第46話 討伐の命令書
第46話 討伐の命令書
パパン!
お立ち会い! 組織の命令とは、時に刃よりも残酷に人の心を切り裂くものでございます!
京都本社から下された、足利持氏公とその一族の「完全なる排除」という冷酷無比な指令。それを実行に移すための出陣命令書が、今まさに管領・上杉憲実殿の目の前に突きつけられたのでございます!
かつて主君と仰いだ男を、自らの手で死に追いやるという絶望の決裁。
まあ、当時の陣屋の空気は、張り詰めた糸のように重く冷たく、憲実殿が硯に向かうその背中からは、声なき慟哭が酸っぱい脂汗となって滲み出していたに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、武士の情けを捨て、修羅となることを強要される中間管理職の地獄!
さあさあ、不折の管領、波乱の第四十六席でございます!
*
「……称名寺への総攻撃は、明日の寅の刻(午前四時)と定まりました。各部隊への配置転換の指示書です」
深夜の陣屋。
長尾景仲が、感情を一切交えない事務的な声で、次々と木簡を机に並べていく。
上杉憲実は、冷たい板の間に正座したまま、虚無の宿った目でその木簡を眺めていた。
「先鋒は、寝返ってきた相模の国人衆を充てます。彼らに『旧主君を討つ』という汚れ仕事を負わせることで、我々への忠誠度をテストし、後顧の憂いを断つことができます」
景仲のロジックは、常に完璧だった。
味方の損耗を最小限に抑え、かつ裏切り者同士を共食いさせることで、治安維持のコストを下げる。それは、関東管領の筆頭重臣として、極めて正しいシステム管理の姿である。
「……景仲。持氏公には、自刃を促す使者は送らないのか」
憲実は、ボソボソとした声で問うた。
せめて、武士としての「切腹」の形式くらいは整えてやるのが、かつての主従としての最後の情けではないのか、と。
「送りません。使者を送れば、彼らが『誇り』や『名誉』を語り始め、無駄な交渉時間が発生します。我々の目的は、対話ではなく物理的な『排除』です」
景仲は、冷徹に切り捨てた。
「それに、義教公からの御教書には『一族郎党、一人残らず首を刎ねよ』とあります。自刃などという自己完結のプロセスは、本社の承認を得られません。我々が直接手を下し、その首を検分(データ化)しなければならないのです」
ドン、と。
景仲が、最後にして最も重い決裁書類を、憲実の前に置いた。
『足利持氏並びにその一族の、討伐実行命令書』。
「……あなたがこれを討たねば、今度は我々山内上杉家が『本社の意向に背くバグ』として、今川軍に粛清されます。……決裁を。拒否権はありません」
憲実は、膝の上で関節が真っ白になるほど拳を握った。
彼がこれほどまでに憎んでいるのは、持氏ではない。合理性を完全に欠いた「義教のヒステリー」と、それを強制力をもって実行させる「組織という暴力装置」そのものだった。
(……俺がハンコを押せば、あの称名寺は火の海になり、無抵抗の子供たちまでが殺される)
憲実は、直垂の懐に手を入れた。
そこにある麻の紙の「出家願」が、微かにカサリと鳴る。
逃げたい。今すぐこの場からバックレて、山奥の寺にでも引きこもりたい。
「……憲実様。あなたが逃げても、私があなたの名前でハンコを押して執行するだけです。システムは、個人の感情で停止したりはしません」
景仲の氷のような声が、憲実の逃避行を完全に物理的に封鎖した。
逃げても同じ。ならば、せめて自分の手で、最も低コスト(迅速)に終わらせるしかない。
憲実は、左の目尻を指の腹で強く揉み込むと、極限まで浅くした呼吸で、青銅の「印章」を手に取った。
ズシリ、と。
そのハンコは、何万もの命を処理してきた、ただの金属の塊とは思えないほど、異常な重さを持っていた。
「……御意」
憲実の、感情の抜け落ちた一言。
ガツン。
深夜の陣屋に、かつての主君とその一族を死に至らしめる、絶望の決裁音が虚しく響き渡った。
*
パパン!
「おお、なんたる冷酷なる決断! 己の感情を完全に殺し、かつての主君を討つ命令書にハンコを押した管領・憲実!
これぞ、乱世のシステムに組み込まれた者の、逃れられぬ宿業でございます! 己の手を血で染めてでも、関東という巨大な船を沈めまいとするその覚悟!
……まあ、その重い決断の裏で、憲実が『これで反乱のリスクが跳ね上がった。来年は過労死確実だな』と、別の意味で死を覚悟していたなど、歴史の美しき物語には決して残らぬ些末なことにございますなァ!
さあ、討伐の命令は下された! 運命の朝、称名寺へと向かう軍勢を前に、足利持氏公はいかなる最期を迎えるのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




