第17話 祝賀使節の憂鬱
第17話 祝賀使節の憂鬱
パパン!
お立ち会い! 新将軍の誕生に際し、いかに腹に据えかねようとも、表向きの礼節を尽くすのが武家の習い。京都本社への祝賀使節派遣は、鎌倉府の存亡を賭けた重大なミッションでございます!
しかし、誰もが「行けば京都の連中に苛められ、帰れば公方様に睨まれる」と恐れるこの貧乏くじ。誰も行きたがらない死地へ赴く者を、管領・上杉憲実は見事な説得で選び出したのでございます!
……まあ、当時の執務室には、押し付け合いの末に選ばれた使者の恨みがましい溜息と、必死に説得にあたる憲実殿の、寿命を削るような脂汗の臭いが充満していたなどと申す者もおりますが、それもまた組織を回すための尊き犠牲でございましょう!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、己を捨てて大局に殉じる東国武士の誉れ!
さあさあ、不折の管領、波乱の第十七席でございます!
*
「だから、某は絶対に行かぬと言っているであろう!」
関東管領邸の執務室に、上杉教朝の金切り声が響いた。
教朝は、持房の息子であり、見栄えだけは良いが実務能力は皆無の若き武将である。彼が直垂の袖をバタバタと振るたびに、高価な香の匂いが無駄に撒き散らされる。
「京都に行けば、あの『くじ引き将軍』の取り巻きどもから、ネチネチと嫌味を言われるのは目に見えておる。その上、もし祝賀の言葉など述べようものなら、鎌倉に帰った後で公方様に殺されるではないか! こんな貧乏くじ、管領殿ご自身で行かれよ!」
上杉憲実は、冷たい板の間に正座したまま、教朝の癇癪を無表情で見つめていた。
京都本社への祝賀使節。
これは、反抗的な態度を見せる鎌倉府の「表向きの恭順」を示すための、絶対に必要な儀式である。しかし、使者となる者は、京都からは「反逆者の手先」として冷遇され、鎌倉の持氏からは「京都に媚びた裏切り者」として目をつけられる。完全なる板挟みのデスワークだ。
(俺が行ければ一番早いが、俺が鎌倉を空ければ、持氏と持房のバカどもが三日で金庫を空にする。ここは、家格が高く、かつ組織の実務に影響が出ない「無能な飾り」を行かせるしかない)
憲実の脳内で、冷徹な人事配置の計算式が組み上がっていく。
教朝はまさに、この使節にうってつけの「飾り」だった。
「教朝殿のお怒り、ごもっともにございます」
憲実は、声の起伏を完全に殺し、深く頭を下げた。
「しかし、この重要な使節を全うできるのは、名門・犬懸上杉家の嫡男たる貴殿を置いて他にはおりませぬ。京都の公家衆にも顔が広く、その見事な威風は、鎌倉府の誇りを示すにふさわしきもの」
「おだてても無駄だ! 命がいくつあっても足りぬわ!」
教朝がそっぽを向く。
憲実は、左の目尻を指の腹で強く揉み込みたい衝動を堪え、懐から一枚の和紙を取り出した。
「……教朝殿。もしこの任を引き受けていただけるのであれば、来季の武蔵国における『鷹狩りの特権』と、関所での『私物の通行税免除』を、管領の権限において確約いたします」
和紙が板の間を滑る音がする。
教朝の肩がピクリと動いた。鷹狩りの特権と免税は、莫大な利益と見栄をもたらす。
「さらに、京都での対応マニュアル……もとい、『問答の覚え書き』を当方で完璧にご用意いたします。貴殿はただ、その通りに読み上げるだけで、京都の嫌味を躱すことができましょう。いかがか」
完全に用意された逃げ道と、目の前にぶら下げられた餌。
教朝の目が、欲深き光を放って和紙を舐め回した。
「……そこまで管領殿が仰るのなら、某が泥を被りましょうぞ。だが、もし公方様の怒りを買った時は、必ずや某をお守りくだされよ!」
教朝が和紙をひったくるようにして立ち去った後、憲実は深く、長く息を吐き出した。
冷え切った硯の匂いが満ちる部屋に、長尾景仲が足音もなく現れる。その手には、またしても新たな書類の束が握られていた。
「憲実様」
景仲は、無表情のまま机の上に和紙を積み上げる。
「教朝殿への特権付与により、武蔵の税収がまた目減りします。それを補填するための、相模の農民への追加徴収令。並びに、教朝殿に持たせる京都への献上品の購入稟議書です」
ドン、と。
青銅製の重い「印章」が、鈍い音を立てる。
「……進物の代金は、どこから出すのだ。金庫はすでに空だぞ」
「来年修繕予定であった、兵たちの武具の修理費を全て転用します。戦にならねば、錆びた刀でも問題ありません」
景仲のロジックは、常に現場の命を担保にして数合わせを行う。
「あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、この無意味な贈答の決裁を続けさせるだけです。明日の朝までにハンコを。……拒否権はありません」
憲実は、懐の奥にある「出家願」がカサリと鳴るのを感じながら、死んだ魚のような目で硯を見つめた。
無能な同僚に餌をやり、そのツケを現場の兵に払わせる。そのすべての汚業の責任のサインを、自分がする。
「……いつか、このハンコごと叩き割ってやる」
「はい。叩き割るその日まで、一日でも長く押し続けてください。さあ、墨をお擦りください」
逃げたい超有能と、逃がさない現実の悪魔。
ガリ、ガリ、ガリ。
ガツン、ガツン。
冷え切った密室で、かすれた墨の音と、現場を切り捨てるための決裁書類にハンコを叩きつける音だけが、深夜の鎌倉府に虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる絶妙なる人選! なんたる説得の妙! 名門の威信を見事にくすぐり、死地へと赴く使者を選び出した管領・憲実!
京都と鎌倉の間に立つという、この最も難しき役目を教朝殿に託したその裏には、鎌倉府の面目を保たんとする深き計算があったのでございます!
……まあ、その使者の旅費と特権のために、現場の兵たちの武具がどれほど錆びついていったかなど、歴史の美しき外交録には記されぬ些末なことにございますなァ!
さあ、薄氷を踏むがごとき京都との外交戦! 果たして、教朝殿はこの難局を無事に乗り切ることができるのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




