第19話 現場のストライキ
第19話 現場のストライキ
パパン!
お立ち会い! 上が無理な算段を立てれば、下は泥水をすする。それは現代の会社も、室町の中世も同じことでございます。
度重なる特別税の取り立てと過酷な労働に、ついに現場の堪忍袋の緒が切れた! 木戸範実殿の配下にある前線の兵たちが、武器を捨てて鎌倉へ押し寄せるという、前代未聞の「ストライキ」を決行したのです!
怒り狂う公方様。しかし、我らが管領・上杉憲実殿は、私財を投げ打って彼らを鎮め、見事に主君の威信を守り抜いたのでございます!
まあ、当時の管領邸の庭には、何日も風呂に入らぬ兵たちのすえた汗の臭いと、投げ出された銅銭のひどく生臭い金属の臭いが立ち込めていたに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、上に立つ者の大いなる慈悲!
さあさあ、不折の管領、波乱の第十九席でございます!
*
「謀反である! 余の定めた税を拒み、労働を放棄するなど、言語道断! 直ちに兵を出し、あの薄汚い下郎どもを一人残らず斬り捨てよ!」
バチバチッ、と。
炭取りの火の粉が激しく爆ぜる。鎌倉公方・足利持氏が、大刀の鞘をカチャカチャと耳障りに鳴らしながら、床板が割れんばかりに足を踏み鳴らしていた。
関東管領邸の門前には今、武蔵国の前線から職場放棄をして押し寄せてきた木戸の配下、数百名の兵たちが座り込んでいる。度重なる「臨時追加徴収令」と兵糧の削減により、物理的な生存限界を迎えた彼らの、完全なる実力行使であった。
上杉憲実は、冷たい板の間に額を擦り付けたまま、畳の目を睨みつけていた。
(……ここで数百の労働力を物理的に破壊すれば、新城の工期は完全に停止する。さらに、彼らを斬れば他の国人衆の現場にもストライキが延焼し、鎌倉府のロジスティクスは三日で崩壊する)
持氏の脳内にある「源氏の血脈」や「武家の面目」というファンタジーの暴走を、なんとしても止めなければならない。
「公方様。恐れながら申し上げます」
憲実は、声の起伏を完全に殺したビジネス敬語で進み出た。
「奴らを斬れば、現場の労働力が三割消失いたします。城の完成が遅れれば、京都の小童どもに隙を見せることになりましょう。ここは当方にお任せくだされ。公方様の御刀を汚すことなく、必ずや低コストで事態を収拾してご覧に入れます」
「……チッ。ならば勝手にせよ。だが、少しでも余の威光に傷をつけるような真似をすれば、お前の首を刎ねるぞ!」
「……御意にございます」
憲実は深く頭を下げ、冷や汗で濡れた直垂を翻して庭へと向かった。
管領邸の庭先。
座り込む兵たちの放つ、泥と汗と飢えの悪臭が、冷たい風に乗って鼻を突く。彼らの手にある槍の穂先は赤茶け、もはや武器としての体を成していない。
「管領殿! 我らはもう限界だ! 特別税を免除し、未払いの兵糧を寄越さねば、ここから一歩も動かんぞ!」
血走った目で凄む兵たち。しかし、憲実は知っている。現在の鎌倉府の金庫には、彼らに払う銅銭一枚すら残っていないことを。岩松への利益供与と、京都への進物で全て消滅したのだ。
憲実は、無表情のまま、背後の従者に顎で合図をした。
ドサァッ!
重い麻袋がいくつも、冷たい砂利の上に投げ出される。中からこぼれ落ちたのは、大量の銅銭だった。ジャラジャラという重い金属音が、庭に響き渡る。
「これは……!」
「俺の私財だ。これで未払い分と当面の食糧を賄え」
憲実は、死んだ魚のような目で兵たちを見下ろした。
「……受け取ったら、直ちに現場へ戻れ。これ以上騒げば、次は銭ではなく、討伐軍の矢が降る。……選べ」
圧倒的な「質量」の前に、兵たちの怒りは霧散した。彼らは泥にまみれながら必死に銅銭を掻き集め、蜘蛛の子を散らすように現場へと戻っていった。自らの身銭(資本)を投入することでの、強引な事態の鎮圧。
深夜の執務室。
憲実が、左の目尻を指の腹で強く揉み込んでいると、長尾景仲が足音もなく姿を現した。
その手には、次々とクシャクシャになった紙の束が握られている。紙の擦れる乾いた音がした。
「憲実様。見事な火消しにございました」
景仲は、無表情のまま机の上に書類を積み上げる。
「ですが、管領個人の私財で兵を救ったとなれば、現場の忠誠が公方様ではなくあなたに向いてしまいます。それは、組織の指揮系統を揺るがす重大なバグです」
ドン、と。
景仲が机の上に置いたのは、青銅製の重い「印章」だった。
「ゆえに、あなたが投じた私財は、帳簿上『公方様からの特別下賜金』として処理いたします。この修正した財務書類にハンコを。……拒否権はありません」
憲実は、直垂の懐に忍ばせた麻の紙「出家願」がカサリと鳴るのを感じながら、震える手を硯へと伸ばした。
「……俺の身銭を切らせた上に、その出費まであのトップの成果として粉飾するのか」
「はい。個人の資産も名誉も、システムを回すための養分として吸い上げるのが組織というものです。あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、自腹の補填を放棄する書類にサインさせるだけです。さあ、夜が明けます。墨をお擦りください」
逃げたい超有能と、逃がさない現実の悪魔。
ガリ、ガリ、ガリ。
ガツン、ガツン。
冷え切った密室で、かすれた墨の音と、自身の資産を会社に無償提供するための決裁書類にハンコを叩きつける音だけが、深夜の鎌倉府に虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる自己犠牲! 己の富を投げ打って兵を救い、その誉れすらも主君に譲る管領・憲実!
これぞ無私の心! 東国武士の鑑とも言うべき、美しき主従の姿でございます!
……まあ、その自腹を切った美談の裏で、忠臣・長尾景仲によって『公方様からの下賜金』と勝手に帳簿を偽造され、管領殿の金が一銭も返ってこないという血も涙もない現実があったなど、歴史の華やかな絵巻には残らぬ些末なことにございますなァ!
さあ、身銭を切って組織の崩壊を食い止めた鎌倉府! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




