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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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崩壊の兆し

洞穴の中は、鎮魂の香の匂いと、重苦しい沈黙に満ちていた。

もんろは、岩壁にもたれ、浅い眠りについている。左目の下の雪の涙ぼくろが、薄暗い中でかすかに青白く光っている。左肩の傷は、一時的に「漏出」が収まったように見えるが、包帯の下では、雪の記憶の青白い結晶模様が、他の無数の色のにじみと複雑に絡み合い、まるで割れたステンドグラスを無理矢理継ぎ合わせたような、不気味で美しい紋様を形成していた。

結衣が用意した簡易的なコンロで、かすかに湯気の立つスープを温めている。医師(純心会の女性医師)は、もんろの脈拍と呼吸を注意深くモニターしている。私は、洞穴の入口近くに座り、外の吹雪が弱まるのを待ちながら、拳を握りしめていた。

もんろの状態は、「記憶の珠」を集めるたびに、確実に悪化していた。傷の「漏出」だけでない。彼女の意識そのものが、無数の「借り」の圧力に耐えきれず、崩壊の兆候を見せ始めていた。

最初の変化は、目覚めてすぐだった。

もんろが突然、体を起こし、洞穴の暗がりをじっと見つめた。その目つきが、一変していた。鋭く、警戒に満ち、どこか荒々しい。

「…潮の匂いがする」

声は、低く、かすれている。老漁夫のものだ。

彼は(いや、もんろは)、虚空に手を伸ばし、何かを掴むような仕草をする。

「網を…投げねぇと…夕方までに…」

もんろの体が、漁船の上でバランスを取るようにゆらめく。右手で投網を振るうまね。その動きは、老漁夫そのものだった。しかし、左腕(傷のある方)はだらりと垂れ下がったまま。違和感のある、不気味な光景だ。

「もんろ!」 私は、彼女の肩を掴んで揺さぶった。「目を覚ませ! ここは山の中だ! 海じゃない!」

もんろ(老漁夫)の目が、かすかに私に焦点を合わせる。しかし、すぐにまたぼんやりとする。

「…山…? 違う…海だ…女房が…待ってる…」

彼女は、うつむき、また虚空に網を投げるまねを始めた。

その数分後、今度は表情ががらりと変わる。顔が、急に繊細で神経質なものになる。目が、細かいものを見るように細まる。

「…光が…足りない…」

声は、渋く、どこか芸術家的なこだわりを感じさせる。風間梧朗、老画家だ。

もんろは、立ち上がり、洞穴の壁に近づく。そして、指先に傷口からにじんだ血をつけ、壁に何かを描き始める。線。円。かすかな色彩の滲み。それは、意味のある絵というより、色と形への渇望そのものを表しているようだった。

「…赤…朱…あの唇の色…」

彼女は、夢中で壁に「絵」を描き続ける。その姿は、狂気に満ちているが、どこか痛ましいほどの真剣さに満ちていた。

「やめろ、もんろ!」 私は、彼女の手を掴み、引き離そうとした。

その瞬間、もんろの表情がまた変わる。今度は、鋭く、戦闘的な緊張感に満ちたものになる。体が低く構え、目は洞穴の入口を鋭く見つめる。

「敵か…?」

声は、若いが厳しい。楓の記憶の中の、あの戦場の兵士のものだ。

もんろ(兵士)は、虚空から刀を抜くまねをし、防御の構えを取る。その動きは、洗練されていて、明らかに訓練されたものだった。しかし、もんろの細い腕が、重い刀を構えるまねをするのは、不自然で哀れですらあった。

「落ち着け! 敵はいない!」 私は、彼女の前に立ちはだかり、両手を広げた。

もんろ(兵士)の目が、私をじっと見つめる。その瞳には、無数の戦場の記憶がよみがえっているようだった。そして、突然、その表情が崩れる。恐怖と絶望が浮かぶ。

「…ははうえ…かえりたい…」

兵士の声と、もんろ自身の嗚咽が混ざり合う。彼女は、その場に崩れ落ち、体を小さく丸める。

これが最悪だった。

もんろが、突然、三つの声で同時にしゃべり始めたのだ。

右目は老漁夫のように虚ろに遠くを見つめ、口(右側)が「網を…」と呟く。左目は画家のように壁の「絵」に熱中し、口(左側)が「青…もっと青…」と囁く。そして、喉の奥から、兵士のすすり泣くような声が漏れる。

彼女の両手も、別々の動きをしている。右手は投網を振るう動き。左手は壁に絵を描く動き。体全体が、無理矢理に三つの異なる人格で動かされ、引き裂かれそうになっている。

「うう…ああ…!」 もんろ自身の、苦痛のうめき声が、それらの声に混じる。

医師が飛び寄り、もんろの脈を取る。顔色が青ざめる。

「脈拍、異常に上昇! 脳波も乱れている! このままでは…神経系そのものが、オーバーロードを起こします!」

結衣は、じっとその光景を見つめていた。彼女の表情は、深い悲しみと、ある種の断腸の決意に満ちていた。

「…もう、限界です」

彼女の声は、静かだが、洞穴に冷たく響いた。

「このままでは、彼女は、記憶の珠を集める前に、自我そのものがバラバラに崩壊します。物理的に、精神が分裂する」

私は、もんろを抱きしめ、彼女の震える体を必死に抑えつけていた。彼女の肌は、異なる人格のせいか、所々で温度が違う。冷たかったり、火照っていたり。

「どうすれば…?」 私は、歯を食いしばって尋ねた。

結衣は、深く息を吸い込んだ。

「一時的に…記憶を封印する術があります。純心会に伝わる、古い鎮魂術の応用です。彼女の中の、『借り』た記憶のアクティブな部分を、強制的に『休眠』状態に追い込み、自我(彼女自身の意識)だけを表面に浮上させます」

その言葉に、一瞬、希望が灯ったように思えた。しかし、結衣の次の言葉で、それは打ち砕かれた。

「しかし…副作用があります」

結衣の目が、もんろの苦悶する顔を見つめる。

「封印中、彼女は、『借り』た記憶のほとんどを感じられなくなります。漁師の優しさも、画家の情熱も、兵士の悲しみも…すべて、遠い夢のようにぼんやりとしか感じられない。彼女は、ほぼ『空の器』の状態に近づきます」

「…そんな…」 私は、息をのんだ。

「そして、最も深刻なのは…」 結衣の声が重くなる。「封印を解いた時、あるいは、時間制限(おそらく数日)が来た時、休眠していた無数の記憶が、一気に逆流します。その衝撃で、彼女の自我は、おそらく一瞬で飲み込まれ、二度と浮上してこないかもしれない」

つまり、一時的に「もんろ」として安定させる代わりに、その時間はごく短く、その後は確実な破滅が待っている。

「…それじゃ、意味がない!」 私は、思わず声を荒げた。「記憶を封じたら、彼女はただの…器だ! 中身のない、空虚な! それじゃ、今まで彼女が必死に抱きしめてきた、あの無数の人々の思いも、すべて無駄になる!」

結衣の目が、鋭く光る。

「器でもいいじゃないか!」

彼女の声に、初めて強い怒りがこもっていた。

「生きていさえすれば! 形だけでも、『赫映もんろ』という存在が、この世に残っていれば! それが、私たち純心会の千年の使命でもある! 巫女の系譜を、絶やさないこと!」

「違う!」 私は、立ち上がり、結衣に向き合った。「彼女は、使命のための道具じゃない! 彼女自身が、『生きたい』『感じたい』って願っている! その願いを、無視してどうする!」

「でも、このままでは、彼女は『感じすぎて』死んでしまう!」 結衣も、声を張り上げた。「あなたは彼女の苦しみを、本当に理解しているのか?! 今、彼女の中で、無数の人生が暴れ、彼女自身を食い破ろうとしている! その地獄を!」

私たちの怒声が、洞穴に反響する。医師は、もんろを必死に鎮めようとしながら、複雑な表情で私たちを見つめている。

その時、もんろの体の震えが、少しずつ収まっていった。三つの声も、次第にかすかになる。

そして、もんろ自身の、かすかで、ひび割れた声が聞こえた。

「…ふう…いん…」

私たちは、はっともんろを見た。彼女は、目を細め、苦痛に顔を歪めながら、必死に言葉を紡ごうとしている。

「…し…ない…で…」

結衣が、一歩近づく。

「もんろさん…?」

もんろは、深く、苦しそうに息を吸い込む。そして、目を開ける。その瞳は、かすんでいたが、今、そこにあるのは、紛れもなく彼女自身の意志の光だった。無数の他人の影は、一時的に押しやられている。

「…わ…たし…は…」

声が震える。

「…ぜんぶ…おぼえ…ていたい…」

涙が、彼女の頬を伝う。左目の下の雪の涙ぼくろが、涙に濡れて光る。

「つらい…きおくも…かなしい…きおくも…」

彼女は、そっと自分の胸に、震える手を当てる。

「…ぜんぶ…わたしが…ひきうける…」

彼女の目が、結衣と私を、順番に見る。その眼差しは、苦しみに満ちているが、どこか清らかな覚悟に輝いている。

「だって…」

彼女は、かすかに、ほほえんだ。それは、無理矢理の笑みだったが、そこには、深い哀しみと、確かな意思があった。

「…それしか…『わたし』に…できることが…ないから…」

その言葉に、私は言葉を失った。結衣も、目を見開き、もんろを見つめている。

彼女は、選択を知っている。封印して一時的に楽になる道と、全てを背負って崩壊する道。そして、彼女は、後者を選んだ。なぜなら、それが、彼女に与えられた唯一の「役割」、いや、彼女が自分で見つけた唯一の「生きる意味」だからだ。

無数の他人の記憶を背負い、苦しみ、それでも、それらを「自分」の一部として受け入れ、歌い続ける。それが、彼女という存在の、全てなのだ。

長い沈黙が流れた。外の吹雪の音だけが、洞穴に響く。

結衣が、深く、深くため息をついた。彼女の肩の力が、すうっと抜ける。

「…わかった」

彼女の声は、疲れ切っている。

「あなたの意志を、尊重します」

結衣は、ポーチから、小さな香炉と、また別の、より濃い紫色をした香木を取り出した。

「だが、代わりに、これを使わせてください」

彼女が、香木を火にかざす。かすかに煙が立ち上る。これは、前に使った鎮魂の香とは、また違う、より強力で、しかし危険な匂いがする。

「『鎮魂の香・改』です。一時的に、彼女の中の無数の人格の暴走を鎮め、自我を安定させます。しかし、副作用として…」

結衣の目が、もんろの顔を見つめる。

「…面容の混沌を、加速させます。無数の『借り』が、強制的に『融合』を促されます。まるで、砕けた陶器を、無理矢理に接着剤でくっつけるように。外見は、一時的に『安定』して見えるかもしれません。だが、内側では、無理矢理に押し付けられたパーツ同士が、互いに押し合い、歪み、より深い亀裂を生み出しているかもしれません」

もんろは、かすかにうなずいた。彼女は、そのリスクを受け入れる。

「…お願い…します…」

結衣は、香炉をもんろの前に置く。紫の煙が、ゆらゆらともんろの顔を包む。

もんろの体の震えが、次第に収まっていく。顔の激しい「蠢き」も、ゆっくりと、しかし不自然に静止していく。無数のパーツが、互いに押し合い、引っ張り合いながら、一つの「顔」として、無理矢理に形作られる。

その結果できた顔は、恐ろしいものだった。

確かに、一つの「顔」の形をしている。しかし、その表面には、無数の亀裂が走っている。老漁夫の妻のそばかす、画家の妻のこげ茶の瞳、雪の涙ぼくろ、少年の母のイエローの染み、戦場の兵士の傷痕…それらすべてが、かろうじて一つの皮膚の上に収まっているが、それぞれのパーツの間には、細かい、しかし深い裂け目がある。まるで、乾いた大地の割れ目、あるいは、無理矢理継ぎ合わせられた陶器のひびのようだ。

光の当たり方で、その裂け目から、かすかに異なる色や質感がのぞく。一見、「安定」しているように見えるが、それは、氷の下を激流が流れているような、危うい平衡に過ぎない。

もんろの目が、ゆっくりと閉じる。深く、静かな眠りに落ちていく。呼吸は、ようやく落ち着いている。

結衣は、香炉をしまい、深く息を吐いた。

「…この香の効果は、長くて三日です。その間に、次の記憶の珠を、少なくとも二つ、三つは見つけなければなりません。さもなければ…」

彼女は、言葉を続けなかった。さもなければ、香の効果が切れた時、強制的に「融合」させられた無数の記憶が、より激しい反動で暴れ出す。もんろの自我は、一瞬で粉々になるだろう。

私は、もんろの傍らにひざまずいた。彼女の顔を、じっと見つめる。無数の裂け目。無理矢理の統合。それでも、その中心には、かすかながら、彼女自身の、穏やかで哀しい眠りの表情が浮かんでいる。

私は、そっともんろの、傷のない方の手を握った。その手には、様々な「借り」の痕跡が刻まれている。が、その手のひらの温もりは、変わらない。

「…お前は…器じゃない」

私は、かすかな声で、彼女に語りかけた。彼女は、もう聞こえない。深い眠りの中だ。

「お前は…お前だ」

たとえ、無数の他人の断片でできていても。たとえ、自分自身の顔さえ持たなくても。たとえ、愛されることもなく、ただ愛を背負うだけの存在でも。

彼女が、今ここにいる。苦しみ、それでも選び取り、前に進もうとしている。それだけで、彼女は、紛れもない、赫映もんろという、たった一つの存在なのだ。

外の吹雪が、ようやく弱まり始めた。夜明けが近い。

私たちには、三日しかない。次の珠へ。そして、その先にある、108の記憶全てへ。

もんろの、終わりの見えない旅は、まだ続く。

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