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壊れた空の迷い星  作者: 葉里ノイ


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10/12

10-七つの疑問


 水面を歩いて大きな水溜りを越え、三人は裕福な方であろう民家で休息を取った。

 ニナは二階の部屋にあったカプセル型ベッドで眠り、星火(せいか)は投げ捨ててしまった銀笛(ぎんぶえ)の手入れを、ナナは返り血を流すためにシャワーを浴びた。

 廃墟の民家のシャワーは疾うに水など止まっており、蛇口を捻っても何も出ない。水を入れられる袋や容器を用意し、そこに浄め石と水溜りで汲んだ水を入れ、袋や容器の底に小さな穴を開けてシャワーとして使用する。浄め石はどんな泥水でも綺麗に濾過してくれる鉱石だ。現代ではエネルギーを溜め込んで人間の役に立つ石を鉱石と呼ぶ。熱し石を併用すれば湯を作ることもできる。ナナはあまり物を持たず神社を出たので、星火にシャワー袋を借りた。袋の水が無くなれば、予めその辺のバケツや桶に汲んでおいた水を補充して使用する。水は何処にでもある。

 星火が仕上げに銀笛を磨いている最中に、ナナはシャワーを終えて薄着で戻って来た。現代の季節はやや不規則だが、現在は肌寒い。旧時代では秋か冬と呼ばれていた季節だ。

「……上着を着ないと風邪をひくよ。それとも風邪もひかないのか?」

「ひいたこと無いわね。返り血はどう? 全部取れたかしら?」

 星火は顔を上げ、くるっと一周回って背中まで見せるナナの全身を見る。見てもらうために薄着だったようだ。

「服を着ていた場所に返り血が付くのか?」

 また揶揄っているのだろう。星火は冷静に返し、ナナはけろりと話題を変える。

「星火の方はどう? 笛、壊れてない?」

「壊れてない」

「良かったわね。星火の存在意義が無くなる所だったわ」

「…………」

「ちょっと一階を見て来てもいい? 台所を漁るの」

「わかった」

 愛想の無い返事だが、声を出して返答があるのは嬉しいものだ。ナナは機嫌良くウエストポーチを装着して上着を羽織り、刀を手に階下へ向かった。

 彼女の声は少しばかり弾んでいたが、シャワーを浴びてすっきりしたからだろうと星火は推測する。彼も銀笛の手入れを終えて革鞄へ仕舞った。

 ニナのように睡眠を取るべきなのだろうが、星火も鞄を背負って階下へ下りた。台所には一見何も残っていないが、隅にでも何かあるかもしれない。ニナも共に漁りたいと言っていたが、彼女は睡魔に抗うことができない。まだまだ幼い子供だ。

 階段を下りる音に気付き、ナナは大きな台所の向こうから頭を出す。

「星火、来て。面白そうな物を見つけたわ」

 食料を見つけたなら食料と言うだろう。食料ではない何かを見つけたらしい。星火も好奇心に駆られて足が速くなる。

 ナナは蹲み、散らかっていた調理器具や割れた皿、そして床に敷かれていたマットを退けたそこを視線で示す。床には人一人通れそうな正方形の切れ目があった。切れ目の一部に錆びた金属が嵌め込まれている。

「床下収納か?」

「そうみたい。まだ開けてないから、一緒に見てみない? 食料が残ってるかも」

「そうだな」

 ナナは錆びた金属を力強く押して取っ手を引き出し指を掛け、缶詰の蓋を開けるように引っ張った。

「んっ……固い……」

「遣ろうか?」

「大丈夫……いけそう」

 熊の首や硬い殻の蟹も叩き斬る彼女でも苦戦した。すぐに開くだろうと舐めて掛かった所為もあるだろう。錆びた金属が擦れて錆を落とし、最後は大きな音を立てて床から外れ、小さな扉が持ち上がる。

「暫く誰も開けてなさそうだな」

「マットで隠れてたから、気付かれなかったのよ」

 扉を床の上に倒し、カンテラを点けて四角い闇に下げる。

「……深いな」

 台所の床下収納と言えば、床上から手が届く深さに食品などを仕舞う小さな物だ。だがこの収納は手の届く距離に底が無い。

「梯子があるわ。収納と言うより倉庫ね。下りてみるわ」

「水は見えないが、気を付けろ」

 ナナは腰にカンテラを提げ、手で梯子を叩いて強度を確かめ、四角い闇に一本ずつ足を下ろしていく。軋みはするが、壊れる様子はない。

「星火が乗っても大丈夫そうよ」

 数歩を残して飛び降り、腰に提げていたカンテラを翳す。中で人が立てるように深く作られているようだ。

「どうだ?」

「床は乾いてる。壁に棚はあるけど空っぽね。奥にドアがあるわ」

「ドア? 収納と言うより部屋だな」

「もしかしたらシェルターかも。奥のドア……これ防水扉ね。ハンドルが付いてる」

「地下集落でもあるのか?」

「さあ……? 旧時代の廃墟の地下を利用して集落を築くこともあるけど、家の床下収納に築くなんて聞いたことないわ」

「僕もだ」

「防水扉、開けてみる?」

「開けてもいいと思うが……」

「そう? じゃあ開けて――ん?」

 星火の声にしては自棄に高い声が聞こえた。ナナが見上げると、床上で星火も顔を上げていた。眠そうな目をした少女が覗き込んでいた。

「ニナ? 起きたの?」

「何か大きい音がしたから目が覚めた。何してるの?」

「面白そうな物を見つけたから、調べてるのよ」

「面白い物、見つかった?」

「これから何か出て来るかも」

 口元に不敵な笑みを浮かべ、ナナは奥へと進む。

「あ、おい」

 星火は慌てて四角い穴を覗き込む。

「扉の向こうは水かもしれない」

「ハンドルが回るから浸水してないわよ。してたとしても私は泳げる」

「過信するなよ」

 躊躇も無くナナは防水扉のハンドルを握った。回すと空気が通る音がする。

 ニナも星火の服を掴んで落ちないように、穴の中を覗く。

 防水扉は軋みを上げながら開き、カンテラの光が射し込む。

 防水扉のこちら側は部屋のように床や壁が舗装されていたが、向こう側は土が剥き出しになっていた。崩れないよう固められてはいるが、まるで完成しなかった部屋のようだ。

「どうだ? 何かあるか?」

「……少し先があるけど、すぐ行き止まりね。ゴミが落ちてるわ」

「ゴミ? 食料は無いか」

「ゴミよ。人の骨が落ちてる」

「!」

「頭蓋骨が三つ。この家の住人じゃない? 食料の袋とか容器とか……そういうゴミもあるけど。あとシャベル」

「シャベル?」

「穴を掘ろうとしてたんじゃない? この先に何かあるのかしら?」

「僕もそっちへ行く」

 服を掴むニナを穴から離し、星火は梯子に足を掛けた。

「私も下りる」

「ニナはそこで待ってろ。面白い物が見つかったら持って来るから」

「下りたい……」

「そんなに骨が見たいのか?」

「それは……いい」

 隠し部屋のような地下に興味があったが、人骨には興味がない。ナナも星火も驚かないのでニナも騒ぎはしないが、内心は怖い。梯子を下りる星火を大人しく見送る。

 収納だか部屋だかの底に足が付き、ナナがそうしたように星火も周囲にカンテラを翳す。壁に棚があるが、ナナの言った通り何も置かれていない。足元に少し空の袋や缶詰などのゴミが落ちているだけだ。

 開いた防水扉の前で振り向いているナナの隣に立ち、星火もその奥へカンテラを向ける。襤褸になった服を着た骨と頭蓋骨が三つ、離れて転がっていた。

「……防水扉はこの人達が設置したと考えるのが自然か?」

「何も無い場所に設置するなんて、気が早いのね。普通はある程度整えてから設置するんじゃないの? 黴の臭いがしないし水気が無さそうなんだけど。私は一から集落を作ったことがないから詳しい順序は知らないけど」

「こっちに何か書いてある」

「何?」

 カンテラの光を巡らせていた星火はふと手を止める。骨の陰の壁に不自然な線が見えた。

 逡巡するが、指先で骨を退ける。魚や動物の骨なら躊躇わず触れられるのに、人間の骨となると途端に気味悪く見えてしまう。

 星火の隣にナナも蹲み、掠れた線に目を凝らす。

「『あと10m』……?」

「こっちにも書いてる。『不公平だ』『新しい家に』……これ以上は読めないな」

「憶測だけど……本当に十メートルかはわからないけど、この先に地下居住区があるんじゃない? 今もあるかはわからないけど。旧時代の人は限りある地下居住区への引越し権を賭けて争った。星火が見た変なマンションの部屋にあったって言う記録にはお金が必要だって書いてたらしいけど、この家はそこまでお金を用意できなかったみたいね。それともお金を積む人が想像以上に多くて、お金では解決できなかったのかしら?」

「この人達は諦められず、居住区まで掘ろうとしたのか……思い付いても実行しようとは思わないよ。それだけ追い詰められてたんだな」

「防水扉が設置されてるのはちょっと違和感があるけどね。水が溢れ出すのってもっと後のことだと思ってたわ」

「そうだな。僕もだ。空が壊れてすぐに水も溢れ出したってことか?」

「扉だけもっと後に設置されたのかしら?」

 憶測を言い合うが、答えは返ってこない。旧時代の終幕が悲惨だったということだけ、情報が増えた。


「――やだあ!」


「ん……?」

「ニナ?」

 穴が空くほど見詰めていた壁から目線を上げ、四角い穴を見上げる。扉の奥からだと床上が見えない。

 駆け足で梯子に戻るが、ニナの姿が視界に入らない。落ちると危ないからと、穴から離したのは星火だ。

 星火が梯子を掴むと、後ろからナナが先に梯子に足を掛けた。

「セイ、そのまま」

「?」

 疑問符を浮かべると同時にナナは彼の肩を掴み、梯子と彼を足場にスルスルと滑るように登って行った。

「木登りだって得意なんだから」

「僕を木にするな……」

 星火は軽捷にとはいかず、もたもたと梯子を登った。それでも鈍臭くはないだろう。

 彼が床上に頭を出した時、ナナは既にリビングから走り出る所だった。それを星火も走って追う。

 二人は家から飛び出し、漸く不審者が視界に入った。暴れるニナを抱えて男が走っている。

「両脚を斬り捨てて走れないようにしてあげる」

「待て。何で攫ったのか話を聞こう」

 走ることなら星火もナナに遅れを取らない。二人は草木や瓦礫の転がる地上を難無く駆ける。

 一方ニナを攫った男は障害物の中を走るのは慣れていないようだ。差は見る見る内に縮まった。

 ナナは刀を抜かず、鞘に納めたまま構える。走る両脚目掛けて容赦なく鞘を振り抜いた。

「――いってぇ!?」

「あ」

 男は堪らず転げ、その拍子に抱えられていたニナも地面に投げ出された。幸い草の上だったが、水溜りだったら男を魚の餌にする所だ。

 若い男だが、星火より年上だ。男はナナに任せ、星火はニナに駆け寄る。彼女は泣きそうな顔で唇を引き結んでいた。

「大丈夫か?」

「痛い……」

 泣きそうなのは攫われたからではなく、地面に落ちて転がったからだ。

「何があったんだ?」

「急に後ろから掴まれたの! オレは奏者だお前を助けてやる、って! 奏者は間に合ってますって言ったよ」

 助け起こされながらニナは泣きそうな顔を今度は怒りに膨らませる。顔が忙しい。

「あの人は奏者なのか?」

「知らない。笛は見てないよ」

 服に付いた砂を払い、怪我が無いか確認する。掠り傷はあるが、血は流れていない。

「セイー、とりあえず身包み剥いで吊るす?」

「先に話だ。奏者だと言っているらしい」

「へぇ、奏者なの? だから貧弱なのね」

 男は倒れたまま、頭を鞘の先でぐりぐりと押されている。恐ろしくて動けないようだ。

「何でこの子を攫ったんだ?」

 ナナにはまだ話していないが、ニナは最悪の犯罪者の子孫だ。その教団の集落が襲われ逃げて来たが、ニナを攫おうとしたこの男は追手かもしれない。集落では見たことのない顔だが、襲撃者の顔を全て把握しているわけでもない。撒いたと思っていたのに、足を掬われた気分だ。

「ほ……保護者がいたのか……。迷子だと思ったんだ。地上で迷子は危険だろ? 集落に送り届けて、親から金を貰おうと思ったんだ……」

「本当にそうか? 随分と荒っぽいが」

「オレだって好きで地上を歩いてるわけじゃない。その……早く送り届けるために走ったんだよ」

「地上が怖くて走ったのか?」

「まどろっこしいわ。――お前、奏者なら笛を見せて。笛があるなら地上なんて怖くないでしょ? 何が怖いのよ」

「今はお前が怖い……」

 ナナの勢いに気圧された男は弱々しく毒突く。

 星火に下がるよう手で制され、ナナは渋々鞘を引いた。

 漸く身を起こせた男はナナの方を横目で何度も一瞥し、短い銀色の笛を取り出す。奏者が持つ銀笛だ。

「セイ、どう思う?」

「刻印は無い。それから……鍍金に見える」

「鍍金?」

「別の素材に銀色の塗料でも塗ったような……違和感がある。安っぽいと言うか軽そうと言うか」

「つまり玩具?」

「わからない」

 星火は首を捻り、声を抑えてナナの耳元へ顔を寄せる。

「僕は家族の笛しか見たことがないんだ。君が拾った笛は家の笛に近かったから何も感じなかったが、本家と分家以外の笛を見るのは初めてだ」

 自分が奏者であることは知られないよう、男に聞こえないように囁いた。ナナも星火に腰を屈ませて耳元へ返す。

「私が今までに見た奏者は本家でも分家でもないわ。もしかしたらこの子供騙しの笛が、奏者が貧弱な所以かもね」

「笛の違いか……奏でる人の違いだと思っていたが、笛とは考えなかったな」

 実家にいた頃の星火はまだ子供で、銀笛がどのように作られるかなど聞いたことがなかった。十八歳を一人前とし、大人になる時に家を継ぐための情報が与えられる。星火の十八歳はニナの居た教団の集落で迎えたため、家の情報が乏しい。

 ナナは黙ってしまった星火を見上げ、男を鞘の先で突く。

「お前、試しに水辺に行って笛を吹いてみなさいよ。奏者の音色を聴いてみたいわ」

「は!? わざわざ水辺に行くのか!? 馬鹿か……? 奏者は緊急事態のためにいるんだぞ。避けられない脅威が現れた時に奏者は仕事をするんだ。わざわざ脅威に突っ込む奴が何処にいるんだよ」

「笛があるんだから怖くないでしょ? 吹くのが遅くて心配なら、吹きながら水辺まで行けばいいんだし」

「いや……だからな……」

 男は口籠もって煮え切らない。笛に自信が無いようだ。魚を退けられる奏者が後込みをするなら、奏者ではない者は恐怖で白目を剥いて倒れてしまうだろう。

「ほらね、セイ。言った通りでしょ? 奏者は貧弱なの。こんなのに頼るだけ無駄よ」

「むっ、無駄じゃない! それにオレは……オレは……そうだ! 星の一族なんだぞ! こんなエリート奏者に出会えてラッキーだな、お前ら! 金は高くつくがな……へへ……」

 欲を出して汚らしい笑顔を向ける男から顔を逸らし、ナナは整った無表情の星火に囁く。

「知り合い?」

「知らない……」

 ナナが話していたことを目の前で体験するとは思わなかった。こういった肩書きを偽る者は想像以上に多いようだ。彼が笛を吹けるかどうかも怪しい。もし吹けないなら真面目に遣っている奏者への営業妨害も甚だしい。信用に関わる。星火は熱心に営業してはいないが、頼まれれば大体は断らない。

「僕も君の音色が聴いてみたい。水辺まで行かなくていい。ここで吹けるか? 吹けないなら信用しない」

「お……おう言ったな!? 聴いたら金を払うんだぜ? オレは良心的だから十万円でいいぜ」

 銀色の笛を構える男を横目に、ナナは星火に囁く。

「セイも一回十万円取るの? 奏者の相場って知らないのよね」

「水の無い所で吹いてもお金は取らない。僕も相場は知らないが、あまり安くすると価値が下がると親には言われた。あと客の質が下がるとも」

「客の質の前に奏者の質が悪いわね」

「本当に困っているなら僕はお金を取らない。ニナからも君からも取ってないだろ」

「当たり前みたいにお前を頼ってたけど、そう言えばそうね。請求されたら幾らくらいになるのかしら」

 ほんの少しだが焦りを見せたナナに、星火は口元に笑みを浮かべて目を逸らす。とんでもない金額になるらしい。

 その金額は聞かないでおこうと心に決めたナナの耳に音色が聴こえる。男が奏で始めた。星火の音色は澄んだ物悲しい静けさがあったが、男の音色は一言で言うと粗雑だった。だが音は出ているし旋律にも破綻は無い。

「意外だわ。一応吹けるのね」

「……うっ」

 感心する傍らで、星火は笑みを消して顔を歪めた。頭を押さえて俯く。

「セイ?」

「ど、どうしたの……?」

 黙って会話を聞いていたニナも心配そうに見上げた。

「不協和音……」

 ナナはハッとし、鞘で男の笛を叩き落とした。笛が歯に当たる痛そうな音がした。

 彼女達には、上手いとは言えないが聴くに堪えない程ではなかった。素人に毛が生えた程度の音色だった。星火には明らかにそれ以上の不快感を与える音だった。

「何すんだよ! 折角演奏してやったのに……」

「汚い……音が汚過ぎる……」

「失礼だなお前!?」

「君の心は汚物なのか……」

「失礼過ぎるだろ!」

 男が怒りながら叫んだ時、地響きが立った。正確には極めて狭い範囲、足下からだ。地面だと思っていた物が罅割れ、突然高く水飛沫が上がった。

「!」

 ナナは地響きが立った時点で星火とニナの腕を引いていた。地面だと思っていた足元は瓦礫で、土を薄く被っているだけだった。水溜りに蓋をするように瓦礫が覆い被さった不安定な場所だったようだ。

 巨大な魚が不愉快そうに瓦礫の穴から跳ね、唖然とする男の上半身を、悲鳴を上げる暇すら与えず噛み千切った。

 巨大な魚は一旦水の中へ戻り、方向を転換して三人に狙いを定める。

「クラドセラケね。貧弱な奏者と一緒にしないでほしいわ」

 対話よりもやはり刃で解決する方が性に合っている。ナナは抜刀し、煌めく刃で一閃、大口を開ける魚の頭を刎ねた。丸呑みにされた男の上半身が覗き、諸共水へ落ちる。血と水を撒き散らし、瓦礫を汚らしく染めた。

 あまりに凄惨な切り口に、ニナも星火の腰に両腕を回して顔を埋めた。

「笛の音に反応したのか、声に反応したのか……笛の音だとしたら凄いな。笛の見方が変わる」

 呆然としながら星火は呟く。魚を退けるための銀笛が、逆に魚を寄せ付けるなど聞いたことがない。音を奏でられれば、威力に差はあれど魚を追い払うことができるのだと思っていた。魚にはあの男の音は雑音にしか聞こえなかったようだ。

「セイ、ニナ。この魚、食べる?」

 体は水の中に落ちてしまったが、頭は地面に残った。生々しい鮮血を流し、虚ろな目が空を見上げている。

「いや……いい」

 ニナも星火の腰に顔を張り付けて首を振った。

「やっぱり食べるなら体よね」

「そういう意味じゃ……」

 人間を食い千切ってその断面を晒しながら沈んでいった魚を食べるのは抵抗がある。ナナは平然としているが、魚を幼い頃から食べている星火でも遠慮する。ニナも魚はともかく千切れた人間は見たくない。

「……二人の反応の方が普通なのかしら?」

「たぶん……」

 ナナは幼い頃に死体を見慣れ、その後は人との関わりが極端に少ない。まず生きた人間を見慣れていないため、魚に食い千切られようが頓着は無く、他の動物と同じように見えてしまう。生きの良い人間が住む集落に居た経験のある二人とは感覚に差がある。

 二人の感情を理解しようとナナは俯き、血に濡れた刃を布で拭いて刀を納める。残された魚の大きな頭を蹴り、足で押して水溜りへ戻した。男の下半身も足で水に落としておく。

「もう大丈夫よ、ニナ。全部水が持って行ってくれたわ。さっきの家に戻って休みましょ」

「本当……?」

 恐る恐る星火の背から顔を出し、血溜りは残っているが血を流す物は見当たらないことに安堵する。

「話を聞きたかったんだがな。結局何も聞けなかった」

「何がそんなに聞きたかったのよ」

「…………」

 星火は無言で踵を返し、先程の家の方向へ歩き出す。ニナが掴まっていて歩き難い。

 いつもの無愛想だろう。そう推察してナナも付いて行くが、ニナが不安そうに振り向く。

「……セイ……ナナちゃんには言ってもいいかも……」

「ニナがいいなら僕は止めないが、いいのか? ナナが()()()()を憎んでたらどうする?」

「だってナナちゃん楽しそうだし……」

「まあ楽しそうだが……」

 ぼそぼそと二人で話し始め、ナナは首を傾げる。彼女の話題なのに蚊帳の外だ。

「何? 私に聞こえるよう話してるんだから、ちゃんと話してくれるのよね? 仲間外れは嫌よ」

「ナナちゃんは……空のこと、どう思う?」

「空?」

 藪から棒に何を言い出すのか。ナナは顔を上げて鈍色の空を見る。所々に赤い罅が入っている不気味な空だ。だがそれは旧時代の人間だけが零せる不満だ。現代の人間は青い空なんて誰も知らない。

「どうって言われても……特に何も思ったことはないわよ。地上にいれば目に入る見飽きた景色……かしら?」

「空を壊した人のことは?」

樫水雲藻(かしみうんも)のこと? 故人のことはどうでもいいけど、何で壊したのかは気になるわね。結局行方不明のままだって言うし、動機がわからず仕舞よね」

「それだけ?」

「他に何かある?」

 ナナは上着のポケットに手を突っ込み、不思議そうに首を傾ける。それ以外に故人のことなど考えない。

 彼女の素っ気無い反応にニナは出自を話す決心をした。三人で行動することになり、ナナだけは二人のことを何も知らない。ナナは気にしていないが、ニナは何処か壁があるような、距離を感じて打ち解けることを躊躇っていた。いつ口を滑らせてしまうかとビクビクしながら会話をするのは疲れる。

 ニナは星火から手を離し、改めてナナに向き合った。

「わ、私……その……私の名前は…………樫水ニナなの」

 意を決した声は少し震えていたが、星火は足を止めてニナの傍らにいてくれた。それが彼女にはどれほど心強かっただろうか。

 対するナナはきょとんと目を丸くする。

「へぇ、それで?」

「それで!? は……犯罪者の子孫……だけど……」

「お前は何か悪いことをしたの?」

「私? 私は……えっと……内緒でパンを一個多く食べたことがある……」

 困惑と後ろめたさを混ぜた顔で吐露したニナに、ナナは再びきょとんとした。

「……ふっ……あははは! その程度で悪いなんて、それなら私は大悪党じゃない」

「えっ? え……?」

「私の方が悪いことしたわよ」

「わ、私は……子供を産まないから、私で犯罪者の血を絶やして、私が最後になる……」

「そんなこと気にしなくていいのに。ニナの好きなように生きればいいのよ。お前には罪なんて無いじゃない」

 ナナはからからと笑い飛ばし、止めていた足を動かす。深刻な顔で何を言い出すのやらと構えていたが、遠い過去を引き摺る話だった。いつまでも過去を引き摺っていると、重くて足が動かなくなってしまう。

「それで?」

「そ、それで!? えっと……だから……教団の集落が襲われて、それで……セイは私の護衛をしてたから助けてもらって、それから逃げたから、さっきの人は追手だったかもしれないみたいで……」

「ああ。成程。それで話を聞きたがったのね。それよりもニナとセイの関係が知れて良かったわ。謎だったのよね」

「そっち!?」

 笑いながら先に進んで行くので、ニナも慌てて後を追う。星火も胸を撫で下ろしながら付いて行く。

「前にセイから聞いた話を合わせると、その教団の人にセイは攫われたの?」

「……そうだ」

「驚いてないように見えるかもしれないけど、私凄く驚いてるわ。樫水の行方って、世界七不思議の一つでしょ? まさかその末裔に会えるなんて。教団はよくわからないけど。七不思議の二つと旅ができるなんて興奮するわ」

「七不思議?」

 知らない言葉が飛び出し、ニナはナナを追いながら尋ねる。瓦礫に躓きそうになり、星火が支えた。

「人がよく口にしている現代の疑問だ。人によって多少の違いはあるが、口にされる機会が多いものを七つ集めたのが七不思議。一つは樫水の行方、もう一つは奏者だ」

「セイも不思議な人だったの!?」

「その言い方は嫌だな」

 ナナは歩く速度を落とし、二人に並ぶ。ナナは人と話す機会が乏しいため、七不思議を正確に知らない。それでも樫水の行方と奏者が不思議がられていることは知っている。それほど疑問が周知されていると言うことだ。

「奏者と言うか、笛と言うか? 何で笛を吹いただけで魚が逃げていくのか、奏者じゃない人達は不思議なのよ」

「セイ、何で?」

「……何でと言われてもな……訓練は受けたが、仕組みは教わってない。もしかすると十八歳になる時に全て教えてもらうのかもしれないが」

「何でも十八歳に纏め過ぎじゃない?」

「奏者と名乗る人の内、本家と、百歩譲って分家だけが本当の奏者だと教えられた。さっきの人は紛い物と言うことだろう」

「百歩譲歩するのね。仲が悪そうな本家と分家の確執が面白そうだから聞きたいんだけど」

「その話は今のニナの話とは関係ない。話が逸れるからやめよう」

 話したくないだけだが、星火はすっぱりと打ち切った。ナナはまた逸らかされてしまったと不満だ。

 三人は何事も無く先程の家まで戻ったが、考え直して少し先に進むことにした。明るい内に移動するのは危険だが、先程の男からは何も聞けていない。追手だった場合、留まるのは危険だ。

「ある意味、命を狙われるタイプを二人も連れてるのね、私」

「まあ……そうなるか」

 憎む人が多い大罪人の末裔と、金を持っていると周知されているため強盗の標的にされる奏者を一瞥し、ナナは楽しそうに笑う。

「身分は隠しているが、僕達と一緒にいると危ないかもしれない。別れるなら引き止めない」

「え? そんな流れだった? 私は寧ろ歓迎よ。七不思議の二つと一緒にいるのよ? こんなに面白いことがある? どうせなら七つ集めたいくらい」

 七つが全て人とは限らないので集められるか不明だが、明かされていないからこそ七不思議だ。その二つと出会ってしまったのだから、他の七不思議とも出会えそうな気がしてくる。

「七不思議って他は何があるの?」

「大罪人と奏者以外だと、水と魚は何処から湧いてくるのか、空の汚染とは何か、空を管理してた施設の場所は何処なのか、の三つなら知ってるわ」

「有名だな」

「それに人が関係してるの?」

「関係してるかもしれないし、してないかもしれない。それがわかれば七不思議には入らないもの」

 教団の集落ではニナに情報が渡らないよう会話が控えられていた。その中で星火だけが自由に話していたが、彼が話していないことはニナも知らない。星火は七不思議を知っているが、ニナに話したことはなかった。

「私もあまり人と話さないから全部は知らないの。よく聞くのはこの五つよ。後の二つも耳にしたことがあるかもしれないけど、どれが七不思議になってるか知らない。セイはどう?」

「僕は……行商機は何処から来たのか、と聞いたことがある」

「機械が勝手に管理して動いてるんじゃないの?」

「そうじゃないと考える人もいるんだ」

「セイもナナちゃんも物知り……私も早く教える方になりたい」

「教える相手がいればいいわね」

「ぐぅ……」

 ニナは眉間に皺を寄せながら二人に付いて行く。いつか先頭に立って二人を連れて行く方になりたいものだ。

 ニナの秘密を知ってもナナは今までと変わらず彼女に接した。この壊れた現代で蟠りを抱えていない人間などいないだろう。大罪人の末裔だと言うことより、秘密を知って仲間に入れてもらえたことの方が、ナナには重要だった。


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