10 特別授業
スプリングパーティーの余韻に浸りながら、わたしは凍砂さんと研究室にいた。
「流華ちゃん、皇太子様と歩いてたんだって? やるじゃん」
「なにがですか~?」
机の上にぽんと無造作に置かれた歴史的に重要な書、レトニア記の表紙をぽすぽす叩きながらわたしはぐったりとした声で答えた。
疲れているのだ。現在進行形で。
体にぴったりするドレスはわたしの筋肉を無駄に緊張させて、体中が痛い。髪の毛もあれこれしたから今日はしなっとしている。
「あははー、でももうすぐ出張だよ」
「しゅっちょー? どこ行くんですか?」
「ほら、前に話したあれだよ。高等学校に行くやつ」
「ああ、あれですか」
あの、高等学校に行って特別授業をするとかいうやつか。
「それで、いつなんですか?」
「それがねー」
凍砂さんが指を二本伸ばした。
「ん?」
どういうこと?
ふっふっふ、と凍砂さんが嫌な笑いを漏らした。はっ、なんだろうこの不吉な予感は。
「二日後です」
「へー、二日後ですか」
へー。………
「えーーーーー、二日後ーーーーー!?」
わたしの叫び声は三つ隣の実験室にも届いたらしい。
「それで、何するんですか?」
「うーん、何する?」
わたしの問いに、凍砂さんは笑顔で問い返してきた。いやいやいや。
「今までは何してたんですか?」
「今まで?」
うーん、と凍砂さんが唸った。
「今不在の教授の学者さんが、古文書の素晴らしさについて滔々と語ってたかな」
「つまんなっ」
はっ、つい本音が漏れてしまった!
「いえ、何でもないですすみません」
ぺこぺこ頭を下げる私に、凍砂さんは笑って、
「いやいや、僕もそう思ってたんだよね。で、今回は流華ちゃんがいるから教授はパス。だからさ、何する?」
と言った。
「何でもいいんですか?」
「うん、古文学者として間違ってなければ」
「うーん……」
わたしは頭を抱えた。
何がいいかな、何が面白いかな、何が楽しいかな。うーーーん……
閃いた!
「凍砂さん凍砂さん! 面白い小説について講義しましょうよ!」
「面白い小説?」
凍砂さんが首を傾げた。
「そうです! 高等学校生でも読みやすい、優里亜=インヴィアタの作品とか、北の国のジニー・ル・ディスの作品とかの面白さについて! きっと、昔の本に興味を持ってくれると思うんです!」
わたしの熱弁に、凍砂さんが目を輝かせた。
「いいね、それ! よし、決定!」
その後の話し合いで、紹介するのは優里亜=インヴィアタの『例えば、君が泣いたとき』と、ジニー・ル・ディスの『猫の足跡』にした。『例えば、君が泣いたとき』は、すれ違うばかりの少年と少女の淡い恋物語。『猫の足跡』は、ふとした時に見つけた猫の足跡のせいで人生が狂っていく女の人の話だ。なかなかみんな読もうとしてくれないけど、下手したら今の小説より断然面白いとわたしは思う。
この特別授業で将来の古文学者が生まれるといいな。
と、そんなわけで特別授業が楽しみになってきたわたしは、ある重大な事実に気がついた。
わたし、15歳だ。
「凍砂さーん!」
「なに、なんかあった?」
呑気な笑顔で振り返った凍砂さんに、わたしは言葉をぶつける。
「わたし、15歳なんです!」
「知ってるよ。それが、どうかした?」
気づけ!
「わたし、飛び級してなかったら高等学校1年生なんですよっ!」
聞いたかこの重大な重大なことを。
つまりわたし、同年代かそれより上に授業するってことだよ? いくらなんでも自分より年いってる人に偉そうに授業なんて絶対無理!
ぽかーん、としていた凍砂さんがようやくそのことに気づいたように、ぽんと手を打った。
「あー、そーゆーこと」
この能天気さがイラつくなー。
「で、それが何か問題なのかな?」
……。
………。
…………。
「凍砂さんの★*▽×◎*▲#@ーーっ!」
「ちょっと落ち着いて流華ちゃん! ちょっと、この国の公用語しゃべって!」
「ほんと◆ζ△♭〇Φ■χ+☆! 意味▼$●◇❤!」
「流華ちゃーん! 僕が悪かったから! 謝るから! ごめん!」
「もう@ゐ★△Γゑ♪ω◎だから!」
「ごめんなさい! だから僕に分かる言葉でしゃべってー!」
ついに特別授業の日になった。
今回は、王国で最も優秀な王立ラムダ高等学校に行く。ちなみにわたしはそこの卒業生だ(17、8歳に紛れて12歳で)。そういえば、あの頃もいろんな学者さんがちょくちょく来て特別授業をしてくれたな。普段は教えてくれないこととかをいっぱい教えてくれるから、毎回すごく楽しみだったような気がする。内容はもう忘れちゃったけど。
持っていくのは紹介する二冊の本だけ。凍砂さんが、「今回はすごく荷物が少ないなぁ、なにか忘れてないかなぁ」としきりにこぼしている。知ったことか。わたしは一昨日のことをまだ忘れていないぞ。
にしても、ほんと、楽しみ!
年齢の大して変わらないひとに授業するのはちょっとあれだけど、わたし、大学卒業してるからね、学者団に入ってるからね、堂々と振る舞えば大丈夫! だ。それに、わたしたちの授業で昔の物語とかを好きになってくれる人ができたら、それは全てを吹き飛ばすくらい嬉しい。
と、わたしが気合いを入れていたら凍砂さんに「そんなに力入れないで、リラックスしていつも通り話せばいいよ」と言われてしまった。むぅ、確かに。認めるけど、わたしは一昨日のことをまだ忘れていないぞ。
学者棟を出て門へ向かうと、いつの日かの男性がいた。あの、ちょっと怖そうだった、御者台にいたひとだ。
「お乗りくださいませ」
恭しく言われ、少しビビったわたしだけど、凍砂さんがスルーして馬車に乗ったのでわたしも慌てて後に続いた。凍砂さん、こういう扱いされることに慣れてるな。
がたがたと揺れる馬車の中で、わたしは本を入れたカバンを抱きしめた。
王立ラムダ高等学校は王都の外れにある。そこに着いたら、わたしの初授業だ。
久々に見たラムダ高等学校は、数年前――――わたしが卒業した頃と全く変わっていなかった。しっかりとした重厚な造りの校舎。整備された中庭。
授業を行うのは、あの頃と同じ、講堂だ。




