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色あせた世界に咲く花:顔、貸します ~記憶を返す少女の歌~赫映 ~無貌の神がくれた色彩~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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神社

山道は、思ったよりも長かった。

鬱蒼とした杉林を抜け、苔むした石段を無数に上り、ついに人跡未踏と思われる細い獣道を掻き分けて進む。結衣の先導で、もんろと私は、文字通り「道なき道」を三時間以上歩き続けていた。もんろの顔に貼られた「面容干渉器」は、山の神社での強力な共鳴以来、完全に故障していた。彼女の顔は、もはや何の制御も受けず、かすかだが絶え間ない「波打ち」を続けている。無数の他人のパーツが、皮膚の下で静かに蠢き、混ざり合おうとしている。その様子は、不安定ではあるが、不思議と以前のような「崩壊」の予感はなかった。山の空気か、それとも、先程の「共鳴」の影響か。

ふと、前方の結衣が立ち止まった。

「着いた」

目の前には、巨木が生い茂る急斜面が広がっているだけだった。しかし、結衣は、蔦に覆われた岩壁のわずかな隙間へと歩み寄り、手で蔦をかき分けた。その下に、古びた石の鳥居が、かろうじて形を留めていた。鳥居の柱は苔に覆われ、屋根の部分は崩れかけている。しかし、それをくぐった先の空間は、なぜかひんやりとして、外部の雑音がかすかに遠のくような、独特の「区切り」を感じさせた。

結界だ。

結衣が、首から下げた古びた金属の鍵を取り出し、鳥居の横にある、ほとんど石に同化したような小さな祠の扉を開けた。中から、さらに大きな、黒光りする鉄の鍵を取り出す。

「ここには、千年来、純心会だけが守り続けてきた場所です」 結衣の声は、畏敬の念に満ちていた。「107人の『彼女たち』が、眠っています」

彼女は、鳥居の先に見える、さらに急な石段を指さした。石段の上には、杉の大木に半ば隠されるように、小さな社殿の屋根の一部が見えている。

「行きましょう。でも、覚悟はしておいてください。中に入れば、強い『共鳴』が起こります。あなたの中の『借り』と、彼女たちの『記憶』が、激しく呼び合うでしょうから」

もんろは、深く息を吸い込み、ゆっくりとうなずいた。彼女の目は、緊張と、どこか「帰郷」のような感慨に満ちているように見えた。

石段を上る。一歩ごとに、空気が重くなる。肌にまとわりつくような、古い時間の匂い。線香や朽ち木ではなく、もっと抽象的な、「記憶そのもの」が堆積したような、重たい空気だ。

社殿の前に立つ。扉は、分厚い欅の一枚板。結衣が、先程の鉄の鍵を、重い錠前に差し込む。

カチャ、ガラッ…ゴゴゴ…

鈍い音と共に、扉が内側へゆっくりと開く。ほこりが舞い上がる。中は、薄暗い。細い窓から差し込む木漏れ日だけが、内部をかすかに照らしている。

目が慣れるにつれ、その光景に、私は息をのんだ。

社殿の内陣全体が、壁一面、無数の能面で埋め尽くされていた。

107枚。

すべてが、年代も素材も大きさも異なる能面だ。最も古いものは、色あせ、ひび割れ、ほとんど原型を留めていないかすかな影のよう。新しいものほど、形がはっきりしている。それらが、年代順に、整然と、壁に掛けられている。一枚一枚の下には、小さな木札が下げられ、墨で字が記されている。

もんろは、無言で、一歩、中へ踏み入れた。

その瞬間、彼女の体が、微かに震えた。首の後ろの、壊れた干渉器の跡が、ほんのり熱を持ったように赤く光った。彼女の顔の「波打ち」が、一瞬、激しくうねる。しかし、彼女は踏みとどまった。深呼吸を一つすると、ゆっくりと、最も古い能面の前へと歩み寄る。

私も、後から中に入る。結衣は、入口でうずくまるように座り込み、目を閉じた。ここに立ち入ること自体、彼女にとっても重い儀式なのだろう。

もんろが、一枚目の能面の前で立ち止まる。木札を読む。

『第壱代:白拍子・桜』

『承平五年(935年) 面封』

『記憶:飢饉にて失いし幼子の笑顔』

もんろは、そっと、その能面——ほとんど黒こげた木片に近い——に、指をかすかに触れようとする。触れる直前で止める。目を閉じる。彼女の生体データ(私のグラスがかすかに捉えている)が乱れる。

混沌度:65% → 58% (急降下)

彼女は、何かを「感じ取っている」。千年の時を隔てた、ある母親の、取り返しのつかない喪失の痛みを。

次へ移る。二枚目、三枚目…。

『第十七代:巫女・楓』

『延久元年(1348年) 面封』

『記憶:戦乱に散りし恋人、最後の呼びかけ』

『第参拾三代:遊女・梅』

『天正元年(1573年) 面封』

『記憶:大火に焼かれし、其の手の温もり』

もんろは、一枚一枚の前で立ち止まり、木札を読み、時には目を閉じ、時にはかすかにうなずく。そのたびに、彼女の混沌度は大きく変動する。深い悲しみや無念の記憶に触れると、数値が急降下する(50%近くまで)。しかし、その直後、別の、怒りや絶望の記憶に触れると、一気に跳ね上がる(80%近くまで)。まるで、彼女という器が、無数の他人の情感という異なる液体を次々と注がれ、その都度、器の色や温度が激変しているかのようだ。

彼女の表情は、無表情に近い。しかし、その目には、流れるように変転する情感の光が、かすかに映っている。千年分の悲しみ、別れ、無念、そして、ほんのわずかな愛おしさや、届かなかった願い。

彼女は、沈黙のまま、ゆっくりと歩を進める。50代、60代、70代…。時代が下るにつれ、能面の保存状態は良くなる。木札の文章も、より具体的になり、時には、ほんの少しだけ、その巫女の人となりを窺わせる。

『第八拾四代:女学生・菫』

『昭和二十年(1945年) 面封』

『記憶:空襲の炎の中、母がくれた最後の飴の甘み』

もんろは、ここで、初めて、はっきりと涙をこぼした。一粒の涙が、彼女の揺らぐ頬を伝い落ちる。その涙は、灰色の社殿の薄暗がりの中で、かすかに光った。

彼女は立ち止まり、しばらくその能面を見つめていた。そして、そっと自分の胸に手を当て、深く頭を下げた。何かを悼むように。

そして、ついに、彼女は、社殿の一番奥、最も新しい位置に掛けられた、最後の一枚の前に立った。

『第百七代:学生・百合』

『平成三十一年(2019年) 面封』

『記憶:……』

木札の「記憶」の欄は、空白だった。あるいは、何か書こうとして、筆が止まったのか。墨の滲みだけが残っている。

そして、その能面そのものが、他の全ての能面と明らかに違っていた。

まず、無地だった。白く、つるりとした、何の彫りも、色も、表情もない、ただの楕円形の面だ。能面というより、未完成の原型、あるいは、顔の形をした空白のキャンバスのようだった。

しかし、その表面には、無数の、細かいひび割れが走っている。中心から放射状に広がり、端の方でかすかになっている。まるで、内側から強い圧力がかかり、割れそうで割れていない、あるいは、割れたものを無理矢理に継ぎ合わせたような痕跡だ。

もんろは、その能面の前で、長い間、動かなかった。ただ、じっと見つめている。彼女の生体データの変動が、急に止まった。混沌度は、75%で静止している。感情の起伏を示すグラフも、ほとんどフラットだ。

彼女の体が、微かに震え始める。唇が震える。

結衣が、入口から、低い声で語り始めた。彼女も目を開け、空白の能面を見つめている。

「107代目、学生・百合。最後まで抵抗した巫女です」

結衣の声には、深い哀悼の念が込められている。

「彼女は、能面化の儀式の最中、全ての『借り』——彼女が背負ってきた無数の悲しみの記憶——を、この世に『返還』しようと試みました。自分という器を壊し、中に閉じ込めたものを、みんなに返そうとした。それが、巫女としての『役目』の最後だ、と信じて」

もんろの震えが、さらに強くなる。

「しかし、失敗しました。制御不能な情感の『逆流』が起こり、儀式の場にいた人々、そして、彼女と深く結びついていた敏感な魂たちに、処理されきれなかった情感の一部が、津波のように襲いかかりました」

結衣の目が、私の方を見る。

「それが、現代型CPDS、『色衰病』の、直接の起源です。人々は、百合が放出した、彼女の中で処理しきれなかった『他人の悲しみ』の断片を、自分自身の記憶や情感と誤認し、あるいは、その重圧に押し潰され、自らの『色』を見失い始めました」

私の妻、早織。彼女の苦しみの原因が、ここにある。この空白の能面から漏れ出た、処理されきれないほどの「他人の悲しみ」の一片を、なぜか彼女が引き受けてしまった。

「百合自身は、能面化はしました。しかし、彼女の記憶と自我は、『返還』の試みと逆流の衝撃で、ほとんど散逸してしまいました。この能面が空白なのは、彼女の中に、最後に留められるような、一枚の『固有の記憶』が残らなかったからです。ただ、無念と痛みだけが、このひび割れに刻み込まれています」

もんろが、ゆっくりと、その空白の能面の前に膝をついた。床のほこりが、少し舞う。

彼女は、能面を見上げる。そして、かすかな、子どもが囁くような声で、問いかけた。

「…先輩」

声が震える。

「…痛かったですか?」

その問いは、社殿の重い空気に吸い込まれていく。能面は、もちろん、何も答えない。ただ、無数のひび割れが、かすかな木漏れ日を受けて、かすかに影を落としているだけだ。

もんろは、そのままうつむく。肩が小刻みに震えている。泣いているのか、それとも、共鳴の衝撃に耐えているのか。

長い時間が流れた。

そして、もんろが、ゆっくりと顔を上げた。彼女の目には、涙の跡があった。しかし、その表情には、悲しみだけではなく、ある種の覚悟が宿っていた。彼女は、107人の先達の運命、そして、最も新しい先輩の「失敗」と「無念」を、この目で見た。そのすべてを、彼女という器は受け止めた。

彼女は、立ち上がった。私の方を見る。その目は、かすかに赤いが、驚くほど澄んでいた。

「行きましょう、尚さん」 彼女の声は、かすれているが、確かだった。「約束を、果たさないと。本当の空の色を、見に」

私は、ただうなずく。胸が熱い。彼女は、ここで何かを決めた。能面になるでもなく、記憶を拡散させるでもない、第三の道を、彼女は見つけようとしている。

結衣が立ち上がり、深く一礼した。

「では、次の場所へ。時間は限られています。政府は、この『共鳴』を検知しているはずです」

私たちは、重い扉を後にし、再び薄暗い社殿を出た。明るい日光が、一瞬、目に痛い。

もんろが、振り返り、最後にもう一度、社殿を見つめた。その目には、もはや迷いはなかった。

彼女は、107人の先輩たちに、別れを告げた。そして、自分自身の、まだ見えない終わりへと、歩み出そうとしている。

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