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魔王の娘  作者: 星空りん


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29 準備期間と、ちいさな違和感

 王都の朝は、思っていたよりもにぎやかだった。


 宿の窓から差し込む光と、通りを行き交う人々の声。


 りんはベッドから起き上がり、軽く伸びをする。


 「今日もいい天気だね」


 「ええ。外出には向いています」


 ネネはすでに身支度を整え、窓辺で外の様子を確認していた。


 「今日はどうされますか、お嬢」


 「うーん……」


 りんは少し考える。


 「昨日は偵察で、今日は打ち上げの翌日だし……」


 「しばらくは“準備期間”かな」


 「準備、ですか」


 「うん。冒険者として、ちゃんと王都に慣れておきたい」


 ネネは一拍置いてから頷いた。


 「では、人通りの多い場所を中心に回りましょう。無理は禁物です」


◇


 朝食を終えた二人は、王都の通りをゆっくりと歩いた。


 雑貨通り。


 食べ物屋台。


 布地を扱う店。


 昨日よりも、景色が少しだけ近く感じられる。


 「ここ、昨日ライラが言ってたお店かな?」


 りんが立ち止まる。


 「可愛い飾りですね」


 「ね!」


 しばらく店を眺めてから、二人は通りを抜け、少し裏手の道へ入った。


◇


 そのときだった。


 「……っ」


 ネネが、ほんの一瞬だけ足を止める。


 「どうしたの?」


 「……いいえ。気のせいかもしれません」


 だが、ネネの視線は路地の奥を捉えていた。


 りんもそちらを見る。


 荷車の陰で、何かが動いた気がした。


◇ ◇ ◇


 路地を抜けた先は、小さな広場だった。


 人通りは少なく、商人が荷物を整理している。


 その中央で、ひとりの男性が困った様子で立ち尽くしていた。


 「……あの」


 りんが声をかける。


 「どうかしましたか?」


 男性は振り返り、焦ったように言った。


 「財布を……盗まれたみたいで」


 「え?」


 「さっきまで確かに持っていたんですが……」


 ネネが静かに周囲を見渡す。


 「お嬢、少し後ろへ」


 「うん」


 その瞬間。


 「――ちっ」


 低い舌打ちとともに、荷車の陰から人影が飛び出した。


 布で顔を隠した男が、逃げるように駆け出す。


 「盗賊ですね」


 ネネは即座に判断した。


 「りん、下がって!」


 「だ、大丈夫!」


 りんは慌てて言う。


 「追いかけなくても……」


 だが、盗賊はすでに路地へと消えかけていた。


◇


 次の瞬間。


 ネネの姿がぶれる。


 猫のように地を蹴り、音もなく距離を詰める。


 「――っ!?」


 盗賊が振り返ったときには、もう遅かった。


 足を払われ、地面に転がる。


 「な、なんだお前――」


 「静かに」


 ネネは短く言い、相手の腕を押さえつけた。


 力は最小限。


 だが、逃げる余地はない。


 「う、動けない……」


 りんが小走りで近づく。


 「その……返してあげて?」


 「……はい」


 ネネは盗賊の懐から財布を取り出し、無言で差し出した。


◇ ◇ ◇


 騒ぎを聞きつけ、周囲に人が集まり始める。


 「どうした?」


 「盗みだ!」


 「冒険者か?」


 通報されたのか、ほどなくして衛兵が到着した。


 盗賊は引き渡され、連行されていく。


 財布を盗まれた男性が、何度も頭を下げた。


 「ありがとうございます……本当に……」


 「い、いえ……」


 りんは少し照れたように答える。


 「困ってる人、放っておけなくて」


 男性は目を丸くした。


 「……優しい方だ」


◇


 人が引いてから、りんは小さく息を吐いた。


 「びっくりしたね……」


 「ええ」


 ネネは周囲を確認しながら言う。


 「ですが、魔物ではなく、人でした」


 「うん」


 りんは少し考える。


 「悪いことする人って……どこにでもいるんだね」


 「そうですね」


 ネネは静かに答える。


 「だからこそ、線引きが必要なのです」


 「守るものと、止めるものの」


 りんは頷いた。


 「……昨日の森とは、違う感じだった」


 「はい」


 「でも」


 りんは空を見上げる。


 「それでも、見過ごせなかった」


◇ ◇ ◇


 広場には、少し気まずい静けさが残った。


 「……大丈夫でしたか?」


 声をかけられて、りんが振り向く。


 そこに立っていたのは、暁の面々だった。


 「蓮……?」


 「やっぱり」


 ライラがりんとネネを見て、少し驚いたように目を瞬かせる。


 「こんなところで会うなんて」


 「何があった?」


 蓮の視線が、広場の様子を一瞬で見渡す。


 倒れたままの荷車。

 少し乱れた地面。

 まだ動揺の残る周囲の人々。


 「盗み、か」


 短く状況を理解する。


 「……うん」


 りんは少しだけ肩をすくめた。


 「財布、盗まれた人がいて」


 「ネネが止めた」


 ネネが一礼する。


 「小規模な盗賊でした。被害は未然に防げています」


 ガルドが目を丸くした。


 「え、これ……二人で?」


 「はい」


 ネネは淡々と答える。


 「追撃は必要ありませんでしたので」


 「……すげぇな」


 ガルドが素直に感心する。


◇


 ライラが、りんの顔を覗き込む。


 「怖くなかった?」


 「怖かった」


 りんは正直に言った。


 「でも……放っておけなかった」


 フィオが小さく息を吐く。


 「街中の事件は、森より判断が難しい」


 「力を出しすぎれば問題になるし、出さなければ被害が出る」


 「よく止めましたね」


 蓮がりんを見る。


 「戦ってないのが、特に」


 「……止めただけ、だよ」


 「それができるのが、一番難しい」


 蓮はそう言い切った。


◇


 被害に遭った男性が、再び頭を下げる。


 「本当に、ありがとうございました」


 ライラがにこっと笑って答える。


 「冒険者ですから」


 「こういうのも、仕事のうちですよ」


 りんは、その言葉を胸の中で反芻した。


 (……これも、冒険)


◇ ◇ ◇


 その後、暁と合流したまま、通りを歩くことになった。


 「今日は依頼は入ってないの?」


 りんが聞く。


 「今日は街で補給と休養」


 蓮が答える。


 「だから、こうして歩いてた」


 「そしたら、事件に出くわした」


 ガルドが笑う。


 「運がいいのか悪いのか」


 「でも」


 ライラがりんを見る。


 「街での出来事も、ちゃんと覚えておくといいよ」


 「森と違って、人が絡むから」


 「正解が一つじゃないの」


 りんは、ゆっくり頷いた。


 「……うん」


◇


 ネネが、少しだけ歩調を落としてりんの隣に来る。


 「お嬢」


 「なに?」


 「今日の判断は、間違っていませんでした」


 「……ほんと?」


 「はい」


 「力を振るう前に、人を見る」


 「それができたのは、大きな一歩です」


 りんは、少し照れたように笑った。


◇ ◇ ◇


 この日、りんは知った。


 冒険は、森の中だけにあるわけではないこと。

 剣や魔法を使わなくても、守れるものがあること。


 そして。


 それを“冒険”だと認めてくれる仲間が、すでにそばにいることを。


⸻

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