12-機械の遊び場
遊園地の周辺には民家が立ち並んでいた。少し離れた場所に大きなホテルが立っていたが、観光地というわけではなく、地元の人が遊ぶ場だったのかもしれない。作られたのはホテルが先か遊園地が先か、三人にはわからない。
もう誰も来なくなった遊園地の入口にはぽっかりと褪せた虹のような大きな門があり、草に埋もれていた。初めて見る不思議な物を、ニナは目に焼き付ける。
「この門はちょっと楽しい」
「そう? なら来た甲斐があったわ」
チケットなんて物は勿論必要ない。無人の夢の跡に入り、ホテルの上から見た時よりも大きな遊具を見上げる。頭上に灰色のレールが伸びている。
「あれも椅子がぶら下がるやつ?」
「これは道端にあるリフトとは別なんじゃないか? こんな物に乗ったら酔いそうだ。あそこを見ろ。一回転してる」
「何で回したの?」
首を捻りながら先へ進み、一際華美な屋根が見える。その下には飾られた馬が何頭も輪になって並んでいた。
「大きな置物がいっぱ……、!?」
駆け出そうとしたニナの前に、ぼとりと何かが落ちた。
「何だ……?」
「鳥?」
灰色のそれは翼を広げたまま地面で足掻いていたが、徐々に弱々しく動かなくなっていく。その首が赤く染まっていた。
「怪我をしてるな」
「上の方で喧嘩でもしたのかしら?」
見上げるが、赤く罅割れた鈍色の空しか見えない。空は建物よりも高く、見えない所までずっと続いている。
「これが鳥?」
ニナは初めて見る鳥に興味を示すが、死に掛けている生物に接近するのは躊躇する。星火の服を掴んで一歩下がった。
「ああ。鳥だ」
「鳩ね。鳩と鴉は偶に見掛けるわ」
「飛んでる所を見たかったな……」
「鳩ならまた見られるわよ。私も何度か食べたことあるし」
「ナナちゃん何でも食べてるね」
「あら、セイの方が食べてるわよ」
否定もできない星火は沈黙を選ぶ。
「これも食べるの?」
「やめておくわ。さっき貝を食べたし」
初めて食べた貝の余韻にまだ浸っていたいナナは、事切れた鳩を避けて馬の群れへ歩き出す。
(何かが掠ったような、抉るような傷……鳥同士の小競り合いと言うより、捕食する鳥の仕業みたい。でも動物なら、仕留めた獲物を回収に来ないかしら? 人間を恐れて来ないだけならいいんだけど)
星火とニナも鳩を避けてナナを追う。ニナは初めて見る鳥が気になり、何度も振り返った。灰色の鳥はもう動かない。
気を取り直して馬の前に到着し、大きな円い台に載っている飾られた馬を見上げる。馬だけでなく、馬車もある。馬の体には長い棒が刺さっており、台に留められている。色が燻んで剥げているが、嘗ては白い馬で、飾りも赤や青など鮮やかな色だったのだろう。今は色を失い虚ろな目をしている。
「これはどんな玩具? 顔が怖い」
「乗るのよ。馬に」
「乗ったら面白い?」
「旧時代はこれに乗って遊んでたのよ。面白いに決まってる」
円い台の周囲に立てられている錆びた柵を恐る恐る叩き、ニナは体重を掛けて乗り越えようとする。ホテルの柵とは違い、地面が近いこの柵には乗る勇気がある。
星火は足を上げるニナを後ろから持ち上げ、柵の向こうへ下ろした。
「馬に乗りたい」
次第に興味が出て来たニナは目を輝かせて振り向く。面白いと言われれば、面白そうな気がしてくる。期待に応えるため、星火も柵を乗り越えた。
「セイは馬も見たことある?」
「ないな」
星火は馬の背にある鞍を軽く叩き、体重を掛けてみる。支柱の棒は塗料が剥がれて錆が出ているが折れない。更に軽く蹴って壊れないことを確認し、ニナを持ち上げて馬に乗せた。
「わあ、高い。セイより高い! 動かないけど何か楽しい」
ぱたぱたと足を振り、馬の首をぽこぽこと叩く。
「それは良かった」
星火には何が楽しいのかわからなかったが、楽しいなら来た甲斐がある。
「セイも乗って」
「僕が乗るとさすがに折れないか?」
「大丈夫」
「何も根拠が無いのに自信満々だな」
乗れば星火も楽しさがわかるかもしれない。二人乗りは躊躇し、隣の馬を叩いて確認する。壊れそうにないが、万一壊れても地面は近い。怪我はしないだろう。
棒を掴んで勢いを付けて跳び乗ると馬が軋んで悲鳴を上げた。少し肝を冷やした。
「そう言えば……ニナと一緒に飛び付きそうなのに、ナナはいいのか?」
馬に跨り、柵の外で何処か遠くを見ているナナに声を掛ける。彼女は上着のポケットに手を突っ込み、思い出したように笑顔を作った。
「私は子供じゃないもの。セイは白馬の王子様みたいよ」
「王子様……?」
疑問を返した瞬間、異変が起こった。突然、死んだ玩具に明かりが灯った。
「!?」
色褪せた廃墟に温かい光が瞬き、けたたましくベルが鳴る。
「何かしたか?」
「何かした?」
星火とナナは同時に発し、何もしていないと互いに察する。
馬はゆっくりと上下し、大きな円い台が罅割れて歪んだ軽やかな音楽と共に回転を始めた。
「ニナ、棒を掴め!」
「わっ」
慌てて燻んだ棒を抱くニナに星火は胸を撫で下ろす。星火はともかく、小柄なニナが転げ落ちたら怪我をする。
「これまだ動くんだね! 楽しいかも!」
「呑気だな……非常電源でも作動したのか? スイッチらしき物は無かったが……それとも単純に、乗れば動くのか?」
動いてはいるが馬はガタガタと震え、何処かの金属が擦れて軋んでいる。今にも壊れそうな音を発している。
「僕は降りた方が良さそうだな……」
「動くと危ないから乗ってなさいよ。見ていて面白いわ」
柵の外にいたナナには影響が無い。対岸の火事のように笑っている。
下手に動くと負担を掛けて壊し兼ねない。星火は浮かし掛けた腰を下ろした。
「これはいつ止まるんだ……?」
「待ってなさい。見てあげる」
機械の動かし方は心得ていないが、動いているなら通電しているはずだ。ナナは囲う柵を一周回り、柵の中へ入る鎖の掛かった出入口の前で立ち止まる。その横にある狭い小屋が怪しいと踏む。錆び付いた金属の扉を抉じ開け、ボタンが付いている台を見つける。ボタンの下に文字が書かれていたようだが、剥げていて読めない。
無言で眺めるがナナは機械に詳しくない。適当に赤いボタンを押した。
「…………」
馬へ目を遣るが何も起こらない。
(全部押してみましょ)
端から順に全て押してみる。片手で数えられる数のボタンしかないが、どれも反応が無かった。
他に怪しそうな所は無い。一番怪しいのは柵の中の円い台の上だ。ナナはどうしたものかと回る馬を見詰めて黙考する。星火はじっとナナを待っているが、ニナは楽しそうだ。暫くこのままでも良いのではないだろうか。
「……あら」
暫く待つ選択をしたが、その直後にゆっくりと馬が止まった。明かりも音楽も消え、元の廃墟の一部になる。
「止めてくれたのか?」
「適当にボタンは押したけど、もしそれで止まったんなら相当反応が遅いわね」
「今の内に降りる」
余韻に浸ることもなく星火は馬を降り、また動かないかと待っているニナの腰を掴んで降ろした。
「楽しかった」
「そうか」
「セイは楽しくなかった?」
「壊れやしないかと、それ所じゃない」
掴んだまま柵の外へ遣り、星火も柵を出る。華美な馬達はもう動くことはなかった。
「他にも動く物ないかな? もっと遊びたい!」
「地面に近い物ならそんなに危なくなさそうだが……何で動いたんだ?」
「あれは動くかな? あの大きいの! どう動くのかな?」
燥ぎながら指を差す先を見上げる。燻んだ大きな円い木が聳え立っている。その円の周囲には等間隔に色々な色の円い実が付いていた。色はくすみ、塗装が剥がれて錆が出ている。
「あれは……大き過ぎて乗せるのは躊躇うな。どう乗るんだ?」
身長の何倍の高さがあるかわからない。五回建ての建物くらいあるだろうか。
「大きな円の外側に付いてる小さな箱に乗るはずよ。大きな円が回転するはず」
「また回るのか……箱に乗るってことは、あの天辺に行くのか?」
「そうだと思うわ」
「あそこから落ちると危ない。あれは止めよう、ニナ」
「じゃあ近くで見るだけ」
「一番下にある箱だけならいいが」
箱の中がどうなっているかは星火も気になる。
草を跨いで子供らしく燥ぐニナを追おうとして、星火は振り向いて速度を落とした。先程からナナは遠くを気にしている。
「どうした? 何か探してるのか?」
「……ん。ちょっとね」
「?」
「ニナと一緒に燥いでなさいよ」
「どちらかと言うと君の方が燥ぐだろ」
「……じゃあ話すけど」
ナナは星火の隣に並び、辺りを見回してから口を開いた。その顔は笑っておらず、真剣だ。
「さっきの鳥が気になってるの」
「落ちてきた鳥か。やっぱり食べるのか?」
「私を何だと思ってるの? 鳥だって数が少ないんだから、簡単に空中で鉢合わせないでしょ? 誰かが狩ったんじゃないかと思ったの」
「飛ぶ鳥を狩る……? 銃声は聞こえなかったが」
「銃以外にもあるでしょ、飛び道具は」
「……弓とか?」
「そうよ」
「弓なら矢が落ちてるだろうな。足元は草叢だらけで、見つけるのは難しそうだ」
「矢は難しいけど、人なら見つけられないかと思ってね。いたとしても出て来る気は無いみたいだけど」
「僕も気に掛けておく」
「言っておくけど、私は飛ぶ矢を切り落とす芸当はできないわよ。射つ瞬間が見えてたらタイミングを合わせるけど」
「見えてたら落とせるのか? 凄いな」
ナナは身体能力だけでなく動体視力も優れているようだ。星火は素直に感心する。
小さな箱に辿り着いて手を振って呼ぶニナに軽く手を上げて応え、星火も大きな円い木に急ぐ。
金属の大きな木は塗装が剥げて錆び付いている。遊園地の遊具はどれもそんな感じだ。
「セイ、開かないよ」
呼ばれた星火はニナに代わって小さな箱に付いた鉄のドアノブを握り、振るように動かしてみた。錆が擦れるような音がする。ドアの横に足を当て、ノブを捻ったまま力任せに引っ張ってみる。
長年開いていなかったドアは軋んで開いた。錆の滓がパラパラと落ちた。
「セイ凄い!」
箱の左右には固そうな椅子が付属しており、少し罅割れている。地面から一段上がる程度の高さにある箱に、ニナは恐る恐る足を踏み入れた。吊られている箱は揺れる。
「動いたらすぐに飛び出せるようドアを開けておくからな」
「うん」
奥の窓から向こう側を覗き、窓から上を見上げる。鉄の棒が枝のように伸びている。
「上に行ってみたいな」
「ホテルから落ち掛けた時に怖がってなかったか?」
「落ちると怖いけど、落ちないなら平気。セイも乗ってみて」
「ニナより僕の方が度胸を試される……」
箱に乗った瞬間に落ちやしないかとおっかなびっくり足を乗せる。地面との距離が近いお陰で度胸が出る。
「わ」
ニナより重い星火が乗ったことで箱が揺れて軋んだ。壁に手を突いて揺れが治まるのを待つ。
「上まで回ったら飛ぶ気分を味わえるかな? 旧時代の人はよく飛ぶから、私も飛んでみたい」
「僕も興味はあるが、安全な乗り物がいい。こんな錆びた機械、動いたらすぐに壊れそうだ」
「さっきの馬は壊れなかったよ」
「馬は地面にしっかり置かれていたからな。この箱はぶら下がっていて、しかも高く上が……」
がこんと嫌な音がした。足を動かしていないのに軋み、箱が揺れる。窓の外の景色がゆっくりと流れ始めた。
「!?」
「動いた!」
「出るぞ!」
星火は喜ぶニナを抱え、離れていく地面に飛び降りる。次の箱が回って来るので、急いで距離を取る。
ドアが開いたままの箱はあっと言う間に地面から離れて行ってしまった。
見上げている内に回転は停止する。何が原因で動き出したのか全くわからない。
「何なんだ……? もう乗るのは止めよう。危険だ」
「上に行きたかったな」
「上に行きたいならマンションかホテルの屋上に行けばいい」
「むぅ」
星火はニナを下ろして溜息を吐く。遊園地の楽しそうな雰囲気がニナの判断を鈍らせている。
「――はあ」
一際大きく、ナナは静かな廃墟の奥まで届きそうな溜息を吐いた。
ニナはぽかんと口を開け、呆れられたのかもしれないと興奮の熱を下げた。
「いるんでしょ? そろそろ出て来なさいよ!」
ニナはきょとんとし、傍らの星火を見上げる。ナナは何を言っているのか。星火は先程の彼女の言葉を思い出し、鳥を狩った誰かが近くにいるのだと察した。
辺りはしんと静まり、物音一つしない。
「ほらセイも呼び掛けて。ドスの利いた声で威嚇して」
「また無茶を……」
「腕力では負けないけど、声はどうにもならないわ。セイの方が声が低いでしょ? 私の声じゃ軽くて舐められるのよ」
「通りのいい綺麗な声だと思うが」
「!」
「いるなら出て来い」
「声が小さい!」
一瞬心が乱されたが、いつもの声量で話すように言葉を投げる星火を見て我に返った。彼は他意の無いハッとするようなことを時々ぼそりと言う。
「出て来ないと怒るぞって言ってやって」
「出て来ないと怒るぞ」
「声が小さい!」
星火とナナが虚空に向かって騒いでいるのを、ニナは少し離れて見守る。何をしているのか彼女にはわからない。周囲には人どころか動くものは何も無い。
二人が虚空に呼び掛けて何度目だろうか、最初の呼び掛けから数分後に変化があった。遊具の陰から誰かが走って来た。ナナの言う通り、本当に人がいたようだ。
その人物は頭にぐるぐると布を巻いて顔を隠しており、上着で体格もはっきりしないが、身長はナナより高い。おそらく男だろう。
「やっと出て来たわね」
「っくち」
「動かないと寒いな」
顔を隠した人物は距離を取ったまま停止する。手袋を嵌めた手には何も持っておらず、鞄も背負っていない。
「出て来ない選択肢もあったのに出て来たってことは、用があるのよね?」
「呼んだ癖に……」
そいつは小声でぼやいた。その声はやはり男の声だった。
「君はこの遊園地のことを知っているか?」
そんなことを聞きたいわけではないとナナは口を挟もうとしたが、星火がそれを聞きたいなら水は差さない。何か考えがあるのかもしれない。
「乗ると勝手に動くんだが」
「お気に召しませんでしたか?」
「?」
妙な答えが返ってきた。
「本当は出て来るつもりはなかったんです。でも星火さんが呼ぶので……」
「!」
星火は名乗っていない。ニナとナナも彼のことを『セイ』と呼んでいる。ナナは誰もいない建物の中では『星火』と呼ぶが、外に声が漏れない場所でのみ呼んでいる。それならもっと前に、教団の集落を出る前か、集落の誰かが話したのかもしれない。
「あ……警戒しないでください。本当に……俺は驚かせるためじゃなく、楽しんでもらうために動かしたんです。遊園地は楽しむ場所なので……その……楽しいですか?」
「動かした……?」
妙なことばかり言う男だ。こんな大きな機械が現代で動かせるはずがない。もし動かせるとしたら、とんでもない量の電気石が必要になる。
「やっぱり出て来ない方が良かったですね。では、俺はこれで……」
苦笑いを零しながら踵を返そうとする彼を逃がすはずもなく、ナナは一気に距離を詰めてその腕を掴んだ。
「その顔の布、剥がしてあげる。知り合いだから隠してるのよね?」
星火の名前を知っているなら知り合いに違いない。ナナは男に足を掛けて地面に倒し、抵抗しようとする四肢を押さえ付けた。
「いっ……何すんだこの女! 相変わらず野蛮だな……」
「相変わらず? もしかして私達全員を知ってるの?」
「…………」
話すことより沈黙して抵抗に力を割くことを決めた男は、ナナの腕を掴もうとするが振り払われた。
ニナは星火の後ろに隠れ、険しい顔で怪しい人物を覗く。
「全員ってことは、私も知ってる人? わ、私が知ってる人なんて……」
ニナは生まれてから一度も教団の集落を出たことがなかった。ニナを知る人は限られる。顔が見る見る青褪め、ニナは星火の陰に隠れて彼の服を掴んだ。
「その顔、見せてもらうわよ」
顔を覆う布を乱暴に引き剥がす。本当にナナは男より腕力があるようだ。と言うより男は迷っているようだった。顔を見せるべきか隠しておくべきか、考え倦ねていた。
「っ……!」
「あら……」
布を剥いだ顔を見てナナは目を丸くする。星火も恐る恐る近付いて覗き込む。
「誰だ……?」
想像していたよりも若い顔だった。十代の半ば、ナナと歳が近そうだ。
「セイも知らないの? 私も知らないわ。ニナは?」
「私も知らない人」
三人は怪訝な顔をする。少年の顔に誰も見覚えがなかった。
「知らないと、それも気持ち悪いな……」
「きっ、気持ち悪いなんてそんな……それは……本望じゃない」
ナナに組み敷かれたまま、少年は困ったように渋い顔をする。何かを企んでいるような顔ではない。
「俺は……平たく言うと、星火さんのファンなんです。なので……星火さんに気持ち悪いなんて言われたら、悲しい……」
「ファン?」
「セイ、何処でこんなファンを作ったの? 危ない所を助けたとか?」
「全く覚えてない……」
「会うのは初めてなので、覚えがなくて当然です。俺は奏者のファンで、取り分け星の一族の星火さんの大ファンなんです!」
「奏者に憧れを抱く人は珍しくないけど、個人の名前を挙げる人は相当珍しいわよ」
誤魔化そうと考えていた星火だったが、もう誤魔化せないほど彼は情報を持っているようだ。奏者のことは言い触らす者がいる所為で広まっているが、名前まで広められると迷惑だ。
「僕の名前はそんなに有名になっているのか?」
「い、いえ。俺はもうずっと一人でいるので、人と話すのも久し振りで……なので、名前を言い触らしたりはしてません」
「じゃあ君は何で僕を知ってるんだ?」
「言っても嫌いになりませんか?」
「嫌いも何も、君のことは何も知らないんだが。一方的に知られていると気持ち悪い」
「星火さんはいきなり殴るような人ではないと信じてます」
「聞くのが怖くなってきたな」
嫌うような嫌な知り方をしていると言っているようなものだ。星火は固唾を呑んで次の言葉を待った。
「行商機は……ご存知ですよね?」
「ああ」
「行商機を通して見てました」
「……?」
「行商機にはカメラが内臓されてます。俺が付けたんですが。それで星火さんのことを知り、見てました。奏者の中でもずば抜けて凄い才能の持ち主ですよね」
少年は目を輝かせて照れるように、満足そうに言った。
「気持ち悪いな……」
知らない内にこっそりと覗かれていたらしい。星火は思わずぼそりと漏らしてしまった。ナナは少年に跨ったまま彼の顔を一発殴った。
「道理で私のことも知ってるはずね……行商機は友達だと思ってたのに! 人間が覗いてたなんて最悪だわ!」
「全部は見てない。行商機なんて何台あると思ってるんだ。お前が小さい頃にずっと話し掛けてたことくらいしか知らない」
「一番知られたくないことじゃない! じゃあ服とかこの刀をくれたのは!?」
「気に入らなかったか? 濡れ鼠で可哀想だと思ったから、わざわざ行商機に持たせてやったんだぞ」
「行商機の馬鹿!」
ナナはもう一発、少年の顔を殴った。そしてよろよろと彼の上から降りて離れ、草叢の中で膝を抱えて座り込んだ。余程ショックだったようだ。それはそうだろう、中には誰もいない空っぽの機械だからこそナナは暗い心情を呟いた。
漸く身を起こせるようになった少年は立ち上がり、頬を摩る。二回も殴られて真っ赤になってしまった。
「やっぱり星火さんは殴らなかったですね……あの女はやっぱり野蛮です」
「僕も反応に困ってるんだが……行商機は君の持ち物なのか? もしそうなら僕も何度か買っているから頭ごなしに怒れない。行商機は便利だ」
「持ち物って程ではないんですが……行商機を作ったのは俺の爺ちゃんです。俺も機械のことを色々教えてもらって、それで遊園地の遊具も動かしました。大きな機械が多くて面白いから暫くここに留まって暮らしてて、その……鳥を射ったのも俺です。あれは偶然だったんですが、驚かせてすみません。その時に星火さんが来てることに気付きました。行商機を通さずに見るのは初めてで、つい舞い上がって……調子に乗りました。喜んでもらいたかったんです」
本当に申し訳無さそうに、少年は深く頭を下げた。星火を楽しませようとしたことに偽りは無い。
「動かせるものなんだな……理由と言うか原因がわかって安心した。だがどうやって動かしたんだ? 相当な電力が必要だろ?」
「ああ、それなら。代々受け継いでる強力な電気石があるんです。これです」
少年はポケットから掌に収まる程度の緑色の半透明の石を取り出した。充電できる場所に埋まっている電気石よりもかなり小さい。手で持ち運べる程度の大きさでは満足な電気が発生しないはずだ。
「小さいが、それでここの機械を動かせるのか?」
「かなり質のいい石なので、この大きさでも充分です。――ああ……憧れの星火さんとこんなに話せるなんて夢みたいだ……」
話の途中で感極まり、少年は照れて顔を背ける。人と会話をするのも久し振りだと言うのに、憧れの人物と会話など天にも昇る心持ちである。
「機械に関しては詳しそうだが、それでも奏者に憧れるのか?」
「当たり前です! 奏者は科学的に説明できる存在ではないんです! 意味がわからない……俺は説明できないものに興味があります。笛が凄いんですか? それとも体質ですか? 笛は分解したことがあるんですが、別段変わった所も無く、普通の楽器としての笛にしか見えません」
「分解……?」
「奏者の死体を見つけたことがあって、笛を失敬しました。おそらく星火さんの笛とは出来が違うでしょうが」
盗んだのかと警戒したが、死体から拾っただけなら咎めることでもない。現代では生者にもあるとは言い切れない人権が、死体になどあるはずがない。
「……僕のことは何処まで知っている?」
「その子の前で言ってもいいことですか?」
「……わかった。もういい。君はニナのことも知ってるのか?」
「いえ。何なんですか? その子は」
当然と言えば当然だろう。ニナは神社で行商機を初めて見た。彼が行商機を通して世界を見ていたのなら、行商機を見たことがなかったニナのことも知っているはずがない。
「星火さんも見失って暫く行方不明で、もう二度と見つけられないと思いましたよ」
教団の集落は人も機械も出入りを許していなかった。見つからなくて当然だ。
「見つけたと思ったら知らない子を連れていて……今初めて見たんですが、隠し子ですか?」
「歳を考えてくれ」
「星火さんは十九歳ですが……この子は何歳ですか? 七、八歳? ああ……少し大きいですね」
悪気なく少年は笑うが、知らぬ間に見られて情報を知られているということは気味が悪い。星火は身震いした。彼の前で年齢など喋っていない。
「でも羨ましいです。星火さんと行動を共にできるなんて……」
誘ってほしい。期待を込めて少年は星火を見上げる。星火は目を逸らした。
「さすがに図々しいですよね。今のは忘れてください。それより折角来たんですから、乗りたい機械はありますか? 何でも動かしますよ」
「壊れそうだから乗らない」
「絶叫系はやめた方がいいかもですが、ゆっくり動く機械もあるので安心ですよ。さっきのメリーゴーランドとか」
「メリー……?」
「回転する馬ですよ。楽しんでたじゃないですか」
「僕は楽しんでない」
星火は馬の遊具を一瞥し、回っている間ずっと軋んでいたことを思い出す。その彼の服が引かれて振り向くと、ニナが目を輝かせていた。彼女は乗りたいようだ。この壊れた世界で少しでも楽しめる物があるなら、それを拒絶するのは酷だ。辛さや苦しさだけしかない世界なんて、生きている意味があるのだろうか。
「……低い乗り物ならいい。いいか、ニナを怪我させたらどうなるかわからないからな。……えっと、名前は……」
「どうなるか? 星火さんは暴力を振るう人じゃないと思うんですが、どうなるんでしょう? 俺のことは好きに呼んでくださっていいですよ」
「名前が無いのか?」
「ありますが、星火さんに付けてもらえるなら」
「ナナがさっき行商機と呼んでいたな。行商機でいいなら」
「…………」
さすがに少し不服だ。少年はわくわくとした笑顔を固めて考える。幾ら憧れの存在であっても、行商機は果たして名前と言えるのだろうか。
「……俺の名前はスイです。漢字で書くと水溜りの水。あんまり良い名前じゃないですよね。危険な魚がたくさん潜んでる水なんて。現代人は皆、水が嫌いです。奏者にも嫌われそうな名前です」
できれば名乗りたくなかったが、星火の頼みならば話すしかない。笑顔を消して少し目を伏せ、星火の顔を視界に入れない。きっと嫌悪が顔に出ているだろう。
「他の奏者は知らないが、僕は水も魚も憎んでるわけじゃない。水は浄め石を使えば飲料水になる。魚も食料になる。生活に欠かせないだろ?」
「!」
水と言えば危険な魚が潜む水溜りの水。彼の名前を聞いた者は口を揃えてそう言う。飲料水を挙げる人は初めてだった。
「い……一生付いて行きます!」
「付いて来なくていい」
これ以上、子守を増やしたくない。星火はニナを前に立たせ、距離を取った。
「私も食べられる魚は好きです」
「何でこんな子供は良くて、俺は付いて行っちゃ駄目なんだ……?」
「スイは怪しい」
「俺から見ればお前の方が怪しい。お前のことだけ全然知らない。何なんだこの子……」
知らないと言われるとニナは安心する。犯罪者の子孫だと外に漏洩していないということだからだ。ニナは胸を撫で下ろして笑顔になる。
「知らない方が普通。皆、普通は覗きしない」
「そうか……そんなこと忘れてたな。人との会話は難しいな……」
スイは何となく、星火が仲間を連れて旅をする理由を察した。きっと人との会話の仕方を忘れないためだろう。
真実はそうとは限らないが、星火はニナを彼に預け、まだ膝を抱えて顔を伏せているナナへと駆け寄った。落ち込んでいる彼女も放っておけない。




