夜の町
夜のカーテンに、うすく紅の差した満月がぷかり浮かぶ。
ぽつぽつときらめく銀色の星々の眩しさに、ぱちんと大きく瞬きを一つ。
「……す、すげえ」
こんな感じなのか、魔界って。
思ったことがそのまんま口から飛び出す。
ぐしぐし掌で瞼をこすり――改めて、辺りを見回す。
扉をくぐり、一歩を踏み出して。
ついに旅立った俺たちをはじめに出迎えたのは、だだっ広い野原だった。
てっきり、なんかこう、ヤバい人食い植物とか危険な巨大スズメバチとか、そういう感じの怪物に襲いかかられるんじゃないかとか想像してたんだけど……。
意外というか、別に、んんと、普通だった。
い、いや――普通、でもないか。
ゆるい風に吹かれて足元を擽る、短い草やら花やらに目を落としながら思う。
橙とか紫、あと赤味がかった黄色とかの、とりどりの花びらが、するり零れて、流されて――丘の上のあたり、変テコにねじくれた一本の大樹にぶつかる。
モシャモシャぶら下がる葉々は、夜空から降りそそぐ星と月の光を受けて、まるで真冬のガラス窓みたいにキラキラしていた。
しばし、ぼんやりと見やる。
淡い宵闇と、透き通った銀色の光。
草木、花、風。
なんていうか。
その。
すごく、綺麗なところだなあ……。
魔界予想図(地理の教科書に載ってたヤツのことだ)に描いてあった血の池温泉も、ドロドロ底なし沼も、ぜんぜん見当たらんねーぞ。
んん、つまんないような、安心したような。
……おっと、いけねえいけねえ。
ふっと気を取り直す――べつに何も、観光しに来たワケじゃねえんだよ!
後ろを振り返り、俺は大きく呼びかけた。
「おい、こら! いつまでちんたら歩いてんだ、このアホ共めっ」
「ふうっ、ひいっ……な、何を、トルテくんの分際でっ。こっちは、戦闘不能から復活したばかりなんだぞ!?」
「そんな事情、邪神も俺も知ったこっちゃねーんだよっ。おらっ、テメーがチンタラ歩いてるうちにも、ヤツらは人間界を好きほうだい荒らしてんだぞ!」
くやしくないのか、ああんっ!?
ここぞとばかりに怒鳴りまくってやる。
それを受けた、銀髪赤目の男の子――
ラザニアは、その美貌を疲労でくすませながら、ぶつぶつと呟く。
「そ、そんなこと、君なんかに言われなくたって分かってるさ」
「だったら、もっとしゃきしゃき動かんかい!」
「ぐうう、ち、ちくしょうっ……なーにを、偉そうな口利いちゃってさ! 魔王を倒しただか何だか知らないけど、どうせ姑息な裏ワザでも使ったんだろっ」
こっそりワイロを渡して、八百長試合をするとかなんとかなっ!
などとほざきながら、今度は疑いの目を向けてくるラザニア。
まったく、この野郎、往生際が悪いぜ。
俺がロゼットと対決を、こいつは気絶してたから見てないんだよな。
だから、こんなふざけた態度が取れるんだろうけどー。
「ま、どうでもいいや。おいロゼット、“魔法で水を作って、俺に飲ませろ”」
「んぎっ!? 冗談じゃないわっ、そんな召使いみたいな――ああああう、身体が勝手にぃぃ……」
俺は後ろ頭を掻きながらロゼットに命令する。
彼女は死ぬほどイヤそうな顔をしつつ、まるでロボットみたくカクカクした動きで指を振り――どこからともなく、透明な水の玉っころを取り出した。
それをひょいとつまみ、口の中に放り込む。
「うーん、助かったぜ。ちょうど喉が死ぬほど乾いてたんだ」
「何をすっとぼけたことをっ……ちくしょう、なんでこんな、魔王たる私の貴重なMPを、人間のガキのご機嫌取りなんかに費やさなきゃなんないのようっ」
バタバタ羽を震わせながら、地団太を踏むロゼット。
髪やらドレスやらのコゲ痕は未だに残っちゃいるけど、その姿を見る限り、どうやら、すでに元気を取り戻してるみたいだ。
「おいおい、往生際が悪いぜ、ロゼット。勝ったのは俺で、負けたのはお前。そこんとこ、ちゃんと理解できてるかい?」
「は、腹立つ言い方を、あんた……!」
言っとくけどねえ、と頬を引きつらせながらロゼット。
「もし私が万全のコンディションだったら、魔剣如き――」
「はん? 魔剣如きぃ? お前、邪神さまの力が込もった武器に向かって“如き”なんて言い草、だいじょうぶなのかよ」
「へ……!? い、いえ、今のはそういうんじゃなくって」
「やーい、礼儀知らず! 魔王ったって、お里が知れるわっ!」
「こ、こんにゃろう。人間の癖に、身の程知らずな……」
歯をギリギリ食いしばりながら、ロゼットは恨めしげな視線を俺にぶつける。
ははは、実にいい眺めだぜ。
「んなこと言われたってなあ? 先に戦いを仕掛けてきたのは、お前らモンスターの方だしー。こっちゃ、正当防衛だぜ、せいとうぼうえいっ!」
「はああ? 何を、この、うそつきっ――」
「お、なんだありゃ」
「話聴けっ!!」
あいにくだけど、モンスターなんかの話をまともに聞ける耳はねえんだな。
へらへら笑いながら、俺は“それ”に目を凝らした。
丘の向こう、大樹を挟んだ遠く。
うすく聞こえる喧噪。
なにか、がちゃがちゃした感じのする建造物の群れ。
――文明の気配。
夜の闇を切り裂くような灯の数々。
「……あれって、もしかして、ロゼット。お前が住んでた――町、なのか」
「ぎくっ。そ、そうだけど、それがどうしたってのよっ」
「どうした、って? 決まってんだろ」
俺は背負った魔剣に手を掛けつつ、言った。
「――顔を出しに行くんだよ」




