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リリィは咄嗟に風の結界を張る。これにより、全ての飛沫が防がれる。
かつて、リンドブルムの一撃すらも防いだ結界だ。飛沫ごとき、ものの数ではない。
飛沫が収まったことを確認して、結界を解除する。気づけばリリィの両腕に、銀髪の姉妹が抱きついていた。
彼女は幸せを感じるも、今はそれどころではないと思い直す。
なぜなら、眼前には体高10メートルを超す、竜のような生物が出現していたのだ。
竜は全身が真っ青な鱗で覆われており、月の光をてらてらと反射している。その瞳は血よりも赤く、ラピスたちを睥睨していた。
リリィは落ち着いて、竜を観察する。そしてその名称を口に出そうとして──
「ヘェ、深海竜か。珍しいね」
「そおですわね。まさか湖に出るとは」
「……落ち着いてるわね、二人とも」
先に姉妹が口を開いた。思いの外動揺していないラピスとセラ。
普段から漆雷獣とふれあう機会に恵まれている上、最強の魔女リリィが側にいる。緊張しろというほうが無理な話かもしれない。
ちなみにだが、この間も深海竜は敵意を向け続けている。
何度も言うが、リリィがいる故の安心感だ。
深海竜。
漆雷獣に並ぶ、幻獣の一角。
だがその個体数は漆雷獣よりも遥かに多い。確認されているだけで、世界におよそ50。それらは全て海で目撃されているので、湖にいるこの個体は、今まで発見されなかった新しい個体か、陸上での移動を可能とした特殊個体だと思われる。
そんな幻獣を前に、ラピスたちは気楽に談笑している。
リンちゃんのほうが可愛いね、やら、撫でてもふわふわしてなさそうね、やら、ずっとこっちを見てますわね、やら。効果音をつけるとしたら、『のほほん』だろう。
対する深海竜は、なぜこの人間たちは恐怖しないのだ、と考えていた。
かつて自分が海にいた頃、自分の姿を見た人間は、なにを置いても逃げ出したというのに。
過去の経験が、深海竜を戸惑わせていた。
「怯えてる? いえ、戸惑っているのかしら?」
「多分そうじゃない? わたしたちがビビってないのが不思議なんだよ」
「リンドブルムを見慣れてますからね。この程度ではちょっと……」
言ってはなんだが、深海竜はスベっていた。それもだだスベりだ。
せめてもう少し早く──食事時にでも出てきてくれれば、スベらずに済んだだろうにと思わずにはいられない。
人間であれば心がぽっきり折れていただろうが、幸いなことに、彼らにそんな文化はなかった。
リリィの腕を抱いたまま、彼女たちは相談する。
「えっと、どおしますの? この空気」
「どおしようか? 寝る?」
「さすがにそれはないわ。あの子がなにかしてくれば行動を起こせるんだけど」
無為に時間が過ぎる。いや、3人のほうはスキンシップ継続中なので、そこまで無為ではない。ただ、『どっか行ってくれないかなァ……』とは思っていたが。
「話しかけてみよっか?」
不意にラピスが提案する。リンドブルムにも言葉は通じるので、もしかしたらという思いがあったのだ。
リリィがいる限り安全は保証されているので、セラはそれに同意。リリィも頷いた。
ラピスはリリィの腕を離し、深海竜と向き合う。
「えっと……こんばんは?」
とりあえず挨拶をしてみた。あまりにも間抜けな声かけに、リリィは吹き出しそうになったが根性で耐えた。ラピスを怒らせたくなかったのだ。
声を聞いた深海竜がわずかに反応する。敵意を消して、こちらを窺うような目を向けてきた。
「通じてるのかな? ……わたしたち、ここでキャンプ──ご飯食べて寝ようと思ってるんだけど、ひょっとして迷惑?」
「きゅう」
予想外に可愛い鳴き声だった。彼女たちの警戒心がゴリゴリと削られていく。
だが否定か肯定かわからないので、再度ラピスは話しかける。
「えっと、肯定なら1回、否定なら2回声を出して。わかった?」
「きゅう」
どうやら言葉は通じているようだ。その前提に立って、ラピスは質問する。
「それで、わたしたちがここにいるの、迷惑かな?」
「きゅうきゅう」
2回。否定だ。
「ありがとう。……あなたはずっとここにいるの?」
「きゅうきゅう」
「違うの? つい最近来たってこと?」
「きゅう」
「ヘェ、やっぱ特殊個体なんだ」
「きゅう?」
「あ、特殊個体ってゆうのはね──」
ラピスは楽しそうに深海竜と会話──少なくとも周囲からはそう見える──している。しかも笑顔すら浮かべているではないか。驚くべき順応性の高さだ。
「…………あたしの彼女、凄い大物よね」
「…………わたくしの姉さま、常人にはできないことを平然とやってのけますわね」
リリィとセラは、半ば感心したように、半ば呆れたようにラピスを見る。
しばらくして、彼女がこちらを向いた。
「えっと、この子ね、特殊個体で間違いないみたい。海は海流とか潮の満ち引きとか面倒臭いから、思いきって湖に移ってきたんだって」
仮にも海の名を冠する幻獣が、海を面倒臭く思っていた。さっきのだだスベりが帳消しになるくらい面白い設定だった。
「でもここには友達になれるくらい知能の高い生き物がいないから、どっかに移住しようかと考えてるんだって。で、心当たりがあるなら教えてほしいってゆってる」
「……ラピス、コミュ力高いわね」
「……多分、あの深海竜メスですわね」
遠い目をして好き放題言う二人だった。
確かにラピスのコミュ力、人外のレベルかもしれない。
「リリィ? セラ?」
「──…あ、ごめん。現実逃避してたわ」
「──…右に同じく、ですわ」
「???」
首をかしげるラピス。だが1秒後には、まァいっかと切り替えた。
「わたしとしては、ホルンのボディガードをしてもらいたいんだけど。あの小屋、湖畔にあったし」
「あ、それいいですわね。アイリスさまが留守の間、その子がいてくれれば安心ですわ」
「あたしも異議なしよ。随分人懐っこい子みたいだし」
「きゅう?」
「えっとね、方角はあっちかな。大きめの湖の畔に小屋があって──」
深海竜の相手はラピスに任せ、リリィとセラは飛行機の座席を倒して寝る準備を進める。
マジックバッグから毛布や枕を出して設置。更には空気清浄機も設置した。
……最早キャンプではない。マジックバッグの存在──否、リリィの存在で、シリアスになりきれないところがある。
眠る準備が整ったところで、ラピスがやってくる。
「あ、ごめん。準備させちゃって」
「いいわよ、このくらい。ラピスはなんか色々と忙しいもの」
「ところで、あの深海竜はどおしましたの?」
「そのことなんだけどね。なんか名前をつけてほしいみたい」
「ちょっと待って! それはイエスノーの2択じゃさすがに聞き出せないでしょ!?」
「うん。だから身振り手振りで」
「………。……流石姉さまですわ!」
ラピスのコミュ力は天井知らず。考えることを放棄したセラが、無条件で称える道を選ぶ程だ。
さておき、深海竜の名前を考えなくてはいけない。
「リヴァイでいいわよね?」
「ダメ。リリィのネーミングセンスはバグってるんだから」
「人類最強みたいな名前ですわね」
セラがかなり際どい発言をする。…………スルーしよう。
「リンちゃんの仲間だから、似たような感じがいいよね」
「伝説からちなんだやつですの?」
「うん。…………ベラトリクスなんてどお? 愛称はベラ」
「お、可愛いじゃない」
「いいと思いますわ」
「じゃああの子に伝えてくるね」
ラピスは名前をつけるべく、小走りに出て行った。
「決まったよ。あなたの名前は『ベラトリクス』だよ」
「きゅう♪」
「気に入ったんだね。ホルンをよろしくね、ベラちゃん♪」
「きゅう!」
深海竜改めベラトリクスは、任せろとばかりに鳴き声をあげた。




