↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『誰も覚えていない三年二組』  作者: asnt2026


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/40

第39話 五人は同じではない

宮本理沙から真帆へ連絡が来たのは、紗月が逮捕されてから四日後だった。


『見てほしいものがある』


短い文章。


真帆だけでなく、悠人と三田村にも来てほしいという。


理沙の家へ行くと、玄関には宮本の靴がまだ残っていた。


男物のスニーカー。


革靴。


サンダル。


持ち主だけがいない。


人が死んでも、その人の物はすぐには死なない。


それが時々、本人より強く存在を主張する。


理沙は肩にまだ固定具をつけていた。


「散らかっててごめん」


「無理しなくていいよ」


真帆が言う。


「無理してないと、何していいか分かんないの」


理沙は笑おうとした。


うまくいかなかった。


ダイニングテーブルの上に茶封筒がある。


「大樹の机から出てきた」


中には数枚の紙。


手書きだった。


日付は同窓会の翌日。


悠人の胸が小さく鳴った。


理沙が一枚を差し出す。


最初に名前が書いてあった。


森崎航平さんについて


三田村が椅子へ座る。


立っていられなくなったようだった。


文章はきれいではなかった。


書いては消した跡。


言葉を足した場所。


途中で筆圧が変わっている。


宮本は警察へ話すための内容を、自分なりにまとめようとしていた。


二十三年前。


球場の裏階段。


高城宗一郎。


倒れていた航平。


五人でその場を離れたこと。


警察に嘘をついたこと。


そして。


悠人の目が一行で止まった。


あの日、最初に119番へ電話したのは俺です。


部屋の空気が変わった。


「何これ」


真帆が小さく言う。


理沙は首を振る。


「私も知らなかった」


宮本は五人と別れたあと、一人で公衆電話を探した。


救急車を呼ばなければいけないと思った。


でも名前を言えなかった。


高城がいたとも言えなかった。


押したかもしれないとも。


ただ、


青葉市民球場の裏階段に人が倒れている。


早く来てほしい。


それだけ言って切った。


「警察にも渡した」


理沙が言った。


「昔の記録を調べてもらったら、本当に匿名の通報が残ってたって」


悠人は紙から顔を上げた。


「時間は?」


「大樹たちが現場を離れて少しあと」


救急隊はその電話で向かった。


航平はまだ生きていた。


病院へ搬送された。


助からなかった。


もし宮本が電話をしなかったら。


もし高城宗一郎がもっと早く通報していたら。


もし五人がその場で残っていたら。


いくらでも「もし」は作れる。


どれを選んでも死んだ少年は戻らない。


だからこそ、簡単に一つの物語にまとめてはいけないのかもしれなかった。


三田村が両手で顔を覆った。


長い間、そのままだった。


誰も声をかけない。


やがて、


「知らなかった」


とだけ言った。


理沙も頷く。


「私も」


「俺は」


三田村の声が指の間から漏れる。


「俺、あいつより卑怯だったんだな」


悠人は三田村を見る。


「比べるなよ」


三田村が顔を上げる。


「でも」


「宮本が電話したから、お前の二十三年が軽くなるわけじゃない」


三田村は黙った。


「逆もそうだろ。お前があの時何もできなかったからって、今話す意味がなくなるわけじゃない」


三田村の目が赤くなっている。


「比べて終わるな」


悠人はそれだけ言った。


自分にも聞かせたかった。


善人。


悪人。


勇気がある。


卑怯。


一つの名前をつけると、人間は少し分かりやすくなる。


でも分かりやすくなった分だけ、見えなくなるものもある。


理沙が別の紙を出した。


宮本が毎年つけていたらしい簡単なメモ。


八月。


同じ日付の横に、短く、


花


とだけ書いてある。


何年も。


何年も。


「この日、毎年ちょっと変だった」


理沙が言った。


「休みなのに朝早く出て、帰ってきても静かで。何なのって聞いても、昔の知り合いの命日って」


理沙が鼻をすすった。


「昔の知り合いじゃないじゃん」


真帆がそっと背中へ手を置く。


「自分が見捨てた人じゃん」


その言葉には怒りも悲しみもあった。


一つに分けられない。


「花屋も警察が確認してくれた。残ってる記録だけだけど、毎年、送り主の名前なしで同じ墓地に花を頼んでたって」


宮本大樹。


同窓会で一番大きな声で笑っていた男。


結菜に、


「お父さん置いてくなよ」


と笑った人。


階段で一度だけ手すりを握った人。


二十三年前、逃げた。


そのあと公衆電話から119番へ電話した。


でも名前は言えなかった。


警察にも真実を話せなかった。


毎年花を送った。


それでも二十三年間黙った。


そして最後に、


今度こそ話そうとした。


どこを切り取れば、その人の全部になるのだろう。


悠人には分からなかった。


理沙が、紙を見ながらぽつりと言った。


「私、あの人の何を知ってたんだろう」


真帆の手が止まった。


その言葉は、少し前の悠人自身だった。


妻の高校時代を知らなかった。


三田村とのことを知らなかった。


球場のことも。


知らないことがあっただけで、知っていたものまで疑った。


真帆も同じことを思ったのかもしれない。


理沙の背中を撫でる。


「知ってたこともあったと思う」


理沙が真帆を見る。


「全部じゃなくても」


少し間を置いて、真帆は続けた。


「全部知ってる人なんて、たぶんいないよ」


悠人は何も言わなかった。


その夜。


相原から電話があった。


宮本の文書と当時の通報記録について、紗月にも確認したという。


「何て?」


悠人が聞く。


相原は少し間を置いた。


『宮本さんだったんですか、と』


「それだけ?」


『しばらくそれしか話しませんでした』


紗月は宮本を最初に殺した。


五人の中で、


正しいことを言いながら結局何もしなかった男。


そう思って。


でも宮本は二十三年前にも、一度は電話を取った。


十分ではなかった。


名前を言わなかった。


宗一郎のことも言わなかった。


それでもゼロではなかった。


「五人は同じじゃなかった」


悠人が言う。


『そうですね』


「だからって、誰かが無罪になるわけじゃない」


『はい』


「難しいですね」


電話の向こうで相原が少し息を吐いた。


『人間ですから』


刑事らしくない答えだった。


悠人は少し笑った。


電話を切る前に相原がもう一つ教えた。


彩乃が真帆へ残そうとした未送信メッセージ。


その意味も、理沙の証言からほぼ分かったという。


同窓会の夜。


彩乃は理沙に話していた。


真帆もあの日、球場に来ていた。


だから余計に言えなかった。


自分たちがそのあと何を見て、何を黙ったのか。


真帆だけ何も知らずにいたことが、ずっと引っかかっていた。


『真帆、ごめん。あの日あなたも――』


その続きは、


あの球場にいたのに


だったのだろう。


六人目ではない。


最初から。


電話を切ったあと、悠人は真帆へその話をした。


真帆はしばらく黙っていた。


「彩乃、馬鹿だね」


声が少し震えた。


「生きてる時に言えばよかったのに」


悠人は何も言わない。


真帆は目元を指で押さえた。


「私もか」


小さく笑った。


それは自分への言葉だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。