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八歳の魔導技師は、未来を選ぶ


夕方の工房は、朝より少し散らかっていた。


長机の上に、書き換え途中の手順書。

端へ寄せられた交換札。

開いたままの保存箱。

乾ききっていないインク。

補助灯の点検を終えた見習いたちの、雑な置き方をした革手袋。


仕事の途中の机だった。

ただ、止まっている机ではなかった。


「そこ、第二版の束と混ぜるな」


とノアが言う。


「分かってる!」


と王都から来た少年が返す。


「分かってる人は、そこへ置かない」


ノアの声は、昔と同じように低い。

けれど今は、低いまま人を動かせる声になっていた。


その横で、ドルフが鼻を鳴らす。


「言葉が足りねえんだよ、お前は」


「足りない方が早いです」


「早くても伝わらなきゃ意味がねえ」


「伝わってます」


「伝わってねえから俺が言ってる」


そのやり取りに、ミナが笑っている。


「今日も元気だねえ」


木箱を抱えたまま、工房の中と外を行ったり来たりしていた。

領地の外から届いた紙束。

村内で回す交換札。

見習いに持たせる予備留め具。

ミナはもう、工房の外と内の境目で立つ人の動き方をしている。


ギデオンはその少し奥で、帳面を片手に眉を寄せていた。


「笑っている暇があったら、受領印を押してください」


「はいはい」


「はいは一回で結構です」


「そういうところだよ」


とミナが言う。


「だから回るんです」


とギデオン。


それを聞いて、リリエルは笑った。


門で「おかえり」と言われた朝から三年。

戻ってきた工房は、ちゃんと自分のいない時間を持つ場所になっていた。

それでも、自分が立つ場所も残してくれている。


それが、やっぱり嬉しかった。


「にやけてます」


と横でカイルが言う。


「見てたの?」


「見える位置にいるので」


「見てないふりしてる時の方が見てるよね」


「気のせいです」


その返しが、あまりにもいつも通りで、落ち着く。


工房の外では、最初に直した結界灯が、白い光を静かに落としていた。

もう誰も、あれを怖がらない。


「リリエル」


と母が呼んだ。


「奥、見てきて」


その一言だけで、何のことか分かる。


リリエルはカイルを見る。

カイルも、もう分かっている顔をしていた。


「行こう」


「はい」


二人で工房の奥へ入る。


---


照合石は、昼より強く光っていた。


古い軌道系統の照合石。

その横に置いたノヴァ=12の記録板。

地上では普段ほとんど沈黙している二つが、今は同じように薄く明滅している。


昼の弱い外部照会が、枝線の細い一部を引き戻したのだろう。

ノヴァ=12の板は、眠りから半歩だけ浮上したように、静かなまま白を返している。


表示は、もう昼のものではなかった。


> `OUTER RELAY RECONNECT`

> `ARCHIVE LAYER OPEN`

> `SUCCESSOR AUTHORIZATION REQUIRED`


カイルが低く息を吸う。


「……強くなってますね」


「うん」


「繋ぎますか」


リリエルは、すぐには触れなかった。


工房の外から、人の声がする。

ドルフの小言。

ミナの笑い。

ノアが棚を閉める音。

父が荷台の戸を下ろす音。

母が紙を揃える音。


全部が、ここへ届いている。


それから、リリエルは結界灯の方を一度だけ見た。

最初に直した灯り。

壊れたと思って、手を伸ばした原点。


「……繋ごう」


カイルが頷く。


ノヴァ=12の記録板へ手を置き、補助起動をかける。

板の中央が白く灯った。


> `SUB-MAINTENANCE UNIT NOVA-12`

> `PARTIAL LINK RESTORED`

> `READY`


「ずっと待ってたみたいだね」


とリリエル。


> 「待機は通常動作だ」


その返しが返ってきたこと自体で、胸が熱くなる。


リリエルは照合石へ手を伸ばした。


冷たい。

けれど、応答のある冷たさだ。


白い文字が開く。


> `FOUNDATION ARCHIVE`

> `PLANETARY OPERATIONS HISTORY`

> `OPEN?`


「開く」


とリリエルが言った。


文字が崩れ、組み直され、今度は図と記録の層が流れ込んでくる。


知らない星図。

軌道リング。

降下艇。

複数の言語。

そして、ひとつの記録。


> `FOUNDATION TEAM`

> `HUMAN / EXTRA-SOLAR JOINT MAINTENANCE CORPS`


リリエルは息を止めた。


人間だけじゃない。


星の外から来た、別の種の技術者たち。

骨格の違う影。

光を帯びる皮膚。

細長い指で端末を撫でる手。

それと並んで、宇宙服に似た作業着の人間たち。


神話の神々。

天から来た守護者。

王都に残る古い壁画。

神殿が語り継いだ天啓の始まり。


あれは全部、比喩ではなかった。


本当に来ていたのだ。

この星の外から。

人間と、異星の技術者たちが。


カイルが低く言う。


「……星の外の、技術者ですね」


「うん」


リリエルは、画面から目を離せなかった。


「本当にいた」


ノヴァ=12が短く補足する。


> 「惑星初期運用は共同保守隊が担当」

>

> 「現地語への自動変換失敗。神話化」

>

> 「典型事例だ」


「典型なんだ……」


とカイル。


> 「珍しくない」


白い文字の層がまたひとつ開く。


呪文の音声列。

保守端末の起動手順。

魔法陣と呼ばれてきたものの回路構造。

杖に似た携行端末。

魔石の出力制御。

保存箱の冷却系。

結界灯の居住維持場。


全部、繋がっている。


「魔法は……」


とリリエルが言った。


声が、自分で思っていたより静かだった。


「奇跡じゃなかった。祈りの形で残った、古い運用の名残だったんだ」


カイルは何も挟まない。

そのまま聞いている。


「呪文は……音声コマンドが崩れたもの。魔法陣は回路。聖遺物は端末。神託は、オルディスの応答」


白い文字の先に、さらに古いログが流れる。


> `VOICE ACCESS DEGRADED`

> `LOCAL RELIGIOUS INTERPRETATION CONFIRMED`

> `MAINTENANCE CONTINUITY PRIORITIZED`


「壊れていても、動かす方を優先したんだ」


とリリエル。


「だから形だけ残って、意味がずれた」


そこで、胸の奥の線がひとつ繋がった。


前の生の断片。

分からないはずなのに、見た瞬間に手が覚えていたもの。

怖いのに、どこか懐かしかった操作。

祠でも、保守室でも、根元口でも、世界樹の上でも、少しずつ近づいていた答え。


けれど、ここで全部は言わなかった。


リリエルは照合石から手を離す。


「……外、行こう」


カイルは一度だけ頷いた。


---


工房の外へ出ると、結界灯の白がさっきより濃く見えた。


人の声。

紙の音。

木箱の擦れる音。

暮らしの音が、夜へ落ちる手前でまだ残っている。


リリエルは最初の結界灯の根元へ歩いた。

継ぎ目は新しい。

でも、全部を入れ替えたわけではない。

古い芯を残したまま、いまの運用に合わせて組み直してある。


それが、この世界そのものだった。


カイルが隣へ来る。


「さっきの続き、聞いてもいいですか」


「うん」


リリエルは、結界灯へ手を置いた。


冷たい。

けれど、ちゃんと手の熱が返る冷たさだ。


「わたしがあれを読めたのは、選ばれたからじゃない」


白い灯りの下で言うと、その言葉は思っていたよりまっすぐだった。


「前の生で、わたしは空の上の構造物を落とさないための仕事をしてた。宇宙工学の側の人間だったんだと思う」


カイルは黙って聞く。


「軌道。推進。構造。運用。保守。名前は違っても、見てたものは同じだった」


工房の奥で、ミナが誰かを笑って叱っている。

ドルフの声も重なる。

ノアが戸を閉めた音がした。


「だから読めた」


リリエルはようやく言い切った。


「特別だったんじゃない。ずっと、技師だったんだ」


しばらく、風の音だけがした。


それからカイルが静かに口を開く。


「話してくれて、ありがとうございます」


それだけだった。

でも、その一言の置き方が、この人らしかった。


「驚かないの?」


とリリエル。


「驚いてます」


「顔に出ないね」


「出すより、先に納得したので」


「納得?」


カイルは結界灯の白を見たまま言う。


「だから、あなたは最初からああ見えていたんだと思いました」


「どう見えてたの」


「壊れたものを見る時だけ、懐かしそうだった」


リリエルは何も言えなくなる。


自分では気づいていなかった。

でも、この人は見ていたのだ。


工房の扉が開いて、ミナが顔を出した。


「二人とも、そんなとこで静かにしてると逆に目立つよ」


「何それ」


「呼ばれてる。みんな待ってる」


言い方は軽い。

でも、目はちゃんと優しかった。


「行こう」


とリリエル。


「はい」


とカイル。


---


その夜、結界灯の下に、家族と工房の人間がなんとなく集まった。


大げさな呼びかけはしていない。

でも、気づいたらそうなっていた。


父。

母。

ドルフ。

ミナ。

ノア。

ギデオン。

見習いたち。

そして、カイル。


ネリスも遅れて顔を出した。

行商籠を置いて、開口一番こう言う。


「聞いたよ。空の向こう、売れそう?」


「最初にそれ?」


とミナが笑う。


「大事でしょ。外宇宙市場」


「あるのかなあ」


「あるなら早い者勝ち」


ネリスは本気だった。

でも、その本気が嬉しい。

未来を脅威より先に流通で考える人がいるのは、かなり救いだった。


リリエルは、みんなに全部を話した。


前の生のこと。

宇宙工学の仕事。

魔法の正体。

オルディスとノヴァ=12。

星の外から来た人々。

人間だけではない、異星の技術者たち。

そして、外宇宙共同圏から微弱な返事があったこと。


誰も、話の途中で笑わなかった。


父は最後まで黙って聞いた。

母は一度だけ目を閉じて、記録を取る手を止めた。

ドルフは腕を組んだまま動かない。

ミナは途中で二回くらい口を開けて、そのたび閉じた。

ノアは一度だけ「だからあの手順が」と呟いた。

ギデオンは紙を増やした。


ネリスは、珍しく二拍ほど黙った。

それから、いつもの顔に戻って言う。


「じゃあ、この星の最初の工房主たちは、ほんとに空から来たんだ」


「そうなるね」


とリリエル。


ネリスは頷いた。


「分かった。じゃあ売り文句が増えた」


ミナが吹き出す。


「そこでそれ!?」


「大事でしょ!」


結界灯の下に笑いが広がる。


その笑いの中で、ドルフがようやく口を開いた。


「なら、なおさらだ」


みんながそちらを見る。


「神だろうが宇宙人だろうが、結局は壊れたもんを直して使うんだろ」


リリエルは頷いた。


「うん」


「だったら、お前のやってきたことは最初から変わってねえ」


それだけだった。

でも、十分だった。


母も静かに続ける。


「奇跡じゃなくてよかったわ」


「そう?」


「再現できるなら、残せるもの」


父は鼻を鳴らした。


「娘が星の外の仕事をしてたと言われても困るが、戻ってきて灯りを直すなら、それでいい」


ミナは目を赤くしながら笑った。


「戻ってきてくれてれば、わたしはもうそれでいいよ」


ノアは短く言う。


「手順、増やします」


ギデオンは紙を閉じる。


「分類をやり直します」


ネリスは腕を組む。


「じゃあ外宇宙対応版も必要だね」


「気が早いなあ」


とリリエル。


「遅いよりいいでしょ」


その通りだった。


空の向こうへ開いても、始まりは工房の机のままだ。

人に話して、残して、渡していく。

そのやり方だけは変わらない。


リリエルは、結界灯を見上げた。


八歳の夜、あの灯りは壊れかけて見えた。

二十五歳の夜、同じ灯りは、ちゃんと次へ渡せるものに見えた。


「……選ぶよ」


とリリエルは言った。


誰に向けた言葉か、自分でも半分しか分からない。


この村に。

この仕事に。

空の向こうへ続く未来に。

そして、隣にいる人に。


「わたし、この先もやる。工房も、学院も、外の返事も。全部」


カイルが横で頷く。


「はい」


「ひとりではやらない」


「その方がいいです」


「だから」


リリエルは、そこでちゃんとカイルを見た。


「隣にいて」


カイルは少しだけ目を見開いた。

けれど、次の返事は早かった。


「います」


それで、十分だった。


リリエルは、最初の結界灯を見上げた。

八歳の夜、あの灯りは壊れかけて見えた。

二十五歳の夜、同じ灯りは、ちゃんと次へ渡せるものに見えた。


八歳の魔導技師は、未来を選んだ。


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