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この国の王族も関わる問題である以上、事の解決は慎重に、かつ可及的速やかに行われなければならない。
フランシスが国王の私室に許可を得て入室すると、部屋の主である国王は幾分くつろいだ格好で本を読んでいた。
「父上。おくつろぎのところ、申し訳ございません」
「よい。丁度きりのよいところだったからな。どうした?」
読みかけの本に栞を挟み、国王は椅子の背もたれに十分に寄り掛かった。指を組み、組んだ膝の上にのせる。その姿は悠々としていて、母である王妃といる時よりも本来の父の姿を思わせる。
フランシスは昔からこちらの父の姿の方が好きだった。兄が出奔し、王太子となることが正式に決まった後は、王太子教育が正式に始まったため、あまり父子水入らずの時間がとれず、見る事が少なくなっていたけれど。
ようやく時間がとれたというのに、こんな状況でとは。つくづく自分達母子は王座につくべき者との縁が薄かったらしい。夫婦や親子という縁はあれど、自らが望んだソレよりかは随分と希薄であった。
父の言葉に返事を返す前に、一度頭を振る。
「……じつは、父上の御耳に入れなければならないことが」
「ほぉ。……そこに座りなさい」
「はい」
目の前のソファを顎で指され、フランシスは言われた通りに席についた。
「それで?」
「最近、所領の一つで脱税が行われていると、王宮に提出された書類を兄上がご覧になられてお気づきになりました。そして、その隠れ蓑として母上――王妃が使われており、また脱税とは別件で、とある条件を果たせばその主犯格に王妃所有の大豆畑を王妃が提供すると。その見返りというのが」
「アレクシスの暗殺か?」
「……お気づきだったんですか?」
フランシスが眉を寄せると、国王はふっと笑みを漏らした。その笑みはどこか自嘲気味でもあった。
「アレクシスがこの国を出て、どこで何をしているかまでは知らなかったが、知らない方がいいと思ったのも確かだ。誰か人を使って探せば、いずれどこかでアレの耳にも入るだろう。そうなれば、たとえどこであろうと人をやって、アレクシスを殺めただろうからな」
そんなことはない。
そう言い切れないのは、息子として薄情ではないかと思わないこともないが、父の言葉は認めざるをえない事実である。それに、どのような立場をとっても、罪を犯す母を見逃すわけにはいかない。
いくら高貴な身であろうと、罪は罪だ。罪の前では皆等しく罪人であり、罪の重さに見合った罰を受けねばならない。でなければ、早晩この国は犯罪の温床となり、罪人で溢れかえってしまうだろう。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「父上は兄上の方が次の玉座に相応しいとお考えですか?」
「何故そのようなことを聞く?」
「お考えによっては、多少強引にでも兄上に王太子の座をお譲りせねばならないかと」
正直な話、フランシスはアレクシスさえ首を縦に振ってくれれば、いつでも王太子の座を明け渡そうと思っていた。
実際、今回のことにしても、最初に見つけることができたのはアレクシスの方である。本人の性格や言動云々を抜きにすれば、もって生まれた才覚は頭脳に魔力、運動神経、どれをとっても王位につくに申し分ない。唯一彼が持たなかったのは、母親の身分だけ。それとて、本人にはどうしようもないことなのだから、アレクシスがどうこうというものではない。
ただ一つ。一人だけ、今まで父に対して面と向かってこの話を切り出せずにいた原因となる者がいる。
「マーガレット嬢はどうする? 諦めるのか?」
「……彼女、は……」
“諦めるのか?”
フランシスがマーガレットのことを幼馴染兼婚約者としての立場以上に恋い慕っていることを、国王は察していたらしい。その声音は、今まで聞いてきたどんな声音よりも優しく、同時に切なさをも孕んでいるように聞こえた。
(もしかしたら、この父も、諦めざるを得ない恋があったのだろうか)
いや、あったはずだ。本当に愛している女性を隣に、王妃の座につけられなかったのだから。
その原因である母は、息子こそが玉座に相応しいと考えているようだが、それは親の欲目というもの。誰が相応しいかなど、フランシス本人は嫌というほど分かっている。
けれど、兄に対して一種の劣等感すらあるものの、兄自身のことは今でも嫌いにはなれない。というのも、確かまだ十歳の誕生日を迎える前、幼馴染であるマーガレット――メグが教えてくれたのだ。
“貴方のことを悪く言われたり軽んじられた時、それはもう容赦がないほどのお言葉で言い負かすどころではなく、様々な面で再起不能にしていらっしゃいますの。ご自分が悪く言われた時は平然と、かつ淡々と言い返して返り討ちにしていらっしゃるのに”
“たとえ分かりにくくとも、貴方はちゃんとお兄様に愛されておいでですわ”
遊びや乗馬に誘ってもダメ、勉強を教えてもらおうとしてもダメ、ならばお茶をとねだってみてもダメ。駄目、嫌、無理。この二文字を何度も聞いた。てっきり兄は自分のことを嫌いなのだと思っていたところのマーガレットの言葉だった。
マーガレットの言葉が本当に正しいのかは今でも分からない。彼女はアレクシスも慕っていたから、その分、色眼鏡が入っている可能性もある。
でも、その言葉に当時傷ついていた心が慰められたのも確かだ。そして、同時に彼女の存在にも。
――だから。
「……彼女は、メグは諦めたくありません。もし、王太子の座を兄上に譲ることになっても、彼女の婚姻の相手は絶対に譲れません。だから、彼女の婚姻条件が変わらないというのなら」
「まぁ、待て。諦めるつもりがないならそれでいい」
「え?」
国王はフランシスが言葉を続けようとするのを手で制した。
「お前の兄は王位を継がせるのに相応しくないからな」
「えっ! 何故ですっ!? 兄上はとても優秀で」
「優秀だからこそ、だ」
国王はフランシスが持ってきた書類に目をやる。そこには几帳面にまとめられた文字が綴られていた。字体はフランシスのものだが、いつもと形式が違う。誰の影響による体裁かは父である国王が見れば一目瞭然であった。
「戦時の王に求められるのは、敵に打ち勝つため、兵を纏め上げるカリスマ性。平時の王に求められるのは、民が安心して暮らせるよう上位階級である貴族達と政治を動かすための柔軟性かつ協調性」
「……」
「アレは優秀だが、平時の王には向いていない。アレが王になれば、その優秀さと誰彼構わず物を言うのについていけず、大臣達はアレを厭い、いずれお前をも巻き込む内乱が起きる。……薬師になったというのは驚きだったが、まぁなるべくしてなった職でもあろう。あれほどの魔力だ。魔術師でも良かったのではないかとは思うがな」
「……では」
「私は、何も考えずに第一王子を押しのけてお前を王太子にしたわけではない。ましてや、正妃の子だからなどと。……王太子に相応しくないと考えている暇があるのならば、一つでも実績を重ねるがいい。光も闇も併せ持ってこその国王ぞ」
そう言われ、フランシスは“はい”と返事をした。けれど、その声にあまり覇気が感じられない。
母が罪人となったことが明るみになれば、その息子が次の王となることに民たちから非難の声が上がる可能性が少なくないからだ。
「王妃のことだが、お前がマーガレット嬢を選ぶというならば、私に考えがある」
「考え、ですか?」
僅かに首をかしげるフランシスに、国王は目を細めた。そして、フランシスの顔をじっと見つめ、その答えを待った。




