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可惜夢の客人 1

 放課後の学園内の雰囲気につい眉間に皺を寄せる。微かに橙に染め上げられる校舎は自分の盛大な失敗を想起させた。ニコラシカとシャングリアに企みを看破され、無様に床に這い蹲った思い出はいまだ鮮明に思い出すことができる。



 「ああ、そうですね。どうせなら同郷の方と話してはいかがでしょう」



 そう言いだしたのは男装の麗人、グナエウス王国の第二王子であるシャングリア・グナエウスであった。

 美しく朗らかで、力強く輝かしい人。

 しかしその実の姿は狡猾で冷徹、兄妹揃って冷酷無比な王子だった。

 幻想はとうに穿たれてなお、今の俺にとっては唯一の蜘蛛の糸であった。



 「同郷、ですか。他に誰かボンベイ王国の者をご存じなのですか」



 留学生である俺の同郷者は主であるニコラシカ・アレクサンドロヴィチ・ボンベイ、それから一緒に来たストラースチだ。ニコラシカとストラースチは同じ屋敷で過ごしているため、今更こんな話はしないはずだ。



 「いえ、そちらではなく。ニホンの話です」

 「……は?」

 「あれ、違いました? あなたもニホンから来たものとばかり思っていました。いや、発音が悪かったんですかね」



 ニホン、日本。

 イントネーションが少し違うが、それは間違いなく俺の祖国の名だった。

 生まれてこの方、一度たりとも聞いたことのない単語。世界地図を探せども決して見つからない小さな島国の名を、この物語を生きるキャラクターが口にした。



 「ど、どうしてあなたが日本を……!?」

 「ニホン、日本。そう、その発音でした。やっぱりあなたもその国のご出身ですよね」



 天変地異を味わう俺とは対照的に、シャングリアはまるで興味なさそうに一瞥をくれた。



 「だから言ったでしょう。『同郷の方』と話しては、と」



 同郷。ボンベイ王国ではなく、日本出身者が今もこのグナエウス王国にいる。

 もう並大抵のことでは動じまいという決意はあっという間に叩き壊される。何とか平静を取り戻そうと咳ばらいをしてみる。

 彼女の様子はただただ淡々としている。動揺する俺を揶揄うでも、小馬鹿にするでもない。シンプルに、俺に対する興味がないように見えた。

 であれば、この話の主題は俺ではない。



 「……その方は、この国の重鎮かどなたかですか?」



 であればその同郷というのは彼女が心を傾けるに値する人物。そう思い尋ねるがあっさりと笑い飛ばされた。



 「まさか! まったくそんなものじゃありませんよ。貴族ではある。けれど大きな影響力を持ってるでも何でもない。私たちと同じ、ただの学生です」



 迷いなく学園を突き進む彼女を追う。ぐるぐると思考を巡らすその最中、案外この第二王子の歩幅は自分より小さいのだ、なんてくだらない発見をした。



 「あなたも会ったことがあるはずです。まあ今となっては割と普通の生徒として過ごしているので、そう目立つこともないとは思いますが」

 「今となっては……?」



 彼女の物言いに微かな違和感を覚える。

 今となっては、ということは以前は「普通の」生徒ではなかった、ということだろうか。しかしながらここにしばらくいて、悪目立ちするような生徒や、そういった生徒がいた、という話は聞いていない。

 俺が会ったことがある。同郷。かつては目立っていた。第二王子が時間と手間を砕くに値する人物。

 目的の場所についたからか、シャングリアはある一室の前で足を止めた。


 ベージュに金装飾の看板には関係者以外立ち入り禁止の文字。おそらく予約制のサロン用個室なのだろう。少なくとも、俺たちには縁がない。しかし彼女はためらいなくその部屋の扉を叩いた。



 「お客さんをお連れしましたよ」

 「え、おきゃくさ、え!? お客さん!?」



 扉の向こうから若い女の声と何かにぶつかる音。一体どういうつもりか、とシャングリアを見るが彼女はこちらに視線をくれることすらなく、ただ中にいる人物が出てくるのを待っていた。

 しばらくすると中の足音が近づいてきて、内側から扉が開けられた。



 「お、お待たせいたしました……」

 「あ、アドリア嬢……!?」



 丸い目をさらに丸くする同級生に俺はすぐに言葉が出てこなかった。

 ヘレン・アドリア男爵令嬢。可愛らしくあどけない少女。シャングリアとシュトラウスの婚約者であるミオス嬢の肝いり。

 そして俺がかつて特に大きな意味もなく、身を危険にさらし、オークションの商品にされた少女だった。




 「それじゃあ私はこれで。積もる話もあるでしょう」


 そんな捨て台詞を残して、彼女は俺を部屋に放り込んで姿を消した。目に入った入り口すぐのテーブルの上に置かれた部屋の予約表には今から1時間半もの時間が確保されていた。

 当事者たるアドリア嬢は所在なさげに視線と手を彷徨わせた後、俺に座るよう勧めてきた。言われるがままふかふかの革のソファに腰かけると、彼女は慣れない手つきでお茶を入れる。

 思えば彼女とこうして顔を合わせるのはオークションの時以来だった。

 弁明するわけではないが、忙しかったのだ。オークション直後は正直ニコラシカ王配計画まっただ中であったし、その計画がご破算になったあとは、これから俺たちが生きていくための根回しを必死に行っていた。

 要するに、俺はまだ彼女に謝れていないのだ。



 「ええと、ようこそ、ソーヴィシチさん。今日は、シャングリア殿下にここへきて客人をもてなすように指示を受けているのですが……」



 しどろもどろになりながら現状説明しだす彼女に思わず呆れる。いくら戸惑っているとはいえ、その内容を客である俺に話すのか、と。そしてシャングリアは恐ろしく言葉足らず。ただし、彼女は間違いなく確信犯だろうが。



 「……状況はなんとなくわかりました」

 「さ、さすがです!」

 「ではここからは、お互い正直に話しませんか?」

 「正直に……?」



 わかりやすく頭に疑問符を飛ばすアドリア嬢にため息をかみ殺した。

 普段1を話して10を知るような人物たちとばかり話しているせいか、彼女のテンポにやきもきとする。

 しかし今の俺はそんなことを言えるような立場ではないのだ。

 そもそもこの彼女は、俺が書いた日記のことを少なからず知っているのだ。



 「僕は、あなたに話さないといけないことがあります」

 「え、ええ、なんのことでしょう」

 「俺の、日記を読んだそうですね」

 「え、ええっ!」



 半ば悲鳴のような声を上げるアドリア嬢をじっと見る。

 本当にシャングリアは何も言わずアドリア嬢のことを放り出したらしい。であれば彼女に俺は一から説明しなければならないのか。



 「……あれ、あなたの日記だったんですね」

 「知らなかったのか」

 「ええ、てっきりニコラシカ殿下のものだと勘違いしていました。ソーヴィシチさんのものだったんですね」



 自分自身を落ち着けるように彼女は震える手でティーカップを煽った。令嬢らしからぬその姿に、彼女は完全にはこの世界に馴染んではないのだと知る。



 「正直に、話す。だからあなたも正直に話してほしい。……俺は日本で生きる大学生だった。それから死んだ。気が付いたらこの世界にいた。ソーヴィシチ・マルロフ。ギャルゲの名前すらないはずのモブとして、俺は生まれた」



 絞り出すように、仕舞い込んでいた自分のルーツを提示した。まさか自ら口にする日が来るとは思わなかった。誰にも理解されない、非現実的な話。舌が震えそうになるのを抑えながら言い切り、彼女を見た。どうせまたてんぱっているのだろう、そう思っていたのに、彼女の手の震えは収まっていた。ヘーゼルの瞳は俺を射抜くように凝視していた。



 「……丸本聡一。それが俺の本名だった」

 「まるもと、そういち、くん」



 彼女の口が静かに俺の名前を復唱する。何の違和感もない、イントネーションに本当に彼女は俺と同じように、日本で暮らしてきた人間なのだと思い知る。

 もう二度と呼ばれることがないはずの名前は、どうしてか今も耳に馴染んだ。

 もはや自分の名前だとは認識していないと思っていたのに、何年たとうと、それは俺の名前らしかった。



 「……改めて、私はヘレン・アドリア。元商家の男爵家の一人娘。元の名前は、瓜子すずめ。日本で生まれ、死んだ。そうして私は乙女ゲーム『手のひらのブルームーン』の主人公、ヘレン・アドリアになったの」



 うりこ、すずめ。

 音だけでは漢字はわからない。けれどあえて知りたいとも思わなかった。



 「同じ世界でも、ゲームは違うんだな」

 「うん。多分『手のひらのブルームーン』のあとに出されたのがギャルゲの方なんだと思う。私もそっちは知らないけど」



 おどおどとしてはいるが、さっきまでとは少し雰囲気が違った。

 気が緩んでいる。おそらく同郷で自身と同じような立場の人間に会うことができたからだろう。

 俺自身、もし自分と同じ状況の人間に会えたなら、と夢想したことは一度は二度ではない。子供のころから、飽きるほどに考えていた。自分と同じ世界から転生してきた誰かと一緒に、この世界を生きる。二人いれば、きっと孤独感なんてない。得も言われぬ既視感と絶望感だって耐えられるはずだって。

 だが実際、こうして目の前に相対してみれば、胸中を埋めるのは吹きすさぶような落胆だった。

 勝手な話だとは理解している。

 勝手に期待して、勝手に落胆した。それだけの話だ。


 取るに足らない男爵令嬢。王女殿下から気に入られているだけの、女主人公。俺の企みにもまんまとはまって、利用され、搾取されることしかできないか弱い女。



 「……乙女ゲームってことは、主人公のあんたは誰かを攻略したのか?」

 「ううん。誰も。私は上手にプレイできなかったよ」



 落胆した風もなく、彼女は思い出話でもするように答えた。

 出されたうまくもまずくもない紅茶を流し込みながら彼女のことを観察する。

 見た目は、確かに可愛らしい。シャングリアのような美しさやこの国の公爵令嬢のような華やかさはないが、素朴で愛嬌のある顔。要するに、よくある女主人公の顔だ。

 彼女は「上手にプレイできなかったよ」と答えた。ということはゲームのようにプレイしようとして、失敗したということだろう。主人公という、絶対的なアドバンテージを持っておきながら。



 「私なりに頑張っては見たけど、何もうまくいかなかった。主人公になっても、私は結局私だった。女主人公の皮を被っただけの、瓜子すずめだったんだ」

 「あんたは、前世とそう変わらないのか?」

 「……そうだね。女主人公になりきろうとして、盛大にすっ転んだ。ことごとく、シャングリアさまに看破されて、全部暴かれて……そのうえで私は、あの子に助けられた」



 君もそうでしょ、と言われ、俺は否定も肯定もしなかった。

 端的に言って、一緒にされたくなかったのだ。

 確かに、俺はシャングリアに完全敗北した。いや、日記を拾われた時点で完全に詰んでいたと言えば詰んでいたのだが、それでも日記はメモ書き程度で不完全だった。十分ごり押しすることもしらを切ることもできた。けれどもそのうえで、俺は無様に負けたのだ。しかも利用するという名目で助け船すら出された。


 だが正直、この目の前の能天気そうな女のようにあっけらかんと感謝してみせる気も、感嘆してみせる気もさらさらなかった。


 物語が終わろうとも、自分の思い描いたシナリオが破り捨てられても、それでも俺の人生は、ニコラシカの人生はまだまだ続くのだ。


 ある一つのルートが頓挫したとしても、俺たちは生きなければならない。生きていくと決めたのだ。こんな風に能天気に思い出に浸りながら彼女の名を呼ぶこの女と、一緒にされたくはなかった。

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