第十三話 放課後の歓談
着席するなり横から腕をがっと掴まれた。左ひじの辺りを強く、上から押さえつけるみたいに。
袖口から覗くきゅっとしまった手首、透き通るような白い肌、小さい掌、ほそっりとしなやかな指――邪魔くさいことこの上ない。
「なんだよ?」
「今日こそは逃がしません。死ぬまで、この手を離しませんとも」
「愛が重いな……」
ようやく今日も無事に一日が終わったというのに、どうしてこんなくだらないことで時間を取られないといけないんだ。さっさと帰って、ゲームがしたかった。その発想はまさに陰キャのそれだが、事実だから仕方ない。
周りのやつらは次々に自由行動を開始する。それが羨ましいったらありゃしない。
「じゃ、お先に~」
「俺も急いで部活いかないと」
友人二人はとても薄情だった。さっさと席を立って、急ぎ足で教室を出て行ってしまった。俺に一瞥もくれない。声をかける暇もなかった。
「ほら、ご友人の方々も行ってしまわれましたよ? 気遣いができる素晴らしい方ですね」
「一方はかなり勉強ができて、もう一方はとても水泳が得意だ。さあ、好きな方を選べ」
「じゃあ、わたくしはユキトさんで!」
「どうしてだよ……」
あいつらに押し付けるのは失敗した。ダメだったか。カタログスペックは最高だと思ったんだが。
ここまで来ると、一周回って俺が本当にこいつの前世の恋人な気がしてきた。改めて、その顔をしげしげと眺める。
奇麗な瞳、色っぽい左の泣きぼくろ、ぷっくりとした形の良い唇、瑞々しいほっぺた、どこをとっても非の打ちどころはない。だからこそ、こんな女子が俺のことを想っているというこの現状をなかなか受け入れられないわけだが。
「さあ、帰りましょー」
そんな俺の困惑をよそに、彼女は自分のしたいことを押し付けてくる。
「……お前、どこに住んでんだ?」
げんなりしながらも、一応確認すべきことを尋ねた。もちろん、一縷の望みを載せて。
帰ってきた答えは俺の家の近所だった。はぁ、とんだ偶然があるものだ……なんて――
「ほんとそうですね! やはり当世でもわたしたちは結ばれる運命にあるのです!」
「嘘つけ! こんなの絶対おかしいわっ!」
「いえいえ、本当にたまたまですよ~。それとも、ユキトさんはわたくしが何か細工したとでも?」
「いや、それは……」
転校生の話は、こいつに会う前から聞いていた。さらに、引っ越しは当然それよりもっと前。あの日、俺と出会った時が、初対面だと彼女も言っていたではないか。だとすると、色々と辻褄が合わない。
だからといって、運命ときたか。なかなかどうして嫌な表現をしてくれる。俺はたまらず顔を曇らせた。
「……わたくし、何か気に障る様な事しましたか?」
「とりあえずじゃあ、手を離してもらおうか」
「いくら、貴方様の頼みでも聞けません」
ぷいっと彼女は横を向いた。すげなく却下されてしまった。
「運命ていうのはどうにもなあ」
「あっ、ごめんなさい。そうですよね、わたくしとしたことがつい勢いで……」
そんなにヘコまれるとは思わなかった。学っと肩を落として、寂しげに俯いて。それでいて、右手は相変わらず俺の腕を握りっぱなしなのだが。
「いや、そんな大げさな……俺が個人的に嫌いな言葉なだけだから」
「ええ、わかってます。昔からそうでしたものね。わたくしたちはずっと運命に抗って生きてきた――」
彼女はどこか遠い目をした。昔のことを想いだしているのかもしれない。この場合、昔のこととは生まれ変わる前のことだろうけども。
正直な話、かなり居心地が悪かった。自分のことを、よく知らない相手に理解されている。このおかしな構図は、俺を十分に落ち着かない気分にさせる。
「お前は肝心なことは教えてくれないんだな」
「……どういう、意味ですか?」
ちょっとその顔が強張っているのは、俺が思いの外低い声を出したからかもしれない。
「お前は俺の前世の恋人だというけど、その頃の話は何もしない」
「それは……ユキトさん、何か思い出せることありますか?」
俺は黙って首を振った。本当は、こう言いたかった。俺はお前の探している人間じゃないから、そんなことは地球が何万周したってありえないぞ、と。
それを言わなかったのは、自分にもよくわからなかった。昨日はしっかりと拒絶できたのに。しおらしい今のこいつを前にしていると、どうにも調子が狂う。
「でしたら、わたくしからお話することはありません。覚えてないなら、そっちの方が良いのです。大切なことは、わたくしが今もあなたのことを想っているということだけです」
「……よくもまあ臆面もなく、そんな恥ずかしい言葉言えるな」
「そうですか? でも言わなくちゃ伝わらないこともありますから」
「手を離してくれ」
「ダメです!」
三回頼んだのにダメだった。俺は決して劉備なんちゃらにはなれないらしい。
「あのー、そろそろ掃除始めたいんだけど!」
その時、ちょっとハスキーな声がした。
短い茶髪のクラスメイトの女子が俺たちのところに寄ってきていた。睨むようにしてこちらを見ている。今週の掃除当番グループの女の子だ。葛西さん……だったかな。自信はない。
気が付けばかなり話し込んでいたらしい。周りを見ると、すでに清掃活動が始まっている。早く机を下げないと。ちょっとした渋滞が起きていた。
「ああ、ごめん。すぐにどくから」
「もう頼むわよ。ちゃんと、他の机も下げること!」
怒ったように言うと、彼女は去っていった。その背中からも、怒りが伝わってくる。
「ほら、帰るぞ」
「じゃあ、一緒に帰るってことでいいんですね?」
「じゃあ、離し――」
「行きましょ、行きましょー」
またしてもその訴えは撥ね退けられた。
そして彼女は、うきうきとした様子で立ち上がる。さらに、俺のことを引っ張り上げるようにして。
俺もまた席を立たざるを得ない。空いている方の手で自分の鞄を持つ。
「もういいだろ? 片手じゃ、椅子を上げられない」
「それもそうですね……あっ、じゃあ腕を組むっていうのは――」
「却下!」
語気を荒らげると、彼女はようやく俺を開放してくれた。
てきぱきと椅子を上げて、机を強く後ろに引っ張る。そして、次々と前の方へ。
その間もちらちらと明城は俺の方を見てきた。やりづらくて仕方がない。もう逃げ去る気はさらさらなかった。
「それでどこに行きますか?」
そのまま教室前方の入り口に向かって歩いていると、変なことを言われた。
「いやいや、帰るんだろ」
「えっ、でも、こういう時って、どこかに寄り道するのが定番だって」
「初耳なんだが、それは……。そもそも、俺とお前はいつからそんな仲になったんだ?」
「遥か遥か昔です!」
「……そーでしたね」
お前の中ではな! 胸の中で強く吐き捨てた。
「それはまた今度だ。早く家に帰りたい」
「約束ですよ! それで何かご用事ですか?」
「……まあな。どうやったら世界を救えるかを考え、そして実行せねばならない」
大それたことを言うと、彼女は目を白黒させた。しかしすぐににっこりと口角を上げる。
「すごい、さすがはユキトさんですね! それは急がなくては――」
感心されてしまった。ほんの冗談だったんだが。
ちなみにさっきの話はゲームの中でのことだから、あながち嘘を言っているわけでもないんだが。
しかし、訂正したところで、俺に得はないだろう。そのまま勘違いさせておくことにした。……さすがの意味は全くわからなかったけれど。




