花と花の戯れ 07
「今日はね、収穫祭らしいんだ」
「収穫祭……その年の収穫を祝い、翌年の豊作を願うお祭りのことでしたよね」
「そうそう」
屋台の天幕が鮮やかな飾り布や木の実で彩られ、並ぶ露店には果物や野菜が山のように積まれている。
どこからか漂ってくる香辛料の香りが珍しくて、リリアーナは周囲を見渡した。
「……なんの香りなんだろ、これ。……イオは分かる?」
「……いえ。……お腹が空いてくる香り、としか」
「あは! 探して食べに行こう!」
地味な外套のフードを深く被ったリリアーナは、同じ格好をしているイオの手を取って歩き出した。
いつもは鬱陶しさを感じる人々の熱気が、今日はなんだか違って見える。
明るく賑やかな空気に、自然と足取りが弾んだ。
必要な物を買い、必要な情報を集め、必要な場所へ向かうためだけに訪れていた町。
楽しむためだけに足を止めた、その最後は、いつだっただろう。
リリアーナは外套の下でそっと胸を押さえた。
「……これはどうやって食べるのでしょう?」
「……周りを見てみて、みんな頭から齧り付いてる」
リリアーナとイオは手にした串焼きをじっと見つめる。
頭から齧り付くには、少し、いや、かなり抵抗のある見た目をしていた。
「……家畜の餌」
「リリアーナさま、見てください、人間が食べています。僕たちの食べ物で合っていると思います」
「イオ、先に食べてみて」
二つ返事でイオは串焼きに齧り付く。その表情の変化を見逃すまいと、リリアーナはフードを上にずらしてよく観察した。
もぐもぐ。
ごくん。
「……味が濃いですが、食べられます。食感は鶏胸肉に似ています」
リリアーナは意を決して餌に、いや串に齧り付いた。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
もぐ……。
「…………飲み込めないんだけど」
「ふふっ!」
リリアーナは目を見開く。
イオの笑顔を、初めて見た。
イオは驚いたように口元を押さえ、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「ごめんなさ、むぐっ!」
「謝ることじゃないよ。罰として、その串を代わりに全部食べること」
自分の食べかけの串をイオの口に押し込んだリリアーナは、にやりと笑う。悪戯が成功したときの子供のような笑顔に、イオは眉尻を下げて、微笑んだ。
「……あれはなんの儀式をしているのでしょうか?」
「……んー、たぶん豊穣の神になにかしらの祈りを捧げているんだと思う」
収穫物が積まれた、祭壇のような造形物を囲い、その周りをぐるぐると踊る人々。素朴な楽器で奏でられる音楽に合わせ、楽しそうに手を取り合い、笑っている。
その景色をリリアーナとイオは首を傾げながら眺めていた。
「なんの踊りなんだろう、あれ……ステップに統一性がないし、動きがめちゃくちゃ」
「でも、みんな笑っていますね」
「そうだね。楽しそう」
活気に満ちた町の広間を、二人はただぼんやりと通り過ぎていった。
どこまでも高く澄んだ空に、薄い雲が流れている。西からは茜色が染み出ていて、リリアーナは青と混ざり合うその境目を、遠く見つめた。
木箱をひっくり返しただけの簡易的な椅子に腰掛けたリリアーナは、隣に座るイオの顔を下から覗き込んだ。
「……疲れちゃった? いっぱい歩いたもんね」
「……はい」
リリアーナは声をかけてからイオの首元に手を伸ばす。首筋に指先を当て、その体調を推し量る。少し具合が悪い。
「もう少し休んでから帰ろっか」
「……ごめんなさ、……はい」
「来年も来ようね」
口元を引き結ぶイオに、リリアーナは笑いかけた。
青い瞳が揺れる。
「次はあの串屋の隣にあった謎のパンにチャレンジしてみよう。見るからに固そうだったから、顎を鍛えておかなきゃね」
「ふっ」
イオが吐息をこぼすように笑う。
リリアーナは穏やかに目を細めた。
二人の前を、笑い声を上げた子供たちが走り去る。街灯が灯り、町を淡く照らした。遠くから広場の音楽が聞こえてくる。
来年は、一緒に踊ってみよう。
そう思いながら、リリアーナはそっと空を見上げた。
この家の中はどこもかしこもどこか仄暗い。
使用人通路を使い部屋に戻っていたリリアーナは、その途中の廊下で出くわした人物に思い切り顔を顰めた。
対して、相手はリリアーナを見て艶然を浮かべる。
「あら、リリアーナ。お散歩してあげてるのね」
「ごきげんようオリーヴィアお姉さま。別邸にいらっしゃるなんて珍しいですね。従僕まで連れて、いかがなされたのですか?」
リリアーナはなんとなくイオの前に立つ。
オリーヴィアの後ろに侍っている従僕たちに憐憫の眼差しを向けそうになり、慌てて笑顔を繕った。狂人には同類と思われていた方が、この家では平穏に過ごせる。
「私がどこにいようと、私の自由ではなくて?」
「その通りですね。不躾でした」
「やだ、そんなにへりくだらなくてもいいのよ。私の可愛い妹」
リリアーナは鳥肌が立った。悪魔から可愛がられても嬉しくない。
その胸裡を知ってか知らずか、オリーヴィアはリリアーナの後ろにいるイオに視線を向けた。
「たくさん使ってあげているかしら?」
「……私は、彼を、そういう用途として扱うつもりはありません。便利な小間使いとしてで、十分です」
オリーヴィアが弾けるように笑った。
「あっはははは! リリアーナったら、意地悪ねぇ! そう、そうなの。んふふふふ、そういう楽しみ方もあるわね! あなたって、本当に可愛いんだから」
リリアーナは体の前で重ねた手を、ぎゅっと握る。赤い瞳をぐにゃりと歪ませて嗤うオリーヴィアは、悍ましかった。
(……私、何かを見落としている?)
肌が粟立つ感覚に、奥歯を噛み締める。
絹のような黒髪を後ろに流し、愉快そうに去っていくオリーヴィアを、リリアーナは静かに見送った。
「……行こうか」
リリアーナは俯いていたイオの手を取り、重い足を前に進めた。




