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魔王の娘  作者: 星空りん
31/38

30 挿話 理解できないもの(フィオ視点)

 おかしい。


 ギルドに入った瞬間、フィオははっきりとそう感じた。


 空気が重いわけでもない。

 魔力が荒れているわけでもない。


 ――なのに、測れない。


 (……いる)


 視線を向ける前に、確信だけが先に来る。


 カウンター付近。

 金色の髪の少女。


 ただ立っているだけ。

 何もしていない。

 魔力を放っている様子もない。


 それなのに。


 (……“空白”)


 本来なら、そこに輪郭があるはずだった。

 人間なら、未熟でも、癖でも、揺らぎでもいい。


 けれど、あの少女の周囲だけが、うまく掴めない。


 ――見えているのに、焦点が合わない。


 「……なに、これ」


 思わず、息に混じって声が零れた。


 (人間じゃない? ……違う)


 魔族特有の気配はない。

 瘴気も、歪みも、混ざりものも感じない。


 それなのに、人間として処理できない。


 背中に、薄く冷たいものが走る。


 (……危ない)


 恐怖ではない。

 魔術師としての、もっと原始的な警告。


 “理解できないものは、脅威になる”


 指先が、無意識に杖の柄へかかる。


 その瞬間――


 猫耳の護衛が、一歩前に出た。


 迷いのない、完全な防御位置。


 (……気づいてる?)


 次いで、肩に落ちる圧。


 「フィオ」


 蓮の声。

 低く、静かで、拒む余地のない声。


 「やめろ」


 それだけで、十分だった。


 フィオは小さく息を吐き、杖から手を離す。


 「……ごめん。ただ、あれ……」


 「後でいい」


 蓮はそれだけ言って、前を向いた。


 剣士の判断。

 リーダーの判断。


 フィオは一歩下がり、最後にもう一度だけ少女を見る。


 不安そうな顔。

 状況が分からず、立ち尽くしているだけの子ども。


 ――それが、余計に気持ち悪い。


 (演技じゃない)

 (悪意も、敵意も、今はない)


 それでも。


 (“安全”とは言えない)


 あの魔力は、制御されていないのではない。

 制御という枠の、外側にある。


 もし、感情が振れたら。

 もし、何かを「選んだ」瞬間が来たら。


 (……王都ひとつ、壊せる)


 そこまで考えてしまって、フィオはわずかに眉を寄せた。


 ――よくない。

 でも、否定できない。


 だから、目を逸らす。


 ギルド職員の判断。

 蓮の決断。

 そして、“本人が行くと言った”という事実。


 結果として、同行は決まった。


 (……厄介なの、拾ったかも)


 そう結論づけて、

 胸の奥のざわつきを押し込める。



テーブルの上には、依頼書が二枚並んでいた。


ひとつは《暁の空》。


もうひとつは――

金色の髪の少女と、猫魔族の護衛のもの。


紙の端が揃っているだけで、

場違いなものが紛れ込んだように見えるのだから、

人間の感覚というのは勝手だ。


(……新人と偵察任務を“同じテーブル”で確認する日が来るなんて)


 フィオは杖を膝の間に立て、視線だけで地図を追った。


 ギルド職員が広げた地図の上に、指が落ちる。


 「目的地は、王都から半日ほど東へ進んだ森の外れになります。ここです」


 ×印。


 そして、その周辺にさらに小さな×が三つ。


 「この周辺に、ゴブリンの巣が三つ。うち二つは、規模が大きく、今はまだ手を出せません」


 「偵察対象は、この一番西にある巣だ」


 蓮の指先が、最も小さな×を押さえる。


 「数は他より少ないが、その分、街道に近い位置にある。ここから、周辺の村や旅人を狙っている可能性が高い」


 職員が頷く。


 「今回の目的は、あくまで“偵察”と“被害の抑制”です。巣の規模や、ゴブリンの動き方を詳しく確認していただきたい」


 猫魔族――ネネが静かに口を開いた。


 「巣そのものを落とすのは、別の大規模討伐隊の仕事、ということですね」


 「その通りです。あなた方には、今後の作戦のための情報を持ち帰っていただく事が第一となります」


 「……つまり、『単独で英雄的行動はするな』ってことね」


 ライラが肩をすくめる。


 ガルドが笑った。


 「耳が痛ぇこったな!」


 金髪の少女――りんが、小さく身を縮める。


 (単独で突っ走っちゃだめ、ってことだよね。うん、ちゃんと守らないと)


 小声の独り言。


 それが、妙に“子ども”のものとして自然に聞こえた。


 フィオは、そこに違和感を覚える。


 (この子が、あの魔力の主……?)


 昨日、ギルドの入口で感じた“掴めない圧”。


 あのときは、単に強大すぎる魔力が漏れているのだと思った。


 だが、今は違う。


 目の前の少女からは、派手な魔力の放射は感じない。


 それなのに、輪郭が掴めない。


 (……隠している? 無意識に?)


 どちらにせよ、普通ではない。



 「出発は、明日の朝でどうでしょうか」


 蓮の問いに、職員が即答する。


 「はい。準備の時間も考えると、それが妥当でしょう。日が高いうちに森の手前に到達していただきたいので」


 「分かった。明日、日の出と同時にギルド前集合でいいか?」


 蓮がりんを見る。


 「えっと、はい! がんばって起きます!」


 「“がんばって”という言葉に、不安しか感じないのですが」


 ネネが間髪入れずに挟む。


 「大丈夫だよ〜。今日はちゃんと早く寝るから!」


 「お嬢、昨日と一昨日も、わりと夜更かし気味でしたけど」


 「うっ……」


 ライラがくすりと笑う。


 「まあまあ。寝坊したら、そのときはうちのガルドが肩に担いででも連れてきてくれるわよ」


 「おうよ! 一人くらいなら余裕だ!」


 「そういう問題ではないと思うのですが……」


 会話の温度が、ほんの少しだけ緩む。


 フィオは笑わない。


 笑えなかった。


 (……この空気のまま、森に入るのか)


 “いつもの偵察”なら、それでいい。


 だが今回は、そこに未知が混じっている。


 しかも、その未知は――敵意より先に、善意の顔をして座っている。


◇ ◇ ◇


 解散の流れになって、席が引かれる。


 椅子の脚が床を擦る音。


 職員が地図を畳み、依頼書をまとめ、蓮が立ち上がる。


 フィオは最後に、りんを見る。


 少女は、どこか落ち着かない手つきで依頼書の端を撫でていた。


 怖いのだろう。


 それでも、目は逸らしていない。


 (怖がれるのは、健全だ)


 そう思った直後に、また別の思考が割り込む。


 (でも、“怖いのに行く”のは……厄介だ)


 覚悟を決めた人間は、止めづらい。


 それが、無邪気な子どもであればなおさら。


 フィオは一度、視線を切って席を離れた。


 ここから先は、準備と段取り。


 そして明日――森。


◇ ◇ ◇


 翌朝。


 ギルド前に立った瞬間、フィオは空気の“密度”を探した。


 まだ朝の色が薄い。


 吐く息が少し白い。


 隊列の癖を確認するように、蓮、ライラ、ガルドの位置を見る。


 そして最後に――


 「おはようございます!」


 金色の髪が揺れて、りんが駆け寄ってきた。


 遅れない。


 寝坊しない。


 それだけで“普通の新人”の範囲に入るはずなのに。


 フィオの感覚は、昨日の違和感を思い出してしまう。


 (……やっぱり、濃い)


 ただ立っているだけで、空気がわずかに歪む。


 “漏れている”のではない。


 “そこにある”だけで、周囲の魔力の流れが変わる。


 それは炎でも水でもなく、もっと別の――


 (……結界に近い?)


 理屈を立てようとした瞬間、蓮が声を出した。


 「では、行こうか」


 隊列を組む。


 りんとネネを中央に置き、フィオは後方寄り。


 (最後尾は、見張りと回収役)


 何かあれば、逃げ遅れを拾う。


 そして――問題が“内側”から起きたとき、最初に手を出せる位置でもある。


◇ ◇ ◇


 城門を抜けると、風が変わった。


 王都の外は、広い。


 空も、音も、匂いも、余白が多い。


 余白が多いぶん、危険が入り込む。


 フィオは、歩きながら森の方向へ意識を伸ばした。


 魔力探知。


 遠くの“濁り”を拾う。


 ゴブリンの群れは、薄く、散っている。


 まだ巣は遠い。


 だが――


 (……この子は、どこまで感じている?)


 フィオは、りんの背中を見る。


 彼女はきょろきょろと周囲を見回し、時々、手を握っては開いている。


 怖いのだろう。


 それでも、歩幅は乱れていない。


 (怖いのに、崩れない)


 そこが一番、危うい。


 怖いなら、引き返せる。


 怖いのに、踏み込むなら――何かを“選ぶ”可能性が生まれる。



 森の手前。


 木々が濃くなり、光が落ちる。


 蓮が言う。


 「ここから先が、本格的な“ゴブリンの縄張り”だ」


 「足音を小さく。話すときは短く、静かに」


 隊の呼吸が揃う。


 フィオは、自分の心拍がいつもより少し速いことに気づいて、舌の裏で小さく舌打ちした。


 (……落ち着け)


 未知に反応するのは、魔術師の癖だ。


 “分からない”を嫌う。


 だからこそ、最悪を想定し、備える。


 フィオは杖の握りを変え、術式をひとつ頭の中で組んだ。


 拘束。


 遮断。


 そして――もしものときの、沈黙。


 (できれば、使いたくない)


 だが、使う日は突然来る。


 そしてその引き金は、ゴブリンとは限らない。


 フィオは一歩、森へ踏み込みながら、りんの背中から目を離さなかった。


◇ ◇ ◇


 枝が折れる音。


 蓮の手が上がる。


 全員が止まる。


 ――影が見えた。


 ゴブリン。


 三匹。


 この距離、この数なら、危険は小さい。


 だが、フィオの意識は敵よりも先に“味方側の異常”を拾ってしまう。


 りんが、目を逸らさない。


 怯えたまま、見ている。


 (……あの子は、ここで何を覚える?)


 戦いの速度。


 武器の音。


 命が落ちる瞬間。


 それを見て、魔力が“揺れる”かもしれない。


 フィオは最短の術式を組み、逃走する個体の足元へ視線を落とした。


 拘束。


 逃がさない。


 そして、戦闘を短く終わらせる。


 (長引かせるな)


 (余計な感情を乗せるな)


 それは仲間を守るためであり、同時に――りんの中の何かが“決まってしまう”のを防ぐためでもあった。


 フィオは静かに息を吐く。


 「動いちゃ、だめ」


 光の鎖が走る。


 ゴブリンが転び、転がり、叫ぶ。


 蓮の剣がそれを終わらせる。


 静かになる。


◇ ◇ ◇


 終わったあと。


 りんが前へ出る。


 (来るな)


 喉まで出かけた言葉を、フィオは飲み込んだ。


 言えば、余計に意識させる。


 止めれば、反発を生む。


 りんはしゃがみ込み、手を合わせる。


 「もう、痛いのはおしまい。こわいのも、おしまい」


 金色の光。


 温度のある光。


 “回復”に似ているが、回復ではない。


 痛みだけを剥がすような、輪郭のない癒し。


 (……やっぱり普通じゃない)


 フィオの背中に、冷たい汗が一筋落ちた。


 優しすぎる。


 そして、広すぎる。


 敵味方の境界を、本人が気にしていない。


 (境界を気にしない力は、いずれ……)


 “選ばない”からこそ、怖い。


 “選ばない”まま、世界を変えてしまうから。


 フィオは目を細め、りんの光が消える瞬間を見届けた。


 そして、わざと平静な声で言う。


 「……上手、だね。制御」


 評価に見せかけた、観察の言葉。


 りんが顔を上げる。


 「そう、かな」


 無自覚。


 危険なほどに。


◇ ◇ ◇


 巣を見つける。


 数。


 動線。


 罠。


 見張り。


 全てを記録して、引く。


 それが偵察。


 それが正解。


 だからこそ、フィオは確信する。


 今日の任務で本当に記録すべきものは――ゴブリンの巣だけではない。


 (“この子が、何を見て、どう感じたか”)


 そして、どんな瞬間に魔力が揺れるのか。


 どんな言葉に反応するのか。


 どこまでが無邪気で、どこからが“決定”になるのか。


 フィオは歩きながら、ひとつ結論を心に置いた。


 (まだ敵じゃない)


 (でも、味方とも決めない)


 決めるのは、彼女が“選んだ”あとでいい。


 そのとき自分は、止める役なのか、支える役なのか。


 ――どちらにしても、遅れない位置にいる。


 森の入口へ向けて、フィオは静かに杖を握り直した。


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