第十二話 多い昼食
「いつも不思議に思うんだが、どうして同じ授業のはずなのに、移動教室あるんだろうな?」
四階にある講義室からの帰り道、剛は渋い表情で疑問を口にした。
四時間目は英語表現の授業だった。平たく言えば、英文法の授業。ちなみに昨日のあれはコミュニケーション英語――こっちは長文の授業。ほんとけったいな名称だと思う。
とにかくこの授業は出席番号によって、受ける教室も、担当の教師も違った。俺たちの方は教室移動組なわけである。教員は、ちょっと歳のいったおじいちゃん。わかりやすいが、英語の発音が怪しいのが難点だ。
ある意味では幸せな時間だった。というのも、席がガラッと変わるからである。それだけでなく、あの忌々しい転校生ガールは教室居残り組だった。
苗字からすれば、俺たちと同じグループのはずだが、そこは転校生。あから始まるくせに、一番最後の出席番号を有しているわけである。
「知るかよ、そんなこと。そのご自慢の頭脳で解決してくれ」
「あれでしょ、単純に俺たち生徒への嫌がらせだよ」
「いつも寝てるお前にピンポイントだったらわかるけどな」
「おいおい、幸人君。ぼくはね、剛君に教えてもらった睡眠学習というものを――」
「そんな話した覚えはないんだが。勝手に権威づけに利用するのは止めてくれ」
「……ちなみに学。こういうの、故事成語でなんていうか、知ってるか?」
「コジセイゴ? なにそれ、人の名前?」
そのぶっとんだ回答に、俺と剛はほとほと呆れるしかなかった。お互い口をあんぐりと開けて、中央の友人を睨みつける。
文脈を考えろよ、と思う。なんで、いきなりこの流れで人の名前を出すのか。それにそもそも、その言葉についてはとうの昔に習っているはずだ。
「誤解を恐れず言えば、中国の昔話由来のことわざだな。今、幸人は虎の威を借る狐と言いたかったんだろう?」
「まあな。微妙にずれてるかもしれないけど」
「はぁ~キツネって、そんなに強いの? 人は見かけによらないな~」
「まずひとじゃねえし。そもそも、何言ってんだ、お前……」
俺はもはや学の言葉を理解するのを放棄したくなっていた。ほんと、頭が痛い。
「だって、虎のイをカるんでしょ。何とかハンターも真っ青な部位破壊っぷりだね」
「こいつはいったい何の話をしてるんだ……。わかるか、剛?」
「まあ、おおよそには。イはストマックの方じゃないぜ、学。カるもハントの方じゃない」
剛の分かりやすい丁寧な解説でようやくわかった。なるほど、虎の胃を狩る狐……確かに強いな、キツネ。弱肉強食とは真逆の事態が起きてる。――アホかっ!
しかし、当の本人はよくわかっていないらしい。無駄に英単語を使ったのがよくなかったのか。その顔は完全に思考停止顔である。
「戻ったらちゃんと説明してやるから。でもなぁ、学。去年、漢文の授業で出てきただろ?」
「だったっけ? 覚えてないなぁ。漢文って、返り点もわからないから、俺!」
「そんなことで威張らないでくれ。つくづくお前と同じ高校なのが、俺は不思議だよ」
「お前そんなんで大丈夫なのか? 授業中も寝てばっかりだし。そろそろ、剛のワクワクドキドキ学習教室でも開いてやろうか?」
「真面目な話をしたいのか、ふざけたいのかどっちかにしてくれ……」
「ヘーキヘーキ、水泳で結果出してるからちょっとは大目に見てもらえてるさ」
「いつからうちの学校は私立高校になったんですかね……」
そうこうしているうちに、ようやく我が教室に戻ってきた。すでに、昼休みを始めている連中の騒ぎ声がここまで聞こえてくる。
俺ももうお腹ペコペコだった。早弁は主義に反するので、二時間目が終わった辺りからいつも空腹感に苛まれる。
今日は弁当の日だった。ほんと、よかったと思う。移動教室の日に購買だなんて、考えたくない。それでなくとも、昨日は変なパンしか買えなかったわけだし。
「ユキトさん、お帰りなさい。一緒にご飯食べましょ?」
そしてこれである。席に着いたら、いきなり声をかけてきた。そして、恒例となった曇り一つない笑みと一緒に。スマイル無料のバイトとかすればいいと思う。向いてるわ、絶対。
教室に入った時、この女は一人でぽつんと座っていた。転校生ブーストはどこへ行ってしまったのか。彼女の回りには誰もいない。
身体を強張る俺をよそに彼女はごそごそと鞄から可愛らしい包みを取り出した。ピンク色したふわふわキラキラな布製の、おそらくそれが彼女の弁当袋なのだろう。
「実は今日、お弁当作ってきたんです。ほら、ユキトさん、昨日購買を使っていらしたから」
「えっと、マジで……?」
「はい!」
さらにもう一つ、弁当袋が出てきた。サイズ感がさっきのものよりも一回り大きい。
しかし――
「いや、あの今日は弁当あるから」
「……えっ!」
彼女は微妙な笑顔のまま凍り付いてしまった。目の前で手を振ってみてもピクリともしない。
なんだかとても悪いことをした気分になる。実際問題、俺には何も非はないんだが。
「おい、幸人! それはいくらなんでも最低だぞ!」
「そうだよ、転校生ちゃんが可哀想だと思わないのかよ?」
えぇ……お前らはそっち側につくのかよ……。文字通り、彼女の近くに立って強い非難を込めた眼差しで俺を睨んでくる。
「わかった、わかった。ちゃんと食べるから。せっかく作ってきてくれたんだし」
「ほんとですか!? でも……お弁当二つも食べたら、ユキトさん、大変なことになっちゃいますよ」
「いや、そんな腹が破裂したりするわけじゃないから……」
まだ気の引けた様子の彼女の手から、弁当を少し強引に受け取った。それを無駄にできるほど、俺は悪人ではなかった――ただ、罪悪感に押しつぶされただけとも言える。
「まあ最悪遅弁すればいいでしょ」
「待て、学。そんな言葉聞いたことないんだが……」
「え? 知らない? 部活に備えて、五六時間目も食事をとるのさ。俺はいつもやってんだけど」
「あれ、遅弁って呼んでたのな……。お前はアスリートだからいいけどさ」
なんとなくそのままの流れで、そのまま四人で昼食を取ることに。学校で昼を食べて、ここまでお腹がいっぱいになったのは初めてだった。




