第二十二話 死峰アンドロマリウス(Ⅲ)~山脈への関門
一時の平和に別れを告げ、行軍を続けた魔導士団。ついに皇国ミリディア統候領にある目的地、アンドロマリウス連峰北西側玄関口に足を踏み入れ――。
最初の関門である、カナン峡谷を踏破しようとしていた。
アンドロマリウス連峰は5000mを超える険が軒を連ねる、大陸最高峰の山脈である。同時にその標高から当然大陸一の極寒地帯であり、永久凍土に覆われるその地はたえず降雪と吹雪に見舞われる。
比較的標高の低いカナン峡谷であっても,その例にもれない。連峰を挟んで南に位置する玄関口エストガレス王国セルシェ村のように、入り口から侵入者を拒絶するかのような過酷な自然が猛威を振るうのだ。
このような極寒の地において気脈の乱れが発生した場合、発生する変異種としては過去にホワイトタイガー、ホワイトベア、アイストロール、氷鳥、そしてアイスゴーレムの発生例がある。この中でもアイスゴーレムは、乱れの魔力量によって大きく体格や身体能力が左右され、魔導士が苦手とする重量物理攻撃が得意な最大の難敵だ。
峡谷の直前――まずは極寒に耐える装備への変更と荷の作り直し。そしてミリディア統候アイギスが雇い提供した案内人数人が紹介された。
それが終わると、ラージェ大森林の際と同じように長であるヘンリ=ドルマンから、今回の探索任務の目的と作戦が示される場が設けられた。
百人からなる魔導士団に下知を下すため――。ヘンリ=ドルマンは5mはある高台に登り、士気を鼓舞するためにあえてブラウハルトに跨る英雄的な姿となり、声を張り上げた。
「聞け、偉大なる大導師の魔導士たちよ!!!! 此度の探索任務は、大導師府始まって以来の大戦となろう!!!!」
そこで下知された作戦は――。
南西の乱れのポイントが眠る、3500m級の険ルヴァロン山。その地下洞穴。
目的の地に向けて、団を3手に分けることだった。
狭い山道や、洞穴内ではどのみち100人の人間が一度に動くことなどできない。ましてや今回ほどの危険な任務において人海を有効に使うには、これ以外の行軍作戦はない。
すなわち、一点に対し四方から複数の槍をもって突きかかること。2本が折れても、1本がたどり着ければ良いのだ。ルヴァロン山山麓・中腹に点在する洞穴入り口のうち有効な突破口を見定め、別れた隊がそれぞれ侵入。遭遇した変異種を退治りながら進み、いずれか到達した隊が乱れの鎮圧を達成する。
こうして分けられた3隊。
大導師府の2番手ガルガン・ドハティ師範代、3番手のリリー・ジュベリウス師範代がそれぞれ受け持つ部隊は迂回して中腹からの侵入を目指す。1番手ヘンリ=ドルマンが率いるそれは当然のごとく最大の人数、最高の人員――ラージェ大森林の戦をくぐり抜けた精鋭を中心に固められた部隊。中央の麓の大洞穴からの侵入に赴くこととなった。
ヘンリ=ドルマン以下、ブラウハルト、ディトー、ナユタ、ランスロット、ラウニィー、フレア、ダンらが揃った層の厚い布陣。
当初ヘンリ=ドルマンは許伝最強となったラウニィーをリリー師範代の部隊に組み込もうとしたが、ナユタがこれに異を唱えた。ヘンリ=ドルマン部隊は正面突破の役割を担うゆえ、攻撃力は高いに越したことはない。またラウニィーの精神がまだ完全に安定していないことをナユタは心配したのだ。これをブラウハルトが取りなし、元の鞘に落ち着いたのであった。
天候は良好で抜けるような青空が広がるものの、地面の降雪から上がる冷気や吹き抜ける寒風は容赦なく一行の体力を奪う。温暖な気候になれた者ばかりで構成され厚い靴で身を縮こまらせながら歩く面々の中で、実は極端に寒さに弱いナユタがランスロットに愚痴をこぼす。
「ううう……うう……寒い!!! 覚悟しちゃいたけど、ここまで寒いだなんて話しが違うよ……! やだよお……凍え死んじゃうよお……生きて帰れないよ……。あたしが炎使いだからかなあ、こんな寒さが苦手なのって……」
「……いや、寒いのはすごく同意するけど……同じ炎使いのダンを見てごらんよ。このくそ寒い中あんな貌が赤くてテカテカしてて、むしろ暑そうじゃないか」
「……え、えーと……下世話だけどね、あいつの貌があんななのは……たぶん温度とは別の幸せな理由だよ……。ううう……ちくしょう、あんたがブラウハルトほどじゃないにしても、せめて犬ぐらいの大きさだったらモフモフしてて暖まれるのにぃ……」
「……それこそ君の責任であって、僕に云われても一番困る苦情なんだけど。にしても寒いよねえ……。戦闘に支障が出かねないよね……」
そのようないつものやりとりを続けるナユタとランスロットの後方で、ディトーにさりげなく近づいていく、フレア。
「ディトー師兄」
「フレア……? もう一度俺と遊んでくれるっていうなら歓迎だが、君はもうダンといい仲なんだろ? 何の用だい?」
「あら……? 師兄が私のような小娘をまだご所望でしたら、いつだってご相伴いたしますわ。
……師兄。単刀直入に申し上げますけど実は私、貴方の『秘密』を存じ上げておりましてよ」
「何? 秘密だって? ははは、それは一体、何のことだ? わからないな」
「ゾイル・エレ=ヴァーユ……」
いっそう声をひそめ、完全にディトーにしか聞こえない小声になりながらささやくフレアの言葉。
それを聞いた瞬間――。
ディトーの貌は周囲の山肌以上の白色を貼り付けた、極限の驚愕の表情に変貌をとげた。
「――そ――それを――!
どこで聞いた……! どこで知った……!
云え、フレア……!」
周囲を、とくにヘンリ=ドルマンとブラウハルトの方を伺いながらの小声での、しかし異様な殺気のこもった声色での詰問。
フレアは意を得たように微笑を浮かべ、ディトーに云った。
「私が昔から懇意にしている、ある文通相手から。
驚きましたわ、私も。けど師兄が『そう』であるとわかった以上、私から一つ折り入ってお願いしたいことがありますの……」
そう云って、ディトーに何事かをつぶやくフレア。それに耳を傾けるディトーの貌は白から一気にどす黒くなり、表情も戦慄から「恐怖」に変わっていった。
そのとき――。
前方を往くブラウハルトが、側面の2つの頭を後方に振り、叫びを張り上げたのだった。
「来るぞ、敵襲だ!!!!
氷鳥の大群である!! 前180度、対空と対スピードの備え!!! 必ず二人一組以上になり、弾幕を切らすな!!!!」
敵の性質に合わせた、的確な指示。加えて入山前に、各師範代よりあらかじめ模擬実戦パターンの提示があった一行の対応は、極めて早かった。
ナユタは、ラウニィーと組になった。許伝のNo.1、2である彼女らは、自分たちの役割の重さを十分に自覚していた。進んで前に突出し、ヘンリ=ドルマンと並んだ。
彼女らよりさらに突出し血破孔打ちを完了、肉弾戦への臨戦態勢にあるブラウハルトの真後ろだ。今回の戦いではランスロットの氷結魔導は通用しないため、酸素操作魔導によるナユタのサポートに徹することとなっている。
迫るようなルヴァロン山の険がそびえ立つ方角、まっすぐに伸びた広い雪原の道。その向こうから――。
横一線になった黒い帯のごとくに迫る長大な影。そして連動して鳴り響く、キーの高いカラスのような鳴き声、それが「幾百」かそれ以上、重なり合って鳴り響く大音量。
乱れた気脈の波動を受け、変異した白鳥たち。その成れの果て。人を喰らう外法となったモノ共。
翼長4mにもおよぶ巨鳥にして、ブリザードブレスを吐く怪鳥。それが氷鳥。
圧倒的威容と感じられるプレッシャーは、ラージェ大森林で感じたそれとは比較にならない。強力な魔導士であるナユタらをして、死を身近に感じさせるほどのもの。
大きく武者震いするナユタの目の前で――。
「ブラウハルト!!!」
「応!!! ――ウウウ――オオアアアァーー!!!!」
主人の戦闘開始の合図に、巨大な弾丸のごとく飛び出すブラウハルト。
ナユタとランスロットに吹き飛ばされそうな突風を叩きつけながら、彼の姿は瞬時に消えた。
そして恐ろしく小さな姿となってはるか前方で跳躍。突出した氷鳥に殺到し――。
身体を一回転させて、尾の鋭い長剣を一閃させた。
声を上げる間もなく、水平に一刀両断にされていく、数羽の氷鳥。血とともに肉塊となった仲間たちの姿に動揺し、次いで怒り、突如現れた敵対生物に群がり始める。
しかし雲霞のごとき数の敵は、ブラウハルトの位置を起点に左右に分断し――。まるで巨大なコウモリかイナゴの群れでもあるかのように、一行に向けて押し寄せてきた。
「――来たよ!!! ランスロット! 酸素の放出は準備万端かい!?」
「――も、もちろんだよ、ナユタ!!」
「ラウニィー! あの生白い鳥どもにプレゼントしてやる、とびっきりに熱い風魔導の用意はいいかい!?」
「ええ、いいわよ、ナユタ!!!」
「それじゃ、行くよ!!! ……“魔炎煌烈弾・放射波”!!!!」
気合一閃、広げたナユタの両手から放出される、地獄の業火。
すかさず合わせられたランスロットの濃縮酸素の支援を受け、放射状に発射されたマグマのような炎は、またたく間に数十mの幅、それ以上の広がりを見せ――。
有効範囲に突進してきた怪鳥ども数十羽以上を、業火の中に押し包んだ!
「ギイイッ!!!!」
「グウウウェェェェ!!!」
醜い断末魔の叫びを上げながら身体を燃やし尽くされ、たちどころに地に堕ちていく氷鳥。その破壊は留まるところを知らず、後続のさらなる敵をも巻き込む。
今回の戦は、すべての敵が氷結系の属性をもつ。爆炎魔導使いのナユタにとって水を得た魚のごとく力を発揮できる最高の舞台だ。これまでに経験したことのない人生最大の手応えと爽快感を前に、性の絶頂にも似た快感が突き抜け、思わず全身を身震いさせた。
それに負けじと、再発射への予備動作に入ったナユタに代わって魔導を発動させる、パートナーのラウニィー。
両の拳を握って合わせ、前方に突き出す独特の構え。現時点ではナユタを上回る彼女の魔力が爆発的に湧き上がり、全てが攻撃のエネルギーに変換されたそれが、友に続いて敵に放たれる。
「……“灼熱圧縮煉獄殺”!!」
それは――敵周囲の空気を超急激に圧縮させ、発生させた高温で敵を焼き尽くす、風魔導の中でも頂点に位置する高度な技。
グニャリ――と周囲の空気が歪んだような違和感でざわついた数十の怪鳥。その次の瞬間には異常なまでに苦しみ叫びを上げ、次いで勢いよく全身が発火。
燃やされたわけでもないのに火だるまとなり絶命した怪物どもの前で、超然と立つ黒い髪とローブのラウニィー。
氷結系に対して相性の悪い風魔導使いという要素を微塵も感じさせぬ、恐るべき攻撃力。
それら頼もしい後輩たちの活躍を横目に、ヘンリ=ドルマンも“|束高圧電砲《ホクスパヌングストルム 》”など彼女たちに数倍する魔力をもって百単位の敵を葬り去っていた。
その後方で、フレアと組になったダンも、ランスロットとナユタに劣らない連携で氷鳥の猛攻をしのぎ、確実に大量の敵を仕留めていっていた。
しかしながら――。敵の数は、あまりに膨大。それを予想していたからこそ駆り出された見習いなどの面々だったが――。
自らの元まで群がり始めた怪物に、勇敢にも立ち向かっていた彼ら彼女らも、許伝のような八面六臂の活躍には足元にも及ばない。
敵を仕留めつつも、徐々に――。力負けし、敵のブリザードブレスや嘴による突殺を許す者が出てきてしまったのだ。
「ううあああ!! 畜生!!! ぐあああああああっ!!!!」
「エランドゥル!!!!」
親しい見習いの男子が、氷鳥の鋭い嘴に胸を完全に貫かれるのを見て、ナユタが叫ぶ。
絶命し、倒れていく彼の姿を見て、ナユタは恐ろしい音をたてて歯ぎしりした。
「止まってるヒマはない――! このクソ鳥どもを早く皆殺しにしないと、犠牲者は増えてっちまう!
ラウニィー!! ランスロット!!! 行くよ、あたしらだけでこいつらを全滅させるつもりで、全部燃やし尽くしてくよ!!!!」
凄まじい魔力と炎熱をまき散らせながら、ナユタは空を覆い尽くすかのような怪鳥の群れに向けて、再び炎を放っていったのだった。




