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五百の灯火

月次報告会は、毎月第一週の朝に行っている。


フィーネ、レーナ、ゴルド、ミラ、それぞれの部門長が数字を持ち寄る。俺が一番好きな時間だ。数字は嘘をつかない。進捗も失敗も、全部正直に出る。


「では、今月の報告を」


フィーネが報告書を開いた。その顔が——いつもより一段だけ、引き締まって見えた。


「人口、五百二名」


誰も喋らなかった。


一秒、二秒。


「……五百、か」


「はい」フィーネが続ける。声は事務的だが、言葉を選んでいる。「カイル様がヴァルデンに着任された当初、人口は三十名でした。現在は五百二名。増加率は一千五百七十三パーセント。半年と少しの数字です」


「一千五百——」レーナが復唱して、絶句した。


「計算は合ってます」フィーネは続ける。「税収は初月比で二十倍。魔素結晶の月間輸出額は金貨三千枚を超えました。インフラ面では、浄水施設が三基稼働、魔素炉が二基、防壁は全周完成。居住区は五区画、広場三か所、共同炊事場が四か所」


数字が積み重なるたびに、部屋の温度が上がっていくような気がした。


「軍事力」とレーナが引き継ぐ。「常備兵五十名。全員が防壁演習を週三回実施しています。監視は二十四時間体制に切り替え完了。東西南北の見通しも改善しました」


「魔素濃度の安定化も進んどる」ゴルドが腕を組む。「汚染区画が六か月前は全体の八割だったが、今は四割まで下がった。完全浄化まではまだかかるが、居住可能エリアは確実に広がってる」


「魔素の流れも変わってきました」ミラが耳をぴくっと動かして言う。「前は乱流みたいにぐちゃぐちゃだったのに、今は整流になってきてる感じがします。なんでかわかんないけど」


「……古代の浄化網が、少しずつ再起動してるんだと思う」


俺は答えた。《構造解析》Lv4が示す地下の魔素流路は、ここ数週間で明らかに変化している。古代の設計者が意図した動きに、近づいている。


「カイル様」フィーネが報告書を閉じた。「一点、認識を共有したいことがあります」


「どうぞ」


「人口五百名という数字は、行政区分上の閾値を超えています。帝国法では、五百人以上の定住集落は『都市』として扱われ、領主に課される義務と権利の内容が変わります」


部屋がまた静かになった。


「……つまり」


「はい」フィーネが静かに言った。「もはや村ではありません。これは、都市です」


都市。


俺は、その言葉を頭の中で何度か転がした。


死の大地と呼ばれた辺境領が、都市になった。半年で。


「次のフェーズに入る」


俺は立ち上がった。


「王都との直接取引を始める。ドナルト商会との専売ルートはあくまで暫定だ。魔素結晶の供給先を複数に広げ、我々の交渉力を上げる。そのためには王都に直接パイプを持つ必要がある」


「王都の商会に当たりをつけましょうか」フィーネが即座に言う。「三社、心当たりがあります」


「頼みます。それと——」俺は全員を見回した。「ここまで来られたのは、あなたたちのおかげです。本当に」


「らしくないですよ、カイル様」とレーナが言った。口元が、わずかに緩んでいる。


「たまにはいいだろう」


 *


夜になった。


報告会が終わり、各々が仕事に戻っていく中、俺は一人で北の高台に上がった。ここからはヴァルデン全体が見渡せる。俺が最初にこの土地を《構造解析》した場所でもある。


魔導街灯の明かりが、街に点在していた。


一つ、二つ、三つと数えようとして、やめた。多すぎて数えられない。五百人分の灯りが、かつての死の大地を照らしている。


「こんなところにいたんですか」


背後から声がした。レーナだった。


彼女は防具を外し、動きやすい格好のままだった。銀髪が夜風に揺れている。


「報告書の追加確認を終えたら、ここに明かりが見えたので」


「登ってきたのか」


「偵察です」


そう言って、レーナが俺の隣に並んだ。少し間を置いて、下を見る。


しばらく、二人とも何も言わなかった。


「……きれいですね」


レーナが静かに言った。


俺は彼女の横顔を見た。軍人の顔ではなかった。評価でも分析でもない、ただ、きれいなものを見ている顔だった。


「半年前は、ここからなにも見えなかった」と俺は言う。「魔素の霧で、十メートル先も見通せなかった」


「知ってます。着任した初日、何も見えなくて、あなたが感触だけで歩いていた」


「覚えてるのか」


「覚えています」レーナが少し間を置いた。「あの時、正直、半月も持たないと思っていました」


「失礼だな」


「事実です」


俺は笑った。レーナも、ほんの少し笑った。


「でも」と彼女が続ける。「あなたは数字を持ってきた。感情ではなく、構造で考えた。その……やり方を、最初は信じられなかったけど」


「今は?」


レーナが答えるまで、三秒あった。


「今は——」


彼女が下の街を見た。五百の灯りが、夜の地面に散らばっている。


「……信じています」


声が、いつもより低かった。それだけだった。それ以上は言わなかった。


俺も何も言わなかった。


風が吹いて、レーナの銀髪が揺れた。俺はそれを見ないようにして、街の灯りを眺めた。


いつからか、間合いが、少し変わっていた。気づかないふりをした。


「明日も早い」


レーナが先に言った。


「そうだな」


「おやすみなさい、カイル様」


「ああ。おやすみ」


彼女の足音が遠ざかる。俺はもう少しだけ高台に立っていた。


五百の灯り。行き場のない者たちが集まった、追放された地の都市。


……次は王都だ。


 *


   ◆ 王都 エルスハイム侯爵家 執務室 ◆


アルヴィン・フォン・エルスハイムは、報告書を読み終えて、静かに机に置いた。


金髪が燭台の光に揺れている。整った顔に表情はない。ただ、指先が報告書の端を一度だけ、軽く叩いた。


「……人口、五百か」


独り言だった。側近のオーウェンが、壁際で静止する。


「半年で、か」


アルヴィンは窓の外を見た。王都の夜景が広がっている。何万もの明かり。帝国の中枢。


弟の領地が五百人になった。ヴァルデン——あの死の大地が。


ドナルト商会の経済封鎖を跳ね返し、古代遺産を稼働させ、亜人と手を組み、気づけば大陸の商人たちが注目する土地になっていた。


面白い、とアルヴィンは思った。


弟のことは、追放した時点で頭から消していた。三男の末路など、想定の範囲内だと。


だが。


「オーウェン」


「はい、アルヴィン様」


「王都から正式な使節団を送れ。視察という名目でな」


「……ヴァルデンへ、ですか」


「ああ」アルヴィンは報告書を引き出しに収めた。「辺境の弟を、そろそろ本気で見極める時が来たようだ」


側近が一礼して部屋を出ていく。


執務室に、アルヴィン一人が残った。


静寂の中で、彼は一度だけ、口元を動かした。笑みとも言えない、値踏みの表情だった。


「……カイル」


呟きは、誰にも届かなかった。

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