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『誰も覚えていない三年二組』  作者: asnt2026


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40/40

第40話 誰も同じではない

事件が終わった、とは誰も言わなかった。


紗月が逮捕されても捜査は続いた。


宮本、瀬川、彩乃の死。


理沙への襲撃。


高城直人の死。


紗月の供述と、それを裏づける記録が一つずつ確認された。


二十三年前の森崎航平の死も改めて調べ直されることになった。


高城宗一郎はもういない。


裁判にかけることはできない。


それでも、


事故だった。


という一行だけで閉じられていた記録に、別の事実が書き加えられていく。


それで航平が戻るわけではない。


宮本たちがしたことも消えない。


けれど三田村は警察へすべて話した。


理沙も、自分が覚えていることを話した。


遅すぎる。


そう言われれば、その通りなのだろう。


だから話さなくていい、とはならない。


悠人はそう思うようになった。


事件から一か月ほど経った夜。


結菜が寝たあと、真帆と二人でリビングにいた。


テレビはついている。


二人とも見ていない。


悠人が先に口を開いた。


「一個聞いていい?」


真帆がこちらを見る。


「一個で終わる?」


「たぶん」


「信用ないなあ」


少し笑う。


以前と同じような会話。


でも以前と同じではない。


それでいいのかもしれない。


「なんで言ってくれなかった?」


何のことか説明しなくても、真帆には分かった。


三田村。


球場。


あの日の事故。


全部。


「言わなくてもいいことだと思ってた」


真帆はそう答えた。


「圭介とのことも?」


「それは特に」


悠人は苦笑した。


「そこは別にいいよ」


「ほんと?」


「少し嫌だったけど」


「嫌だったんじゃん」


「二十三年前の元彼に今さら勝ち負けもないだろ」


真帆が笑った。


笑い終わると、少し静かになる。


「事故のことは」


悠人が言う。


「俺に言ってたら、何か変わった?」


「分からない」


「だよな」


「ただ」


真帆は自分の指を見た。


「悠人はこういうことになると止まらないから」


否定できない。


「巻き込みたくなかった?」


「うん」


「それ、勝手じゃない?」


真帆が顔を上げる。


「勝手だと思う」


予想していなかった答えだった。


「守ってるつもりだった。でも悠人がどうしたいか、聞いてないもんね」


悠人はテーブルの木目を見る。


「俺も結菜にいろいろ隠した」


「親だからって?」


「怖がらせたくなかった」


「同じだね」


「少し」


二人とも正しいつもりで黙る。


その沈黙が相手を守ることもある。


傷つけることもある。


どちらになるかは、選んだ時には分からない。


「夫婦だからって」


真帆が言った。


「全部知ってるわけじゃないよ」


悠人は頷く。


「知ってるつもりだった」


「私も」


それで話は終わった。


抱き合うわけでもない。


涙を流すわけでもない。


真帆は空になったカップを持って立ち上がり、


「洗うけど、もう飲まない?」


と聞いた。


「飲まない」


「じゃあこれも」


悠人がカップを渡す。


指が少し触れた。


それだけだった。


でも事件の最中は、その何でもない触れ方すら遠かった気がした。


数日後。


悠人と真帆は、三田村に誘われて森崎航平の墓へ行った。


理沙も来る予定だったが、体調が優れず欠席した。


墓地は小さかった。


秋の空が高い。


三田村は墓前に立つと長い間何も言わなかった。


謝るのかと思った。


言葉は出なかった。


最後に花を置き、頭を下げた。


それでいいのかもしれない。


二十三年分の後悔を、数行の謝罪でまとめる方が不自然だった。


悠人は少し離れたところに、新しい花があることに気づいた。


誰が持ってきたのか分からない。


名前もない。


三田村ではない。


理沙かもしれない。


昔の関係者かもしれない。


それとも全く別の人かもしれない。


悠人は聞かなかった。


知らないままでいいこともある。


以前の自分なら、誰が置いたのか考えていた気がする。


帰りの車で真帆が言った。


「紗月さん、あの家族写真ずっと持ってたんだって」


相原から聞いたらしい。


宗一郎。


母親。


直人。


紗月。


旅行先で撮った写真。


「捨てなかったんだな」


「捨てられなかったんじゃない?」


悠人は運転しながら前を見る。


憎い人との楽しい記憶。


それを持っていることを、誰が責められるのだろう。


宗一郎がしたことは消えない。


それでも紗月が笑ったあの日まで嘘だったことにはならない。


たぶん。


答えはそれぞれの中にしかない。


その夜。


久しぶりにパソコンを開いた。


投稿サイト。


途中で止まっている連載がある。


でも続きを書く気にはならなかった。


新規作品。


タイトル欄は空白。


以前の悠人なら、最初に考えた。


どう殺すか。


どう隠すか。


どこで読者を騙すか。


今日は違った。


最初に一人の男を考えた。


その男は嘘をつく。


では、なぜ嘘をついたのか。


怖かったから。


誰かを守りたかったから。


自分を守りたかったから。


全部かもしれない。


悠人は書き始めた。


事件とは関係のない話だった。


同窓会も出てこない。


高校野球も。


ホテルも。


現実の誰かをそのまま使うつもりはなかった。


書いているうちに夜中になった。


真帆が一度、


「まだやってるの?」


と顔を出した。


「久しぶりだから」


「明日起きられる?」


「たぶん」


「信用ない」


そう言って寝室へ戻っていった。


翌日の夜。


第一話を投稿した。


閲覧数。


十二。


昔なら更新ボタンを押していた。


押さなかった。


寝る前、一度だけサイトを開いた。


通知がある。


コメント。


悠人は少し身構えて開いた。


たった一行。


「この人たちがこのあとどうなるのか、続きが気になります」


悠人は画面を見たまま、しばらく動かなかった。


犯人が気になります、ではなかった。


トリックが気になります、でもない。


この人たち。


それが妙に嬉しかった。


「何ニヤニヤしてるの?」


後ろから結菜の声。


「起きてたのか」


「水飲みに来た」


結菜が画面を覗こうとする。


悠人は閉じた。


「何?」


「何でもない」


「怪しい」


「子どもは寝ろ」


「もう子どもじゃないし」


「十歳は子どもだ」


結菜は不満そうに冷蔵庫へ向かった。


水を飲みながら、リビングの棚に置いてある古いアルバムを見つける。


「これ見ていい?」


「いいけど」


結菜が床へ座り、ページをめくった。


「お父さん若い」


「そりゃそうだ」


「髪多い」


「寝ろ」


「お母さん全然変わってない」


寝室から真帆の声が飛んできた。


「聞こえてるよ。結菜、いい子」


「差別だろ」


結菜が笑う。


ページをめくる音。


写真の中には、悠人が知らない頃の真帆もいる。


真帆が知らない頃の悠人もいる。


その写真に写っていない時間は、もっと多い。


写真はその人の一瞬しか残さない。


記憶もたぶん同じだ。


見えているものが全部ではない。


だからといって、見えていたものまで嘘になるわけでもない。


結菜が一枚の写真を指差した。


「これ、三年生?」


悠人が見る。


北野小学校。


三年二組。


小さな自分が端の方にいる。


野崎智也も。


瀬川も。


宮本も。


三田村も。


みんな子どもだった。


この写真の時には、まだ誰も球場を知らない。


そのさらに先の同窓会も知らない。


一人一人が、これから別々の時間を生きる。


「お父さん、自分どれ?」


結菜が聞く。


悠人は写真を見た。


すぐに見つけた。


「これ」


「ほんと?」


「ほんとだよ」


「前は分かんなかったのに」


結菜が笑う。


悠人も笑った。


誰も覚えていない三年二組。


そこには結局、何もなかった。


何もなかったからこそ、誰かがその名前を使った。


けれど今、悠人が写真を見て思うのは事件のことではなかった。


この中にいる誰一人として、同じ人間ではない。


同じ場所にいても。


同じ間違いをしても。


同じように黙っても。


その前とその後まで同じにはならない。


「ねえ、お父さん」


「何?」


「この人誰?」


結菜が別の子を指差す。


悠人は少し考えた。


名前が出てこない。


「分からない」


「同じクラスなのに?」


「三十年以上前だからな」


「忘れすぎ」


「そうかもな」


悠人は写真を見ながら笑った。


分からないものを、無理に分かったことにしなくてもいい。


今はそう思えた。

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