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昨日の敵は今日の嫁  作者: 梅干し
昨日の嫁は今日の敵
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6.彼の嘘。

 シエルはノインに連れられて学院の近くにある国立公園に来ていた。

 ノインは低めの木が並んでいる通りにある長椅子に座るように促し、「少し待っていて」と優しげに微笑んで、シエルを一人置いてどこかへと行った。

 シエルは長椅子にゴロンと寝転び、空を彩るように咲く木に色づく淡いオレンジの花を眺める。花の甘い香りがシエルの鼻腔をくすぐった。

 この花は気分を昂める効果があり、花が咲く春から初夏にかけてのこの時期のこの場所は恋人たちの絶好のデートスポットになっている。


 ――なんでジンとじゃなくて、ノイン君なんかと来てるんだろ。


 溜め息を吐いて目を閉じてすぐ、ノインが呼ぶ声が聞こえたのでゆっくりと目を開く。空とオレンジ色を背景に、大抵の婦女子ならばトキメかずにはいられない爽やかな笑顔のノインが覗き込んでいた。


「お昼だし、これ買ってきた」


 ノイン“なんか”と軽んじられてる事など露知らず、お気遣いの紳士アピールに余念の無いノインは座った体勢になったシエルの膝に紙ナプキンを置き、近くの屋台で買ってきた硬めのパンに辛めに味付けされた肉と酸味のある野菜が挟まったものと果物ジュースを差し出した。


「あんまりお腹すいてない……」


 食べ物どころかノインの存在自体に興味が無いような、死んだ魚の目をしてシエルはそっぽを向いた。だがしかし、この二週間でぞんざいに扱われる事に慣れたノインは、くじけずにシエルの手に買ってきたものを握らせる。


「食事を抜くのは良くないよ? 一口だけでも食べて? ね?」


 仕方ないといった風にもそもそと食べ始めるシエル。喉を潤すためにジュースに口を付けた時、ノインがほくそ笑んだ事には気づかない。

 シエルがパンとジュースを平らげたのを見計らって、ノインが口を開く。


「ちょっとは落ち着いた?」


 ノインが優しく問いかけると、シエルの空色の瞳からボロッと大粒の涙が零れた。


「お、落ち着けるワケないじゃん!! ジンに“迷惑”だなんて思われてたんだよ!? ジンだけは違うと思ってたのに!! ジンだけは私の事そんな目で見ないと思ってたのに!!」


 大泣きするシエルを見て、さきほどジュースに入れた薬の効果がちゃんと出ている事をノインは確信した。

 ノインがジュースに入れたのは、ちょっぴりアダルト系のお店に行けばすぐに手に入るようなちょっぴり媚薬効果のあるもの。たかがちょっぴり、されどちょっぴり。ノインのイケメンスマイルでのぼせ上がっている婦女子の方々にはよく効くのだ。

 ノインが常備しているこの薬は、媚薬と言うより興奮剤と言った方がいい。性欲を増進させるよりも現在進行形で抱いている感情を増進させる効果の方が強いので、汎用性がありノインはよく使用している。

 更に今回は周りに咲いているオレンジ色の花の匂いが、効果を増進させている。シエルのジンに対する不信感を今のうちに植え付けたいノインは、しかし何がどうなるのか分からないシエルに対し、慎重に言葉を選ぶ。


「シエルさんの気持ち……、よく分かるよ」

「えっ……!? ノイン君もジンの事……? やっぱりおホモだち……」

「いやいやいや! 違うからね!? そっちじゃないから!!」


 慎重に選んだ割には失敗してしまった。訂正しても、なおシエルの攻撃は続く。


「ソッチじゃないって事は……ハッ!! まさか、アッチだって言うの……!? あ、あの……、ノイン君……。えと、その……、凄いんだね……」

「何が!? 何想像してるか知らないけど、絶対それ違うから……」


 シエルの頭の中では、一体自分がどんな醜態を晒しているのかと泣きたくなるノイン。このままだと、ジンに対してではなく自分に対しての不信感が募ってしまうだろうと危機感を感じ、くじけずに先ほどの話をする。


「そうじゃなくて。他人から悪感情を抱かれてしまうって気持ちがよく分かるって事」


 話は少し逸れてしまっていたが、シエルの中の悲しいという感情は消えていた訳ではなく、ノインがそう言うと俯いて黙ってしまった。

 ひとまず落ち着いた事にホッと胸をなで下ろしながらノインは続ける。


「僕もね、シエルさんほどではないけど魔力は多いし、自分で言うのもなんだけど頭のいい方だったから、小さい頃から下手な大人よりも強かったんだ。でも、やっぱり子供だったからさ、自分にできない事は何もないんだって思い上がって、その時の実力には不相応な大きな魔術を使おうとして失敗した事があってさ。その時に沢山の人が怪我をしてさ。それから、周りの人からまるで“化け物”を見るような目で見られるようになった」


 下手な大人よりも強かったのは本当。しかし、魔術の失敗云々はシエルの体験を少し変えただけの嘘。『僕はキミと同じ苦しみを抱いてるんだ。だから仲良くしよう』作戦である。


「僕は二度と人を傷つけないために、凄く努力したんだ。勉強も、魔術訓練も、人との付き合い方まで。でも、一度植え付けられてしまった価値観は中々覆らない。国際魔術師一級を取得した今でも、故郷での僕の居場所は無いんだ……」


 故郷での居場所が無いのは本当。しかし、それはノインの女遊びが原因だった。同じ空気を吸うだけで妊娠してしてしまうという不名誉な認識をされている。ノインにとっては、若気の至りでやってしまった消し去りたい黒歴史である。


「でもさ、今は凄く充実しているんだ。こんな僕でも受け入れてくれる居場所を見つけたから」


 俯いていたシエルがまだ涙を流している瞳をノインに向ける。今の話に興味を持ったようだった。

 ノインはシエルが何か話せる間を開けるために、微笑んでみせた。


 ――さあ、何か言ってごらん。それはどこだと聞くのでもいいし、自分の居場所はすでにあるのだと主張してもいい。どんな話でも、ここにキミの居場所は無いのだという結論に導いてあげるよ。


 ノインは今までの実績による自信と、ここまでシエルが黙って話を聞いてくれているという手応えから、上手くいくと確信した。

 しかし、忘れてはならない。相手はシエルだという事を。


「お断りします」


 んん? 今、僕は何を断られているんだ? ノインは微笑む顔を崩さずに混乱した。


「えっと……。一応、聞いていいかな? 何を、断るの?」

「え? どっかの組織の勧誘でしょ?」

「えっ……?」


 確かに、そういう方向に持っていこうとしていたが、今までは欠片もそういう事を匂わせた事など無い。なのに、何故今そういう結論に至ったのかが分からなくて、ノインは戸惑った。

 一瞬、シエルの友人の顔が脳裏を横切ったが、自分の仕事の邪魔にならなければ他人の仕事の邪魔をしないのが業界の暗黙のルールだ。なので、それはすぐに頭から追い出し、シエルに直接聞く事にした。


「気づかれてしまったなら、仕方がないね。どうして気づいたの?」

「女の勘かな?」


 野生の勘の間違いだろう、とノインは思った。


「私、小さい頃からそういう勧誘や、誘拐なんかもしょっちゅう合ってるから。なんとなく分かるってゆーか」

「なるほど。ちなみに、いつから気づいてたの?」

「最初から」


 それにはさすがに唖然としてしまうノイン。分かっていながら自分と距離を取るどころか、喜んで同じ班になるという、度胸が座っているのか図太いだけなのかよく分からないそのシエルの精神構造に、自分の敗北を悟った。

 今までも、自分の目的を悟られた事はあった。しかし、それでもノインの魅力に抗えずに隙を見せてしまい、その隙をノインは見逃す事などなかった。

 それなのに、今回は魅力など通じない、やっと隙を見せたと思っても、別方面から隙がかすむほどの攻撃をしてくる。それらは全て無意識のうちに行なっているのだからタチが悪い。

 確かにノインは女が好きだし、また扱いにも長けている。しかし、天然とは相性が悪い。しかも極上を上回った極悪の天然である。


 ――人選を間違えましたね……。


 ノインは、依頼主に対して心の中で恨み言を言った。

 いや、そもそも彼女の心を動かす事など、彼以外誰にもできないのかもしれない、と嘆息して、それでも悔し紛れにノインは言う。


「キミの気持ちはよく分かった。でも、これだけは言っておくよ。キミの居場所はここには無い。キミは異常で、キミを取り巻く人間は普通だ。ジン君を含めて、ね」


 異常。それは言われ慣れたはずの言葉だった。それなのに、今のシエルにはどういう訳か酷く胸に突き刺さる。


「社会的な利があまり絡まない学生の今だからこそジン君はキミを傍に置いても耐えられているけれど、卒業後はどうなるかな? きっとキミを持て余すよ。だって、ジン君は普通の感性を持っていて、キミはそんなジン君の“迷惑”になる行動しかできないんだから」


 ボロボロと涙を流すだけで言い返してこないシエルを見て、ノインの加虐心が掻き立てられる。シエルの肩に手を置き、そして口を耳元に近づけた。


「キミはジン君にとって毒にしかならない。異常者は異常者らしく、僕たちと同じ世界にいた方がいいよ」


 それだけ言うとノインは立ち上がり、未だ泣き続けているシエルを置いて去って行ってしまった。

 シエルの涙で詰まった鼻には、もう甘い花の匂いなど感じない。けれど、先ほどまで確かに感じていた甘い匂いがノインの言葉と共にシエルの身体中に回り、世界がぐるぐると回っているように感じた。



 一方、ジンはと言うと、とっとと帰ってしまったシエルの代わりに始末書を書かされていた。何故ジンがしなければいけないのか。それは、ジン=シエルの保護者という方程式が確立してしまっている今、追求するだけ野暮というものである。

 いつもはジン監修・シエル作なのだが、シエルがいない方が何倍も早く終わった。今日は夕方まで訓練の予定だったのだが、訓練場が使えない今何もやる事が無い。なので、ジンは始末書を提出した後、精神的な疲れにより少し背中を丸めながら学院を後にした。


「やあ、ジン君」


 ノインに声をかけられたのは、食べそびれた昼ご飯を食べようと国立公園を通り過ぎて、飲食街に入ってすぐの所だった。


「ノイン……? シエルと一緒じゃないのか?」

「一緒の方が良かった?」


 いちいちムカつく言い方しかしねぇなコイツ、と思いながらも、ジンは流して立ち去ろうとした。しかし、ノインの言葉で足が止まる。


「彼女、キミと僕との間で心が揺れてるみたい」

「はあ?」

「でも、ずっと一緒にいたキミを中々捨てる事ができなくて悩んでるってさ」


 今回の依頼を破棄する気でいるノインは最後の嫌がらせとして、すぐにバレるであろうくだらない嘘をついた。それが後にとんでもない誤解を招くとは知らずに。

 ジンがどんな反応をするのかと期待して、ノインはジンが口を開くのを楽しげに待っていた。しかし、待てども待てどもジンの反応は無い。絶妙な光加減で眼鏡が光っており、その向こうの目を窺い知る事もできずにノインはどうしようかと首をかしげた。その時、ふらり、とジンが動く。

 殴りにきたか!? と身構えてみたが、そんなノインなど目に入ってないかのように、ジンはノインの横を通り過ぎ、そのままどこかへとフラフラと歩き出す。


「おーい、ジンくーん」


 ジンの背中に呼びかけてみたが、やはり反応は無い。やがて何も無い所で躓いて見事な転びっぷりを披露したジンに大爆笑してから、ノインは満足気な顔をして帰路についた。

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