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天白狐。
漆雷獣や深海竜と並び称される幻獣の一角。
見た目は白い毛並みの普通のサイズのキツネ。しかしその枝分かれしたしっぽが、彼らを普通のキツネではないと知らしめている。
長く生きた個体の尾は9本まで増えると言われている。だが、今までに確認された最大本数は5本。9本の天白狐は与太話の類とされている。
その個体数は極端に少なく、推測上5体には届かないとされている。これは漆雷獣よりも少ない。彼らは世界に7体だ。
というのも、彼らは他の幻獣たちとは違い、圧倒的な力を持たない。多少の幻術を使えるとされているが、それだけだ。殺傷能力はない。
それゆえ、過去に人間たちの乱獲にあった。
その毛皮は一級品のコートに、その牙は切れ味抜群の刃物に、その骨はいかなる土壌も潤う肥料に、その肉や内臓は口にすれば不老長寿と噂の霊薬に。
天白狐の身体は余すところなく、その全てに利用価値があった。
斯くして彼らはその数を激減させ、今では氷に閉ざされた地に、わずか数匹が残るだけと言われている。
幸いにして、かどうかはわからないが、幻獣はおしなべて寿命が長い。それでいて繁殖力も極端に低いわけではないので、時間をかければ数を増やすことも不可能ではないはずだ。
しかしそれには、人間の知識と知恵を持ち、幻獣のような長い寿命を持つ生き物、すなわち魔女の助力が不可欠だろう。
この世界から天白狐の姿を消さないために、魔女たちは総じて人間の尻拭いをせざるを得ないのだ。
以上、サクラが以前言っていた話だ。
その天白狐が今、ラピスたちの目の前に現れた。
警戒心──いや、興味だろうか? 飛行機のほうをじろじろと見ている。不意にぽてぽてと近づいてくると、大窓からギリギリ見える位置で止まり、ひくひくと鼻を動かしては首をかしげるということを繰り返した。
その愛らしい仕種に──
「かァわいいですわァ♡」
「かーわーいーいー♡」
「…………可愛いわね……♡」
3人はすっかり骨抜きだった。
その声が聞こえたわけではないだろうが、窓越しに天白狐と目が合う。天白狐はその場に座り込み、無防備にあくびを洩らした。
座り込むと全体像がよく見える。よくよく観察して、彼女たちは気づいた。
「……しっぽ、8本あるわね」
「……あるねェ」
「……過去最高ですわね」
聞いていた話と違う! と、銀髪の姉妹はサクラに対して訴えたい気分だった。
長く生きているリリィにしても見るのは初めてで、概ね姉妹と同じ気持ちだ。
天白狐は後ろ足で耳を掻くと、もう一度あくびを洩らした。
元来動物好きな彼女たちが、その仕種を見逃すはずがない。愛らしい挙動に、サクラへの文句も全て引っ込んだ。
「可愛い♡ でも無防備すぎるわね」
「うん。もうちょっと警戒心を持ってほしいよね」
「だから乱獲されちゃったんじゃありませんの?」
そんな感想をそれぞれ抱く。
会話をしている間に天白狐はその場で身体を丸めて、完全に寝入る体勢に入った。さすがにこれはまずいとラピスたちは考える。
いかに人気がない場所であろうとも、見渡しはかなりいいのだ。物好きがやって来ないとも限らない。せめてもっと、遮蔽物の多い場所で休んでほしい。
「わたし、ちょっと脅かしてくるよ。可哀想だけどそのほうがいいよね」
天白狐のため、ラピスは心を鬼にすることにした。
毛布から抜け出すとコートとマフラーを装備して、一人外に出る。リリィとセラもあとに続こうとしたが、「すぐ終わるから」と言って、ラピスに断られたのだ。
窓の外を見ると、天白狐が起き上がり、ばびゅんと凄い勢いで視界から消えた。ラピスの仕業だろう。
可哀想だがこれで安心だと、リリィとセラは彼女が戻ってくるのを待った。
しかし少し待ってもラピスは戻ってこない。5分が経ち、これはおかしいぞと、二人は扉へと駆け寄った。
ちょうどそのタイミングで──
──ギィイイ──
と音を立てて扉が開く。そこには雪にまみれたラピスが気まずそうに立っていた。
「遅かったじゃないラピス。心配したわよ?」
「なにかありましたの? 顔色が優れないようですが……」
「……えっと……あはは」
ラピスは渇いた笑いを洩らす。なにかを隠していることは明白だった。
そこでピョコン、と、彼女の肩からもふもふした白い塊が顔を覗かせる。リリィもセラもぎょっとして目を見開いた。
「きゅおん?」
可愛らしく鳴くその生き物は言うまでもなく──
「…………どおしよう? ……懐かれちゃった」
「きゅおん♪」
ラピスに甘えるように、天白狐は再度鳴いた。




