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3/20

廃墟の中の設計図

 ヴァルデン領に着任して四日目の朝、俺は廃墟の中に立っていた。


 かつての領主館——今は屋根が半壊し、石壁が崩れ、雑草が石畳の隙間から容赦なく伸びている。ゴルドが「若、あそこには近づかん方がいい」と言っていたのを無視して踏み込んだ場所だ。


「……思ったより、骨格は残ってるな」


 独り言をこぼしながら、俺は《構造解析》を起動した。


 途端、廃墟が別の顔を見せた。崩れた壁の向こうに石積みの強度分布が見える。地面の下に続く基礎の輪郭が浮かぶ。五十年の劣化によって変質した石灰モルタルの組成が、まるでX線写真のように解析されていく。


 前世の感覚で言えば、既存建物の耐震診断に近い。損傷度を数字に換算して、修繕の優先順位をつける。それが俺の仕事だった。


 ただし前世では、センサーと計測機器が必要だった。ここでは——スキルがある。


「費用対効果が……いや、待て」


 俺はしゃがんで、剥き出しになった床石の一枚をめくった。その下に、木製の扉がある。


 ゴルドには「廃墟の状態確認だけする」と言って来たが、《構造解析》が床下に空洞を検知した時点で方針が変わった。


 鉄錠は錆びで固まっていたが、ゴルドから借りた鑿を差し込んで数分でこじ開けた。


 地下への石段は、意外なほど状態が良かった。


「……空気が乾いてる。地下なのに」


 不思議に思いながら降りると、小部屋があった。棚が並び、木箱が積まれ、その奥の壁面に——


 巻かれた紙の束が、無数に差し込まれていた。


 俺は一本を引き抜いて、広げた。


 息が止まった。


 そこには設計図があった。ただの設計図じゃない。精緻な、体系的な、まるで近代の都市計画図のような——


「……なんだ、これ」


 手が震えた。前世の土木技師としての直感が、猛烈に叫んでいた。


 これは、ヴァルデン領の設計図だ。しかも、現在の廃墟ではなく、計画段階の——栄えていた頃の、あるいは「こうするはずだった」未来の姿を描いたものだ。


 道路網、水路、排水システム、建物の配置。それらが有機的に組み合わさって、一つの都市を形成している。


 俺は《構造解析》で設計図そのものを解析した。


 ——紙の繊維組成、インクの化学式、羊皮紙特有の脂肪酸の変性パターン。


「……五十年以上前じゃない。これ、少なくとも二百年はある」


 そして気づいた。文字が、今の王国語と微妙に違う。字体が古い。まるで古文書のような——


「……まさか」


 俺は設計図を全て持って、地上へ戻った。


 工房でゴルドに広げて見せた瞬間、ドワーフの老職人は固まった。


「……若、これ、どこで」


「領主館の地下。ゴルド、この文字、読めるか」


 ゴルドは白目をむくような目で設計図を見下ろした。赤い髭の三つ編みを無意識に触り、唸る。ドワーフは長命だと聞いているが、見た目の年齢からすれば少なくとも百年は生きているはずだ。それだけの積み重ねが、この読解力を支えている。


「……読める。じいさんから習った古い書き方だ。わしらドワーフの一部は、百年以上昔の文字を伝承として知っとる」


「何て書いてある」


「……『ヴァルデン都市再建計画。第七次草案』」


 沈黙が落ちた。


 再建。再建計画。ということは——


「最初の建設じゃない」俺は呟いた。「ここは一度、都市として機能していた。それが何らかの理由で滅んで、五十年前の大魔素噴出よりもずっと前に——すでに廃墟だったのか」


「……老人衆が『昔は栄えとった』と言うのを聞いたことがある」ゴルドが低く言った。「まさか百年以上前の話とは思わなかったが」


 俺は設計図を再び広げた。


 今度は《構造解析》で地面を透視するイメージで解析を試みた。地下の基礎構造が見える範囲で——あった。設計図に描かれた道路網の位置と、現在の地下に埋もれた石組みが、完全に一致している。


「……ゴルド」


「なんだ」


「俺たち、ゼロから作らなくていいかもしれない」


 ゴルドが顔を上げた。


「地下に古い基礎が残ってる。設計図通りの位置に。これを掘り出して、補強して再利用すれば——建設コストが半分以下になる」


 数字が頭の中で弾けるように展開した。前世の積算経験が全力で動いている。


 既存基礎の流用により、掘削コスト削減。石材の再利用で資材費圧縮。設計図があるなら測量の手間も省ける。


「……若」ゴルドがゆっくりと言った。「半分以下ってのは、どういう計算だ」


「基礎工事が全体の三割から四割を占める。それがほぼタダになる。石材の掘り出しと整形が要るが、新しい石を採掘するより既存品を再利用した方が安い。設計図があるから設計費もゼロ。加えてこの設計図——排水計画が今俺が考えてたより優れてる」


「……お世辞じゃないのか」


「お世辞じゃない。二百年前の人間が、俺より賢い設計をしてた。そういうことは前世でもよくあった。古い建物の基礎が現代工法より丈夫なことは珍しくない」


 ゴルドは黙って設計図を見た。長い沈黙の後、かすれた声で言った。


「……わしは、この領地が嫌いだった。五十年、ずっと。誰も来ない、何もない、捨てられた土地だと思っとった」


「ゴルド」


「じゃが——」老職人の手が、設計図の上をそっと撫でた。「誰かが、ここを都市にしようとしとった。それが証拠として、残っとったわけか」


 俺は何も言わなかった。言う必要がなかった。


「……ったく」ゴルドが立ち上がった。「しゃーねぇな。基礎の掘り起こしなら、わしの出番だ。ドワーフはそういう仕事が得意なんだ」


「助かる」


「褒めんでいい。——それより若、その設計図の文字、全部解読しといてくれ。わしが読める字と読めん字がある」


 俺は頷いた。


 その後、設計図を持ってもう一度廃墟へ戻った。今度は体系的に調べるためだ。


 設計図を片手に、現地を《構造解析》で照合していく。まず道路網。図面では三本の主要街路が放射状に走っている。現在の廃墟の下に——ある。石畳の基礎が、まだ地中に埋まっている。五十年どころか百年以上、土の下で耐え続けた石組みだ。


「……状態が想定より良い」


 なぜか、と考えて気づいた。地下の魔素の流れが、この土台を安定させている。魔素は人体に有害だが、石材には問題ない。むしろ石の結晶構造を強化する側面がある、と《構造解析》が教えてくれた。


 これも前世では知らなかった知識だ。魔素というのは、害ばかりではない。使い方次第だ。


 水路の跡を追った。設計図に描かれた配管網は、地下二メートルほどに走っている。一部は崩落しているが、全体の七割以上が使用可能だと解析された。


 ここに水を流す前に、浄化処理が要る。だが骨格は残っている。


 建物の基礎を一か所ずつ確認した。全二十七棟分の位置を図面と照合する。使えるものが十九棟。損傷が大きいが補修可能なものが五棟。撤去して新規に作る必要があるのは三棟だけだった。


 数字が揃った。


 俺は廃墟の中央、かつての広場だったと思われる場所に立った。石畳が残っている。広場の縁には切り石が並んでいて、かつてここに何かが置かれていたことが分かる。噴水か、モニュメントか。


「……これは、でかい賭けだな」


 ゼロから作るより遥かに低いコスト。しかし古い設計図通りに復元する以上、設計図が間違っていたら全て崩れる。二百年前の誰かの判断を、俺が信じるかどうかの問題だ。


 設計図の精度を《構造解析》で再度確認した。


 排水の流れ。地形の傾斜との関係。地下水脈との干渉。全て計算されている。むしろ今の俺には思いつかない配慮がある。この設計者は、長期的な地盤沈下まで見越して基礎の深さを調整していた。


「……信用する価値がある」


 俺は決めた。


 夜、ランタンの光の下で設計図を一枚ずつ解読しながら、俺は気づいた。


 設計図の筆跡は一人のものではない。少なくとも三人、あるいはそれ以上の人間が、長い期間にわたって書き足していった跡がある。それも、明らかに異なる世代にわたって。


 一番古い筆跡は、おそらく三百年以上前だ。《構造解析》による紙の劣化分析が、そう告げている。そこに、百年後の誰かが加筆した。さらに五十年後の誰かが修正した。


 これは、ただの都市計画じゃない。


 誰かが、何世代にもわたって——この土地を取り戻そうとしていた記録だ。


 どうしてそれが果たされなかったのか。


 設計図の最後のページに、走り書きがあった。ゴルドに読ませると、老職人の顔が変わった。


「……『魔素の流れが変わった。もはや我々の手には余る。後の者に託す』」


 後の者。


 俺は設計図の束を、胸の前でそっと抱えた。


 この言葉を書いた人間が、最後にどんな顔をしていたか、想像した。達成できなかった悔しさか。それとも——いつかここに戻ってくる誰かへの、静かな信頼か。


 どちらでもいい。


 届いた。二百年越しで。


 翌朝、工房の前に領民が五人集まっていた。「基礎の掘り起こし、手伝います」と言って。


 ゴルドが昨夜のうちに声をかけて回ったらしかった。それ以外に、知らない老人が一人、じっと俺を見ていた。


「あんたが若い領主さんか」と老人は言った。


「そうです」


「設計図が出たと聞いた。……本当に、昔の街が残っとるのか」


 白髪で、背が曲がっていて、それでも目だけに鋭い光がある。八十を超えているかもしれない。


「基礎は残ってます。復元できます」と俺は答えた。「今の俺の見立てでは、三年以内に街の形になります」


 老人は黙って俺を見た。長い間。まるで嘘をついているかどうかを測るような目だった。


「……死ぬ前に、見られるかの」とやっと言った。


 俺は頷いた。


「見せます。必ず」


 老人の目が細くなった。笑ったのか、泣きそうになったのか、よく分からなかった。


「……わしのじいさんも、同じことを言っとった。この土地に戻れると。きっと良くなると。じいさんは見られんかった。父親も見られんかった。わしも——どうせ見られんと思っとったが」


 老人は廃墟の方を向いた。


「……若いもんが来てくれたか。そうか」


 俺は何も言わなかった。言葉より先に、やることがある。


 人口三十人以下の、捨てられた辺境。


 それでも、この土地に残った人間がいる。残り続けた人間がいる。


 設計図の走り書きが頭を離れなかった。


 後の者に、託す。


 俺は今、その「後の者」だ。この言葉を書いた人間の期待に、応えなければならない。


 それが重荷かと聞かれれば——むしろ逆だ。前世で過労死するまで働いた体には、「必要とされる仕事」が染みついている。この土地には、やることが無限にある。


 設計図の一枚に新しい書き込みを加えながら、俺は独り言を言った。


「……費用対効果、最高だな」


 誰にも聞こえない言葉だったが、ゴルドが工房から顔を出して「何か言ったか」と聞いた。


「なんでもない」


「そうか。——若、今日から基礎掘りを始める。お前さんも来い」


「行く」


 廃墟へ向かう道で、俺は空を見た。曇り空だった。この土地は曇りの日が多い。それでも——今は、少し明るく見えた。


 基礎の掘り起こし作業は、想定より早く進んだ。ゴルドが先頭に立って指揮し、五人の領民がその指示に従って働く。ドワーフの経験は伊達ではなく、石の組み方を見るだけで強度の残存量を判断していた。


「……若、ここの石は使える。こっちは捨てろ」


 次々と判断が出る。俺が《構造解析》で補足する。二人の目が合わさると、廃棄率が大幅に下がった。再利用できる石材が増えれば増えるほど、コストが下がる。


 夕方になって、一日の作業量を計算した。予定の一・三倍のペースだ。


「ゴルド、このペースなら基礎の掘り起こしだけで見れば——」


「三週間で終わる。わしの見立てでは」


「俺も同じ計算だ」


 老職人が鼻を鳴らした。


「当たり前だ。わしが計算して外れたことはない」


 俺は笑いそうになるのを堪えた。この人は本当に、褒め言葉を褒め言葉として受け取らない。


 今日の進捗を手帳に記録しながら、俺は思った。


 人手が増えれば、もっと早くなる。三週間が二週間になり、一週間になる。そのためには、もっと人が要る。領民の口から口へ、「変わってきた」という実感が広がれば——外から人が戻ってくるかもしれない。


 まだ先の話だ。けれど、数字は嘘をつかない。


 工房に戻ると、テーブルの上に設計図の束が広がっていた。今日の照合データを書き込む作業が残っている。ランタンを引き寄せて、ペンを取る。


 この土地の骨格を、紙の上に写していく。かつて誰かが夢見た都市を、今度こそ現実にするために。

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― 新着の感想 ―
前世でもあった と急にサラッとゴルドに話してるのは変ですね ここまでゴルドと転生した話しはして無いかと
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