今度ははっきり鳴った。
工房の奥。
リリエルとカイル。
その後ろに、母とノア。
少し離れてミナとドルフ。
父は戸口。
ギデオンは紙を持って待機。
ネリスは、いつの間にかそこにいた。
白い文字が、前よりずっと鮮明に開く。
> `OUTER RELAY LINK STABLE`
>
> `TRANSLATION PATH SECURED`
>
> `VISUAL BUFFER OPEN`
「映る?」
とミナ。
「たぶん」
とリリエル。
照合石の上に、薄い立体像が立ち上がる。
人ではない。
少なくとも、この星の人ではない。
肩の位置が違う。
指が長い。
頬骨の線が滑らかすぎる。
目の位置もやや高い。
けれど、不思議と恐ろしくはなかった。
古い神殿画の守護者像に似ていた。
ただ、絵よりずっと現実の作業者の顔をしている。
その像の横には、人間の技術者も立っていた。
二つの種が並んで、同じ端末へ手を置いている。
声が流れる。
今度は、ちゃんとこの星の言葉へ変換された。
> 「惑星運用ノードの継承を確認した。」
>
> 「長い沈黙だった。」
>
> 「保守経路を繋ぎ直してくれて、ありがとう。」
>
> 「こちらは外宇宙共同圏保守局。」
>
> 「人類系技術者、および異星系技術者による共同圏は、まだ存続している。」
>
> 「いつか、正式に話そう。」
ミナが口を開ける。
「ほんとに宇宙人だ……」
「いたね」
とリリエル。
ドルフが腕を組んだまま言う。
「で、あいつらも壊れたもん直すのか」
> 「是」
と翻訳が返した。
ドルフは一度だけ頷く。
「なら話は早い」
ノアはもう紙へ何かを書き始めている。
ギデオンは分類札を増やした。
ネリスは小声で、
「共同圏保守局……名前は固いけど売れそう」
と言った。
父は苦笑し、母は新しい記録簿を開く。
誰も、空の向こうを見たまま固まってはいなかった。
驚いてはいる。
でも、驚いたあとに手を動かす人たちだった。
それが、リリエルにはたまらなく嬉しかった。
カイルが隣で静かに言う。
「忙しくなりますね」
「うん」
「今度は本当に、宇宙まで入ります」
「入るね」
「手順が増えます」
「そこなんだ」
「大事です」
その返しに、リリエルは笑った。
外宇宙共同圏。
宇宙人。
古代の共同保守隊。
前の生。
宇宙工学。
魔法の正体。
全部、やっとひとつの地図になった。
けれど最後に残るのは、やっぱり同じだった。
工房の机。灯り。手順。
そして、人の声と暮らし。
照合石の淡い光が消えたあとも、最初の結界灯は揺れなかった。
リリエルはその下へ出る。
白い灯りが肩へ落ちる。
隣には、カイルがいる。
少し離れて、家族と工房の人たちがいる。
もっと遠くには、まだ見ぬ空の向こうがある。
八歳の夜、あの灯りは壊れかけて見えた。
二十五歳の春、同じ灯りは、星の外へ続く入口に見えた。
「帰ろう」
とリリエルは言った。
「はい」
とカイル。
今度は、その返事のあとで、自然に手が重なる。
もう離さない手だった。
結界灯は揺れない。
補助灯も揺れない。
暮らしは続いている。
空の向こうにも、続きがある。
-了-




