第七話:秘密交渉
リオからの返事が届いたのは、三日後だった。
前回より短い紙だった。内容も短かった。
「接触した。動く気がある。ただし条件がある」
条件の内容は書かれていなかった。次の接触で直接確認する、という意味だろう。リオらしい書き方だった。必要な情報だけを、必要な量だけ書く。
俺は紙を火にくべた。
炎が消えてから、少し考えた。
動く気がある人間が、人間側にいる。それだけで十分だった。誰か、なぜか、どういう立場か、それは追って分かる。今は動いてくれる人間がいる、という事実だけを確認した。
次の接触まで、五日かかった。
リオが持ってきた情報は、前回より詳しかった。薄い紙に、細かい文字で書かれていた。
相手の名前はミラ。王都の外交局に所属する若い女性外交官。年齢は二十代前半。外交局の中では新参で、上からの信頼はまだ薄い。しかし動きは速く、独自のルートで情報を集めている。
リオの評価が一行添えられていた。
「使えます。ただし、守る必要があります」
守る、という言葉をリオが使うのは珍しかった。
リオは基本的に、人間を資源として見る。使える、使えない、の二択で判断する人間だった。その男が「守る必要がある」と書いた。それが何を意味するのか、次の接触まで待つことにした。
ミラはまだ、魔王と話していることを知らない。
リオが仲介者として立っている。ミラの認識では、魔族領に潜伏している人間の情報屋と連絡を取っている、という形になっているらしかった。その方がいい。今の段階で相手が魔王と知れば、動きが止まる可能性がある。段階を踏む必要があった。
一週間後、リオから三通目の報告が届いた。
今回は少し長かった。
ミラが動いている理由が書かれていた。外交局の内部で、強硬派が力を持ち始めている。このまま放置すれば、数ヶ月以内に遠征派が主導権を握る。ミラはそれを止めようとしている。交渉のルートを作ることで、遠征の必要性を内部から崩そうとしている。
リオの私見が末尾に一行あった。
「ミラは善意ではなく、勇者不在の恐怖から動いています」
俺はその一行を、二度読んだ。
引っかかった。
引っかかった、という言葉が正確かどうか分からなかった。ただ、その一行だけ、頭の中に残った。
恐怖から動いている。
勇者だった頃の自分なら、それを問題にしたはずだった。動機が恐怖では、長続きしない。恐怖が消えれば動きも止まる。信頼に足る相手ではない。そういう判断をしたはずだった。
今は違った。
動機は問わない。
動いてくれるなら、それでいい。ミラが恐怖から動いていても、その動きがこちらの必要としているものと合致しているなら、使える。利用、という言葉が浮かんだ。 以前なら、その言葉を選ばなかった。勇者だった頃の自分なら、その言葉を使う前に止まっていた。
紙を畳んだ。火にくべた。
炎が消えるのを見ながら、もう一度ミラのことを考えた。
恐怖から動く人間は、不安定だ。その不安定さが、リオの「守る必要がある」という言葉と繋がっているのかもしれなかった。
使いながら、守る。
その二つが同時に必要な相手だと、リオは判断している。俺と同じ判断だった。
その夜、ダナが部屋に来た。
「ガルドから、もう一度面会の申し入れがある」
俺は少し考えた。
前回の面会では、ガルドは探っていた。頭を下げず、最後まで視線を切らなかった。今回はどちらかだ。前回の続きを話したいのか、それとも別の用件か。あの夜の古参派の動きと、この面会申し入れが繋がっているなら、目的は一つだ。
「受ける。明後日でいい」
「分かった」
ダナは出ていった。
翌日、リオと直接会った。
場所は城下の市場区画だった。人の流れに紛れる形で、短時間だけ接触した。リオは商人の顔で立っていた。俺を見ても表情を変えなかった。
「ミラの条件を聞いた」
リオが先に言った。
「何だ」
「停戦の確約がほしいと言っている。口頭でいい。ただし、魔族の上位の者から直接聞きたいと言っている」
「魔王とは言っていないのか」
「言っていない。権限を持っている者、という意味で言っている」
「今の段階でどこまで知っている」
「魔族領に、交渉できる立場の者がいる。それだけだ。俺が誰の指示で動いているかは、まだ知らない」
俺は少し考えた。
今すぐ魔王と話していると知らせるより、まず信頼の実績を一つ作る方がいい。順序を間違えれば、止まる。
「伝えろ。近いうちに確約できる立場の者と繋げる、と」
「俺が言うのか」
「お前が言え。お前の言葉で」
リオが少しだけ間を置いた。
「了解した。ただし、急ぎすぎるな。ミラは動きが速い分、周囲に気づかれやすい。今の外交局の状況では、目立つと潰される」
「分かっている」
「本当に分かっているなら、それでいい」
リオは視線を市場の人の流れに向けた。一拍置いてから続けた。
「もう一つ」
「何だ」
「ガルドが動いている。あの夜の件で、独自に調査を始めたらしい」
「俺に向けた調査か」
「まだ分からない。ただ、動いている。明後日の面会、気をつけろ」
リオはそれだけ言って、人の流れに混ざった。すぐに見えなくなった。
部屋に戻ってから、交渉ルートの設計を頭の中で整理した。
ミラが動いている。恐怖から動いているが、動いている。停戦の確約を求めている。それは渡せる。問題は渡し方と、渡すタイミングだった。魔王と話していると知られる前に、信頼の実績を一つ作る必要があった。
ガルドが動いている。調査の目的はまだ分からない。明後日の面会で、何かが見えるかもしれない。
二つの動きが、同時に進んでいた。どちらかが速く動きすぎると、均衡が崩れる。速度を揃える必要があった。
茶碗を持ち上げた。わずかに、角度がずれた。中身は零れなかった。それだけだった。
複数の問題を並列で処理すると、負荷が分散して、それぞれの精度が落ちる。一点に集中する方が精度は上がるが、今の状況は一点に集中できる段階ではなかった。
ダナが追加の茶を置いていった。何も言わなかった。
勇者だった頃の自分は、こういう考え方をしなかった。
した方が良かったのか、しなくて正しかったのか、今となっては分からなかった。分からないまま、茶を飲み終えた。
翌朝、ガルドとの面会の前に、リオから短い書状が届いた。
「ミラが動きました。外交局内の一人に、接触を始めています」
紙の端に、もう一行あった。
「彼女は、まだ引き返せると思っています」
それだけだった。
予想より速かった。
俺は書状を火にくべた。炎が消えてから、立ち上がった。
ガルドとの面会まで、あと半日だった。




