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魔王の娘  作者: 星空りん
39/45

38 影に潜む者 5

 王都に戻っても、空気は軽くならなかった。


 むしろ、街の音があるぶんだけ、重さがはっきりする。


 笑い声。

 荷車の軋む音。

 店先の呼び声。


 ――これが壊されたら嫌だ、という気持ちが、前より鮮明になる。


 りんは城壁を見上げて、唇を噛んだ。


 (守りたい)


 理由はそれだけで足りるのに、相手は見えない。


◇ ◇ ◇


 ギルドの応接用の部屋。


 テーブルの上には、布切れと、写し取った印と、小さな笛。

 それから、油布の欠片がひとつ。


 フィオがそれらを並べながら言った。


 「相手は柔らかい。道具が潰れたら、合図を変える。道が切れたら、別の道を作る」


 淡々とした声なのに、内容が嫌に冷たい。


 ライラが椅子にもたれた。


 「つまり、末端が一つじゃない」


 ガルドが鼻を鳴らす。


 「図に乗った末端が何人もいるってことか」


 ネネが静かに頷いた。


 「末端の魔族だけなら、ここまで揃いません。指示がある。……その上がいます」


 蓮は地図を広げた。


 村。

 村。

 宿。

 森の中継点。

 補給穴。


 点が増え、線が重なっている。


 「次は、火役を追うんじゃない」


 蓮が言う。


 「補給と指示の接点を探す。……根を辿る」


 りんはその言葉を胸の中で転がした。


 根。


 見えないけど、そこにあるもの。


 ネネが小さく言う。


 「お嬢、今日は森へ入ります。動きやすい服で」


 「うん」


 りんは頷いた。


 怖い。


 でも、足は止まらない。


◇ ◇ ◇


 森は、今日も同じ匂いをしていた。


 湿った土。

 落ち葉。

 木の皮。


 けれど、そこに混ざる匂いが増えている。


 油。

 焦げ。

 そして――人ではない、魔族の匂い。


 「……こっち」


 フィオが足を止め、杖の先を地面に当てる。


 「残り香がある。薄いけど、続いてる」


 ライラが枝の折れ方を見て、舌打ちした。


 「また目印。分かりやすいの、逆に嫌」


 蓮が短く返す。


 「誘ってる」


 ネネの耳がぴくりと動く。


 「誘いでも、道は道です。辿れます」


 ガルドが盾を背負い直した。


 「じゃあ、辿るしかねぇな」


 りんは、みんなの背中を見ながら歩いた。


 (誘われてる)


 分かってるのに、行く。


 怖いけど、行く。


◇ ◇ ◇


 途中で、痕跡が変わった。


 折れ枝じゃない。


 小石が三つ、きっちり並べられている。


 その横に、土が浅く掘られた跡。


 フィオがしゃがみ込む。


 「……道標の高度が上がってる」


 ライラが顔をしかめた。


 「調子に乗り始めた?」


 ネネが静かに言う。


 「いえ。管理する側が変わったのです。……末端ではありません」


 蓮が目を細める。


 「上が近い」


 りんの喉が乾く。


 (近い)


 その言葉が、息を詰まらせる。



 さらに進むと、足跡が混ざった。


 ゴブリンの小さな足跡だけじゃない。


 靴跡。


 人間のものに近い、けれど少し違う歩幅。


 ライラが眉を寄せる。


 「……これ、ゴブリンじゃない」


 フィオが頷く。


 「魔族の足跡。人型の」


 ネネの尻尾が小さく揺れた。


 「やはり」


 蓮は何も言わず、歩を早める。


 りんも、自然と足が早くなる。


◇ ◇ ◇


 風が止んだ。


 森が静かになる。


 その静けさの中で、かすかな音がした。


 ちん、と金属が触れる音。


 合図。


 笛じゃない。


 「……鳴子」


 フィオが呟く。


 次の瞬間、木陰から影が飛び出した。


 ゴブリン――ではない。


 人の形。


 フードを被っていて顔は見えない。

 身軽な装備。

 手には短い刃。


 動きは速い。

 でも、威圧感はない。


 強い相手じゃない。


 それが、余計に嫌だった。


 「止まれ」


 蓮の声。


 相手は止まらない。


 走り抜けるように、横へ抜ける。


 目的は戦うことじゃない。


 時間を稼ぐ。


 逃げる。


 「追う!」


 ライラが矢を放つ。


 足元を狙った矢が地面に刺さり、相手の動きが一瞬だけ鈍る。


 その瞬間、ガルドが盾で道を塞ぐ。


 「逃がすかよ!」


 フィオの術が走る。


 淡い鎖が伸び、相手の足を絡め取ろうとする。


 けれど――


 相手はそれを、ぎり、と刃で切った。


 切れる。


 「……術式の理解がある」


 フィオの声が、わずかに低くなる。


 ネネが一歩踏み込み、猫のように距離を詰める。


 「待ちなさい」


 フードの相手は、ネネの爪を避け、木の陰へ滑り込む。


 その動きが、妙に軽い。


 (末端の魔族なのに、上手い)


 りんは息を呑んだ。


 戦いは見えない。

 でも、逃げる方向だけは分かる。



 その瞬間、ライラが小さく声を上げた。


 「落とした!」


 地面に、小さな金具が転がっている。


 鳴子。


 フィオが拾い上げる。


 「……合図の本体」


 蓮が短く言った。


 「追う。近い」


 相手は逃げた。

 でも、痕跡が残った。


 りんは、自分の指先を握った。


 怖い。


 でも、ここまで来た。


◇ ◇ ◇


 逃げた方向へ進むと、森の奥に小さな建物が見えた。


 炭焼き小屋ではない。

 もっと古い。


 石が積まれ、木の扉がついている。


 「……ここ」


 ネネが呟く。


 扉は半分開いていて、中は暗い。


 蓮が合図して、全員が身を隠す。


 静かに近づき、扉の前で止まる。


 フィオが杖を立て、探知する。


 「……いない。逃げたあと」


 ガルドが舌打ちする。


 「ちっ……間に合わなかったか」


 蓮が中へ入る。


 りんも、ネネの後ろについて入った。



 中は、予想より整っていた。


 油布がまとめて置かれていた痕。

 笛の予備。

 鳴子の小さな箱。

 印が刻まれた木板。


 「テンプレ……」


 フィオが低く呟く。


 「印をここで作って、配ってる」


 ネネが木板を見て、目を細める。


 「末端の魔族が勝手に描けるものではありません。……これは“型”です」


 蓮が黙って頷く。


 ライラが壁を指さした。


 「ほら、これ」


 壁に、細い線で書かれた記号がいくつか並んでいる。


 文字じゃない。

 でも、順番がある。


 りんはそれを見て、胸の奥がざわついた。


 (命令の言葉)


 声じゃなくても、命令は届く。


 それが怖い。



 フィオが息を吐いた。


 「ここは根元じゃない。……根元の枝」


 蓮が地図を取り出し、場所に印を付ける。


 「幹は別にある」


 ネネが静かに言った。


 「それでも、ここを空にしたのは――焦っているからです」


 ガルドが唇を噛む。


 「追い詰めてんのか」


 ライラが肩をすくめた。


 「でも、まだ見えないね。顔も、名前も」


 りんは、そっと手を握りしめた。


 助けたい。


 その気持ちは変わらない。


 でも、助けたい人が増える前に――止めたい。


 りんは小さく呟いた。


 「……もう、増やしたくない」


 ネネが、りんの肩に手を置く。


 「はい。お嬢はそれでいいのです」


◇ ◇ ◇


 帰り道、森の匂いが少しだけ軽く感じた。


 錯覚かもしれない。


 でも、線の一本に手が届いた感じはする。


 フィオが鳴子を布で包みながら言った。


 「次はまた合図を変える。……でも、変えられるのは“ある”からよ」


 蓮が頷く。


 「ある場所を潰す。次は幹だ」


 ライラがふっと笑う。


 「見えてきたね」


 ガルドが盾を叩く。


 「ぶん殴る場所が増えるのはいいことだ」


 ネネは森の奥を振り返った。


 「……近いですね」


 りんは空を見上げた。


 木々の隙間の青。


 綺麗なのに、胸の奥はまだ冷たい。


 それでも。


 助けたい。


 止めたい。


 そのために歩く。


 りんは、もう一歩だけ踏み出した。


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