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#5:「ソダー」

 それは、突然にやってきた。

 モヤモヤとした空間をただ漂っていたわしの視界に、一筋の光が差した。

 まだ若かったわしは、確かにそれを感じた。

 誰もいない筈の不可思議な空間で、その光はわしを強くノックした。

 あれは後頭部にあるわしの生体端末に脳波ケーブルを繋いでサイバーダイブを試

していた時じゃった。

 その瞬間、確かなイメージが降り注いできた。

 わしの周りには無数の光が煌めき、流れ、衝突を繰り返していた。

 わしはその様子を驚いて見つめておった。


 そして、全てが始まった。

 トランス以降ヒトが手の甲に持っていた不思議な生体エネルギーを放つ紋章ーー

通称「ファントム」を研究し始めてから、それは三年目の出来事じゃった。

 あの時のことを、わしは忘れたことはない。

 結局あの瞬間のイメージに、それ以降出会うことは無かった。

 まるで全てが繋がってーーー生命もホシもヒトもシマもマチもモリもソラもヤマ

も全てーーそれがわしとリンクしてずっと先まで見通すことが出来た、あの一瞬の

素晴らしい感覚に。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 わしの名はソダー。

 他の多くと同様に、ラストネームは無い。トランス時ーートランスというのは全

長数キロの宇宙輸送船「ディスカバリー」がこのホシに次元転位してきた現象のこ

とじゃがーーその時何故か家族だったヒトはいなかったこと、誰も元の名前を覚え

ていなかったこと、それぞれの名前を指し示す資料なども全く無かったことから、

船体とその周りにできたこのマチではラストネーム無しが定着したのじゃった。

 わしは何故か寿命の存在しないこのマチの情報センターで、ヒトの手の甲にある

謎の紋章「ファントム」と、同じく謎に包まれたマチの外燃機関を研究し続けて早

百年になる。

 「ファントム」はマチの通信装置兼簡易的なネット端末として一応の成功は見て

いるが、まだその奥底には何かが眠っているとわしは思っておる。外燃機関の方に

至ってはまだほとんど手つかずと言ってよい。

 今日もわしは情報センターにこもって、その奥底を探ろうと試行錯誤を繰り返し

ておる。

 最近ではマチでの「ファントム」の調子が微妙に悪いこともあって、中々難儀を

している。

「……!」

 わしの耳の中で、軽い音がした。

 内耳の中に埋め込まれておる通信機じゃ。普段連絡は「ファントム」を通して行

うのじゃが、数人の仲間だけとはこれで話をする。

「ソダー、Aブロックの倉庫ドアの修理だが予備電源のパーツが遅れてる」 

 スキルからじゃった。

 スキルはこのマチの用心棒や探偵業をしている男だ。個人差はあるが大体老人に

なって成長が止まるこのマチの住民と違い、再生手術による体の為か三十代の外見

を保っている。

 この間起こったマチの暴動の被害であちこちが修復中で、スキルはその作業の中

心にいた。

「了解じゃ。確認しておく」

「頼む」

 わしと同じ様に内耳に通信機を入れてあるのは、スキルとその相棒の旧オリエン

タル系の女性ファイと後はもう一人、スキルの助手的な存在で子供のまま成長が止

まった男、ランプだけだ。

 彼らは、最近マチに現れた謎の存在『ヒュー』ーーー見える姿は白い服と髪の少

年風だが生命反応や重量などが全く認識出来ず、マチに対してトランス以来何かと

干渉してきているであろう存在ーーを追う、独自のグループじゃ。

 マチの上層部の一人、パトリスから許可を得て活動しているが、今の所そう大し

た成果は上げられてはおらん。

 時々は姿を現わす。彼が放つ独特の緑色の光だけが見えることもある。ヒトの敵

なのか味方なのか、そもそも意思があるのかどうかも分からん。

 そういう存在を、わしらは追っておる。

「ソダー!」

 また通信が来た。今度はランプからじゃった。

「海がーー」

「海?」

「海が、現れた!」

「!?」

 やれやれ、またマチに何かが起きた様じゃ。

 わしは空間のキーボードを操作してマチの外の映像を集め始めた。


 

   ✴︎   ✴︎   ✴︎



「これは………!」

 わしは久しぶりに、「ディスカバリー」の船体の外に出た。

 普段は情報センターからほとんど出んし、出たとしても船体に立っている塔の脇

で風にあたる程度で船体の外まで出てくることは稀じゃ。

「………本当に海じゃ」

 目の前に広がるのは、紛れもない海じゃった。子供達が遊んでいる声が辺りに響

く。波も穏やかで、海水浴にはちょうど良い陽気じゃった。

 このマチの船体を取り巻く環境は、時に変わる。その変化はそれはもう一瞬で、

わしらはそれに慣れっこになっておる。

「ほぉ………」

 わしは波打ち際で足に触れる波を楽しんだ。

「気をつけて!奥には行かないように!」

 後ろではファイが目を光らせていた。

「…………」

 わしは忙しく動き回るファイを見つめた。

 どんな環境であっても、マチの船体から百メートル程度の距離には触れると消滅

してしまう見えない境界がある。

 ファイの弟は幼い時に、こういうマチの周りが海だった時に離岸流で岸から遠ざ

かり、それに触れて消えた。今回出現した海は、それを思い出させるのじゃろう。

ファイは毅然とした態度を見せているが、その瞳は少し切なげじゃ。

「ソダー、出てきてるんだな。………ファイは大丈夫か?」

 内耳の通信機で、作業中のスキルからこれを予想した問いかけがあった。

「…まぁ、被害者が出ない様頑張っとるよ」

 わしは少しため息をついた。

 この二人、もう付き合ってしまえば良いのに何をグズグズしとるんじゃろう。お

互い年齢はともかく、若めの肉体を持ったお似合いのカップルじゃろうに。わしは

そう思っておる。寿命が無いと、ヒトはこうも簡単に決断を引き伸ばしてしまうん

じゃろうか。

 確かにこのマチに寿命は無いが、突然の死自体は無い訳では無い。

「そうか……ところで、久しぶりの外はどうだ」

「そうじゃの、まぁ悪くは無い」

 そう言いながらも、わしは早くも自分の場所に戻りたいと思い始めておった。

「……悪くなる前に帰れよ」

「分かっとるよ」

 わしはため息をついた。やれやれ、気が回りすぎるのも考えものじゃの。

「ソダー」

「ん」

 通信機ではなく直にランプの声がした。振り返るとランプが歩いてきておった。

「珍しいね、来たんだ」

「海も十数年ぶりじゃからの」

「そっか、そんなになるか……」

 やってきたランプはわしの側に立ち、水平線の方を向いて目を細めた。

「…………」

 わしはそんなランプを眺めた。

 ランプはトランス後早くに子供の状態で成長が止まり「ファントム」も使えなか

った為社会から溢れ、最近までずっと地下生活を送っていた。前に海が現れた時、

ランプはどうしていたんじゃろうか。

「………」

 寿命は無く、そして外には出られず環境も変わるマチ。

 わしらは此処で生きていくしかない。

 ひょっとしたら、あの『ヒュー』がそれを変えるのかもしれんがーーー

 そんなことを考えている時、わしはふと波打ち際に黒い物体があるのに気がつい

た。

「…………?」

 わしは歩いて行ってそれを拾い上げた。

「……何それ」

 ついてきたランプが不思議そうにそれを見つめる。

「これは………」

 何故か、わしは知っている様な気がした。

「……カメラじゃ……!」

「これが?」

 それは古い、中版のフィルムカメラじゃった。

 このマチでは、時々モノが現れることがある。大抵は船体に立っている塔の中の

無限の部屋で見つかることが多いが、たまにそこ以外でもそれは起こる。

 常に使えるものが来るとは限らないが、これはーー?



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 黒い箱の前面に、レンズが二つだけ。

「どうやって撮るの、これ」

 わしとランプは情報センターに戻ってきておった。カメラは一応砂を払ってブロ

ワーもかけた。フィルムが入っていることも確認出来た。

 何故わしが操作法を知っているのか、いくら考えても分からんかった。もしかし

たら、これがわしの記憶の欠片なのじゃろうか。

 ーー記憶の欠片というのはスキルが名付けたんじゃが、わしらがそれぞれ持って

おる恐らくはトランス以前のものであろう記憶のことじゃ。ファイのようにトラン

ス後の新世代は持っておらんが、ごくたまにトランスを経たヒトの中にもそれがな

い場合がある。理由は分からん。

 わしにもずっと無いものと思っておったがーーこのカメラが、そうなんじゃろう

か。

「ねぇ、ソダー」

 わしは我に返った。

「あぁ……ここを開くと見えるんじゃ」

 天面を開くと、中のガラス面に淡い映像が見えた。

 ランプが覗き込んできた。

「へぇ……随分アナログだな」

「そりゃあ、全部手動じゃからの」

「電池も無いんだ」

「もちろん」

 わしはカメラを胸の前で構えて下を覗き込んだ。ランプをフレームに捉えた。ラ

ンプは少しはにかんで体をハスにして笑った。

「………!」

 そっとシャッターレバーを押した。

 ーーーーパシャッ。

「撮れた?」

「多分な」

「……で?」

「で、とは」

「撮ったやつ、どうやって見る?」

「…………」

 わしはしばし止まった。

 暗室や現像液などこのマチには無い。

 どうやってフィルムを現像するんじゃ?

「……なぁんだ」

 説明するとランプは呆れていってしまった。

「そっか……」

 わしは自分のデスクチェアにドサッと腰を下ろした。

 どうにかして、これを現像できたらーーー何かが変わるかもしれんのに。

「………」

 わしはデスクの脇に置かれたカメラをしばし眺めた。

 キュイッ。

 脳内で呼び出し音が鳴った。

『!?ほいよ』

 普段マチの皆が使う「ファントム」での通信じゃ。マチの上層部のパトリスから

じゃった。

『ソダー、調子はどうだ』

『まぁぼちぼちかの。「ファントム」の方は良くは無いが』

『電力の方は』

『砂漠の時はきつかったが、今はだいぶ持ち直したな』

『そうか。何とかこのまま進めば良いがな……』

 わしは話しながら何となくカメラを手にした。

『時に、パトリスは海には出んのか』

 「ファントム」越しにパトリスが苦笑するのが分かった。

『私ももう年だしな』

『何の、こないだも銃撃戦をこなしたところじゃろうに』

『はは……』

 パトリスとはもう長い。トランス時にパトリスは軍の上官で、わしはその時から

研究者じゃった。あれから既に百年。お互い協力しながらマチの成り立ちや混乱期

を経てきた。

『とにかく、体には気をつけろよ』

『分かっとるよ』

『………』

 パトリスも気づいている、とわしは思った。このマチに寿命は無いが、治せない

病気は存在する。わしのそれはトランス時からで、宇宙航行を続けたヒトがよくか

かる病気であるらしい。徐々に体が弱っていく病気で痛みは薬で抑えられる程度じ

ゃが、先はそう長くは無い。そのこともあって普段わしはあまり外に出ないのじゃ

った。

「ソダー!」

 内耳の方で通信が来た。さすがに「ファントム」と内耳の通信機をシームレスで

繋げたりは出来ん。

『じゃパトリス、またな』

『あぁ』

 おそらくパトリスは別の通信方法でわしが誰かと連絡を取っていることにも気づ

いてはいるじゃろうがーーまだ、少し言うには早いかと思っておる。もう少し『ヒ

ュー』の調査に関して目鼻が付けば……。

 わしは内耳の通信の方に切り替えた。

「どうした、スキル」

「今左舷側の海辺に来てるんだが」

「休憩か」

「いや……艦内から見かけて、ちょっと出てきてる」

「どうかしたのか?」

 わしは少し嫌な予感がした。

「俺の左目のセンサーには反応しないんだがーー最大望遠だと、水平線上に何かあ

る」

「何か!?」

 スキルの左目は最先端技術の集合体で、各種センサーが凝縮されておる。その視

力は50を超える。

 じゃが境界の向こう側の水平線とはーーーわしは少し考え込んだ。

「…………」

 通常、境界の向こう側は草原なら草原、砂漠なら砂漠の反応のままで、もしそこ

に異物があったとしても反応は出ない。そもそも、見えない境界の向こう側に見え

ている景色は偽色か何かで、実は何も無い空間ということもありうるのだ。

 じゃが、確かにこの間リジーはそこを越えて入ってきてからまた出て行った。

 見えている風景の続きは、やはり普通に存在するのかもしれん。

 スキルは続けた。

「俺の目にはーーーあの辺りの水面に、有刺鉄線の塊の様なものが蠢いている様に

見える」



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



「……確かに、何かはありそうじゃが」 

 わしは情報センター近くに立っている塔に出てデジタル双眼鏡を覗いた。最大望

遠にしてもスキルの驚異的な目には届かない。あの体はトランス時に既にそうじゃ

ったと言うが、一体何処の誰が手術を行ったのじゃろう。

「………?」

 わしの目にはモヤモヤとしたものにしか見えなかった。勿論わしの老眼もあるの

じゃろうが。

「鉄の反応とかは、無いんだよな」

 スキルと内耳での通信はまだ繋がっておった。

「今のところな」

「要注意、だと思う。遠くにあるうちはいいが、もしマチに近づいてきたら……」

「大変じゃな」

「…………」

 わしらは少し黙った。また何か、マチに危機が迫ろうとしているのではないか。

二人ともそう思っておった。

 よく晴れた空で、日差しが眩しい。

 じゃがこの間の砂漠の時の様にすぐにヒトの死に関わる程ではなかった。

「……ファイは、どうしとる」

 わしは話題を変えた。

「あぁ……さっき右舷側を見に行ったよ」

「そうか…」

 海は「ディスカバリー」船体をぐるりと取り囲む様に出現していた。一応ファイ

だけではなく上層部からも水上監視用の人員は配置されていた筈だが、やはりファ

イは自分でもやらずにはおれんのじゃろう。

 スキルもそれを気にしてはおるが、そう表立って言うことはない。傍から見てい

ると、何とももどかしいことじゃ。

「ところで例の、「ファントム」が調子悪いっていうのは?」

 スキルが聞いてきた。

「……そうじゃの。どうも不安定で、時々接続が切れる。一斉にというよりはヒト

それぞれで」

「原因は?」

「さあの………」

 実はわしは、薄々思っていることがある。

 そもそも最初に「ファントム」が突然繋がる様になった時。

 あれも実は『ヒュー』の仕業だったのではないか?

 そして最近よく現れる様になった『ヒュー』は、やはりマチに何かをもたらそう

としているのではないか?

 少なくとも、その影響で「ファントム」に不調が出ておるのではないか?

 だとしたらーーわしがどうこう出来る範疇を超えておるかもしれん。

「……すまん、責めてる訳じゃない」

「お……」

 わしは我に返った。

「……まぁ、気長にやるよ。ところで……」

「ん?」

「フィルムの現像方法って、分かる奴はおらんか?」

「……え?」

 内耳からスキルのポカンとした声が聞こえた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 情報センターに戻ったわしは、水平線の金網用に警戒センサーをいくつか用意し

た。

 境界の外の金属反応等は期待出来ないが、少なくとも視覚的には監視しておくべ

きだろう。

 それを済ませてから、わしはまた「ファントム」の調整に戻った。


 数日経ったが、大して成果は無かった。

「ふぅ……」

 その日の午前、煮詰まったわしはイスに持たれておった。

 外は相変わらず海が広がっておる。モニターの中の金網群は、幾分マチに近づい

ただろうか。

 わしは何となく、側に置いてあったカメラを手に取った。

「…………」

 せっかく写したものを、見ることは出来ない。これをこじ開けたとしても、感光

してしまって余計に見ることが出来ない。まるでヒトと『ヒュー』や「ファントム

」との関係の様じゃ、とわしは思った。

「ーーーー!」

 カッとして一瞬、カメラを振り上げた。

 が、投げつけはしなかった。

「……ふぅ………」

 わしは立ち上がってカメラをウエストレベルで構え、上部を開けて覗き込んだ。

 どうにもならないデータばかりが並んでいるわしのデスクが見えている。

 体調はあまり良く無い。痛み止めを飲んではおるが、体のあちこちが妙にだるか

った。

 結局何も出来ないまま、わしは終わるのかもしれん。

 そんな気分のまま、わしは何となくシャッターを押した。

 ーーーーーパシャッ。

 とその時、情報センターのパワーが落ちた。

「!?」

 すぐに予備電源が入って再び辺りは明るくなった。

 がーーわしはすぐに異常に気付いた。

「!!」

 わしは自分の後頭部に手をやった。皆は手の甲にある「ファントム」じゃが、わ

しのものは何故か此処にある。感触はいつものザラっとした感じじゃが、完全にわ

しの「ファントム」は停止しておった。

「なーー!」

 わしは急いでデスクにつき、空間に浮かんだキーボードを操作し始めた。

 何がーー何が起こったんじゃ!?

「ソダー!」

 すぐに内耳の通信機でスキルから連絡が入った。

「どうした?マチのパワーが」

「わしにも分からん」

 脇の空間モニターに目をやれば、マチのあちこちで停電が戻らないブロックが点

々としておった。「ファントム」も数百人レベルで停止している。

 今までにない状況だった。

「く……」

 じゃがいくらキーボードを叩いて残ったマチのセンサーをフル稼働しても、わし

にはその原因が分からなかった。

 カメラのシャッターを押したことか?いやまさか。

 じゃがーーー。

 わしは手を止めてデスクの横に置いたカメラを見つめた。

 まさかーーーな。

 わしはカメラを視界に入らない様に後ろに押しやってから、作業を続けた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 一時間ほどで、「ファントム」と電源の不調は治まった。

 電源の方は分波パネルの技術的な問題じゃったが、相変わらず「ファントム」の

方の原因は分かっておらん。

 午後にパトリスが直接情報センターにやってきて、「ファントム」とマチの電源

のことについて話合いがあった。先程はパトリスの「ファントム」も繋がらなくな

った様で、一時上層部の機能が停止したことの方が問題だ、という話じゃった。

 わしは隠し立てせずにありのままを伝えた。何とかしたいのはヤマヤマじゃがわ

しに出来る事は限られている事。マチは相変わらずいつ終わりが来ても仕方が無い

状況であること。

 一応、わしの病状と何かあったとしても引き継ぎが出来る様手配はしてあること

も伝えた。

 後、マチを取り巻く海の向こうに金網が近づきつつあることも。

 パトリスは無理せずに頑張ってくれ、と言って帰っていった。

 流石にカメラのことまでは言わなかった。

 言えんじゃろう、そんな不確定要素満載なことは。


 その晩、わしはまた情報センター上の塔にある展望台っぽい場所に出ておった。

 心地よい夜風がわしを撫でる。体のだるさは昼間よりは若干マシじゃった。

 眼前にはマチを取り巻く海が水平線まで続いておる。

 監視カメラによると、スキルの言った海上の金網群は、そのうねりが判る程の距

離まで近づいて来ておった。あれが到達する時、マチはどうなるんじゃろう。

 其処まで考えた時、ひょっとして今回のマチの電源や「ファントム」の不調の原

因はあの金網なのかも知れないとわしは思った。

 そしてあの金網群も、『ヒュー』がもたらしたものなのかもしれん。

「………」

 じゃが今は考えていても仕方ない。何しろ存在を観測出来んのじゃから。

 わしは夜風にしばらく身を任せた。

「……!」

 その時、わしは気付いた。

 塔から見える「ディスカバリー」船体の上に、人影が見える。

 スキルじゃ、と何と無く思った。スキルは一人になりたい時に、よくここに来て

おる。わしが気付いたのは最近じゃが、敢えて声はかけんことにしておる。因みに

ファイやランプも、時々あそこに姿を見せる。皆スキルを追ってきては、スキルを

そうっとしておく。全く微笑ましいことじゃ。

 じゃが今日は様子が違った。側にはファイらしき人影もいて、ちょうどファイの

方が立ち上がったところじゃった。何か言い合いをしておる様じゃ。

「………」

 内耳の通信機を入れれば会話は聴けるがーー止めておいた。

 外見上は若い二人じゃが、その精神は百歳以上と五十歳。ああやって本気でぶつ

かり合うということはお互い本気だということじゃ。じゃからこそ、あの二人には

うまくいって欲しい。願わくばそれをちゃんと見届けてから逝きたいものじゃがー

ーー。

 ファイらしき人影が哀しげに歩いて去って行った。

 スキルの方は呼び止めない様だ。

「……」

 今日はわしも何だか切なくなった。

 わしも早々に退散した。クワバラ、と太古よりの呪文を唱えながら。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 二日後、マチのヒト達にも視認出来る距離まで海の中のうごめく金網は近づき、

マチはちょっとしたパニックになった。

 パトリスは即座に遊泳禁止を発表し、海岸周りは上層部の部隊が封鎖した。

 運良く「ファントム」の調子は悪くはなかったので、その情報はマチの大部分に

は伝わった筈じゃった。

「こいつは……」

 監視カメラではうごめく金網がハッキリと見えていた。わしは情報センターでそ

れを見守っていた。

「ソダー」

 ランプからの通信だった。

「本当に動いてるよ」

「海岸に出とるのか」

「いや、船体の窓から見てる」

「ならいいが……気をつけろよ」

「うん……これから、どうなるんだ」

「さぁな…………」

 わしはしばし黙った。わしとて予想は出来はせん。

「……なぁランプ」

「何」

「スキルとファイ、何かあったか?」

「あぁ、何かケンカしたみたい。ちょっとギスギスしてるよ」

「そうか……原因は?」

「さぁね……スキルが心を開かないから、とか?」

「ほう……」

 あるとしたら大体そんな感じだろうか。

 スキルのことだ。自分の再生技術で出来た体のこととか気にしておるのかもしれ

ん。

 そんなこと、このマチではどうでも良いであろうに。

「……そろそろ「ベルリン」の仕事に戻るよ」

 ランプが先に会話を切り上げた。「ベルリン」というのはこのマチのほぼ唯一の

バーで、ランプは普段はそこの手伝いをしておる。

「くれぐれも気をつけてな」

「だから、子供じゃないって」

 わしは少し笑った。

 そしてまた作業に没頭した。

 マチの住民に一通り連絡を回した後、また「ファントム」は調子が悪くなってい

た。

 わしは、決心していた。

 電力が安定している内に、ダイブーー「ファントム」開発当初の様に、わしの後

頭部の紋章と脳波ケーブルを繋いで、意識を「ファントム」のネット空間に入れ込

んで直接その状態を見てみよう、と。

 「ファントム」の通信ががある程度軌道に乗ってからは久しくやったことが無か

った。かなり電力を消耗するし、今はわしの体が持つかも分からん。途中で不具合

でも起きればわしの意識が何処かへ消えてしまうこともありうる。

 じゃが今、もしあの金網がマチを襲うのなら、その前に。やるだけのことはやっ

てみよう、とわしは考えていた。

 ずいぶん前から、脳波をデータ化するデバイスの話はあった。マチの存続が危う

くなった時、とうとう終末が訪れた時、どうにかしてヒトが生き延びるにはーーー

体を捨てて意識化した状態で脳を保存していれば、というのは当然の帰結だ。そし

てごく稀に塔に現れるモノの中に、そういったデバイスが現れることがある。

 今わしが手にしているのはその一つじゃった。

 額から後頭部に繋がるヘアバンドの様な形。後ろ側は少し太くなっていて、わし

の後頭部の「ファントム」に丁度読み取り装置が重なる様改良したものじゃった。

 わしはそれを久しぶりにつけた。百年前に使ったモノよりは少し新しい。その時

より少しは深く潜れるかもしれん。

 慎重にセッティングを開始する。目の前には各種モニターが立ち上がっていった。

「ーーーさて」

 わしは一呼吸置いた。

 ーーースキルたちに、一言言っておくべきじゃろうか。

「…………」

 少し考えてから、わしは目の前の空間キーボードに手を伸ばした。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 わしの意識は、「ファントム」の不可思議な空間を漂っていた。

 モヤモヤとしたガスの様なものが満ちた世界。わしは体も感覚も無い意識だけの

状態で、そこを進んでいく。

 わしが構築した「ファントム」を通したネット通信の構造体が見えてきた。もち

ろんそれはデータ上の情報が視覚的に存在として変換されたものだ。複雑に入り組

んだ階層上のそれに、わしはゆっくりと近づいていった。

 近寄っていくとその階層は巨大なビル程度の大きさで、複雑なブラックボックス

の様になっていた。

 一見して変化は無い様に見える。

 じゃがーーーー。

『…………』

 わしはさらに寄って行ってそのあちこちを観察し始めた。

 単純な接続不良、ソフトの引っ掛かり的な原因はすぐに分かって対処はした。

 じゃが不調の根本の原因は分からなかった。

『………よし』

 わしは今度は意識を引いていった。

 巨大なビル程度の大きさだったそれは、ダンボール箱程度まで縮小された。

『…………?』

 改めて全体像を見ると、我ながらよく出来てはいると思う。

 じゃがそれは、極めて狭いマチという空間の中でだけの話じゃ。

 本来はもっと外ーー違うマチやホシやヒトと、無限の繋がりを持つものであるべ

きもの。

 それが今でも口惜しい。

『…………!』

 わしは意識の中で唇を噛んだ。

 それでもーーたったこれだけの作業をすることでさえ、わし一人では出来なかっ

たのだ。

 恐らくは『ヒュー』……あの謎の存在がわしを、「ファントム」をノックしてく

れたから出来たこと。

 ならば今一度、わしに見せて欲しい。

 あの時見た、無限の繋がりを。

 マチの外の世界を。

 わしは辺りを見回した。

 広大なネット空間の中で、この小さな場所でしか、わしらのネットワークは存在

しておらん。

『ヒュー!』

 わしは意識体のまま叫んだ。

『いるなら、教えてくれ!』

『見せてくれ!あの時のイメージを!』

 反応は無かった。

 わしの創った「ファントム」の僅かな構造体は全体からするとあまりに小さく、

後はモヤモヤとした空虚な空間が何処までも続いていた。

 わしは叫びながら、その空間を飛び回った。

 ある一点を目指して、突き進んでみたりもした。

 じゃがーーー何も起きんかった。 

 百年近く前に見たあの景色は、何処にもなかった。

 わしは、絶望した。

 やがてわしの意識は、儚く途切れていった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



「ソダー!」

 体を揺さぶられて、わしは起きた。

 そこは情報センターで、わしは椅子から降ろされて天井を見上げておった。

 どうやらダイブ中に気を失った様じゃった。

「う……」

 体に力が入らんかった。だいぶ体に負担をかけた様じゃった。

「いい、しゃべるな」

「ソダー、大丈夫?」

 どうやらファイもいる様だ。

 わしはスキルに抱きかかえられて用意してあった医療用ベッドに寝かされた。

「あぁ……?」

 うまく口が回らなかった。

「後はこちらで対処します」

「あぁ……後でな、ソダー」

「ん……」

 医者と医療スタッフが数名既にいて、わしは運ばれていった。

 ドアを出る時にチラリとわしを見送る二人を見たが、やはりまだ微妙な距離があ

る様じゃった。

 やれやれ、仲直りはまだ先の様じゃな。


「驚いたよ」

 わしは上層部近くにある医療ブロックの一室にいた。側にはスキルがいた。

 一日以上経って、わしはようやく落ち着いた。思ったよりも疲れていたんじゃろ

う、ようやく普通に話せる様になった。

「ダイブを試したのか」

「あぁ……何も進展は無かったがな」

「後少しで、意識が戻らなかったかも知れない」

「それでもいいんじゃ。「ファントム」の……『ヒュー』の謎さえ解ければ」

 本心じゃった。

 この老いた体はもう十分すぎるほど働いてくれた。

 後少しーー後少しだけ持てば。

「病気も進行してる。……簡単に死んでもらっちゃ困るんだ。まだ力を貸してくれ」

「ふふ……素直じゃな」

 スキルはフッと笑った。

「ファイにも、そうして笑っとれば良いのに」

 スキルの顔に少し哀しそうな表情が浮かんだ。

「……聞いたのか」

「見とれば分かるよ。どうせわしからしたら、大した問題じゃなかろう」

「……そうでもない」

 スキルは気まずそうに目を落とした。

「いくら寿命が無いと言っても、ゆったりし過ぎじゃな」

「俺に、そんな資格があるか」

「そんな細かいことを言ってて良いのはーー」

 わしは笑って言った。

「せいぜい齢五十位までかの」

 スキルは苦笑した。しばし穏やかな時が流れた。

 わしは話題を変えた。

「ところで、マチはどうじゃ」

「みんな、不安がってる」

「金網は?」

「近づいてるよ。明日には境界近くまで来る」

「そうか……」

 わしは疲れた体を起こした。がまだ少し目眩がした。

「う……」

 スキルがすぐに支えた。

「まだ休んでろ」

「う……年には勝てんの」

「もう成長が止まって随分経つだろ」

 スキルにサポートされながら、わしは再びベッドに横になった。

「頼みがある……四時間だけ寝る。起こしてくれ」

「……止めても、行くのか」

「勿論じゃ」

「………了解」

 スキルはそれ以上何も言わなかった。

 わしはそれをありがたいと思った。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 わざと起こさずに寝かされるかもと思ったが、スキルは正確に四時間後に起こし

てくれた。

 まだ外が暗い夜明け前。

 金網はモゾモゾとうごめきながら境界近くへと迫ってきていた。

「……じゃ、俺は行くよ」

「死ぬなよ。わしも出来るだけのことはやってみる」

「あぁ」

 スキルは去って行った。

 少し待ってから、わしは背後のドアに声をかけた。

「……ファイ?」

 ドアを開けて、ファイが入ってきた。

「分かってたんだ」

「うむ。おそらく、スキルも分かっておったろうよ」

「うん……」

「ファイは、これからどうする?」

 ファイは俯いた。

「パトリスからは上層部のブロックの保護に加わるよう言われてる。でも……」

「スキルと、一緒にいたい?」

 ファイは俯いたままコクリと頷いた。

 やれやれ、こっちはこんなに素直なのにのぅ。

「何が起こるかは分からんがーー」

 わしはベッドから起きだしながら言った。

「時間がいつまでもあるとは限らん。好きにすれば良い」

「……うん!」

 ファイは力強く頷いた。

「わしも少し、勝負してくる」

「気をつけてね」

「そっちもな」

 わしは立ち上がった。

 ……ランプにも、連絡しておくか。

 内耳の通信機で話しかけると、決戦に備えてまだ寝ていた様だ。

「起こして、悪かったな」

「うん………何」

「ランプ、世話になったな」

「……それ、こないだ言ってキャメロンに怒られたよ」

 キャメロンというのは「ベルリン」のマスターじゃった。

 わしは笑った。

「そうか。……じゃ、また」

「うん、また」

 それだけで、十分じゃった。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 わしは「ファントム」の海にダイブした。

 思えば、最初にヒト達が手の甲に持っていた紋章に僅かに電気的信号があること

に気づいたのも偶然だった。更にそこから通信やネット環境が作れると分かったの

も。

 その仮想空間にダイブした当初は本当に何も無い空間で、わしが苦心して作った

マチのみのネット環境が出来た後も、しばらくは苦心続きだった。それが繋がった

のはーーーやはりそこに『ヒュー』の存在があったからなのじゃと思う。

 わしは意識体のまま、こないだ見た複雑なネットの構造体に近づいた。

 この間は視点を引いて外との関わり合いを見ていたが、今度は逆にどんどん寄っ

て行った。ビル大の大きさに対してわしの意識を蚊の様に小さく。構造体の隅から

隅までを観察していった。

 「ファントム」で行き交うデータもこれなら見える。感じ取れる。

 外では、マチに迫りつつある金網に対して防衛線が敷かれていた。うごめく金網

に拳銃弾は有効ではないのだろう、スラッグ弾やグレネードランチャーなどを装備

した上層部の部隊がマチを取り囲んでいた。スキルもその前線にいる。ファイの姿

も見えた。

 頑張れ、死ぬなよーーー。

『…………!』

 わしは更に意識を小さく、細胞レベルまで下げていった。

 何故、「ファントム」は繋がっているのか。何故、今不調なのか。その情報が伝

わる現場を見ようとした。

 外では交戦が始まるところだった。

 うごめく金網はゆらりとマチに迫ってきた。そのガチャガチャとした切っ先は境

界を超えつつあった。上層部が一斉射撃を始めた。スキルは波打ち際でグレネード

ランチャーを撃っている。着弾した箇所の鉄線は千切られるものの、無数にある金

網群にはあまり効果は無かった。

『く……』

 わしは急いだ。意識体の今は、病魔に冒された体の状態はそう感じずに済む。

 わしはシナプスの様に絡み合った、「ファントム」の情報の接触部に近づいた。

『…………?』

 そこにあったのはーーー本当に僅かな光。

『………!』

 そこで行き交っているのは、小さな小さな緑色の光だった。その小さな光一つ一

つに、情報が集約されてあちこちに伝わっていく。

『ーーー?!』

 こんな光は、わしは知らない。

 そんな制御はしていない。

『…………まさか…………!』

 この光は見たことがあるーーーこれは、あの『ヒュー』のものなのか!?

 わしは、その力を借りていただけ?

 既に体の感覚は無いがーーー全身の力が抜ける様な気がした。

『そんなーーーー』

 見れば、その光は時々途切れる。

 落ちかけた線香花火の様に、それは途切れる。

 わしのシステムの問題では無い。

 それは『ヒュー』の光を利用している以上、その光に左右されるのだーーー。

 わしは絶望的な気分になった。

 ならば、わしに出来ることはそう無いではないか。

 何の為に、わしはーーーー。

『そんな!!!』

 わしは再びその奥底へと向かった。

 小さく、どんどん意識を小さくーーー。

 わしはその光に、近づいて行った。

 そのうっすらと緑色を帯びた光に、触れられるならーーー

 わしの意識が、それに届くと思えた時ーーー


 キィーーーン!


 何処からともなく光がきて、わしを包み込んだ。

『ーーーーーー!』



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 わしは、何も無い海岸に立っておった。

『…………?』

 後ろを振り向いたが、何も無い。

 直径十メートル程の海の中にポツンとある砂浜に、わしはいた。

 ここは、一体何処じゃろう。

 ダイブしていた筈じゃのに、わしはどうして此処におるんじゃろう。

『…………!』

 気がつくと、わしはあの中盤カメラを手にしておった。わしは意識体ではなく、

しっかりと砂浜に立ち体の感覚もちゃんとあった。

 わしの手の中で、そのカメラはしっかりとした重量を伴った存在として感じられ

ておった。

『何故………』

 わしはぼうっとした意識の中で考えた。

 思えば、今回のことはこのカメラを拾ったことから始まったのだ。

 あの停電は、やはりこのカメラが引き起こしたのだろうか。

 わしはカメラを改めて見つめた。

 そしてその上部を開いて、ウエストレベルでそれを覗き込んだ。

『……!?』

 ここを取り巻く波の中に、キラキラとした金属が見えた様な気がしてはっとした。

 これは、マチに迫るあの金網、有刺鉄線群!?

 バッと顔を上げても、そこは普通の海が見えているだけじゃった。

『………?』

 再びカメラに目を戻すとーーー、やはりそこにはうごめく金網の姿があった。

『!?』

 見上げても、そこには金属は見えなかった。

『う………』

 何か、まずい雰囲気じゃった。

 じゃが、逃げようにも此処は四方を海に囲まれた砂浜じゃ。

『………………?』

 恐る恐るカメラを覗いた。

『!!』

 カメラの中では、巨大な津波のような金網の壁がこちらに向かって立ち上がって

きていた。

 それはガチャガチャと音を立て、わしを飲み込もうと押し寄せてきておる。

『あぁ………』

 顔を上げると、そこにもいつの間にか水の壁は迫ってきていた。

『おぉーーー!』

 わしはお世辞にも泳ぎがうまいとは言えん。

 全身をアドレナリンが包む。

 水の壁は轟々と音を立てて迫りーーー立ち尽くしていたわしはそれに飲まれた。

 わしの体は凄まじい勢いで飛ばされ、木の葉の様に膨大な水流に翻弄された。

 死ぬーーーー!

 じゃが何処かで、ようやく死ねる、と思う自分もいた。

 そう、それがマチで生きるということじゃった。

 薄れゆく意識の中で、わしは無意識にカメラのシャッターを切った。


 カシャッ。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



『!!』

 その瞬間、呼吸の苦しさや水流の激しさなど全ての感覚が消えた。

『…………?』

 そこはモヤモヤとした空間で、わしの中に無数の光が飛び込んできておった。

 かつて見たあの景色の中心に、わしはいた。

 これをもう一度見る為に、100年近くの歳月がかかったのじゃ。

『あぁ………』

 「ファントム」で繋がった感覚に似ていたが、そのもっと奥深いもの。

 無數の情報が、感情が、わしの中を流れていった。

 その中には、マチの風景もあった。

 金網が津波のようにマチに押し寄せている。

 スキルが震動波と生体レーザーをフル活用してそれを押し戻そうとしていた。

 上層部の部隊は撃ちまくっていたが、金網の波に絡め取られていく者も多かった。

 ファイも戦っていた。

 パトリスも前線に出て奮闘中だった。

 マチの中では住民たちが息を潜めてそれを見守っていた。

 彼らをーーーどうにか助けられないだろうか?

 だがそのイメージが見えたのは一瞬で、後は無限のフラッシュの濁流がわしを押

し流していった。


 頭の中で声が聞こえた。

『俺は、俺のことはいい』『何とかして生きている!』『お前は、何も分かってい

ない』『ここに来る人は、モノは、結局お前の好みなのか?』『誰かに観られてる

気がするの』『だからもう会えない!』『こんな死に方はイヤだろ』『こんな生き

方がイヤだ』『全てのファントムは、『ヒュー』に通ずる』『逃げているのか?』

『解放へ?自由へ?』『それとも進んでいるのか?』『自分の中を流れるんじゃな

い。自分から出すんだ』『3人の男に3人の『ヒュー』』『そして、3人が一緒に

なったら……』『ヒューに届くんだ』『正直信じてない』『でも、お前は認めてる

』ーーーー

 誰じゃーーー誰の声じゃ!


 少年がカメラを手にして、草原を走っておった。

 希望に満ちた顔で、自分の目に見える全てを、切り取ろうとしておった。

 あれはーーーわしなのか?


『……………』

 何となく感じた。

 ーー全てが繋がっているんじゃ。

 マチ以外の、全ての場所と。

 ヒトが、生命が暮らす場所は無数にあって、それは皆繋がっているーーー!

 わしは、何かが分かった様な気がした。


 突然、全てのイメージが消えた。

『………!?』

 わしは、白い空間にいた。


『ヒュー』


 声が聞こえた。

『あぁ………』

 わしには分かった。

 スキルやファイに聞いていた。

 この声じゃ。

 優しいような強いような、独特の声。

 わしは声の方を振り向いた。

 と言ってもわしにはもう体は無かったが。

 そこには、白い髪に白い服を着た、少年がいた。

 ボウっと光るその少年は、じっとわしの方を見つめていた。

 その片方の目は、マチの成長が止まったヒトの様に心なしか白脱している様に見

えた。

『お前は……』

 わしは意識で話しかけた。

 そう言えば今のこの会話は「ファントム」でのものにも思えるし、それを凌駕し

た別の深さをも感じさせた。

『お前は、何なんじゃ?』

 『ヒュー』は、答えんかった。

『わしに、「ファントム」の使い方を教えた……そうじゃろう?』

 『ヒュー』が一瞬、微笑んだ様な気がした。

『わしはーーーこれから、どうすればいい?何をすればいい?』

 その時、『ヒュー』はくるりと体を回転させた。

 パァッと光が散って、その姿は消えた。

『待てーーー待て!』

『まだ聞きたいことが、教えてもらいたいことが、山ほどあるんじゃーー!』

 わしのその叫びは、虚空へと吸い込まれていった。


 キィーーーーン!


 あの光を放つ時の音が、遠くで聞こえた様な気がした。

『………?』

 辺りには『ヒュー』の光は無かった。

 いやーーーあった。

 それは、わしの中にあった。

『あぁ…………!』

 わしの中から溢れる柔らかで優しい光は、わしをゆったりと癒す様に瞬いておっ

た。

 「ファントム」が、『ヒュー』が何なのか、わしは分かった気がした。

 言葉では説明出来ん。

 じゃが、わしは確かに、それに触れた。



   ✴︎   ✴︎   ✴︎



 わしはマチを感じておった。

 マチはーーその船体は金網群に覆われていて静かじゃった。

 海水はすっかり引いて、遠浅の海底が見えておった。

 マチの皆は立ち尽くしておる。

 スキルとファイは健在じゃった。

 既に金網たちは動いておらず、死んだ様にその身を「ディスカバリー」船体に預

けておった。

 皆、立ち尽くしていた。

 パトリスも、キャメロンも、キャスリンも、ハークも、「ベルリン」の常連の老

人たちも。

『大丈夫か』

 わしは尋ねた気がした。

 勿論、それは届かない。

 わしはそこにいたが、いなかった。

「………!」

 スキルが、足元に気がついて何か拾った。

『あ……』

 それは、あの中盤カメラじゃった。

『スキル……』

 スキルがそれを拾って、怪訝な顔をした。

 側のランプが何か告げている。おそらくあのカメラじゃと言っておるのじゃろう。

「ソダー……ソダー!」

 スキルやファイやランプが、声や内耳の通信機でわしを呼んでいるのが分かった。

 じゃがわしには応える術が無い。

 パトリスたちも連絡を取ろうとしている様じゃが、また「ファントム」の調子が

悪くなっておった。勿論調子に関わらずわしにはもう届かん。

 情報センターでは無人のデスクが佇んでいた。わしの後頭部の「ファントム」に

繋がっていた脳波デバイスが力なく垂れ下がっている。

 いずれスキルたちが、残しておいたメッセージに気づくじゃろう。

『…………』

 わしは今、どういう存在なのじゃろう。

 霊体なのじゃろうか。

 それとも『ヒュー』の様な?

 もう、前ほど強い感情は抱かなくなった様な気がする。

 勿論体は無い。

 意識も、前の自分と同じものなのかは分からん。

 ただ言えるのは、わしもまた「ファントム」を繋ぐ際に必要な光の一つ、じゃと

いうこと。

『…………』

 マチはこの先、どうなるのじゃろう。

 わしは何か出来るのじゃろうか。

 ただ、わしはそれを最後まで見守る。

 元々寿命など無かったが、さらに今は死という概念自体も無いのじゃから。



                        (   続   )


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