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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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偽りの旅路

改装された白いキャンピングカーは、山道を静かに下っていた。

車内は、簡素だが、生活に必要な最小限のものが揃っていた。寝台、小さな調理台、折り畳み式のテーブル。天井には、結衣が取り付けた、政府の追跡をかいくぐるための簡易的な電波妨害装置がちらついている。もんろは、助手席の後ろにある簡易ベッドに横たわり、浅い眠りについていた。彼女の顔には、透けるような薄い黒のベールがかけられている。これは結衣の手製で、もんろの顔から漏れ出す「情感の瘴気」を外部に拡散しにくくするが、内部の「蠢き」を止めることはできない。ベール越しに、彼女の顔の輪郭が、かすかに、絶え間なく形を変えているのが見える。

私は運転席に座り、ハンドルを握っていた。次の目的地は、九州の山奥にあるという、第33代巫女の「記憶の珠」が祀られている小さな祠だ。結衣の情報によれば、全国各地に、歴代の巫女たちが遺した「遺物」が点在している。それらは、能面とは別に、彼女たちの生前の強い思いや、未消化の記憶の断片を封じたものらしい。それらを集めることで、もんろの中の「借り」の全体像、ひいてはこの「呪い」の全容が見えてくるかもしれない、と結衣は言う。

「でも、それらを集めること自体が、彼女にさらなる負担になるんじゃないか?」 私は、ナビ代わりの地図を見つめる結衣に聞いた。

「…そのリスクはあります」 結衣は、率直にうなずいた。「でも、彼女はもう、107枚の能面全ての『共鳴』を経験しています。個々の遺物の影響は、それに比べれば小さいでしょう。それに…彼女自身が、『知りたい』と言っています。自分が、何でできているのかを」

助手席の後ろから、かすかな息づかいが聞こえる。もんろが目を覚ましたようだ。彼女はゆっくりと体を起こし、ベール越しに外の景色を見つめた。山道を下り、ようやく平野部に出ようとしている。灰色の田園地帯が広がる。

「…着きました?」 彼女の声は、眠気でぼんやりしている。

「まだだ。海沿いの町を通り抜けてから、九州へ向かうフェリーに乗る予定だ」

「海…」 もんろは、その言葉をかみしめるように繰り返した。

車は、やがて小さな漁港町に入った。時間は昼下がり。港には、古びた漁船が並び、網を繕う老人の姿がちらほら見える。町全体が、灰色の曇り空の下、静かで、どこか活力を失ったように見えた。CPDSの影響は、ここでも確実に人々を蝕んでいる。

「少し休もう。ガソリンも補給する」 結衣が言った。

車を港の外れの、人目につきにくい空地に停める。エンジンを切り、私は外の空気を吸いに降りた。潮の香りがする。しかし、それもどこか「くすんだ」匂いだ。色を失った世界では、匂いさえも鮮烈さを欠いている。

もんろも、ベールをかけたまま車から降りてきた。彼女は、そっと伸びをし、深呼吸をした。そして、港の方向へ、一歩、また一歩と歩き出した。

「もんろ、どこへ?」

「…少しだけ、散歩します。大丈夫、ベールは外しませんから」

彼女は、ゆっくりと波止場へと向かう。私は、距離を置いて後を追った。結衣は、車の中で無線の調整を続けている。

波止場は、がらんとしていた。数人の漁師が、黙々と作業をしているだけだ。そのうちの一人、背中が大きく曲がった老漁夫が、ぼんやりと海(灰色の、動かない水面)を見つめながら、手にした安価な焼酎の瓶を一口あおっていた。その横には、ロープが一つ、輪を作って置かれていた。

もんろの足が止まった。彼女は、その老漁夫を、じっと見つめている。ベールの下の顔が、かすかに、強い「引かれる」ような動きをした。

「…あの方…」 もんろが、かすかに呟く。

「どうした?」

「…とても深い、悲しみ。そして…諦め。顔を…失った悲しみ」

もんろは、迷いなく、老漁夫の方へ歩き出した。私は慌てて彼女の腕を掴んだ。

「待て。何をするつもりだ?」

「…癒やしたい」 もんろの声は、静かだが、確信に満ちていた。「あの方が、失くしたものを、取り戻せるなら…」

「バカな! お前はもう、これ以上『借り』を背負えない! それに、人目につく!」

「でも…」 もんろの目が、老漁夫のうつむいた背中を見つめる。「あのままでは、あの方…あのロープで、終わりを選びます。それを見過ごせない」

彼女は、私の手を静かに振りほどき、老漁夫に近づいた。そして、数歩離れたところにそっと腰を下ろり、老漁夫と同じように、灰色の海を見つめた。

老漁夫は、もんろの存在に気づいたが、特に振り向きもせず、また一口焼酎をあおった。

長い沈黙。波の音だけが響く。

そして、もんろが、口を開いた。歌うのではない。ただ、かすかな、鼻歌のような、節を口ずさみ始めた。それは、どこか古い漁歌の調べに似ていた。言葉はない。ただ、旋律だけが、潮風に乗って、ゆらゆらと漂う。

老漁夫の肩が、かすかに震えた。彼は、ゆっくりともんろの方を見た。目はかすんでいた。

「…その節…」 老漁夫の声は、砂を踏むようにかすれていた。「…おかみさんが…よく口ずさんでた…」

もんろは、うなずいた。そして、旋律をほんの少し、変えた。より柔らかく、懐かしい響きに。

老漁夫の目に、かすかな光が灯った。彼は、焼酎の瓶を置き、両手で顔を覆った。肩が震える。嗚咽が漏れる。

「…思い出した…」 彼の声は、涙に濡れている。「おかみさんの…左の頬の…そばかす…小魚の形に…似てた…天気のいい日、網を繕いながら、『今日の魚、あたしのほっぺたに似てるか?』って…からかって…」

彼の言葉が、堰を切ったように溢れ出る。妻の笑い声。少しきついけれど温かい手のひら。台風の夜、二人で船を守った時の怖さと、その後に分け合った温かい茶粥。無数の、色あせかけていたはずの記憶が、灰色の世界の中で、かすかだが確かな「形」を取り戻し始めている。

もんろは、無言で、その旋律を続けていた。彼女のベールの下、左の頬の辺りが、ほんのりと熱を持つように感じた。皮膚の下で、何かが「定着」していく。

老漁夫は、顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃだが、その目には、長い間失われていた、柔らかい思い出の色が戻っていた。彼は、もんろを、初めてまともに見た。ベールに覆われた奇妙な女性。しかし、その存在に、深い感謝の念を覚える。

「…ありがとう、お嬢さん…」 老漁夫は、かすかにうなずいた。「…おかみさんの顔を…もう一度、思い出せた…」

そして、彼は、ふともんろのベール越しの顔(よく見えないが)を、じっと見つめ、首をかしげた。

「…それにしても、お嬢さん…どことなく、面影が…」

その言葉に、私は背筋が寒くなった。老漁夫は、妻の面影を、もんろの顔に(正確には、もんろが新たに「借りた」妻の記憶の断片に)見ているのだ。

「さあ、行くぞ、もんろ!」 私は、もんろの腕を強く引っ張った。

もんろは、老漁夫に深く一礼すると、私に導かれるままに立ち上がり、車の方へ戻り始めた。彼女の左頬(ベールの下)が、かすかに熱く、そして、ほんのりとした、小魚の形をした淡いシミのようなものが浮かび上がっているのを、私はちらりと見た。

車に乗り込むと、私はもんろのベールを、乱暴に引きはがした。いや、乱暴にしようとしたが、彼女の目を見て、手が止まった。

彼女の左頬に、確かに、新しい「しみ」があった。ごく薄い、茶褐色の、小さな魚の輪郭。老漁夫の妻の「そばかす」の記憶だ。

「…見ろ」 私は、声を詰まらせながら言った。「これが、『癒し』の代償だ。お前は、あの老爺の悲しみを肩代わりしたんじゃない。彼の妻の『顔の一部』を、文字通り、自分の肉体に刻み込んだんだ!」

もんろは、静かに自分の左頬に触れた。その表情は、悲しみでも後悔でもない。ただ、深い哀しみと、どこか優しさが混ざった、複雑なものだった。

「…でも」 彼女は、かすかに言った。「彼は…『妻の顔』を取り戻した。もう、あのロープに手をかけることはないでしょう。それで…いい」

「いいわけがない!」 私は、思わず声を荒げた。「一人救うごとに、お前は『もんろ』でなくなる! 借りたパーツが増え、お前自身が消えていく! それがわかってるのか?!」

もんろは、じっと私を見つめた。その目は、私の怒りや焦りを、全て受け止めているようだった。

「わかっています」 彼女の声は、驚くほど落ち着いていた。「でも、尚さん。この『そばかす』も…」

彼女は、そっとそのシミを撫でる。

「…誰かの、大切な記憶なんです。あの奥様が、ご主人に愛され、日焼けしてできた、幸せの跡かもしれない。それを、私は『借り』た。汚いものじゃない。重たいけど…美しい記憶です」

彼女の言葉に、私は反論の言葉を見失った。彼女は、呪いの道具として生み出され、利用され、今も「借り」という形で侵食され続けている。それなのに、その「借り」たもの一つ一つを、「誰かの大切な記憶」として、ねんごろに扱おうとしている。

「…バカだ」 私は、うつむき、拳を握りしめた。「お前は…」

「ええ、バカかもしれません」 もんろは、かすかに微笑んだ。その笑みには、老漁夫の妻の面影はなく、純粋にもんろ自身の、どこか疲れた、しかし芯の通った優しさがあった。「でも、これが、今の私にできることです。24時間の間に、少しでも、『借り』を返すお手伝いができれば…」

結衣が、運転席に戻ってきた。彼女は、車内の緊迫した空気を一瞥したが、何も言わず、エンジンをかけた。

「次のフェリーは一時間後だ。それまで、少し海でも見ておくか」

車は、港を見下ろす小高い丘の上に停まった。ここからなら、人目につかず、海を一望できる。

もんろは、再びベールをかけ、車から降りた。彼女は、柵にもたれ、広大な灰色の海を見つめていた。風が、彼女のベールと髪を揺らす。

「…尚さん」

「なんだ?」

「海は…何色なんですか?」

私は、彼女の横に立ち、同じく灰色の海を見つめた。子どもの頃、早織と行った海の色を思い出す。

「…青い。深い青から、エメラルドグリーンまで、場所や天気で変わる。砂浜の近くは透き通っていて、沖は濃い藍色。夕焼けの時は、オレンジや赤や紫色に染まる。太陽の光が反射して、きらきらと金色に輝くこともある」

もんろは、目を閉じた。私の言葉を、一心に聞いている。そして、想像している。青い海。緑の海。金色に輝く海。

彼女の顔の「蠢き」が、ほんの少し、穏やかになる。左頬の新しい「そばかす」が、かすかに温かみを帯びているように見えた。そして、彼女の口元が、ほんのりと緩んだ。

それは、老漁夫の妻の笑顔でも、AIの提案する笑顔でもない。海風に触れて、未知の美しさを想像する、純粋な憧れと安らぎに満ちた微笑みだった。それは、彼女が今まで「借りた」ことのない、しかしどこか、彼女自身の内からにじみ出た、初めての「感情の表情」のようにも見えた。

結衣が、車の窓から小さなタブレットを差し出した。画面には、詳細な地図と、一点、光るマーカー。

「次の目的地だ。九州、阿蘇の外輪山の中腹。第33代巫女・梅の『記憶の珠』が祀られている祠。そこから、本当の旅が始まる」

エンジンが唸りを上げ、車は再び走り出した。

もんろは、最後にもう一度、灰色の海を見つめ、そっと呟いた。

「…青い海…見てみたいな…」

車は、フェリー乗り場へと向かう坂道を登っていく。背後で、老漁夫が、再び網を繕い始めているのが、かすかに見えた。彼の手元には、もうロープはなかった。

助手席のモニターに、もんろの混沌度が表示された。88.0% → 87.8%

ほんのわずかな下降。彼女の「癒し」が、新たな「借り」をもたらしたが、同時に、何かを「完了」させたことによる、かすかな安堵が、ほんの一瞬、彼女を支えているのかもしれない。

偽りの旅路は、始まったばかりだった。その行く先に、本当の色が待っているのか、それとも、より深い闇だけが広がっているのか。誰にもわからない。

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