第6話 三年生の思い出
同窓会は、悠人が想像していたより普通に始まった。
もっと気まずいものだと思っていた。
三十年以上会っていない人間が集まって、昔話など本当にできるのか。名前すらまともに思い出せない自分が参加して、二時間も三時間も間が持つのか。
そんな心配をしていたのだが、始まってみれば何とかなるものだった。
料理が運ばれ、酒が入る。
野崎が用意したという昔の写真がスクリーンに映されるたび、
「いたいた、こんな先生」
「この遊具、もうないよね」
「給食室ってここだったっけ?」
と、誰かしらが声を上げる。
記憶というのは不思議なものだ、と悠人は思った。
一人では思い出せない。
けれど誰かが、
「図書室の前に大きい水槽があった」
と言えば、
「あった」
と思う。
校庭の隅に百葉箱があった。
体育館の裏でドッジボールをした。
給食のカレーには干しぶどうが入っていて、嫌いな子が多かった。
確かなのか、他人の話に自分の記憶が引っ張られているだけなのか、途中から分からなくなった。
「久住君、昔から静かな子だったよね」
向かいに座った女性に言われた。
名札を見る。
高橋。
名前を見ても分からない。
「そうだった?」
「そうだったと思う」
「思う、なんだ」
「だって三年生だよ」
高橋が笑う。
それで済んでしまう。
三年生。
その言葉には便利なところがあった。
覚えていなくても仕方がない。
間違っていても仕方がない。
誰かが何かを覚えていると言えば、そんなこともあったかもしれないと思える。
悠人はグラスを口に運びながら、少し離れた席に座る野崎を見た。
幹事は忙しそうだった。
先生の飲み物を気にし、遅れて到着した参加者を迎え、ホテルスタッフに料理の確認をしている。
あれだけ連絡先を探して、この人数を集めたのだから大したものだ。
自分なら途中で面倒になっている。
「野崎君は本当に大変だったみたいよ」
声をかけてきたのは、副担任だった小宮山紀子だった。
悠人が顔を向ける。
間近で見ても、やはり昔の姿はほとんど思い出せない。
「そうみたいですね。連絡先、全然分からなかったって」
「私のところにも何回か電話があったもの」
「先生に?」
「昔の連絡網なんて残ってないかって。さすがに三十年以上前でしょう。私も持ってなくて」
小宮山は苦笑した。
「先生も野崎のこと覚えてました?」
聞いてから失礼だったかと思った。
だが小宮山は気にした様子もなく首を傾げた。
「名前はね。でも、子どもの頃の顔はもう曖昧。みんなそうよ」
「ですよね」
「あなたも最初分からなかったでしょう?」
「完全にバレてますね」
「受付で自転車の話してたじゃない」
聞かれていたらしい。
悠人は恥ずかしくなった。
「作文集で予習しました」
「真面目ねえ」
「昔から真面目だったんですかね」
「どうだったかしら」
小宮山が笑う。
教師ですら、この程度なのだ。
三十年以上前の一クラス。
三十人。
その中の一人一人を覚えていろと言われる方が無理なのだろう。
少し離れたところでは、宮本が担任の梶原と話していた。
「先生、俺のこと覚えてます?」
「宮本か?」
「おお、即答!」
「名札見た」
梶原が言い、周囲が笑った。
「先生、それ反則ですよ」
「四十になった教え子を顔だけで当てろって方が無茶だ」
宮本の笑い声は大きかった。
酒もかなり進んでいる。
それでも乱れる感じはなく、周囲を楽しませるタイプなのだろうと思った。
瀬川も近くにいる。
彩乃と理沙は真帆と昔話に花を咲かせていた。
三田村はその少し外側で酒を飲んでいる。
悠人は席を立った。
「圭介」
三田村が顔を上げた。
「ん?」
「飲んでる?」
「そこそこ」
「昔から飲めたっけ」
「小学生の時は飲んでないだろ」
「ああ、そうか」
「もう酔ってんのか」
二人で笑った。
久しぶりに会ったはずなのに、話していると空白の年月が妙に短く感じられた。
「そういやお前、今も小説書いてんの?」
三田村が言った。
「今もって、いつ知ったんだよ」
「さっき聞いた。奥さんから」
悠人は真帆を見る。
真帆は彩乃と話していてこちらには気づいていない。
「趣味だよ」
「ネットに載せてんだろ?」
「一応」
「名前何だっけ?」
悠人は投稿サイトで使っている筆名を教えた。
「今度読むわ」
「やめとけ」
「なんでだよ」
「知り合いに読まれるの、妙に恥ずかしいんだよ」
「じゃあ公開すんなよ」
「知らない人に読まれるのはいいんだ」
「面倒くさい作家だな」
「作家って言うな。そこだけ聞かれると恥ずかしい」
近くをホテルスタッフが何人か通り過ぎた。
料理の皿を下げる人間。
飲み物を運ぶ人間。
誰もこちらを気にしてはいない。
悠人も、それ以上小説の話をする気はなかった。
「お父さん」
結菜がやってくる。
「眠い」
「まだ八時だぞ」
「暇」
「さっきまでホテル探検してただろ」
「一人じゃだめって言ったの、お父さんじゃん」
「そりゃそうだ」
結菜は悠人の隣に座った。
三田村が笑う。
「明日は遊びに行くの?」
「アスレチック」
結菜が即答する。
「いいな」
「三田村さんは?」
「明日帰る」
「みんな帰るの?」
「たぶんね」
結菜は悠人を見る。
少し得意げだった。
「うちだけ二泊」
「そんな勝ち誇ることじゃない」
しばらくして、野崎がマイクを持った。
宴も終盤らしい。
「今日は本当にありがとうございました」
さっきまでの気さくな調子とは違い、少し緊張した声だった。
「正直、こんなに集まってもらえると思ってませんでした。連絡先が分からない人も多くて、実家に電話したり、先生方にも協力してもらったり……」
会場から、
「お疲れ」
と声が飛ぶ。
野崎が笑った。
「本当に疲れました」
また笑いが起きた。
「でも、やってよかったと思います。三十年以上経って、こうやってまた会えるなんて思わなかったので」
拍手。
悠人も手を叩いた。
そして、ふと思い出した。
そうだ。
聞こうと思っていたことがある。
締めの挨拶が終わり、席を立った野崎のところへ向かう。
「野崎」
「ん?」
「一個聞いていい?」
「何?」
「これ、なんで三年二組だったんだ?」
野崎が一瞬だけ目を細めた。
気のせいかもしれない。
すぐに、
「ああ、それ――」
と言ったところで、背後から声がした。
「野崎さん、すみません」
ホテルの男性スタッフだった。
「お支払いの件で確認が」
「あ、はい。今行きます」
野崎は悠人へ片手を上げた。
「ごめん。あとでいい?」
「ああ」
野崎はスタッフと会場の外へ出ていった。
悠人は取り残された。
まあ、あとで聞けばいい。
そう思った。
けれど結局、その夜、野崎に同じ質問をすることはなかった。
帰り際。
エレベーターを待っていた悠人の少し先で、宮本が三田村へ声をかけているのが見えた。
二人とも、さっきまでの宴会とは違って笑っていなかった。
「圭介」
宮本が低い声で言った。
「俺さ……」
そこから先は、エレベーターの到着音に消された。
扉が開き、結菜が悠人の腕を引く。
「来たよ」
「ああ」
乗り込む直前、もう一度振り返った。
宮本が何かを話し、三田村は黙って聞いていた。
一瞬だけ、三田村が険しい顔をしたように見えた。
翌朝には、悠人はその光景をほとんど忘れていた。




