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魔王の娘  作者: 星空りん
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28 初めての打ち上げと、小さな棘

 ギルドの奥に設けられた応接用の広いテーブルには、地図と報告書が広げられていた。


 夕方の光が高い窓から差し込み、紙の上にいくつもの影を落としている。


 蓮は地図の上に指を置き、淡々と説明を続けていた。


 「ここが確認した巣の入口です。見張りは三体。簡易的な罠が二か所」


 彼の指がゆっくりと別の位置へ移動する。


 「奥に広場状の空間があり、生活痕は新しい。周囲に小規模な巣が点在している可能性があります」


 受付嬢とギルド職員が頷きながら、手早くメモを取っていく。


 「全員、無事に帰還」


 蓮が短く締めくくる。


 「偵察としては、十分な情報が揃いました」


 職員のひとりが顔を上げた。


 「確認しました。今回の任務、評価は上々です」


 受付嬢も、にこやかにりんへ視線を向ける。


 「初任務でここまでできる方は、そう多くありませんよ」


 「本当に、おつかれさまでした」


 りんは、少し照れたように肩をすくめた。


 「ありがとうございます……」


 嬉しい。


 けれど、その奥で、胸に小さな引っかかりが残っている。


 森の奥で見た、簡素な巣。


 逃げ場を失ったゴブリンたち。


 自分の放った光で、“楽にしてしまった”こと。


 (ちゃんと、冒険者した……はずなのに)


 そんな気持ちを、りんはまだ言葉にできずにいた。


 蓮が最後に視線を上げ、全員を見渡す。


 「今回の目的は“倒すこと”じゃない」


 「“知ること”だった」


 「それは、ちゃんと達成できた」


 静かな声だったが、不思議と背中を押される言葉だった。


 「だから今日は──胸を張って休もう」


 その瞬間、ガルドが大きく手を叩いた。


 「よし! じゃあ今日は打ち上げだな!」


 りんは目を瞬かせる。


 「う、打ち上げ……?」


 ライラが笑顔で近づいてきた。


 「新人歓迎も兼ねてね。ほら、行きましょ?」


◇ ◇ ◇


 ギルド併設の酒場は、夕食時ということもあり、にぎやかな空気に包まれていた。


 笑い声。


 食事の香り。


 木製のテーブルを叩く音。


 (……ほんとに、物語の中みたい)


 りんはきょろきょろと辺りを見回す。


 ガルドが大きなジョッキを掲げた。


 「今日の偵察任務成功と、新人りんの初仕事に──乾杯!」


 「乾杯!」


 りんは甘い果実の飲み物を手に、少し遅れてグラスを合わせた。


 「……こういうの、本当にやるんだ……」


 思わず呟くと、ライラが楽しそうに笑った。


 「でしょ? 無事に帰ったら、ちゃんと祝うの」


 ネネはりんの隣に座り、周囲を静かに警戒しながらも、口元だけは緩めている。


 「お嬢、お酒は飲めませんからね?」


 「分かってるよ」


 「そのおつまみは辛いので、やめておいた方がいいかと」


 「……じゃあ、こっち」


 そんなやり取りに、自然と笑いが生まれた。



 しばらくして、りんは席を立ち、酒場の外へ出た。


 夜風が頬を撫で、少しだけ頭が冴える。


 「……人、多いなぁ」


 そう呟いたとき、隣に気配を感じた。


 「疲れたか?」


 振り向くと、蓮が水桶を手に立っていた。


 「ううん。ちょっとだけ……考え事」


 りんは正直に答える。


 「怖かったけど……行けてよかったのか、まだよく分からなくて」


 蓮は夜空を一瞬見上げた。


 「怖いって思えるのは、いいことだ」


 「え?」


 「怖くないって言い張る新人ほど、無茶をする」


 彼は視線を戻し、りんを見る。


 「怖いって思いながら、それでも立ってた」


 「それだけで、十分信用できる」


 胸の奥に刺さっていた小さな棘が、少しだけ溶けた気がした。


 「……ありがとう」



 席に戻ると、ライラがすぐに声をかけてきた。


 「そういえば、りん。明日予定なかったら、雑貨通り行かない?」


 「雑貨?」


 「可愛いお店、ちゃんとあるのよ」


 「行きたい!」


 即答だった。


 ライラがくすっと笑う。


 「よかった。じゃあ、昼過ぎに待ち合わせね」


 ガルドが大きく頷く。


 「なら、肉のうまい店も案内してやる」


 「甘いものも!」


 「欲張りだな!」


 笑い声が弾み、テーブルの上の空気がまた少し和らいだ。


 フィオは一拍置いてから、静かにりんの隣に腰を下ろす。


 「あのときの光……」


 りんはグラスを置き、視線を向けた。


 「普通の回復魔法とは、少し違いました」


 「えっと……」


 りんは少しだけ考える。


 「“痛いの、やだろうな”って思ったら……自然に、ああなった感じで」


 フィオはそれ以上踏み込まず、短く息を吐いた。


 「……なるほど」


 (理屈では説明できない)


 (けれど、少なくとも――悪意はない)


 その判断だけを、胸の奥にしまう。


◇ ◇ ◇


 打ち上げが終わり、ギルドの外に出ると、夜の王都はすっかり静まり返っていた。


 石畳に灯りが映り込み、昼間よりもやわらかな景色に見える。


 「今日はここまでだな」


 蓮が言い、軽く頭を下げた。


 「次は、また依頼で一緒になるだろう」


 「うん。そのときは、よろしくね」


 りんがそう言うと、ガルドが豪快に手を振る。


 「次はもっと気楽な仕事だといいな!」


 「気楽って言いながら、危ないの持ってくるんでしょ」


 ライラが呆れたように笑う。


 「じゃあ、またね。雑貨通り、忘れないで」


 「忘れない!」


 そうして暁の面々と別れ、りんとネネは宿へ向かって歩き出した。


 行きよりも、王都の夜が少しだけ近く感じられる。


 「暁のみんな、頼もしいね」


 りんがぽつりと言う。


 「ええ」


 ネネは即答した。


 「仕事として同行していましたが……それ以上に、お嬢を気に入っている様子でした」


 「りんも、好きだよ」


 「安心できる感じがする」


 ネネは一瞬だけ視線を逸らし、それから歩幅をほんの少し詰める。


 (それでも)


 (お嬢の一番そばにいるのは、自分でありたい)



 宿の部屋。


 りんは靴を脱ぐと、そのままベッドにごろんと転がった。


 天井を見上げると、今日一日の光景が、ゆっくりと頭の中を巡る。


 森の空気。


 静まり返った巣。


 倒れていた影。


 「今日ね……」


 りんはぽつりと呟く。


 「全部どうにかしなきゃって、ちょっとだけ思っちゃった」


 「はい」


 ネネは否定しなかった。


 「でも、一歩ずつじゃないと……無理なんだよね」


 「その通りです」


 ネネは穏やかに頷く。


 「一度に世界を変えようとしなくていいのです」


 「お嬢が“嫌だな”と思ったことを、少しずつ変えていけば」


 「それで十分です」


 りんは目を閉じる。


 「……また、あの巣に行くことになる気がする」


 「そのとき」


 ネネは静かに続けた。


 「今日より、少し強くなったお嬢が、そこにいるでしょう」


 「……そうだといいな」


◇ ◇ ◇


 このときのりんは、まだ知らない。


 今日“ただ見に行っただけ”のゴブリンの巣が、

 やがて彼女自身の選択によって、大きく姿を変えていくことを。


 胸に残った小さな棘は、消えないまま。


 けれど、それは痛みではなく、

 前に進むための違和感だった。


 眠りにつく直前、りんはそう思った。


 (逃げないで、ちゃんと向き合おう)


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