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落ち着きを取り戻したホルンが紅茶を淹れて、アイリスの前に出す。
「ありがとう」と微笑まれて、ホルンは嬉しそうにはにかんだ。
「……美味い。ラピスの紅茶と同じ味がするな」
「恐れ入るッス。ラピスさまはウチの弟子なんス」
更に嬉しそうにホルンは説明する。
その発言に納得したようにアイリスは頷き、紅茶をもう一口。ほォ、と深く息を吐いた。
「やはり美味い。こんな紅茶なら毎日飲みたいものだ」
「! へ、へへへ」
天然で繰り出されるアイリスのプロポーズじみた台詞に、ホルンはでれでれと笑う。
全てわかっているセラは、それを優しく見守る。
しかしそんな中、小さな事件が起こる。昼食を食べていなかったホルンのお腹が、くゥと鳴ったのだ。
静かな空間に、その音は不思議な程に響く。ホルンの顔が真っ赤に染まった。
「あ、あの──」
「すみませんアイリスさま。わたくしたち、事情によってお昼がまだでして。大変失礼とは存じますが、お昼をいただいてもよろしいでしょうか?」
ホルンの代わりにセラが断りを入れる。ホルンは目で彼女に感謝を伝えた。
「……これは悪いことをしたな。よければ出直そうか?」
「いえいえ。そこまでお手数はかけられません。書斎で本でも読んでいただくか……よろしければご一緒に如何ですか?」
「ふむ。それもいいな。ラピスの師匠の腕前に興味もあるし。ご相伴に預からせてもらおうか」
アイリスの返事を確認して、セラはホルンに目を向ける。ここで長年の付き合いが為せるアイコンタクトが発動した。
「(ホルンさん。チャンスですわよ。美味しい料理でアイリスさまを骨抜きにするんですわ)」
「(が、頑張るッス。気合い入れて作るッスよ!)」
「(多少時間がかかっても構いません。わたくしが時間を稼ぎますわ)」
「(感謝するッス、セラフィさま!)」
アイコンタクトが終わり、ホルンは一礼してキッチンに向かった。
二人でそれを見送る。アイリスの目が優しげ、というより愛おしげだったのにセラはおや? と思った。
気になったので訊いてみることにする。
「アイリスさま。なんだか嬉しそうですわね」
「おや? そう見えたか?」
「はい。とゆうより、まるで愛しい人を見守るかのようでしたわ」
「……鋭いな」
アイリスは肩をすくめる。
「我ながら節操がないとは思うが、確かに彼女のことは可愛いと思う」
「節操がない、とは?」
「ああ。自分は一月前、君の姉に告白してフラれたんだ」
「え? ……でも姉さまはそんなこと一言も……」
「だろうな。冗談めかして言ったことだ。なにせ、その頃には彼女には立派な恋人がいたからな」
「……リリィ義姉さま」
「そおゆうことだ。自分よりお似合いだと思う恋人たちに横槍を入れる程、自分も無粋ではない。それから自分は傷心旅行に行き、帰ってきて仕事を片づけ、一段落したから土産を持って今日訪れたというわけだ」
「姉さまにわだかまり──とゆうより気まずさはありませんの?」
「無論ある。だがいつまでも引きずっているのもよくないだろう? だから今日は自分の心に決着をつけるつもりでここに来たんだが…………いやはや、なにがどう転ぶかわからないものだ」
笑って息を吐くアイリス。その目線は再びホルンを追っていた。
「ああ、すまない。妹の君からすれば、自分のような女が訪ねてくるのは迷惑でしかないな」
「そんなことはありませんわ。姉さまを好きな人に悪いかたはいませんので、むしろ好感が持てますわ」
「……セラフィ。君は姉が好きなのだな」
「はい♪ 世界一のシスコンを自負する程度には大好きですわ♪」
「そ、そおか。……そおだ、土産があるんだ。二人分のつもりだったがあれよこれよと増えてしまってな。保存の利く食材と、東の島国の衣服や髪飾りなどを入れてある。たくさんあるから皆でわけてくれ」
「お心遣い痛み入りますわ」
アイリスがマジックバッグから取り出した袋をを受け取り、自分の横に置く。すぐに中身を確認するのは失礼なのだ。
「…………君は礼儀正しいな。もしやどこかのご令嬢なのか?」
「元、ですが、一応王女でしたわ」
「……王……女?」
「はい。もう辞めた身なのでただの一般人ですが」
「…………王女を辞めた?」
「はい♪」
「………」
「?」
「………」
「??」
「…………つまり──」
アイリスはごくりと唾を飲む。
「──君の姉、ラピスも王女なのか?」
「ですから元、ですわ。姉さまも一緒に辞めましたもの」
「…………ああ、なるほど。あのとき聞いた行方不明のラピスラズリ姫とは、ラピスのことだったのか……」
「間違いないかと。まァ、些細な問題ですわ」
「君たちに後悔がないならなにも言わないさ」
爽やかに笑って紅茶を飲み干す。
丁度そこに、ホルンが料理を持ってきた。
「お待たせしたッス。料理をお持ちしたッス」
「あら? 早すぎません?」
「はい。ウチの得意なジャンルは、強い火力で一気に仕上げるんで」
「そおなのか。楽しみだな」
次々と並べられる料理たち。短時間で作られたとは思えない量に、アイリスは目を輝かせた。
「素晴らしい。どれもこれも美味そうだ」
「そうゆってもらえると、料理人冥利に尽きるッス。冷めないうちに食べるッスよ」
「うむ、いただこう」
「いただきますわ」
3人は食事を始めた。
ホルンが作ったメニューは炒飯、麻婆豆腐、回鍋肉、青椒肉絲、焼き餃子。
どれもこの国では見ない料理だった。
「これは美味いな。随分と珍しい料理だが、どこの国の料理なんだ?」
「シンッスよ」
「東の大国か。まさかこんなに美味いものがあるとは」
「ああ、それはちょっと違うんス」
餃子を食べながらホルンは注釈を入れる。
「確かにこれらはシン料理ッスけど、純粋なシン料理じゃあないんス」
「? どういうことだ?」
「これは、東の島国で進化を遂げたシン料理ッス。東の島国の民族は、自分で新しいものを作ることが苦手な代わりに、既にあるものを発展させる技術に秀でているッス。この料理たち、元を辿ればただ辛いだけの美味しくもなんともない食べ物だったんスよ?」
「それは驚きだな」
「わたくしも初耳ですわ」
ホルンは得意気に続ける。
「だからウチの料理を食べて、本場のシン料理を食べたくなったんなら、それはやめたほうがいいッス。自分でゆうのもなんスけど、ウチの作ったシン料理のほうが100倍美味しいッスよ」
「ああ。確かに美味い」
「ホルンさん。ご飯まだ余ってます?」
「あるッスよ。おかわりッスか?」
「はい。この麻婆豆腐、非常に気に入りましたわ」
席を立ってセラはご飯をよそいに行く。
アイリスはそれを見て、王女らしくないな、と思った。そういうことは使用人にやらせるのが、貴族や王族の普通だ。だが隣にいるホルンさえも、セラが自分で行くのを止めず、平然と食事を続けている。いや、使用人が同じ食卓につくだけでおかしいのかと思い直し、アイリスは頭を振った。
「? どおしたんスか? アイリスさま」
「いや、なんでもない。自分の狭量さに辟易していただけだ」
「??」
アイリスはこの家の“普通”を受け入れ、食事を続ける。
和やかな雰囲気のまま、遅めの昼食は終わった。




