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# 4:「ランプ」


 俺は立ち尽くして、稲穂の海に消えていくリジーを見つめていた。

 頭上の夜空では、『ヒュー』の緑色の光が瞬きながら消えていくところだった。

「……………!」

 彼女の姿は、完全にマチの境界の向こうへと消えた。

 やがて稲穂の海は普段の草地へと姿を変えていった。

 集まっていた老人たちも皆、惚けたように立っていた。


 俺の名はランプ。

 見かけは少年のそれだが、実はすでに百歳を超えている。

 このホシに次元転位してきた宇宙輸送船「ディスカバリー」とその周りに出来た

このマチでは、不条理なことがよく起こる。ヒトは皆ある程度で成長が止まり、そ

れ以降はずっと寿命が続く。事故死や病死はあるが老衰死は存在しない。俺の場合

はその次元転位ーーヒトはトランスと呼ぶーーの時点で少年で、程なくして成長が

止まった。その後百年が過ぎ、俺は精神が老人で体が子供の状態になった。それを

悩んだ時期もある。荒れた時期もあった。だが今は他の多くと同じ様に、それを受

け入れて暮らしている。

 他にも、このマチには多くの謎がある。何故、トランスの様な事件が起こったの

か。その前はこの船は何をしていたのか。

 更に言えば、マチを取り巻く環境は時に瞬間で変わることがある。マチのあちこ

ちでは、時々モノが現れては消えていく。俺のはたまたま動いていないが、多くの

ヒト達の手の甲には生体的な紋章の様な端末ーー通称「ファントム」があって日々

の通信に利用されているがその存在理由は?そしてマチの周りは地中や空中も含め

て見えない境界が取り囲んでいて、それに触れたものは消えてしまう。その為、誰

もマチの外には出られない。だがそれを超えてくる白く光る謎の少年、『ヒュー』。

そしてそいつが連れてきた、初めて境界を越えて向こう側に行った旧インド系の女

性、リジー。

 謎だらけのこのマチで、俺たちはずっと生き続けている。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 あれから、しばらくマチはリジーの話で持ちきりだった。

 俺が普段働いているマチで唯一のバー「ベルリン」でもそれは同様だった。

「あのリジーは神の使いだったんじゃ」

「いや、悪魔の化身かも知れん」

「あの光るガキ『ヒュー』の回し者かも」

「じゃが……、いい子じゃった」

 色んな意見があった。

 だが皆に共通していたのは、「あの時見た稲穂の海は、そんなことはどうでもよ

くなる程綺麗だった」ということだった。

 普段マチの周りにある草原は、耕作地には向かない。環境はすぐ変わるし、油断

すればすぐに境界に触れてしまうからだ。なのでマチのヒト達は植物プラントで作

られた穀物や野菜しか普段は目にすることは無い。だからなのか、俺たちの中には

ああいった荘厳な自然に対する憧れや畏敬の念みたいなものがやっぱりあるのだと

思う。

「あれを刈り取ってパンでも作れたらな」

「うまいじゃろうのう……」

「ウチの合成パンで悪かったね」

 と言ったのは今の「ベルリン」のマスター、キャメロンだ。このマチに生まれた

新世代の黒人青年で、俺を含めてかなり年上の老人達をうまくあしらいながら店を

取り仕切っている。

「い、いやいや」

「これはこれで味があってだな……」

「どーだか」

 キャメロンは拗ねて見せながらグラスを磨いている。

 いつもの軽やかな感じだった。

 俺は少し笑んでいた。

「……じゃ配達、行ってくるよ」

「あぁ、よろしく」

 俺はキャメロンに声をかけてから、ワインの木箱を抱えて外に出た。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 今日は暑かった。

 今マチを取り巻いているのは草原ではなく砂漠で、熱波がじわじわとマチを焼い

ている様だった。こういうことは初めてでは無いがやはり生活に直結する水の問題

となると重要度が違う。マチの上下水道は元宇宙船の物も利用して一応整備はされ

ているものの、水の蓄えはそう多くはない。普段は雨に頼ることが多いし、下水か

らも全てリサイクルはされているがこう熱波が続くと備蓄も心許なくなる。

「ふいー」

 俺は汗をかきながら木箱を落とさない様気をつけてマチを移動した。

 今日の配達先は「カサブランカ」。マチの唯一の娼館だ。俺もこのナリではある

が何度かお世話になったことはある。

「あらランプ、久しぶり」

「どうも。注文のワイン一箱だ」

「厚い中ご苦労さん」

 迎えてくれたのはここの主人兼娼婦のキャスリンだ。もちろん俺も彼女のサービ

スを受けたことがある。肉感的な体をした見た目は四十代の女性で、気風の良さが

持ち前だ。とは言えマチの成長が止まった多くのヒト達と同様にその瞳は既に白脱

している。もちろん俺もそうだ。

「最近、スキルに会ったかい?」

 スキルというのは、マチの便利屋兼探偵兼用心棒的な自由人だ。上層部にも顔が

効き、再生手術で作られたという肉体の強さもある。俺が前に間違いを犯した時に

助けてくれた人でもあるし、今の「ベルリン」の仕事を世話してくれた人でもある。

 スキルはこないだのリジー事件の際に上層部の一人のハークと敵対し、結果マチ

の一部を破壊したりもした。流石に罰を受けている筈だった。

「いや……そろそろ出てくるって話もあるけど」

「そうかい……手荒なことされてなきゃいいけどね」

 俺は努めて笑顔を作った。

「スキルだから、大丈夫だと思うよ」

「……そうだねぇ」

 スキルとキャスリンも、トランス以来だからそれなりに長い付き合いだ。

 「カサブランカ」がマチの情報を集めるには都合の良い場所ということもあって、

スキルは何かと此処に立ち寄っていた。キャスリンとは恋人とは言わないまでもそ

れなりにいい関係であることは想像出来た。

「ランプ」

「あ……」

 奥から旧オリエンタルな顔立ちをした黒髪の女性が顔を出した。スキルの相棒、

ファイだ。

 そういえばこの二人もよく話し込む仲だったのだ。

「いたんだ。ファイのところにも、スキルから連絡無い?」

「うん……あたしも昨日出てきたとこ」

 ファイも同様に少し罰を受けていたのだった。

 俺やファイ、そして情報センターの老人のソダーには「ファントム」とは違う、

内耳に埋め込まれた専用の通信装置があるのだが、スキルが上層部に連れて行かれ

て以降いくら呼びかけても全く繋がらなくなっていた。

「無事だといいけどね……」

 そう言って少しファイは黙った。

 ファイは、トランスから五十年経ってようやくマチに生まれた初めての新世代だ。

当時は話題になったものの今では皆そこまで気にはしていないと思うのだが、未だ

にファイの中では思うところがあるみたいだ。

 元は上層部のお堅い仕事をしていたが、スキルと一緒にマチを歩くようになって

からいい感じに変わったのだと前にキャメロンから聞いたことがある。今では気さ

くに俺にも話をしてくれる。前回マチの外に消えたリジーともフランクに話をして

いた。

「まぁ、この先もずっと会えない訳じゃないんだから」

「うん……」

 キャスリンがしなだれかかるようにファイの肩を色っぽく抱いた。

 俺は少しドギマギした。百歳を超えても、この色香には少し反応してしまう。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 「カサブランカ」からの帰りにスキルの部屋に寄った。

 スキルのペットというか同居人のカワウソのワウの世話を頼まれていたのだ。だ

がワウは相変わらず出歩いているのか姿は見えなかった。カワウソでも少しは寂し

いとか思っているのだろうか。

「………」

 俺は水と餌の補充をしてから外に出た。

 船体外の商店街を見て回ったが、干ばつの為か酷い有様だった。飲食店は軒並み

閉店し、残った店も息も絶え絶えといった感じだった。

「今回はちいっとばかしひどいねえ」

「ま……焦っても何にも出来ないがね」

 マチの様子を見ておくこともスキルに頼まれていたので少し話を聞いて回ったが、

マチの老人たちは相変わらず粘り強いというか何処か達観しているところがある。

皆、長すぎる寿命を生きている為だろうか。

 それでも熱中症による死者は既に何人か出ている筈だ。数千人しかいないマチの

人口は緩やかに減っていて、その未来は明るいとは言えない。

「…………」

 俺はマチを取り巻く普段は草原だった場所を見つめた。乾ききった砂漠は、来る

ものを拒むようにユラユラとした陽炎を纏っていた。

 ……勿論、境界があるから呼ばれても行けはしないのだが。

 砂漠を眺めていると一瞬、陽炎の中に白い影が見えたような気がして俺は目をこ

すった。

「………?!」

 改めて見ると、既にそこには何も無かった。

 ーーー『ヒュー』かと思って少し焦った。

「…………」

 『ヒュー』。

 謎だらけのこのマチで、今直近でヒト達の噂になっている謎の存在。

 俺も見たことはある。背丈は俺くらいで、白い髪に白い服をまとった少年風。目

の前で見たスキルが言うには、生命反応も重さも何も感じ取れなかったそうだ。先

日のパトリスの放送によると、『ヒュー』はトランス時から色んな場面でマチに干

渉してきたらしい。そもそもトランス自体が『ヒュー』が引き起こしたものなので

はないか、という説すらある様だ。この間あいつは、リジーという旧インド系の女

性をマチの境界を越えて連れて来た。彼女はスキルの記憶の欠片によると、トラン

スの前に会っていて角膜をくれた女性かもしれないということだった。だが結局彼

女は特にマチに何かをもたらしたという訳でもなくまたマチの外へと消えて行った。

俺はマチの皆と一緒にその様子を目撃した。

 あの時、一体何が起きていたのか。

「…………」

 俺は自分の左手甲の「ファントム」を見つめた。紋章は一応あるにはあるが、く

すんでいて皆の様に光ることは無い。

 「ファントム」が使えない俺にはその全ては分からなかったが、あの時俺たちの

頭上で光っていたあの緑色の光ーーあれは『ヒュー』がよく放つ光だがーーは、俺

にも何かを伝えてくれているような気がした。それが何とはうまく言えないんだけ

ど、厳しいけど優しさ、みたいな感じか。あぁ、俺はそんなに頭が良くないので本

当にうまく説明は出来ないんだけど、確かに俺はあの時、『ヒュー』の心の内と言

うか、目指すものみたいなものを感じた気がしたんだ。それはマチのヒト達も同じ

だったと思う。あの時、それを見たヒトは皆、確かに何かを、感じたんだ。

「………暑っっ」

 俺は我に帰った。

 体温が上昇してむせかえる様だった。

 俺は急いで「ベルリン」へと戻った。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 夜になると少し気温は下がった。少し寒い位だが、暑いままよりはずっといい。

 俺は深夜になって仕事を終え、自分の部屋に戻ってきた。

 俺の部屋は船体後部の方の一角にある。スキルが手配してくれたものだ。皆と同

じく手狭だが、俺は中々気に入っている。

 手を洗おうと蛇口をひねったが、いつもと違っていくらひねっても水が細くしか

出なかった。

「……?」

 しばらく考えてから今日から水圧調整だったか、と思い出した。そろそろマチの

水の備蓄量もやばくなってきたということだろう。この分ではしばらくシャワーも

我慢かな、と思いながら俺はシート状の洗剤で身体を吹いた。このマチではトイレ

も元宇宙船らしく空洗でシャワーもミストのみ、水分は一応完全リサイクルはして

いる。それでもヒトが生活していれば水はどんどん減っていく。どうしても皮膚や

水回りからは水分が蒸発していくし「ベルリン」の様な店でも水は消費されていく。

 雨が降るか、それとも何処かに水タンクでも現れない限り、この事態は好転しな

い。上層部もその位は分かっているだろう。スキルの元上司のパトリスは何か考え

ているのだろうか。

 ベッドに潜り込んでも、俺はしばらく眠れなかった。

「…………」

 俺は「ディスカバリー」の船体上に立っている塔のことを考えた。

 街のあちこちでもそうだが、あの塔には無限に部屋が続く廊下があり、その部屋

内ではよくモノが現れる。昔は皆我先にと群がった時代もあったが、あそこでも標

高が高くなると境界に触れてヒトが消える為、今では規制地区になっている。俺が

前に暮らしていた様な地下の隔壁内とは違って出入りは厳しく管理されていて、入

れるのは現れるモノを採集する人たちのみ。彼らは万一自身が消えても良い覚悟を

した特別なヒトたちだけで構成されているという。

 俺もかつてそこに申し込もうかと思ったこともあるが、「ファントム」が使えな

い為か弾かれた。あそこで働いているヒト達は、日々何を思いながら作業を続けて

いるのだろうか。

「………」

 そして俺は、リジーが消えた時のことをまた思い出していた。

 あの時、皆が緑色の光を眺めていた時。確かに俺は何かを感じたが、それはマチ

の皆とは少し違っていたような気がする。そう、スキルが言っている、記憶の欠片

ーートランスを経験したヒトが皆持っている、おそらくトランス前のものであろう

微かな記憶。それがあの時、皆少しだけ変わったのだという。「ベルリン」で常連

のじいさんたちがそう言っているのを聞いた。

 だがーー皆と同じくトランスを経験した筈の俺には、何故かその記憶の欠片は存

在しない。あった筈の何かを忘れているだけなのだろうか。それとも俺の中の何か

がおかしいのか。それ故、俺の「ファントム」は機能しないのか。だから俺は、子

供のまま成長が止まったのか。

 ……今更ながら、自分はマチの人たちとは決定的に違うのだ、ということを久々

に思い出させられた気分だった。

「…………」

 俺は毛布を深く被った。

 何かが真綿のように締め付けてくる様な感覚が俺を包んだ。

 その日はいつまでも寝付けなかった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 それから何も起きないまま時は過ぎ、マチの周りは相変わらず砂漠のままだった。

 徐々に配給の水も減り、マチで唯一のバー「ベルリン」も営業時間を減らし、一

人二杯までということになった。

「ま、仕方ないね」

 マスターのキャメロンもやれやれと言った感じで肩をすくめている。

 俺はそっとため息をついた。

「これ以上続かないといいけど……」

「まだいい方だよ。これでエアコンが止まったら真剣にやばい」

 マチの電力は普段船体外壁の謎の外燃機関から供給されている。今の所出力はギ

リギリで、エアコンの温度もとっくに一定以上は下がらない様調整されている。そ

もそも謎の機関故、いつ止まるか分からないし止まれば修理できるヒトはいない。

「商売はきついけど、それよりもマチが持たなくなる方がまずいからね」

「…………」

 俺はいつも通りの顔を見せるキャメロンを見つめた。

 キャメロンは俺よりもだいぶ年下な筈だが割と肝は座っているというか、何事に

も物怖じしないで飄々と生きている。外に出られないストレスの中で子供時代を過

ごしたのに、だ。

 なかなか新世代も捨てたもんじゃ無い。そう俺は思っている。

 同時に少年の姿で何を言っているのだ、と何処かで思う自分もいるがそれは仕方

が無い。

「…………」

 俺は「ベルリン」の店内を見渡した。

 常連の老人たちも数は少ないし、心なしかぐったりとしている様に見える。たっ

た二杯では物足りない連中ばかりだ。それでも皆静かにそれを我慢している。ここ

はそういうマチだ。

 俺は再びため息をついて窓から空を見上げた。窓際にはいつの間にかワウが陣取

っていた。涼みにでも来たのだろうか。

 船体中央の亀裂の向こうでは真っ青で乾ききった空が、マチを飲み込もうとする

かの様に伸し掛かっていた。

「……!」

 丸くなって寝ていたワウがふと身を起こした。

 スイングドアと断熱素材のカーテンを開ける音がした。

 エアコンの効率の為、今は入り口のスイングドアの内側に断熱素材の幕をかけて

あるのだ。

「いらっしゃい……?」

 そこにいたのは、ハークだった。

「お……」

「あいつ……」

 常連たちが反応した。ハークは上層部の一人で、前回のスキルの事件の時にマチ

の住民に銃を向けた為、処罰されていた筈だった。

 ハークはいつもの様に小柄で上層部の制服を着ていたが、襟は開いてネクタイも

外れ、薄汚れたヨレヨレの姿だった。髪も乱れていたし少しやつれただろうか。

「………」

 ハークはカウンターに座ると、肘をついて言った。

「ビール」

「……はいよ」

 キャメロンが少し警戒しながらビールを注いだ。

 それをぐいーーっと飲み干したハークは深いため息を吐いた。

「……スキルはいるか」

「え……」

「スキルはいるかと聞いているんだ」

 ハークは鋭い目をキャメロンに向けた。

「……まだ戻ってきていません」

「隠し立てすると、為にならんぞ」

「本当ですよ。まだ罰を受けている筈です」

 キャメロンはグラスを磨きながら答えた。

「そうか……」

 ハークは目を落とした。

「もう一杯」

「はい。ただ、知ってるとは思いますが……」

「分かっている。これで今日は最後だ」

「………」

 キャメロンは頷きながらサーバーに手をかけた。

 俺は離れた所でそれを見ていた。ハークはどうも苦手だ。「ファントム」が使え

ない俺は上層部というだけで億劫だし、あいつは今でも俺をテロリスト扱いする。

「…………」

 それでも、今のハークのやつれた感じはどうだろう。よっぽど酷い罰を受けたの

だろうか。ファイはただの勤労奉仕的なものだったと聞いたが……。

 ハークは二杯目をキューッとやった。もともとアルコールに弱いのか、既に赤い

顔をしている。

「またな……」

 ハークは立ち上がってすぐによろけた。

「おっ……と」

「!?」

「フン」

 何とか踏みとどまったハークは、そのまま出て行った。

「……なんだ、あいつは」

「だいぶ様子が変わったな」

「大人しくなった分には良かったが……」

 皆コソコソと話をしていた。

 俺はそっと窓から覗いてみた。ワウも同じく鼻をくんくんとさせていた。

 ハークはふらつきながら去っていった。

 その後ろ姿は、少し寂しげに見えた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 また一週間が過ぎた。

 干ばつは続く。さらに配給は少なくなり、とうとう「ベルリン」は休業になった。

電力も昼間のエアコン用がきついらしく、夜間は停電になった。

 まだスキルは帰ってこない。連絡も全く取れないままだ。

 俺は暇になった。ワウの世話はしているものの、特になついてくる訳でもない。

 時々はマチに出てヒトの話は聞いているが、段々飽きてきた。所詮『ヒュー』が

来なければそうそうマチに変化は起きない。皆水のことで不安になっているだけだ。

 俺はある午後、船体上にそびえる塔の根元あたりに上っていた。もちろん影の部

分で、ここなら風通しが良く少しは涼めるからだ。手すりもあって、マチを眺める

にはいい場所だった。

「…………」

 俺は砂埃にまみれた「ディスカバリー」の船体を眺めた。その周囲はすべて、ど

こまでも続く砂漠が陽炎を伴って取り囲んでいる。絶望的な風景だった。

 俺は目を閉じて生暖かい風に身を任せた。

「………」

 ゆっくりと死の音が、近づいてくるような気がした。

 恐ろしくなって、俺は目を開けた。

 振り払う様に首を振った。動悸が上がっている。落ち着け……と必死で自分に言

い聞かせた。

 ……水のことだけじゃない。

 例の記憶の欠片のこと、「ファントム」のこと、結局俺がヒトと決定的に違うこ

とーーーが、ずっと俺の中で引っかかっていた。

 それ故、俺はーーーーー。

「………!」

 ふと俺は、左舷の向こう側の砂漠に、人影を見たような気がした。

「…………?」

 遠すぎてよく分からないが、それは白い影に見えた。スキルならあの凄い目で見

ることが出来るのだろうがーーあれは、『ヒュー』なのか?

 しばらく見つめていたが、やがて陽炎の中で、フッとそれは消えた。

「…………」

 あれは一体、何だったのだろう。

「ランプ」

「!!」

 内耳から声がして俺は飛び上がった。

 例の通信機からのものだ。相手はソダーだった。

「驚いた」

「そりゃあスマンな。姿が見えたもんじゃから」

「え」

 辺りを見回すと、下からソダーが手招きしていた。

 そういえば此処はソダーが普段いる情報センターの近くだった。


「久しぶりだな。外に出てるの、初めて見た」

「そりゃあ、わしだってあの部屋だけで過ごしとる訳じゃない」

 情報センターの隣の待合室のような場所で俺たちは話をした。

 ソダーはマチのネット環境を作ったラテン系の老人だ。トランス時にヒト達が持

っていた「ファントム」を研究して通信用に使えるようにしたのはソダーだ。それ

によってマチは格段に便利になった。

 もっともそれはマチのみのクローズドコネクションで、マチ以外とは全く繋がっ

てはいない。

「こんな時期じゃから、これだけだ」

 ソダーは小さな紙コップに入った水をくれた。

「あぁ……仕方ない、今は」

「そうじゃのう……」

 ソダーは自分の分をあっさりと一口で飲んだ。

「今は何してる?」

「いつも通り、「ファントム」と外壁の外燃機関の調整ーーかの」

「そうか……なんとかなりそう?」

「まぁどっちも未知の部分が多いしの。何とも言えん」

「そうかーー」

 俺はため息をついた。

「ところでスキルのことーー何か知ってる?」

「スキルか……」

 ソダーは空の紙コップを持った手で上を指し示した。

「……?」

「今は塔におる」

「……それって……!」

 ソダーは頷いた。

 ひょっとしてスキルの強制労働っていうのは、あの塔の上で物資を回収するヒト

たちに混じって作業をすることだというのか?それはある意味死刑にも近い。ちょ

っと運が悪ければ存在が消えてしまうのだ。

「……ひどくない?」

 パトリスに掛け合うべきだろうか。俺如きが言っても何にもならないかもしれな

いが……。

 でもソダーが続けた言葉に俺は驚いた。

「スキルが自ら、志願したんじゃ」

「え?!」

「何を考えているのかは分からん。だが「それだけのことなので」と言ったらしい」

「……何で……」

 俺は考えた。暗い塔の中で、自分がいつ消えるかもしれない中で毎日作業を続け

る。それは拷問にも思える。

「ハークも、少しの間従事させられていたらしい」

「え?」

「最初はもっと軽いものだったんじゃが、そこでも問題を起こしてな」

「………」

 「ベルリン」でのハークの様子がおかしかったのはそれだったのか。あの小男に

は精神的に耐えられなかったのだろう。だがそれをスキルは、かなり長い時間続け

ていることになる。

「スキルは、いつまでそこにいる?」

「さぁな……」

 ソダーは旧ラテン系の瞳を細めて外を見た。

「パトリスたちはもういいと言うのに、本人が止めないらしい」

「……何で……?」

「わしには分からん。じゃがーー」

「……?」

「何か考えがあるんじゃろう。わしらは待っておるしかない」

 ソダーは俺の頭に手を乗せてポンポンとやった。

「子供じゃないよ」

「おっと失礼」

 ソダーはしわがれた顔で笑った。

 俺もその手を払いのけはしなかった。

 納得は出来ないが、今俺に出来ることは無かった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 とうとう野菜の供給が止まった。植物プラントでそれらを育てるための水分すら

マチに無くなってきたからだ。

 食料の配給もレーションやビタミン剤的なものになった。いよいよ終わりか、と

マチの多くが思っていた。だがそれはそれで仕方がない。老人たちの殆どは半ば諦

めていたが、新世代の若者たちはそのフラストレーションの行き場を求めていた。

俺は正直マズイなと思っていた。

 普段なら昔ながらのツテで怪しい動きがあればスキルに報告して対処するのだが、

今はファイしかいない。ファイも一応情報は上に上げてはいるが、スキルがいない

分頑張ろうとして空回りしがちで見ていてハラハラした。何度も内耳の通信機で呼

びかけてはいるのだが、相変わらずスキルには通じない。ファイも「ファントム」

で連絡を取ろうとはしているみたいだが、やはり反応は無かった。

 干ばつは続き、マチの水資源は減り続けていった。

 やがて数日電力が止まるという連絡が上層部からもたらされた時、それは起きた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



「燃やせ!」

 最初に起こった火災はほぼ空き家になっていた船体外の商店街の一角だった。

 「作戦には、大抵陽動がある」。スキルからそう言われていたファイは、その収

拾には向かわなかった。上層部の部隊が対処する中、次に火の手が上がったのは食

料・水の備蓄庫だった。そこも上層部の別部隊があらかじめ配備されていた為、そ

う大きな騒動にはならなかった。だが散髪的にマチのあちこちでは火の手が上がり、

流石に上層部も対処し切れなくなりつつあった。そもそも、今消化に水は使えない。

消化剤もそこまで備蓄がある訳でもない。

「ソダー、何処に向かえばいい?」

 ファイは指示を待っていた。俺とファイは休業になってキャメロンしかいない「

ベルリン」で情報を待っていた。一応僅かに残った酒類を目指して暴徒がやってく

るかもしれない。俺とキャメロンは一応入り口にバリケードらしきものを構築中だ

った。

 ファイは暴徒鎮圧用の大柄なゴム弾銃を数丁準備していた。テロリストとは言え、

おいそれと殺せはしない。ファイの腕なら殺さずに撃つことも可能だが、その弾数

にも限りがある。

「………!」

 気がつくと、側にワウがいてこっちを眺めていた。何処から入ってきたのだろう。

「……パトリス?!」

 ファイが耳に手をやった。その手の甲の紋章がボウっと光っている。

 「ファントム」での上層部からの通信だった。

 とうとう上層部のあるブロックまで若者たちが迫ってきたらしい。

「………行ってくる!」

 ファイはキャメロンと俺の方へゴム弾銃を何丁かよこしてきた。

「ランプはここで。危なくなったら逃げて」

「俺は、行かなくていいのか」

 ファイはそれには答えずに俺の肩に手を置いた。

「……何かあったら、スキルに伝えて」

「……死ぬなよ」

「縁起の悪いこと言わないの。それにーー」

「元々死んでるようなもの、だろ。忘れてるだろうけど、俺の方が年上だ」

 俺は精一杯の笑顔を作った。

「そうだったね、ランプ……キャメロンも気をつけて」

「了解。裏口はこっちだよ」

 ファイは俺に優しく頷くと、キャメロンに連れられて「ベルリン」の裏手の方へ

向かった。

 その精神年齢は俺より若いと言ってももう五十だが、割といい女だと思う。

 後はいいヒトと巡り会えさえすれば。

 こんな時なのに俺はそんなことを思っていた。

 

 俺とキャメロンはシーンとした「ベルリン」内で取り残された。

 おっと、ワウもまだいたっけ。カワウソなのでここ最近の干ばつは堪えたことだ

ろう。俺は更に少しだけ水をやった。

 ファイたちの様子はソダーが作業の合間を見ては内耳の通信機で伝えてはくれて

いた。

「いいねそれ、俺にもつけてもらおうかな」

 キャメロンがおどけて言ったが、俺は止めた方がいいと言った。

「きな臭いことに、巻き込まれるからさ」

 キャメロンはふーん、と言っただけだった。

 外では時折爆発音が聞こえてくる。マチが、小さく悲鳴を上げているかの様だっ

た。

 パトリスのいる上層部では一進一退の攻防が繰り広げられているらしい。普段な

ら船体の奥深くにある上層部だが、今はあちこちに人員を派遣しているせいで守り

は弱くなっているのだ。

「キャメロン……」

「何だい」

「子供の頃、何になりたかった」

「止めろよそういうの……最終回みたいだ」

 キャメロンは笑った。キャメロンは飄々とした、本当に気のいいやつだ。

「俺……行ってきていいかい」

「無駄に死ぬなよ」

 予想していたのか、キャメロンはあっさり言った。

「ありがとう」

「じゃあこれ」

 ゴム弾銃が俺には少し大きいのを察してか、キャメロンは奥から小さなマシンピ

ストルを持ってきて渡してくれた。

「……世話になったね」

「だから、そういうの止めろって」

「はは」

 俺はファイたちが戦っている場所へと向かった。

 いつの間にかワウは何処かに消えていた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 かなり装備が違う筈なのに、主に若者たちで構成された暴徒たちは上層部の部隊

に対して結構善戦していた。

 元々防御など考えていないこと、対するパトリスたちは彼らをなるべく殺さない

様に戦っていること、そしてーーおそらく暴徒達は例の新型ドラッグをキメて恐怖

心無しで向かってきている。

 俺は銃弾が舞う中、なるべく弾を無駄使いしないようにセミオートで撃ちながら

走っていた。彼らは一心不乱に奥を目指しているので後ろから撃つのは簡単だった。

 それでも、何処からこれだけの若者が湧いて出たのかと思うほど数は多かった。

「く……!」

 やがて俺は応戦してきた彼らに押され始めた。自分の死を考えない奴はやっかい

だ。

 無駄死にする訳にはいかない。俺は小さな体を利用して勝手知ったるあちこちの

ダクトを経由しつつ追っ手を躱し、なるべく上層部方面へと向かおうとしていた。

 だがそれも限界があった。

「うわっ!」

 ダクトの中で両側を塞がれた。弾も切れた。手元には小さなナイフが一つあるだ

けだ。

 外からの銃撃が両側から迫ってきた。

 俺は死を覚悟せざるを得なかった。

 寿命がない以上どうやって自分は死ぬのか。このマチの住人なら一度は考えたこ

とがある。

 俺はこうして死ぬのか。

 ……結局、俺は何が出来た?

 『ヒュー』のことも、結局分からなかった。

 あの時、緑色の光を見た時、少しだけ分かったような気がしたのに。

 だが、記憶の欠片の無い俺は皆の様に更新されるものは何も無かった。

 使える「ファントム」も無い。

 成長もこんなに早く止まった。

 所詮、俺はヒトとは違う、出来損ないだったのかもしれない。

「く………」

 轟音とともに穴が開いて差し込んでくる光のラインが数を増し、両側から近づい

てくる。

 スキル、ゴメンよーーーー


 キュイーン!

 ガガッ!

「うあっ!」

「うぉおおお!」

 爆発音と叫び声がして銃撃が止んだ。

「………?」

 俺は一瞬、何が起こったのか分かりかねていた。

「……ランプか!?」

 スキルの声だった。

「スキル!」

 俺は急いでダクトを這い出た。

 そこには、生体レーザーを構えたままのスキルがいた。辺りには銃をやられその

暴発に巻き込まれた暴徒が数名呻いていた。死ぬほどではない怪我だ。

「遅くなった」

「ほんとに……」

 俺は少し涙ぐんでいた。百歳を超えても、涙は出るモノらしい。

「……頑張ったな」

 スキルは幾分薄汚れていたが、表情は晴れ晴れとしていた。

「ファイやパトリスたちがまだ上層部に!」

「あぁ、行こう!」



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 スキル一人の加勢で、戦局はあっさりと好転した。

 その見事な体術と生体レーザー、振動波でスキルは暴徒達を次々に片付けていっ

た。

 上層部は解放された。残党が数人、制止を振り切って塔にある無限の部屋のある

スペースに逃げ込んだが、既に作業していたヒトたちは引き上げていたので出入り

口を封鎖することでとりあえず事態は治まった。

「スキル!」

 ファイはスキルに飛びついていた。

 ファイとパトリスは机をバリケードにして最後の抵抗を続けていたところで、本

当に間一髪だったらしい。

「よく戻った」

 パトリスも埃を払いながら近づいてきた。

「久々の実戦ですか」

「なに、まだ腕は錆び付いていないぞ」

 少し笑ったスキルは俺には少し大人びた様に見えた。と言ってもスキルの外見は

三十代のまま、精神年齢は俺とそう変わらないのだが。

「被害は」

「重体が二人いるが、後は軽症だ」

「では、行きます」

 ファイは抱きついたままキョトンとしていた。

「……行くって?」

「塔に」

「!?今帰ってきたとこだよ」

「逃げ込んだ数人も、助けなきゃ」

「………」

 パトリスは何も言わずに頷いた。

「そんな………」

 ファイは納得していない様だった。

「次に消えないで帰って来れる保証は無いんだよ」

「分かってる」

「………わたしも行く」

「ファイ……」

「スキルだけに、危険な目に合わせられない」

「………残っていてくれ」

 何だか恋人同士の会話みたいだな、と俺は思った。

 俺は二人に近づいていった。

 俺も何か言わなきゃ、と思ったんだ。

「スキル……」

「お前も来るとか言うなよ」

 俺は首を振った。

「…………」

 何を言えばいいだろうか。胸の中で、何かがザワザワとしていた。

 何かを伝えたい。何故かそう思った。だが何を?

 ーー俺は口を開いた。

「スキルがいない間、俺何度か『ヒュー』っぽい影を見た」

「……!」

「え……?」

 何故今それを言い出したのだろう。

 自分でもよく分からなかった。

「大抵、砂漠の境界あたりで。陽炎の中で白い影を見たんだ」

「ランプ……」

 自分でも何だか、分かったような気がした。

 これを伝えるために、俺は死ななかったんじゃないだろうか。

「あれって、何かの暗示なのかもしれない……」

 俺はまっすぐスキルを見た。

「今はそっちが、先だと思う」

「………」

 スキルもじっと俺を見つめた。

 ファイが俺たちを交互に見ていた。

 やがてスキルはファイをゆっくりと離してしゃがんで俺と目線を合わせた。

「……オーケー」

「え……」

 スキルはパトリスの方を見上げた。

「そちらの方を優先していいですか」

 パトリスは頷いた。

「マチに何か起きるなら、何かの予兆であるなら、そうすべきだろう。マチの水も

残り少ない。塔の方はこちらで任せてもらおう」

「お願いします」

 スキルは俺たちの方を向いた。

「どっちだ」

「左舷の奥!」

「行こう!」

 そして、俺たちは走り出した。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



「ソダー!聞いていたか?」

「ようスキル。久しぶりだな」

 船体の外側へと走りながら、俺たちは内耳の通信機でソダーと連絡を取っていた。

「ランプが言う『ヒュー』の気配、そちらで追えるか?」

「やっとるよ。もう少し早く知りたかったの」

「ご、ごめん。前会った時言うべきだった」

「まぁいいわい。そうーー今もその反応はあるぞ」

 ソダーが言ったのは、『ヒュー』に対してヒトが唯一データとして反応出来るも

ののことだ。

 『ヒュー』がマチの境界付近に立った時、その境界に小さな揺らぎが現れる。

「よし!」

 俺たちはその方向へ、急いだ。


 船体外は、うだるような暑さだった。既に開いている商店は無く今回の騒ぎであ

ちこち焼け焦げていて、砂漠の廃墟の様になっていた。

「あそこだ!」

 ソダーから例の反応の位置情報を貰っていたスキルの目には、既に見えている様

だった。

 俺たちはマチの境界近くへとやってきた。

「あそこ………!」

「『ヒュー』……」

「………」

 俺たちは立ち止まった。むせかえる様な暑さの中、視線の先に見える白い影。陽

炎の中でモヤモヤとしていてハッキリとは見えないが、おそらくあれは『ヒュー』

だ。

 何故かワウが先に来ていて、二本足で立って『ヒュー』らしき影を見つめていた。

「『ヒュー』!」

 スキルが叫んだ。

「今度は、何をしようとしている!?」

 返事は無かった。

「………」

 スキルは、しばし黙った。おそらく、「ファントム」での会話を試みたのだと思

う。「ファントム」が機能していない俺には何を問いかけているのかは分からない

のだが。

 だがそれもうまくいっていない様だった。

「く………」

 俺には、何か出来ないだろうか。俺は必死で考えた。

 出来損ないの俺に、今出来ることはーーーー

 長い時間が経った様な気がした。

「…………!」

 足が、勝手に動いていた。

「ランプ?!」

 ファイが後ろで叫んだ。俺は走っていた。『ヒュー』のいる位置は、ギリギリ境

界の辺りだ。

 だがーーもしかしたら!俺には何かを感じた。

 そう、この間緑色の光を見た時と同じ様に!

 今度こそ、確かめるんだ!

「ランプ!」

 スキルも叫んだ。ノータイムで走ってくるのが分かった。

 でもーーまだ少し!

 ワウが立っている場所を走り抜けた。一瞬目が合った様な気がしたが、ワウは動

かなかった。

 もう少しで『ヒュー』にーーその白いユラユラとした影に手が届くというところ

でーーー俺の視界の中で、その影はフッと揺らいだ様に見えた。

「待て……待って!」

 スキルの手がガシと俺の腕を取った。急ブレーキがかかって俺の体は少し宙に浮

いた。

 俺の手は、届かなかった。

 はっとして見ると、既にそこは境界近くだった。危なく消えるところだった。

「ランプ!」

「スキル……」

 『ヒュー』の姿は完全に消えていた。

 俺はいつの間にか涙ぐんでいた。

「ごめん……」

「いいんだ……」

「……スキルは消えるかもしれない場所で、あんなに頑張ってたのにーー」

 俺らしくない。そう思った。

 俺はもう百歳を超えているのだ。分かっている。

 だが俺は、子供の様に泣きじゃくっていた。

 所詮この体では、ヒトは大人にはなれないのかもしれない。

「俺は、何も出来ない……」

「…………」

 スキルは俺の頭に手をポンとやった。ファイによくやる仕草だ。子供じゃない、

とは今の泣きじゃくっている俺は言えなかった。

「ファイ……ランプを頼む」

「う、うん……?」

 やってきていたファイに俺は抱かれた。その柔らかな乳房が俺の頭に触れた。

 スキルは、二、三歩歩いて立ち止まった。そこは先ほど『ヒュー』が見えていた

場所だ。

「スキル………?」

「もし『ヒュー』が何かを伝えようとしているのならーーー」

 スキルは右手を構えた。震動波のブーンという唸り音が聞こえてきた。

「伏せてろ!」

 スキルは振りかぶって、地面へと右手を振り下ろした。

 ガッ!

 乾いた大地が揺れ、土埃が舞った。

「!!」

 土埃の中でスキルは再び右手を振りかぶった。

「ランプ……離れよう」

「あ、あぁ!」

 俺たちは少し下がった。ワウも一緒にトトトとついてきた。

 ガッ!

 スキルが右手を振るう度にその場所はえぐれていき、やがて十メートル程のクレ

ーターが出来ていった。既にスキルは巨大な穴の底だ。

「く……!」

 スキルは膝を突いた。

「違うのか……?」

 スキルが考えていることは分かる。

 もし『ヒュー』が何かを教える為にそこに姿を見せていたのならーー。

 だが、今の俺は思うのだ。

 『ヒュー』はヒトの姿をしているとはいえ、そこまで人間的だろうか。

 俺たちの為、ヒトの為に何かを成す存在だろうか。

 もっと超自然的な何かーー俺たちの命など特に気にしていない、天災の様なもの

ではないだろうか。

 前と違って今の俺には、そう思えた。

 それは哀しいことだった。

「何故ーーー何故っ!」

 珍しくスキルが叫ぶと、再び地面を右手の振動波で突き始めた。

 ガッ!

「スキル!もういい!」

 ファイが叫んだ。

「境界の近くなのよ!」

 スキルは止めなかった。

 ガッ!

 ガッ!

 やがてマチの住民たちがやって来始めた。

「どうした、スキル」

「何をしとるんじゃ」

「井戸でも掘っとるんかの」

「………!」

 俺はハッとした。

 ………井戸?

 もし、本当にそうなら、『ヒュー』はーーー!?

 俺は穴の縁から下のスキルを見下ろした。

「!!」

 スキルの動きが止まった。

 あれは各種センサーの詰まった左目で何かをスキャンしている時の仕草だ。

 何だーーー何が起きようとしている?!

 側にいたワウがピクリと反応した。

「ファイ、ランプ、離れろ!」

 スキルが叫んでこちらに走ってきた。

「!?……行くよ、ランプ」

 あれだけスキルが言うのだから、とにかく今は逃げるべきだ。

 俺とファイ、ワウは穴から遠ざかった。

 スキルも穴の外壁をよじ登って走ってきた。

 ゴゴゴゴ!

 地鳴りがした。

「!?」

「おぉ……」

「な、なんじゃあ………?!」

 遠巻きにしていた老人たちもあわてて「ディスカバリー」船体の方へと戻り始め

た。


 ーーーーズバッ!!

 スキルが開けた穴から、突如巨大な水柱が立った。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



「!!」

「あれは!」

「おぉーー!?」

 巨大な水柱は、天に届くかと思えるほど高く伸びていた。

 やがて、マチには雨が降り始めた。

「………ひゃっはー!」

「水じゃ水じゃ」

「これでまたしばらくは大丈夫かのう」

 皆シャワーの様に水を浴びてはしゃいでいた。

「…………」

 俺はポカンとしたまま水を全身に受けていた。

 結局『ヒュー』は、水源を教えマチを救ったということなのだろうか。

 さっきまではまるで意思が無いかの様なイメージだったが、今は……?

 やがてスキルがやってきた。

「まぁ……何とかなったな」 

「スキル……」

 スキルもファイも、既にびしょ濡れだった。

 ファイの旧オリエンタルな黒髪からは水が滴っていた。

 スキルの長い金髪も同様だった。

「……こうなると、思ってたか?」

 俺はオズオズと聞いた。

 スキルは湿った地面に腰を下ろして後手を突いて空に顔を向けた。

「どうかなーーー」

 スキルは晴れやかな顔だった。

 強い日差しの中、降りしきる雨は乾いた地面を潤していた。

 そしてスキルは後ろの船体の塔の方を見上げた。

「……あそこにいた時に、作業しているヒト達に会った」

「うん……」

 ファイも側で腰を下ろした。

 つられて俺も座った。

 ワウもちょこんと二本足で立って俺たちを眺めていた。

「皆消える覚悟をして、それでも淡々と作業を続けていた」

「………怖くなかった?」

「最初は怖いと思ったよ。でもそのうち妙に慣れた」

「慣れた……」

 スキルはすっきりとした顔をしていた。

「修行僧の様な感じかな。無限の扉を開けても開けても何も出ない時は出ないし、

出る時には出る。出たとしても、それが役に立つかどうかは分からない」

「そう……」

「あそこは、「ファントム」も使えない」

「……そうなの?」

「あぁ」

 それで連絡が付かなかったのか。

「こっちもな」

 スキルは自分の耳を指し示した。

 ーーーそういうことだったのか。

「だから久しぶりに、俺は一人になった」

「………」

「モノが現れるあそこの方が、『ヒュー』に近づくかと思った」

「………!」

「スキル……」

 それが、塔に行った理由なのだろうか。

 スキルは少し哀しそうに笑った。

「結局、出会えなかったけどな」

「………」

 俺は、何も言えなかった。ファイも同様だった。

 そして、スキルは言ったんだ。

「でも……さっきランプが言った時ーーー今回は、『ヒュー』が必ず来るような予

感がしたんだ」

「!……」

「まぁ、確証は無かったけどな」

「そうなんだ……」

 俺は少し嬉しかった。

 スキルも、俺と同じように『ヒュー』を感じていたことが。

 俺が、一人じゃなかったことが。

 そしてその結果、マチが救われたことが。

 出来損ないの俺でも、少しは役に立ったのかな。

「……!」

 内耳の通信機で呼びかけがあった。ソダーからだ。

「スキル。いい雨だな」

「本当にこのマチは、色々ある」

「パトリスの部隊が、塔で二人捕らえたらしい」

「全員か?」

「いや、一人逃したがおそらく消えたろう」

「そうか……」

 その時、ファイが声を上げた。

「スキル、あれ……!」

「ん?」

「わぁ………」

 まだ続いている水柱の向こうの空に、巨大な虹が二重にかかっていた。

 乾いた大地に、半円状の光の輪が二つ。

 俺たちはしばしその光景を眺めていた。

「…………!」

 その時二本の虹の間で、一瞬緑色の光が煌めいた様な気がした。

「スキル……?」

「あぁ、見えた」

「あたしにも見えた」

「あれはやっぱり………」

 すぐさま、ソダーから声がかかった。

「こちらでも境界に揺らぎがあったのは、確認出来たぞ」

「やはりそうか……」

 スキルはゆっくりと立ち上がった。

 既にその緑色の光は消えている。

 俺も立ち上がった。

 後ろを振り向くと、雨にはしゃいでいるマチのヒト達が見えた。

 皆タライを持ってきたり、中には身体を洗っているヒトもいる。

 ーーー良かった。

 俺は再びスキルの方を見た。

 スキルはまっすぐに空にかかった虹の方を見つめていた。

 その顔は笑んでいるようにも見えた。

 結局、今回も『ヒュー』はその姿を見せなかった。

 白い髪と白い服の不思議な少年。

 あいつが今回マチに何をしたのかは分からない。

 ただ、いつものように少しだけヒトに、マチに、干渉したのだろう。

 その意図が何処にあるのか、そもそも意図があるのかすら分からないがーーーと

にかくマチの危機は去ったのだ。

 ーーーまた、会えたらいい。

 俺はそう思った。

 多分スキルもファイも、同じ気持ちだったろう。

「………こないだあの光を見た時な」

「うん?」

「俺の記憶の欠片……リジーの記憶が、少し変わった」

「え……」

 少し胸の奥が、チクリとした。

「どう変わったの?」

 ファイは髪から水を滴らせながら聞いた。

 ワウがスキルの肩にぴょんと飛び乗った。

「リジーな……俺の母親かもしれない」

「………え?」

「それって……」

 スキルは笑った。

「分かってるよ。ヘンなこと言ってるのは」

「………」

「でもそういう風に、気づいたら変わってたんだ」

「それは……」

「…………」

 それきり、スキルは黙って目を閉じて顔を上に向けた。

 ワウは目をパチクリとさせて、興味無いという風にスキルの肩から飛び降りて去

って行った。

 俺はーーー何と言っていいのかよく分からなかった。

 その記憶の欠片の変化が、スキルをあの塔へと向かわせたのだろうか。

 俺やファイには、記憶の欠片は無い。

 新世代のファイはともかく、俺はトランスを経験している筈なのに無い。

 それをずっと気にはしていたが、でもーーー。

「…………」

 ファイは黙って側にいた。

 俺もそれ以上何も言わなかった。

 水柱はまだそこにあった。

 その水源は、地面の下は一体どうなっているのだろう。

 抜ける様な青空で雲一つ無いのに降り続ける雨は、不思議な感じだった。

 マチと同じだ。

「ところでランプ」

「……何、スキル」

「俺のいない間、マチはどうだった」

 スキルは目を閉じたまま俺に訪ねてきた。

「……色々あった。いつもだけど」

「……ほぉ」

 俺はようやくと言うか、少し微笑んで見せた。

「俺にだって分かるさ、それ位」

 ーーーそうさ。

 記憶の欠片なんて無くても、俺は生きていく。

 このマチで。

 目の前に広がる砂漠は、虹の向こうからゆっくりといつもの草原へ変化しつつあ

った。


             ( 続 )



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