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壊れた空の迷い星  作者: 葉里ノイ


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13/14

13-冷灰の雪


 訪れる者を楽しませることのなくなった遊園地は、木々や草に埋もれながら今もひっそりと壊れた世界の中に佇んでいる。

 塗料は褪せて剥げ、あちこち錆が浮く。今にも壊れそうなのに、機械はまだ人を乗せて動く余力があった。

 ニナはスイの動かす遊具で遊び、駆け回っている。住宅地のように建物が密集していない遊園地は瓦礫が少なく、今は水溜りも無いので警戒せずに歩ける。狭い地下で暮らしていたニナは、こんなに広い場所を走り回るのは初めてだった。スイも星火(せいか)の仲間に加わろうと、彼女の面倒を見るため走っている。

 星火は落ち込むナナを近くのベンチに座らせ、話を聞いていた。行商機は自立機械で、自分でメンテナンスをしながら行商をし、学習して喋っているのだと思っていた。カメラが内蔵されているなど夢にも思わなかった。喋っていたのも機械ではなく、あのスイという少年だったのではないかと疑ってしまう。一度疑うと何もかもが信じられなくなる。

「無機物だと思ってたのに、生命体だった……」

「大丈夫か?」

 ぐったりと項垂れるナナを気遣って星火は声を掛けるが、長年信じてきた物に裏切られて彼女は立ち直れない。人間は信じられないが、機械は信じられると思っていた。

「……集落を水に沈めて呆然としてた時に、行商機が偶然通り掛かったの。お互い何も話さなかったけど、行商機は暫く傍にいてくれた。その頃の私は地上をよく知らなくて、行商機も知らなかったんだけど。行商機が喋るってことも知らなかった。私は集落で起こったことを呟いた……独り言だったのよ。それを人間に聞かれてたなんて……あいつ、私の過去を全部知ってるのよ!」

 地面の草を見ながら、ナナは殆ど一息にぼそぼそと言い切った。両手で顔を覆い、絶望に打ち拉がれる。

「……スイは友達になれないのか?」

「名乗らずこっそり覗いてた奴と友達になれると思う!?」

「集落のことなら僕にも話してくれただろ?」

「行商機に服を貰った時、目の前で着替えたのよね……あいつ、見てたのよ。セイの前では裸になったことないでしょ」

「そういうことを気にしない人なのかと思っていた。脱いで揶揄ってただろ」

「あれは下に服を着てたから。本当に裸になるわけないじゃない。私を何だと思ってるの?」

「恥じらいはあったんだな。安心した」

「セイは私を揶揄い返したいのかしら」

 ナナは剥れて横目で星火を睨み、すっかり楽しんで走り回っているニナとそれに付き合うスイに目を向ける。二人は絶望に満ちた世界で生きているとは思えない顔をしている。

「だったらスイときちんと話してみたらどうだ? 服や刀をくれたなら、悪い人じゃないんじゃないか?」

「セイはやっぱりお人好しだわ……お前だって覗かれてたのよ? 実家もバレてるんじゃない?」

「蔑ろにして僕のことを言い触らされても困るからな。……だが家か……。口外するなと一応釘を刺しておくか」

「呑気ね……」

 ニナと共に走り回るスイを呼ぶと、彼はすぐに方向転換して駆け付けた。よく躾けられた犬のようだ。

「なっ、何ですか? 星火さん!」

 まるでボールやフリスビーが投げられるのを、尻尾を振りながら待つ犬のようだ。

「君は行商機で覗いていたそうだが、僕の家も知ってるのか?」

「あー……家には入ったことないですよ。正確な場所は知らないです。星火さんのことは地上で見掛けて。お兄さんとよく笛の練習をしてましたよね」

「!」

「へえ、セイってお兄ちゃんがいるのね」

「お兄さんも最近見てませんね」

「兄のことは……黙ってくれ」

 星火の声から感情が抜ける。静かに目を伏せ、見えない壁を作った。

 何か事情がありそうだ。ナナも揶揄わなかった。

「わかりました。行商機で覗いてたのは本当に一部だけなので、お兄さんのことは余り知らないですよ。家のこともです」

「私のことは?」

 暗い顔をする星火から注目を逸らすためでもあるが、ナナは本題を切り出した。『一部』と言うなら、希望が出て来た。

「お前は野蛮な女」

「そうじゃなくて。どれくらい覗いて知ってるのかって訊いてるの」

「……星火さんの前で言っていいのか?」

「いいわ。集落のことは教えたもの」

「じゃあ。集落のことを行商機に話してた時は俺も聞いてた。だから服と武器をあげた」

「着替えは?」

「きっ、……着替え?」

「惚けないで。動揺してるじゃない」

「……ぜ、全部は見てない。急に服を脱ぐから驚いたけど、目は逸らした」

「もう絶対見てるでしょ! 微妙に白黒判定し難い回答ね!」

「見てない」

「どんどん答えを変えないで!」

「あんなちみっこい子供の裸を見たとしても何も思うわけないだろ!」

「開き直ったわね!」

「見てない」

「セイ! どう思う!?」

 走り回っていたニナが不思議そうにこちらを見ているので、目で待機を訴えていた星火は、突然話し掛けられて反応が遅れた。

「……歳は関係なく、ナナが嫌がってるなら謝った方がいい」

「見てないです……」

「ナナ、見てないと言ってる」

「信じられない!」

「どうしたら許せるんだ?」

「もう、肩を持たないでよ……。そう言われると……記録とか、残ってない?」

 スイは星火を一瞥し、毅然と言い放つ。

「記録はしてない。映像も音声もその場限りだ」

 ナナはスイを睨み、スイも目を逸らさない。彼の言うことが真実なのかは彼にしかわからない。だが目を逸らそうとしないので、疑いきれなかった。

「……それなら……もう覗かないなら、セイに免じて一時的に許すわ」

「俺の覗きより、お前が行商機の前で着替えるのをやめろよ」

「只の機械だと思ってたから油断してたんでしょ!? こいつの指、二、三本斬ってもいい!?」

「いいわけないだろ」

 争う二人を宥めつつ、星火は徐々に接近してくるニナに目で訴える。だがそれも虚しくニナは駆け寄ってきた。

「指を斬るって聞こえた」

「さすがに冗談だろ」

「でもナナちゃん、刀出してる」

「え」

 少し目を離した隙にナナは顔を真っ赤にして鞘から刀身を露わにしていた。

「ナナ、洒落にならない。スイも煽るな」

「星火さんが言うなら。でも指を斬られても、俺は痛くないんで。大丈夫ですよ」

「いや痛いだろ」

「俺の手、義手なんです」

 躊躇いなくスイは右手の手袋を引き抜く。袖も捲り、無骨な機械の手が現れる。三人は動きを止め、息を呑んでそれに見入った。

「あまり良い材料が集められなくて、こんな寄せ集めの手なんですけど」

 痛みを感じる生身の手は疾うに失われている。

「じゃあ……幾らでも斬っていいってこと?」

「ナナ、動揺して変なことを言ってる」

「動揺じゃなくて同情しろってこと? ……魚にでも遣られたの?」

「ああ。魚に食われた。だから魚の怖さは知ってる。魚を追い払える奏者も、名家の星火さんの凄さも。全部知ってる。俺も魚に対抗できる武器を作りたかった……けど、俺はお前みたいに運動神経が良くない。もし食われたのが両脚なら、速く走れる義足を作ったのに」

「この刀って……」

「俺が使うために作った。親父にも手伝ってもらったけど……。でも使えそうになかった。使えない武器ならいらないだろ。だから行商機を呼んで刀を預けて、お前の所に行ってもらった。地上で丸腰の子供一人だと危ないだろ」

 ナナが刀を受け取ったのは集落を沈めた直後ではない。暫く経ってからだ。独りで地上に暮らし始めたナナを心配し、スイは時折行商機を送って覗いていた。その過程で、身を守る武器が必要だと思ったのだ。彼女の運動神経の良さは見ていればすぐにわかる。

「刀だけは良い代物だってわかるわ」

 貰ってからすぐに刀を使えるようになったわけではなく、重い刀が振れるようになるには鍛錬が必要だった。ナナは刀が使えるよう体力を付けた。使えない間は御守りのような存在だった。地上でも生きていける、その勇気をくれる物だった。

 ナナは刃を鞘へ納め、座り直した。指を斬るのは保留にする。

「星火さん! 誠実な俺を仲間にしてください! 役に立ちます!」

「自分で誠実って言う? 誠実な人は嘘を吐かないのよ。ね、私の着替えは?」

「見てない」

 スイは即答した。水の名を持っていても場の空気には流されない。

 星火はどうしたものかと考え倦ね、様子を窺うニナに目を遣る。

「ニナ、スイのことをどう思う?」

「え、そっち?」

 スイは星火に認められたくてニナの相手をしていたが、一行の中心は彼女だったようだ。

 ニナは一度「っへくち」くしゃみをし、足を開いて腕を組んで胸を張った。

「スイは遊ばせてくれたから、いい人。仲間でもいい」

「ちっこいのはいい奴だな。野蛮な女と違って」

「ニナは単純過ぎる」

「ぴぃ!」

「どうした? 奇声を発して」

「な、何か冷たいのが落ちてきた」

「ん?」

 四人は鈍色の空を見上げ、ニナ以外の三人はすぐに顔が真っ青になった。

「雨かな?」

「違う! 雪だ!」

「道理で寒いはずだわ」

「積もったら不味い」

 ベンチから立ち上がり、辺りを見回す。遊園地の中には背の高い建物が無い。戻っても客室に入れない空っぽのホテルがあるだけだ。奥へ進むしかない。

「ニナ、走る体力はあるか?」

「厳しい。っくち」

「そのくしゃみはもう風邪をひいてないか?」

「私が背負うわ。何も背負ってないから」

「星火さん! 俺も鞄を持って来るので、待っててもらってもいいですか!?」

「嫌よ」

「お前に言ってねぇ!」

「は?」

「星火さん! この先に集落があるんです! 待っててくれたら案内できます!」

「わかった」

「野蛮な女と違って星火さんは優しいな」

「先に集落のことを言ってくれたら私だって待ったわよ。さっさと荷物を取って来なさい覗き野郎」

「おいその呼び方はやめろ」

 二人は騒がしく言い合いながら、スイの姿は遊具の間を走って見えなくなる。

「集落があるなら雪が積もっても安心ね」

「雪とか積もるとか、何?」

 ナナに背負われながらニナは首を傾ぐ。地下集落で生涯を終えるはずだったニナは、雨は聞いたことがあっても雪は知らない。

「雪は滅多に降らないんだが、凍った雨……みたいな物だ。これが溶けずに地上に落ちると積もる。積もるとよく滑るようになる。説明が難しいな。わかるか?」

「ちょっとわかった。積もったら滑って歩きにくい」

「理解力が良くて助かる」

「積もったらずっと積もったままなの?」

「いや。気温が上がると溶ける。逆に言えば、気温が上がらないと移動が難しい。身動きが取れなくなる。だから避難場所はよく考えないといけないんだ」

「だから皆あんなにびっくりしたんだね」

「ああ」

 話している内に大きな鞄と細長い布を背負ったスイが戻って来た。雪は深々と降り続けている。最初は小粒だったが、次第に大粒の雪へと変わっていく。雨と違って雪は音がしない。静かに危機が降る。

「こっちです。歩いても積もる前に着く距離なので大丈夫です」

「じゃあ下ろすわ。降りて、ニナ」

「滑らないで歩くぞ」

 現代の雪は純白とは言い難い。やや濁って薄い灰色をしている。汚染された雪だ。まるで灰が降っているように見える。

 地面はまだ滑らない。四人は歩き出し、ニナは星火の手を掴んだ。雪が降る程の気温なので星火の手は冷たい。

「ニナの手は温かいな」

「星火の手は凍ってる」

「凍ってない。……凍えていると言いたいのか? 雪は厄介だが、いいこともある」

「いいこと?」

「水面も凍るんだ。近付いても魚が飛び出さない。移動は難しいが、魚に関しては安全だ」

「魚も凍るの?」

「凍るのは浅い水溜りと水面だけだ。もっと冷えないと魚は凍らない」

 星火とニナの会話にナナも口を挟む。

「大きな水溜りが凍ったら、笛を吹かなくても上を歩いて渡れるんじゃない?」

「笛を吹きながら渡るのは疲れたな……」

 巨大な葉の上を歩いて大きな水溜りを渡ったことを思い出し、星火はあれを最後にしてほしいと溜息を吐く。

「全く状況がわからないけど、星火さんが何か凄いことをした感じがする。集落に着いたら武勇伝を聞かせてくださいよ」

「武勇は何もしてない」

「覗き野郎の癖に肝心な所を見てないのね」

「おい呼び方。四六時中覗いてるわけないだろ」

「二人共。一緒に行動するなら喧嘩をするな。ニナに悪影響だ」

 呆れ果てた一言にナナとスイは同時にニナを見下ろした。走り回って体力が限界に近いニナは、頑張って星火の歩幅に合わせてちょこちょこと忙しなく歩いている。視線に気付いた彼女は顔を上げ、二人を見上げた。

「セイも不良エリートだから悪いことしてるよ」

「生きるためには悪いことをしなくちゃいけない時もあるだろ。さすがです星火さん」

「こいつ何でも肯定するわね、セイのこと」

 地面や遊具が薄っすらと白くなっていく。想定よりも積もるのが早い。星火はニナを抱き上げ、ナナとスイも足を速めた。悠長に話しながら歩く余裕が無くなってきた。

 遊園地を抜けると住宅街が続き、背の低いマンションが現れる。その一階の駐車場へ駆け込む。暗い天井の下で頭や服から雪を払い、スイに従い最奥へと歩いた。

 奥にはあまり光が届かず、スイはカンテラを出して照らす。突き当たりの壁に防水扉が見えた。案内がなければ扉に気付かないだろう。

「ここには入ったことがあるのか?」

「最後に入ったのは何年も前ですが、長期滞在できる農園はありますよ」

 レバーを回し、重い扉を開ける。先の見えない暗い階段が下へ伸びていた。

 星火もニナを下ろし、カンテラを取り出す。ナナもカンテラに光を灯した。

「ちっこいのはカンテラが無いんだな」

「ちっこいのはニナと言います」

「集落で作ってやるよ。無いと不便だろ?」

「本当!? セイ、スイはいい人だよ」

「良かったな」

 ニナに親切に接していれば星火はスイの評価を上げてくれる。スイは学習した。自然と笑顔になる。

 下心が見えている彼に、ナナは白々しそうな目をした。

 扉をしっかりと閉め、四人は暗い階段を下る。集落に入る前の道でも明かりを置く集落はあるが、この集落のように真っ暗な所もある。明かりを置かない集落はあまり地上に出入りしない。

「……前に入った時は明かりがあったんだけどな」

 下まで下り、二つ目の防水扉を開ける。

「え……暗っ」

 集落に入ったと言うのに、扉の付近にも明かりが無かった。さすがに妙だとスイは首を捻る。

 扉の向こうには石や煉瓦が積まれた壁が続いている。人が通れる程の四角い穴も不規則に並んでいる。遠くに見える明かりを目指し、取り敢えず歩く。集落に物音は無かった。

「自棄に静かな集落ね。居住地が離れてるの?」

「この辺には店があったはずなんだけど……わっ」

 前ばかり見ていて、足元への注意が疎かになっていた。先頭を歩いていたスイは何かに躓いた。

「げ」

 足元へカンテラを翳し、思わず声が出た。それは人の足だった。地面に置いた大きな籠の陰になっているその体を覗き込み、集落へ案内したことに後悔が過ぎり始める。

「死体ね。死後数日って感じじゃないけど、割と新しい方かしら?」

 ナナは冷静だが、スイは息を呑んだ。人が住む集落で死体が放置されている場合、あまり良くない状況になっている。数日も狭い集落で死体に気付かないことはない。ニナも星火の後ろに隠れて様子を窺う。

「集落の住人がかなり減っているみたいだな」

「そ、そうですね……すみません、星火さん。ここで雪解けまで待てないかも……」

「そんなに長期間降らない雪かもしれない。積もってもすぐに溶けるかもしれない。今は雪が凌げるだけでもありがたい。それに、この上にはマンションがある。そっちも物色できそうだ」

 中々良い立地の防水扉だ。もしマンションが崩れてしまったら埋まる危険はあるが、大抵の集落は出入口が一つではない。

 星火は事実と可能性を述べただけだが、スイの曇り顔には明るく陽が差した。

「星火さん……! 一生付いて行きます」

「来なくていい」

 冷たく遇われようとも、星火が見せる何気無い気遣いにスイは感動する。ナナはもう見飽きた。

「音も声もしないってことは、この集落、全滅かもね」

「お前は思い遣りがないな」

「事実よ。打撲、切り傷、刺し傷。魚でも動物でもない。これは人の仕業。原因は何かしら?」

「全く動じてないな……」

「怖いの? なら私が前に立つわ。人同士の争いなら、この中じゃ私しか遣り返せないでしょ?」

「肝が据わってんな……」

 ナナは死体を見慣れている。他の三人のように動揺はしない。スイを押し退け、四角い口を開ける店らしき暗い部屋を覗く。

 何の店かもわからない程、棚には何も無かった。ゴミのような物が点々と載っているだけだった。

「枯れた植物……萎れた野菜だな」

 それは地面にも落ちていた。店だとは思えないほど数が少ない。

「農園があると言っていたな」

「あ、はい。案内します」

 農園は集落の奥にあり、道中で幾つも死体が転がっていた。最初に見た死体と似た状態で、同時期に死んだことがわかる。

 どの店も空っぽで、星火が農園に言及したことの意味も次第に理解できた。

 壁に囲まれた圧迫感のある狭い空間から、開けた場所に出る。柵が立てられ、土が広がる農園だ。農園は小規模だが、集落の住人を賄うには充分だった。贅沢はできないが、食うには困らない規模だ。

 その農園は今や殆どが土だけだった。作物の九割は枯れて縮んで土の上に小さく丸まっている。

「凶作……か」

「食べる物が少なくなって、奪うために殺し合ったのね。誰も地上に出ようって言わなかったのかしら?」

「普通の人は地上になんて出ようと思わないだろ。お前とは違うんだ。地上で生きていけるなんて思わない。出たら終わりだ。奏者がいれば話は別だけど。精々集落周辺くらいだろ、歩ける地上は」

「普通の人は魚を食べないからな。汚染された草も食べようと思わない。どれが食べられる草なのかもわからない。ナナも最初はわからなかっただろ?」

「まあ……そうだけど。草を見ても食べ物とは思えなかったわ。でも食べないと死ぬから。汚染だとかどうとか、何も知らずに食べた」

「あまりに無差別に口に放り込もうとするから、行商機に危ない毒草を抜いてもらったんだ」

 ナナは無言でスイを見た。幼少の頃は行商機を目にする機会が多いとは思っていたが、草毟りをしているとは知らなかった。知らぬ内に救われていたことに気付かなかった。

「俺を見直したか?」

「さすが私の友達、行商機ね。お前は誰?」

「俺の存在を消すな」

 ナナは舌打ちし、畑に目を戻した。緑の葉を残している野菜もあるが、食用部分は萎れて食べられなさそうだ。

「凶作って、急になるの?」

「自然の天候に左右されない分、地下では安定して収穫できるはずなんだが」

「でもこの畑は全部枯れちゃったんだね?」

「動物に荒らされた形跡も無いのに、何でだろうな……。だが僕達はそれを解明するより、今後どうするか考えた方がいい」

「確かに。……っくちん」

「まず暖めよう」

 居住地へと移動し、家の一つへ失礼する。人の死体は点々としているが、生きている者はいなかった。

 幸い、殺風景なその家の中で死体を目にすることはなかった。強張っていたニナの表情も少し弛緩する。

 暖まりたいが暖炉は無かった。机や椅子を端に退けて拾った鍋を地面に置き、その辺に落ちている乾いた枝を入れる。その上に星火は熱し石を叩いて火を焚いた。火事は論外だが、地下集落でも火を焚いて問題ない。空気石と言う少々不思議な名前の石が換気をしてくれている。

 地下集落は水が入らないよう密閉しているのだから、そのままだと人は酸素不足に陥り暮らせない。何らかの方法で外の空気を取り入れる必要がある。その方法が空気石だ。空気石は見た目は何の変哲もない只の石なので見つけることは難しいが、集落の其処彼処に設置されている。

 火は徐々に大きく、部屋を暖かく、寒さを和らげてくれた。

「ちっこい……ニナは寒さに慣れてないみたいだから、これをやるよ」

「何?」

 地面に腰を下ろし、スイは大きな鞄から細長い布を引き出す。

「マフラーだ。首に巻くと温かい」

「スイが顔に巻いてた布だ。試してみる」

 受け取ったマフラーを首にくるくると巻き、暫く停止する。温かいか判断する。

「本当だ! 普通の布より温かい! ありがとうスイ」

「俺は役に立つだろ?」

「立つ!」

 スイは上手くニナに取り入った。案外気が合うかもしれない。

「缶詰は幾つか持っているが、二人は……ナナは何も持ってないな」

「ポケットに干物は入れて来たわよ」

「一人分だな」

「だって食べ物なんてそこら辺にいるじゃない」

 食べ物に対して『いる』という言葉を使う者は然程いないだろう。ナナは魚のことを言っている。

「そう言えば鳥はどうしたの? お前が仕留めたんでしょ?」

「鳥より星火さんだろ。星火さんが目の前に現れたら鳥なんてどうでもいいだろ」

「折角の食料なのに。持って来てたらセイもお前を見直したわよ」

「えっ……」

 スイは呆然とした。自分のために仕留めた鳥に星火が喜ぶなんて考えなかった。

「取ってきます!」

「ナナ、嗾けるな。スイ、外に出るのは危ない。雪を甘く見るな」

 水溜りに氷が張るとしても最初は極薄い。うっかり上に乗れば簡単に割れて水へ落ちてしまう。

「缶詰を食べて休んで、集落とマンションを物色しよう。食料が何も見つからなくても、氷を割れば魚がいる。焦らなくていい」

「魚……野蛮な女が魚を食べてましたが……まさかあれを食べるんですか!?」

「あら、セイが食べる所は覗いてないの?」

「星火さんも……魚を食べる……? 缶詰じゃなくて……?」

 缶詰なら魚は定番と言えるだろう。旧時代の魚は安全だ。だが現代の魚は危険物だ。スイは耳を疑って愕然とし、目を瞠って何も無い地面に目を落とす。尊敬する星火がナナのように危険生物を食べているなど信じられない。

「魚を食べるなんて野蛮で……」

「セイ、お前も野蛮だって言われてるわよ」

「食べると美味しい」

「魚は美味しい!」

 星火とニナはとどめを刺すように畳み掛ける。スイは何を信じれば良いかわからない複雑な顔をしている。

「何で野蛮だと思うんだ?」

「い……いやだって魚ですよ!? でかくて凶暴で……食べるなんて危険過ぎます! 汚染されてるし……」

「薬を呑んでいれば大丈夫だ。草も汚染されているが、それは食べてるんだろ? 僕は幼少の頃から家で魚を食べていた」

「そんな……」

「こんな普通の反応する人、久し振りに見たわ」

『普通』に認定されたスイは、普通ではない三人に付いて行けなかった。だが四人中三人が魚を食べると言うなら、おかしいのは自分ではないのかとも思えてくる。

「……困らせるつもりはなかったんだが。まず何か食べよう。寒さは体力を奪う」

「は、はい……星火さんが言うなら魚も食べられる気がします……」

「無理はしなくていい。今まで君が食べてきた、慣れた物を食べればいいんだ。鳥は……飛んでいた鳥を落としたのか?」

「鳥ですか? 星火さんの所に落としてしまった奴は飛んでましたよ。これで落としたんです」

 スイは立て掛けていた細長い布を解く。彼どころか長身の星火よりも長い、緩く波打った一本の竹の棒が現れる。それには先端に輪のある紐が一本ぶら下がっていた。

 周囲を見回し、壁に丁度良さそうな窪みを見つける。そこに棒の先端を当て、折れるのではないかと不安になるほど棒を押して撓らせ湾曲させた。その状態で紐の先端にある輪を、棒のもう片方の先に掛ける。そうして完成した形に星火とナナは察した。

「弓か」

「和弓ね」

 矢を取り出す前に二人に当てられ、スイは得意げに笑った。

「これで射ち落としました」

「和弓で? 正確性だとアーチェリーとか? の方が上だと思うけど」

「野蛮な女は武器に詳しいな……。確かにそっちの方が狙い易い。でも持ち運びに嵩張るんだ。和弓は長ささえ気にしなければ嵩張らない。それに遠くを狙うなら、こっちの方が飛ぶ。あんまり遠くは狙わないけどな。よく見えないし」

「どちらでも、飛んでいる鳥を射ち落とせるなら凄いな」

「星火さんに褒められた……!」

 スイは照れながら弓から紐――(つる)を外し、元のように仕舞っておく。狭い地下集落では弓の腕を披露できない。

 星火は革鞄から大きな缶詰を二つ取り出す。パンの缶詰だ。両方共開け、みっちりと詰まったパンを取り出し、半分に裂いてまずナナとスイに手渡した。

「いいんですか? 俺まで貴重な食料を……」

「君にだけ渡さず食べるほど食い意地は張ってない」

「星火さんは聖人だな……」

 もう一つも半分にし、星火はニナと分ける。

「ふわふわ」

 ニナは指で暫く柔らかさを堪能し、美味しそうに頬張った。

「四人で行動すると効率が悪いから、上のマンションと集落と、二手に分かれて物色したいんだが」

 食料に余裕は無く、体力の消耗は控えたい。四人で上も下も全て歩き回るより、分かれて体力を温存すべきだ。

「俺は星火さんと行動したいです」

「二手と言わず三手でいいんじゃない?」

「一人だと万一の時に危険だろ。慣れない雪だ、何が起こるかわからない」

「もう止んでたりしてね」

「それが一番いいが」

「星火さんはどっちです? 上か下か」

「二人から先に聞く」

「じゃあ同時に言いましょ。行きたい方を」

 星火は成り行きを見守り、ニナはパンを頬張る。

「上」

 ナナとスイは同時にマンションを挙げた。二人の顔は直後に歪んだ。

「はあ……?」

「何でこいつと……」

「決まりだ。僕とニナが集落の探索をする」

 ナナとスイは同時に舌打ちした。息が合っている。

「もし上に行って雪が止んでいたら知らせてくれ。肩の荷が下ろせる」

「わかったわ……セイは本当に下でいいの?」

「ニナの薬を探したいから寧ろ良かった」

「ああ……子供用のね。ヒントは既にあったわけね」

 スイは怪訝な顔をするが、ナナは納得して残りのパンを口に放り込んだ。

「善は急げね。先に行くわね、覗き野郎」

「おい呼び方……」

 スイもパンを口に入れ、追って立ち上がる。ナナはスイが呼び方を改めない限り、この呼び方を止めるつもりはない。

 文句を言いながらも二人で探索に行く背を見送り、星火はニナが食べ終わるのを待つ。小柄なニナは食べるのも遅いが、急かすつもりはない。

「ニナはここで待つか? ここなら暖まっていられるだろ」

「マフラー貰ったから大丈夫。行きたい。上よりも凄い物を見つけて自慢したい」

「勝負してるわけじゃないからな?」

「皆が驚く凄い物って何かなぁ」

「大量の食料でも見つかれば皆驚いて喜ぶかもな」

「それは私も嬉しい」

 パンを食べ終え遣る気満々で立ち上がるが、ニナはふと思い出す。

「私の蜜柑の缶詰って、今だったら四人で分けることになる?」

「独り占めしたいのか?」

「うっ……く、食い意地は張ってないから……」

「? 一人で食べたいならそれでも構わない。ニナが手に入れた缶詰だからな」

「見つかったらナナちゃんは欲しいって言いそう。スイはわからないけど、セイが駄目って言ったら欲しいって言わない」

「ニナはスイのことをどう思う?」

「覗き野郎」

 ナナの言葉をそのまま吸収している。やはりあの二人はニナに悪影響だ。星火は火に砂を掛けて消しながら呆れる。

「うーん……何かよくわからない人。ナナちゃんみたいに一人で地上に住んでるのかな?」

 スイの前では本音を控えていた。ニナは空気が読める。

「僕も同じ印象だ。奏者であることを知って近付く人は碌な人じゃない」

「奏者は凄いから、凄いって言うのはわかるよ」

「単純に慕うだけなら僕も悪い気はしない。だが腹の内はわからない。覗きは行動を監視していたとも取れる。他に目的があるんじゃないかと……」

 壊れた現代で一人勝ちとも言われる奏者にも苦労はある。ナナのように力で捩じ伏せる以外では唯一だろう、魚を退けられる奏者は屢々羨望の目で見られる。単純に純真な気持ちで慕う人もいないわけではない。だがそれと同じくらい、妬む人がいる。羨望を向けられている妬み、大金を持つ鴨、銀笛(ぎんぶえ)を盗もうとする者もいる。星火は家から一歩出た瞬間から、猛獣の檻に放り込まれたような緊張感があった。奏者の身分はできる限り隠しておきたい。

 目を伏せて疲れた顔をする星火に、教祖として崇められていたニナも理解を示した。教団の集落から一歩出た途端に、ニナは教祖から大罪人の子孫へと転落する。正反対だが、きっとそれと同じだ。

「…………」

 ニナは星火の頭を優しく撫でる。数少ない母親の記憶の中に、頭を撫でられた温もりがある。頭を撫でられると安心し、心地良く、ニナはとても嬉しかった。

 星火は火の処理の手を止め、黙って撫でられた。温かくて、慣れない不思議な感覚だった。

「……先に薬を見つけよう。食料不足でこの有様になったなら、薬は何処かに残っているはずだ」

「元気になった?」

「……なった」

 ただ頭を触られただけなのに、不安が和らいだ。手を退けて周囲の棚に背伸びをする彼女の小さな背中を見、星火は自分でも頭を触ってみる。特に何も感じなかった。自分の手では駄目なようだ。不思議な魔法のようだった。


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