7.彼がウーパールーパーになった日。
「解せぬ」
ノインインパクトの後、茫然自失状態で街を彷徨い、人にぶつかりゴミに突っ込み、家に着く頃にはジンはボロ雑巾リターンズになっていた。
驚く母親に風呂へと促され、用意されていたジンのサイズぴったりのヒラヒラのワンピースを疑問も抱かずに着用し、小綺麗になった所にお菓子を鼻に突っ込まれ、猫耳を付けられてからダブルピースで記念撮影され、部屋に戻り鼻に詰め込まれていたお菓子が奥まで入り込み、咳き込んだ所でようやく正気に戻ってからの第一声がそれだった。
母親による非道な行いも理解できなかったが、それよりもノインの言った事の方が受け入れ難かった。
「なぜ俺が捨てられる側なんだ!!」
頭の猫耳をむしり取り、力の限り壁へと投げつける。すると、猫耳から『にゃ~ん』という萌え声がした。どうやら押すと鳴き声がするスイッチがどこかにあったらしい。しかも投げつけた事で壊れたようで、『にゃ~ん』『にゃ~ん』『う゛な゛~ぉぉう』と延々と鳴いている。何回かに一回は発情期バージョンであるようだ。
そんな鳴き声を背後にひらひらワンピースを雑に脱ぎ捨てる。
「捨てるなら、どう考えても俺の方だろ!?」
ジンの脳裏をよぎるのは、シエルに振り回された日々。
理不尽な目に合い、幾度となく枕を涙で濡らしていた幼少期。それに耐えられる強さを身につけたら身につけたで、シエルの暴走の後始末を押し付けられてしまうようになったここ数年。自ら渦中に飛び込んで行く事もあるが、放って置いてもシエルという名の暴風は勝手に近づいてくる。
そんなはた迷惑な存在の世話をしている自分はむしろ褒められて然るべきだろう、とジンは憤慨する。
――そもそも、なんで俺はあんな馬鹿が好きなんだ。
怒りの余り、ジンは今まで考えないようにしていた禁断の考えをしてしまう。
シエルのどこが好きなのか。いくら考えても、思いつくのはシエルに対する文句ばかり。
――そうだ。別にアイツがいなくなっても何も困りはしないじゃないか。むしろ清々する。
極論に至ってしまったジン。その顔つきは、答えが出てサッパリしたという顔ではなく、考る事を放棄したウーパールーパーのような顔つきになっている。
ウーパールーパーと化したジンはもそもそとベッドに潜った。丸まった状態で顔だけ出し、未だにゃんにゃん鳴き続けている猫耳をひたすら眺め続けるという気味の悪い形態へとなる。
気がつけば、朝陽が差し込む時間になっていて、猫耳はなりを潜めていた。知らぬ間に寝ていたようだ。
ウーパールーパーは無意識に窓にかけていた侵入者を阻む結界を確かめた。いつもはシエルが入ってこようとしていた痕跡があるのに、今日はそんな様子など欠片もない。それを見たウーパールーパーが人の顔に戻り、悲しみの色を滲ませた。
「アイツ……。本気で俺から離れるつもりかよ」
いつもはランニングに行く時間であるのにジンは何もやる気が起こらず、登校時間になるまでただ無為に時間を過ごした。
そんなジンの恋患っているような様子に母親は遠い昔に置いてきた乙女心を思い出し、「帰りにケーキ買ってきて」と全く関係無い事を言うのであった。
その日、まず教師たちが異変に気づいた。
今日はあの珍獣が問題を起こしていない。ホッとする反面、嵐の前の静けさなのかと警戒してしまう教師陣。
次に、クラスメートたちが首を傾げる。ジンはともかく、なぜシエルがジンに近づこうとしないのか。
この二週間、ジンに『今は敵だから話しかけるな』と言われても、ジン中毒者であるシエルは結局ジンにまとわりつくのが常だった。それなのに、近づくどころか、避けるような節がある。
――ありえない事だと思っていたけど、本格的に破局したのか……!?
そんな事を思わせるほど、二人はよそよそしい態度だったのだ。
そして、一番戸惑ったのはジン班の面々であった。
ジンが、とてつもなく優しいのだ。
ミスをしても怒鳴るどころか、逆に「誰でもミスはするものだ」と聖人かと見紛うほどの優しい笑みをされるし、動きの悪い者を目敏く見つけ、「どうした、体調が悪いのか? 無理はするなよ」と心底心配している顔をされる。後は上げだしたらキリがないほど、された方が引くほどの優しさを見せるのだ。
班員たちは戦慄する。新手の嫌がらせか、と。
ジンが本来優しい気質なのだと皆知ってはいたが、表情筋をあまり動かさない方であったし、訓練時は厳しく特にこの二週間は鬼か悪魔のごとくであったのだから、その反応は当然であっただろう。
しかし、ジンと同じクラスである班員の証言によって、嫌がらせという考えは覆される。
シエルと別れた事により、乱心しているのだ、と。
一見、ジンにベタ惚れのシエルがまとわりついて、ジンが仕方なく相手しているように見える二人の態度。しかし、よく見ると違う事に誰しもが気づく。
普段はあまり動かない表情筋がシエルが絡む時だけ、主に悪い方向にだがよく動くのだ。それになんだかんだ文句を言いながらも、シエルの世話を焼く姿は尽くす男そのものであった。
誰がどう見てもジンもシエルにベタ惚れしていた。故に、“バカップル”認定されていたのだ。
それなのに、別れてしまった。
あれだけ尽くしていたのに、きっといらないボロ雑巾を捨てるかのごとく捨てられてしまったのだ。班員たちは、ふとした瞬間に見せる悲しみも通り過ぎて悟りをひらいてしまったかのようなウーパールーパー顔を見て涙する。
きっと、原因はあのイケメンに違いない。アイツが幸せな二人を引き裂いたのだ、と班員たちは憤慨した。
新たな世界の扉を開かんとしている聖人ウーパールーパーはきっとそんな二人の事すら祝福するのだろう。しかし、それでは余りに悔しいではないか。だから、自分たちが一矢報いてやるのだ。
決意も新たに班員たちの心が一つになった瞬間であった。
勘違いと思い込みによって血祭りに上げられようとしているノインは、様子のおかしい二人に首を傾げていた。
どんな事を言ったとしても、自分には理解できない理由ですぐに仲直りするに違いない、と思っていたのに、明らかに二人の心の距離は開いている。
頑張っていた時より、適当に言った事の方が効くなんて皮肉なものだとノインは苦笑する。だが、それも今のノインにとってはどうでもいい事だった。
もう依頼主には、今回は降りるという旨を伝えた後だ。もし伝えてなかったとしても、ノインはこれ以上は何もする気はないだろう。どんな言葉がどう受け取られるか分からないので会話だけの勧誘は無理だし、実力行使に出てもシエル相手では返り討ちにされるだろう。
なので何もする気はない。が、それは二人の誤解を解く事もしないという事だ。
次の依頼が舞い込むまで、二人がどうなるのか高みの見物としゃれこもうとノインは気楽な気分でいた。
そんな二人とノインを見て、静かに冷気を垂れ流しているオカマが一人。オペリアである。
実はオペリアもノインと同様に、裏社会の組織の勧誘のために近づいた人物であったのだが、普通にシエルを気に入り勧誘という仕事は放棄していた。しかし、足を洗った訳ではなく、今もその世界に身を置いている。なので、ソッチ方面の情報には詳しい。
最近、特定の組織には組みせず、単独であるのに仕事の成功率が高いと噂の人物がいると聞いていた。主に女を、時には男を篭絡して、自分の手はあまり汚さない手口と、実際本人を見た者たちの噂により『微笑みの詐欺師』というなんともアレな渾名を付けられている。
その詐欺師の今回のターゲットがどうやらシエルらしいという情報も仕入れていた。
詐欺師の一人や二人や三人、いや百人集まったとしてもシエルを手懐けられはしないだろうが、掻き回されるのは気に入らない。ジンの事も多少は気に入っているのだ。なので演習にかこつけ痛めつけて追い払ってやろうとしていたのだが、その前に良くない流れになっているようだ。
シエルの事だ。とんでもない誤解をしている可能性は高いと、オペリアは放課後シエルをお茶に誘い事情を聞く事にした。
「ジンくんとケンカしたのぉ?」
お菓子の家のようなカラフルな外装のオープンカフェで、オペリアは苺パフェをつつきながら聞いた。
聞かれたシエルは、“ジン”という単語に酷く反応を示したが、口を開く事なく俯いて力なく首を横に振るだけだった。
それを見たオペリアは、一体この子に何を吹き込んだのだと、ノインをフルボッコにする様を脳内でリアルに描いた。
「じゃあ、どうしてジンくんを避けてるのぉ?」
「……私が傍にいると、迷惑かけちゃうでしょ?」
え、今さらそんな事言うんだ、とやはりオペリアも思った。
しかし、そんな事は顔には出さずに対応する。
「迷惑かけられて喜ぶ。それがジンくんの性癖なんだよぉ?」
さらりとジンをマゾ扱いするオペリア。それにシエルは強い衝撃を受ける。
「なんてこと……っ!! それじゃあ、むしろまだまだ足りなかったんだねっ……!?」
「いや、それはさすがにやめたげて。今でいっぱいいっぱいだと思うから」
つい素に戻って男声で言ってしまうオペリア。そうだよね、とシエルがまた肩を落としてしまったのを見て、オペリアは慌てて弁解する。
「今ぐらいがぁ、ジンくんにはちょうどいい快感なんだってことだよぉ~」
「そうなの? ジン気持ちいいの?」
「うんうん。いつもシエルちゃんに怒鳴ってるでしょぉ? あれは気持ちよすぎてぇ、ついつい声が大きくなっちゃうだけなんだよぉ」
誤解を生む会話だが、彼女たちの会話はこれが通常運転である。少しズレた言い方の方が、シエルには通じるのだ。実際シエルの中では、ジンはシエルの事が好きだからこそ、多少(?)の迷惑など平気なのだとまともな解釈になっている。
でも、とシエルは思う。先日ノインに言われた言葉がまだぐるぐると身体の中で回っている。
「でも……。私、やっぱりジンに迷惑かける事しかできないんじゃないかな? 今は校舎壊しても怒られるだけだけど、もしこれから同じ所で働けるとして、そこで建物壊したら怒られるだけじゃあ済まされないでしょ? そこでジンが今までみたいに庇ってくれるとしたら、ジンまで責任取らされちゃったりして、まとめてクビだー、とかなって、再就職先探すけど見つからなくて、ジンは酒に溺れて、私が内職で稼いだお金も酒代に取られて、『アンタ、それは子供のミルク代だよ!!』とかなって、お互いにいい事無いんじゃないかなって……」
今の言葉を訳すならば、『これからも一緒にいるとジンが辛い思いをするかもしれない。そんなジンを見たら私も辛くなる』である。
なるほど、とオペリアは頷いた。ノインから吹き込まれたのは、今は大丈夫だが『学生だから』で済まされない立場になった時には一緒にいるのは無理だ、みたいな事だろうと当たりをつけた。
「ね~ぇ、シエルちゃん。ジンくんは、もうシエルちゃん無しでは生きていけない身体なんだよぉ?」
ノインはジンを“普通”だという認識をしているが、オペリアはそう思っていなかった。確かに普段は絵に書いたようなまとも代表の優等生だが、シエルが絡むと彼も充分“異常”になる。
分かりやすい例が今回の“シエル・ノイン討伐”における気迫だろうか。とてもじゃないがカタギの人間には見えない。班員たちが震え上がって死に物狂いで訓練に取り組む訳である。
それに、元々の保持魔力量が平均より下回る彼が、何故学年で一番の成績を張れるまでになれたのか。元々真面目なのもあったが、きっと“シエルを倒す”という目標が無ければそこまでの底力を発揮しなかっただろう。それほどまでにシエルに執着しているのだ。そんな人間からシエルを取り上げたら、腑抜けになるのは間違いないとオペリアは考えていた。
そんなオペリアの考えとは裏腹に、シエルはそんな事無いと思っていた。シエルにとってのジンとは、唯一無二の“凄い人”なのだ。
だから、シエルがこう思うのは仕方ない事であった。
「……ジンは、私がいなくても生きていけるよ」
その時、神の導きかのように近くをジンが通りかかった。
母親の「帰りにケーキ買ってきて」という指令を今シエルたちがいる店でこなそうと入りかけていた時、オープンカフェにいる彼女たちの姿に気づき身を翻そうとした。しかし、今一番ホットな話題をオペリアが持ち出した事に、ジンの足は固められたように動かなくなる。
「シエルちゃんはぁ、ジンくんから離れたいのぉ?」
「……迷ってる」
その瞬間、ジンは自分の足元が崩れていく錯覚に陥った。
ノインがどんな事を言おうと、シエルがどんな態度でいようと、心の奥底では『シエルが自分から離れるはずはない』という思いがあったのだ。
それが今のシエルの言葉で、ノインが言った言葉が一気に真実味を帯び、ジンの自信を崩していく。
すぐにシエルに問い詰めれば勘違いだと分かるものなのに、またもやウーパールーパーになってしまったジンには、ただケーキを買ってそれを無心で食べながら帰る事しかできなかった。空箱を渡した母親にキレられた事は言うまでもない。
オペリアは、シエルの重症加減にどうしたらいいものかと悩む。ここまできたらもう自分の言葉では心は動かないだろう。
ジンの言葉でしか動かないだろう。
しかし、今一瞬チラッと見えたウーパールーパーは役に立ちそうにない。
「はぁ……。仕方ないねぇ~。どうしてもって言う時はぁ、ノインくんのとこじゃなくて、オペリアのとこに来るんだよぉ?」
「うん」
持つべきものは友達だなぁ、とシエルはジンの事など微塵も気づかずにのほほんと笑った。




