監視記録・壱
ファイル名:監視記録対象108第1-10日
監視官:尚羅夢
期間:ライブカウントダウン 30日目〜21日目
備考:本記録は公式報告書とは異なり、私的観察を含む。最終的に消去予定。
■ 第1日(カウントダウン30日目)
時間:09:00-12:00
活動:起床、朝食摂取、基礎生体計測
混沌度:69%(前日比±0)
精神状態:平静。無表情に近い。
特記事項:
対象は朝食後、デスクに向かい、端末の使用を要求。許可された娯楽用端末(ネットワーク遮断)を渡す。彼女は、お絵描きアプリを起動し、無言で描き始める。
30分後、画面を確認。そこには、無数の能面のスケッチが並んでいた。正確には、107枚。一枚一枚、細部まで描き込まれている。眉の形、口の切れ目、頬の膨らみ。私は、純心会から見せられた能面の写真データと記憶を頼りに、数枚を比較する。一致する。No.17の頬のひび割れ。No.33の眉尻のほんのりとした朱色。No.107の、表面に走る無数の微細な亀裂。
彼女は、それらを、見たこともないはずの能面を、なぜ正確に描けるのか?
私的所感:彼女の“中”には、107枚の能面のデータが、最初から、あるいは徐々に、“ダウンロード”されているのか? 能面との“共鳴”とは、こういうことか?
時間:15:00-15:15
活動:屋上“放風”
混沌度:69%(変動なし)
特記事項:
今日も、柵によりかかり、遠くの山を見つめる。雲が低く垂れ込め、灰色の空がより深い色合いに見える。彼女は、15分間、一言も発さず、ただじっとしている。風が彼女の髪を揺らす。その時、彼女の左頬(星空のそばかすがある側)の皮膚が、かすかに、波打つようにうごめいた。0.5秒ほどで収まる。
私的所感:あの“星空”も、彼女の皮膚の下で、蠢いているのか? 静かに、しかし確実に、“借り”が彼女を内側から侵食している。
■ 第3日(カウントダウン28日目)
時間:22:00-23:00(就寝前)
活動:自由時間(読書)
混沌度:71%(+2%)
精神状態:一見平静だが、微細な異常あり。
特記事項:
対象はベッドで、端末の小説を読んでいるように見える。しかし、時折、唇が動く。独り言だ。ヘッドセットの感度を最大にする。
『…ふふ、そうね。あの子、よく笑うのよ』(老女の、優しく嗄れた声)
『…うるせえな、早く飯くえよ』(中年男性の、荒々しい声)
『…ママ、ここ、暗いよ…』(幼い女の子の、泣きそうな声)
声は、数秒ごとに変わる。年齢も性別もバラバラ。しかし、どれも、もんろ自身の声帯を使っている。トーン、ピッチ、話し方までもが、別人そのものだ。
私的所感:声も“借り”なのか? 顔だけでなく、声帯の振動パターン、話し方の癖までも。彼女の中には、無数の“声”が、渦巻いている。彼女自身の声は、いったいどこにある?
■ 第5日(カウントダウン26日目)
時間:14:00
活動:自由時間(映像視聴)
混沌度:73%(+2%)
精神状態:極度に不安定。
特記事項:
対象は、許可された古典映画(彼女自身が主演したものではない、一般公開作品)を観ている。画面上は、20年前に死去した有名女優、白石まりえ(当時45歳)の特写シーン。彼女の切れ長の、少し物憂げな目が、クローズアップされる。
その瞬間、対象が、突然、画面に向かって身を乗り出した。そして、洗面所の鏡の前に駆け寄る。鏡に映る自分の顔——左目を、両手で覆う。
「返せ…返して…!」
金切り声。彼女の声ではない。若い女性の、必死な声。
「あれは…私の目!私の…あの映画の、最後のシーンの…私の目だ!」
彼女は鏡の中の自分の左目を、爪で掻きむしろうとする。皮膚が変形し、左目だけが、一瞬、白石まりえの、あの切れ長で物憂げな目つきに、鮮明に変わる。しかし、右目はもんろの(というより、別の誰かの)まま。不気味なまでに非対称な顔。
警報が鳴る。ドアが開き、警備員二人が駆け込む。対象は暴れ、抵抗する。警備員の一人が、鎮静剤の注射器を取り出す。もんろの首筋に突き刺す。
対象の動きが止まる。力が抜け、床に崩れ落ちる。左目は、徐々に、また“普通”の、しかし依然として“誰か”の目に見える状態に戻っていく。
事後調査:
映画は、白石まりえの遺作。彼女は、この映画の撮影中にCPDSを発症、完成を見ずに自殺した。もんろは、この映画を、過去の公演準備の参考資料として一度視聴したことがある。その時、“借りた”のか? それとも、白石まりえの“情感”が、能面などを通じて、もんろに流れ込んだのか?
私的所感:彼女は、鏡に映る自分の顔の中に、無数の他人のパーツを見ている。そして、その“借り”が、時折、強烈な自我(元の持ち主の記憶や感情)を伴って、表面化する。彼女は、自分の体が、他人のパーツで埋め尽くされた“人形”であることを、瞬間的に、しかし鮮烈に自覚させられている。地獄だ。
■ 第7日(カウントダウン24日目)
時間:08:00
活動:朝の点検時
混沌度:72%(-1%、鎮静剤の影響か)
精神状態:平静。しかし、どこか虚ろ。
特記事項:
ドアの下の隙間から、小さく折りたたまれた紙切れが差し出されていた。拾い上げる。対象の字で、一行、書かれている。
『尚さん、借りたものは、いつか返さなきゃ。』
『でも、私には、何も返すものがない。』
『だから、これから返すのは、『私』そのものかもしれない。』
紙切れを握りしめる。インクの匂いがする。彼女は、この言葉を、どんな顔で書いたのだろう。泣きながら? それとも、無表情で?
私的所感:彼女は、理解している。自分の運命を。“返す”ことが、自分という存在の消滅を意味することを。それでも、彼女は“返す”と言う。“役目”として受け入れているのか。それとも、もう、自分という“負債”の重さに耐えきれないのか。彼女は苦しんでいる。声にならない、叫びもできない形で。
時間:20:00
行動:規則違反
内容:私は、監視カメラの死角を利用し、小型の旧式CDプレーヤーと、一枚のCD(平井堅『瞳をとじて』)を、彼女の部屋のベッドの下に仕込んだ。音量は最小限に設定。イヤホン接続。リスクは大きいが…。
私的所感:なぜそんなことを? 彼女に、少しでも“普通”の、“借り”ではない何かを感じてほしかったからか。それとも、単に、私自身が、彼女を“人間”として扱いたいという、甘い感情からか。わからない。
■ 第9日(カウントダウン22日目)
時間:22:30(就寝前、監視員交替直後の隙)
活動:非公認
混沌度:65%(-7%! 急激な下降)
特記事項:
対象は、ベッドの下に仕込んだCDプレーヤーを発見したようだ。イヤホンを挿し、横になり、目を閉じている。再生しているのは、『瞳をとじて』だ。彼女の生体モニターが、異常な数値を示す。混沌度が下がっている。71%から65%へ。鎮静剤の影響はとっくに消えている。これは、音楽の影響か?
一曲終わる。対象は、ゆっくりと目を開け、イヤホンを外す。そして、自分の目頭に、人差し指をそっと当てる。
監視マイクが、彼女の囁きを捉える。
『…この曲…知っている』
声は、もんろ自身の、いつもの澄んだ声に近い。しかし、わずかに震えている。
『誰かに…借りた記憶だ。大切な人を失った…悲しみと、それでも前を見ようとする…優しい決意の歌』
彼女は、CDプレーヤーをそっと抱きしめるような仕草をする。
『…ありがとう』
それが誰への感謝なのか、わからない。歌の作者へか。私へか。それとも、この“借りた記憶”の持ち主へか。
私的所感:音楽、特に強い情感を伴った記憶と結びついた音楽が、彼女の“混沌”を一時的に鎮める? あるいは、整理する? もしそうなら…。彼女の混沌度上昇を遅らせる方法が、あるかもしれない。だが、それは根本的な解決ではない。ただの時間稼ぎに過ぎない。…それでも、時間が欲しい。彼女に、“自分”を探す時間を。
■ 第10日(カウントダウン21日目) 夜
(以下、私的覚書。公式記録には残さない)
今日、伊達課長から最終確認があった。ライブの詳細段取り。私の役割。“永久凝固剤”注射のタイミング。全てが、秒単位で計画されている。あと21日。
もんろの今日の混沌度は、67%で安定。CDの影響は続いているようだ。彼女は、今日の“放風”の時、いつもより少し長く、空を見上げていた。雲の切れ間から、ほんの一瞬、薄明るい部分が見えた。太陽の位置がわかる程度の。
彼女は、その光の筋を、じっと見つめていた。そして、私が監視ブースから見ているのを知ってか知らずでなく、小さく手を振った。ベールの下で、口元が緩んだように見えた。
あの約束を思い出す。
『本当の空の色を見せて』
私は、何もしていない。監視官として、規則を守り、計画に従うことしか。彼女にCDをこっそり渡したことなど、子供じみた反抗でしかない。
だが、それでいいのか?
彼女は、あと21日で、能面になる。意識を保ったまま、動けない歌う機械に。そして、私はその執行者の一人だ。
早織の顔が浮かぶ。彼女の苦しみの原因も、この“呪い”だった。ならば、もんろを能面化することは、早織への供養にもなるのか?
…違う。
早織は、そんな形での“解決”を望んでいない。彼女は、誰かを犠牲にすることでしか終わらない呪いなど、心底嫌っていた。彼女が望んだのは、ただ、普通に、色のある世界で、私と笑い合うことだけだった。
もんろは、早織ではない。しかし、彼女もまた、この呪いの、無垢なる犠牲者だ。いや、彼女以上に。彼女は、最初から“器”として生み出され、育てられ、これから屠られる。
私は、監視官だ。国に雇われ、金をもらい、任務をこなす歯車だ。
しかし、それ以上に、私は…。
彼女に約束した。
監視記録・本日分・終わり
追記:
明日、私は規則に背く。綿密な計画が必要だ。監視シフトの隙。警備員の配置。カメラの死角。純心会からの連絡手段(あのUSBメモリに、緊急連絡用の暗号化チャットツールが仕込まれていた)を使うかもしれない。
目的は一つ。
明日、彼女を外に連れ出す。
たとえ一時的でも。たとえ捕まるリスクがあっても。
彼女に、本当の空を見せる。約束したから。
(この記録は、明日の行動後、消去する。)
【尚ログ・暗号化済・自己消去機能付・バックアップ無し】




